弁護士谷直樹/医療事件のみを取り扱う法律事務所のブログ

癌の発見の遅れ事案における生存可能性を質問する鑑定事項についての考察

医療過誤に基づく損害賠償訴訟では,注意義務違反(過失),因果関係,損害の3要件を原告(患者側)が主張立証することが必要です.
因果関係とは,「あれなければこれなし」の関係です つまり,医事裁判では,過失がなければ損害が発生しなかったという関係です.死亡事案では,過失がなければ,本件患者の○年○月○日の死亡が発生しなかったという関係です.そして,因果関係があるか否かは,最終的に法的判断として裁判官が判断することになります.

法的には因果関係が認められてしかるべき事案で,裁判所が因果関係を否定する,あるいは相当程度しかない,という判決を下すことも少なくないように思います. 
それは,鑑定事項の設定も一つの原因として影響しているように思います.
がんの見落とし事案などでは「適切な医療行為が行われていた場合,本件患者の予後が(有意に)変わったか」という鑑定事項が設けられることが多いのですが,その質問に,鑑定人が「予後は変わらない」という回答を行うことが多いため,裁判所が因果関係を否定する,あるいは相当程度しかない,という判決を下すことになっているのだと思います.

そして,裁判所が「(有意に)予後が変わったか」という鑑定事項を設定し続けてきたのは,中本論文が影響している,と思います.

中本敏嗣ら「医事事件における鑑定事項を巡る諸問題-よりよい鑑定事項を目指して-」(判タ1227)は,古いですが,裁判官が参考にしている論稿です.

それには,
「判例(最高裁平成11年2月25日判決・民集53巻2号235頁,判タ997号159頁))により示された不作為の因果関係についての判断枠組みからすれば,『適切な診療行為を行っておれば,本件患者が死亡の時点においてなお生存していたであろうといえますか。また,生存していたであろうといえる場合,どれほどの期間生存し得たといえますか。』などという鑑定事項が考えられる。
しかし実務上,上記のような鑑定事項は余りみかけない。思うに,人間がどの時点で死亡するかを厳密に推定することは不可能であり,『死亡の時点において生存していたかどうか』という質問は,鑑定人にとっては違和感を覚えるものでないかと推測される。
鑑定人に対しては,当該死亡日に生きていたと考えられるかどうかというピンポイントな鑑定事項ではなく,必要な治療がなされていれば,有意に予後が変化したか,(患者が死亡した事例では,延命ないし救命が可能であったかどうか)という点と,仮に予後が変化した(延命ないし救命が可能であった)と判断される場合に,どの程度予後が変化したか,どのような予後が想定されるかについて判断を求めることがきれば,十分であろう。
その上で,上記最高裁判決のいう不作為の因果関係については,法的な因果関係の判断の有無として,裁判官が最終的に判断することとなる。」
(24~25頁)
と書かれています.

たしかに,「死亡の時点において生存していたかどうか」という質問に,医師が違和感を覚えるのはそのとおりです.
それは,医師は,一般に,予後の改善,延命可能性について,1日延命しても,1週間延命しても,有意に予後が変わったとは考えませんし,死亡の時点において生存していたかどうかを検討する機会がないからです。医師は,一般に,有意な予後の変化を月単位,ときには年単位で考えていますので,予後が変わったか,を質問すると,月単位,ときには年単位で変わった場合にしか「変わった」という回答を行わないのです.

ところで,そもそも,因果関係は「あれなければこれなし」の関係ですから,肝細胞癌見落とし事案についての最高裁平成11年2月25日判決を含め判例は,当該患者が死亡の時点においてなお生存していたであろうといえるか,を問題にします 法的には,1日でも変われば因果関係はあり,延命期間の長短は損害評価で判断すべきことです.
ですから,裁判所は,鑑定人に,「適切な医療行為が行われていた場合,本件患者が平成○年○月○日になお生存していた可能性はどの程度あるか。また,どれほどの期間生存し得たといえるか。」と質問すべきなのです.

谷直樹

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by medical-law | 2017-12-14 08:49