弁護士谷直樹/医療事件のみを取り扱う法律事務所のブログ

2015年 12月 21日 ( 4 )

Francis Scott Key Fitzgerald,The Great Gatsby

今日12月21日は、スコット・フィッツジェラルドの命日です.

その墓碑には,The Great Gatsbyの末尾「So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past」が刻まれています.

The Great Gatsby は、今は、村上春樹氏の翻訳があります.
翻訳は非の打ち所のないもので、さすが作家の手になるものと感嘆します.
原文は、さらに、すばらしい名文です.
何度も繰り返し読みたい小説です.
冒頭は,「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。 向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。」と同じくらい有名です.

In my younger and more vulnerable years my father gave me some advice that I’ve been turning over in my mind ever since.

“Whenever you feel like criticizing any one,” he told me, “just remember that all the people in this world haven’t had the advantages that you’ve had.”



私は、仕事がら、医師の過失を指摘する書面を作成したり、反論の書面を書いたりしていますが、それは criticizing any one とは別の話です.
私が司法修習生の頃(in my younger and more vulnerable years)は修習期間は2年で,本当によく起案をさせていただきました.とくに実務修習で懇切丁寧な御指導をいただいたのが役に立っています.
最近の若い弁護士や裁判官を見て何か言いたくなることもなくはないのですが、修習期間が短いのですからやむをえないことと思い、基本的に暖かい気持ちで見守っています.


谷直樹


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by medical-law | 2015-12-21 02:42 | 趣味

新潟県立坂町病院、37年間体内にガーゼ遺残、肉芽腫形成

東京新聞「37年間体内にガーゼ、新潟、手術で置き忘れ」(2015年12月18日)は次のとおり報じました.

「新潟県立坂町病院(新潟県村上市)は18日、37年前に十二指腸潰瘍の手術をした患者の体内にガーゼを置き忘れるミスがあり、今年11月に手術で摘出されたと発表した。患者は県内の60代男性で回復している。病院側は経緯を説明、謝罪した。

 病院によると、男性は30代だった1978年7月に十二指腸と胃の一部を切除する手術を受けた。今年6月、別の病院で尿管結石の治療のため検査した際、腹部に腫瘍が見つかり、さらに別の病院で11月に腫瘍を切除した結果、内部からガーゼの塊が見つかった。

 腫瘍は体を守るため異物の周囲に細胞が集まって形成される肉芽腫だった。(共同)」



NHK「37年間患者の体内にガーゼ」」(2015年12月18日)は次のとおり報じました.

「新潟県村上市にある県立坂町病院で、37年前に行った手術の際、患者の腹部にガーゼを残す医療ミスがあったことが分かり、病院は患者と家族に謝罪しました。

これは18日、新潟県村上市にある県立坂町病院の鈴木薫院長が、記者会見して明らかにしたものです。
それによりますと、先月、下越地方に住む60代の男性が、入院していた別の病院で腹部にできた腫瘍を切除する手術を受けたところ、ガーゼ1枚が見つかったということです。
この男性は、37年前の昭和53年に県立坂町病院で十二指腸潰瘍の手術を受けていて、男性が過去に腹部の手術を受けたのはその時だけだったことから、ガーゼは、その際に残されたものだと分かったということです。
県立坂町病院は、このあとすぐに男性と家族に謝罪したということです。
病院によりますと、男性はすでに退院し、今のところ健康への影響は確認されていないということです。
病院では、現在、手術で体内に異物が残ることを防ぐ対策として、ガーゼの枚数の確認や手術後のレントゲン検査を行っていますが、当時はこのような対策は取っていなかったということです。
鈴木院長は「患者やご家族にご迷惑をおかけし、おわび申し上げます。信頼される県立病院として職員一同で努力していきたい」と話していました。」


ガーゼが長年体内にあるとこのように肉芽腫が形成されることがあります.
ガーゼ遺残事故は、多いようです.


谷直樹


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by medical-law | 2015-12-21 01:55 | 医療事故・医療裁判

最高裁別姓判決、多数意見

「主 文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。

理 由
上告代理人榊原富士子ほかの上告理由について

第1 事案の概要

1 本件は,上告人らが,夫婦が婚姻の際に定めるところに従い夫又は妻の氏を称すると定める民法750条の規定(以下「本件規定」という。)は憲法13条,14条1項,24条1項及び2項等に違反すると主張し,本件規定を改廃する立法措置をとらないという立法不作為の違法を理由に,被上告人に対し,国家賠償法1条1項に基づき損害賠償を求める事案である。

2 原審の適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。

(1) 上告人X1(氏)x1(名)(戸籍上の氏名は「Ax1」である。)は,Aaとの婚姻の際,夫の氏を称すると定めたが,通称の氏として「X1」を使用している。

(2) 上告人X2x2と上告人X3x3は,婚姻の際,夫の氏を称すると定めたが,協議上の離婚をした。同上告人らは,その後,再度婚姻届を提出したが,婚姻後の氏の選択がされていないとして不受理とされた。

