上村松園「棲霞軒雑記」
山種美術館で「上村松園 生誕140年記念 松園と華麗なる女性画家たち」展が開かれています.山種美術館が所蔵する《蛍》《新蛍》《夕べ》 《砧》《春芳》《娘》《詠哥》《牡丹雪》《庭の雪》《杜鵑を聴く》を見ることができます.
松園の実家は,京都の葉茶屋でした.
「店は四条通りの賑やかなところにあったから、たえず店の前を人が歩いていた。知り合いの人が通ると、
「まあおはいりやす」
「それではちょっと休ませてもらいまっさ」
といったあんばいに、通りがかりのお客さんが腰をおろすと、お茶を買う買わんにかかわらず、家で薄茶をたてて差しあげる。
「あんさんも一服どうどす」
といってみなさんの前にお茶をはこんで行くと、ちょうどぐあいよく隣によいお菓子屋があったので、勝手知ったお茶人が、そのお菓子を買って来て同席の人たちに配って、お茶を啜りながら、腰をおちつけて世間話に花を咲かせたものである。」 (「棲霞軒雑記」より)
と松園は書いています.
薄茶と京菓子が美味しそうです.
「私はたいてい女性の絵ばかり描いている。
しかし、女性は美しければよい、という気持ちで描いたことは一度もない。
一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香り高い珠玉のような絵こそ私の念願とするところのものである。
その絵をみていると邪念の起こらない、またよこしまな心を持っている人でも、その絵に感化されて邪念が清められる……といった絵こそ私の願うところのものである。
芸術を以て人を済度する。
これくらいの自負を画家は持つべきである。
よい人間でなければよい芸術は生まれない。
これは絵でも文学でも、その他の芸術家全体に言える言葉である。
よい芸術を生んでいる芸術家に、悪い人は古来一人もいない。
みなそれぞれ人格の高い人ばかりである。」 (「棲霞軒雑記」より)
よい人間がみな優れた芸術作品を残すとは限りませんが,優れた芸術作品を残した人はよい人間であってほしい,と思います.そして,松園は,優れた芸術作品を残し,かつ,よい人間でした.
宮尾登美子氏の小説『序の舞』は松園をモデルにしてはいますが,大部分フィクションです.
一点の卑俗なところもなく,清澄な感じのする香り高い珠玉のような準備書面こそ私の念願とするところのものである,と私は言いたいです.
谷直樹
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