(3) 上告人X4x4(戸籍上の氏名は「Bx4」である。)は,Bbとの婚姻の際,夫の氏を称すると定めたが,通称の氏として「X4」を使用している。

(4) 上告人X5x5(戸籍上の氏名は「Cx5」である。)は,Ccとの婚姻の際,夫の氏を称すると定めたが,通称の氏として「X5」を使用している。

第2 上告理由のうち本件規定が憲法13条に違反する旨をいう部分について

1 論旨は,本件規定が,憲法上の権利として保障される人格権の一内容である「氏の変更を強制されない自由」を不当に侵害し,憲法13条に違反する旨をいうものである。

2(1) 氏名は,社会的にみれば,個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが,同時に,その個人からみれば,人が個人として尊重される基礎であり,その個人の人格の象徴であって,人格権の一内容を構成するものというべきである(最高裁昭和58年(オ)第1311号同63年2月16日第三小法廷判決・民集42巻2号27頁参照)。

(2) しかし,氏は,婚姻及び家族に関する法制度の一部として法律がその具体的な内容を規律しているものであるから,氏に関する上記人格権の内容も,憲法上一義的に捉えられるべきものではなく,憲法の趣旨を踏まえつつ定められる法制度をまって初めて具体的に捉えられるものである。

したがって,具体的な法制度を離れて,氏が変更されること自体を捉えて直ちに人格権を侵害し,違憲であるか否かを論ずることは相当ではない。

(3) そこで,民法における氏に関する規定を通覧すると,人は,出生の際に,嫡出である子については父母の氏を,嫡出でない子については母の氏を称することによって氏を取得し(民法790条),婚姻の際に,夫婦の一方は,他方の氏を称することによって氏が改められ(本件規定),離婚や婚姻の取消しの際に,婚姻に
よって氏を改めた者は婚姻前の氏に復する(同法767条1項,771条,749条)等と規定されている。また,養子は,縁組の際に,養親の氏を称することによって氏が改められ(同法810条),離縁や縁組の取消しによって縁組前の氏に復する(同法816条1項,808条2項)等と規定されている。

これらの規定は,氏の性質に関し,氏に,名と同様に個人の呼称としての意義があるものの,名とは切り離された存在として,夫婦及びその間の未婚の子や養親子が同一の氏を称するとすることにより,社会の構成要素である家族の呼称としての意義があるとの理解を示しているものといえる。そして,家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位であるから,このように個人の呼称の一部である氏をその個人の属する集団を想起させるものとして一つに定めることにも合理性があるといえる。

(4) 本件で問題となっているのは,婚姻という身分関係の変動を自らの意思で選択することに伴って夫婦の一方が氏を改めるという場面であって,自らの意思に関わりなく氏を改めることが強制されるというものではない。

氏は,個人の呼称としての意義があり,名とあいまって社会的に個人を他人から識別し特定する機能を有するものであることからすれば,自らの意思のみによって自由に定めたり,又は改めたりすることを認めることは本来の性質に沿わないものであり,一定の統一された基準に従って定められ,又は改められるとすることが不自然な取扱いとはいえないところ,上記のように,氏に,名とは切り離された存在として社会の構成要素である家族の呼称としての意義があることからすれば,氏が,親子関係など一定の身分関係を反映し,婚姻を含めた身分関係の変動に伴って改められることがあり得ることは,その性質上予定されているといえる。

(5) 以上のような現行の法制度の下における氏の性質等に鑑みると,婚姻の際に「氏の変更を強制されない自由」が憲法上の権利として保障される人格権の一内容であるとはいえない。本件規定は,憲法13条に違反するものではない。

3 もっとも,上記のように,氏が,名とあいまって,個人を他人から識別し特定する機能を有するほか,人が個人として尊重される基礎であり,その個人の人格を一体として示すものでもあることから,氏を改める者にとって,そのことによりいわゆるアイデンティティの喪失感を抱いたり,従前の氏を使用する中で形成されてきた他人から識別し特定される機能が阻害される不利益や,個人の信用,評価,名誉感情等にも影響が及ぶという不利益が生じたりすることがあることは否定できず,特に,近年,晩婚化が進み,婚姻前の氏を使用する中で社会的な地位や業績が築かれる期間が長くなっていることから,婚姻に伴い氏を改めることにより不利益
を被る者が増加してきていることは容易にうかがえるところである。

これらの婚姻前に築いた個人の信用,評価,名誉感情等を婚姻後も維持する利益等は,憲法上の権利として保障される人格権の一内容であるとまではいえないものの,後記のとおり,氏を含めた婚姻及び家族に関する法制度の在り方を検討するに当たって考慮すべき人格的利益であるとはいえるのであり,憲法24条の認める立法裁量の範囲を超えるものであるか否かの検討に当たって考慮すべき事項であると考えられる。

第3 上告理由のうち本件規定が憲法14条1項に違反する旨をいう部分について

1 論旨は,本件規定が,96%以上の夫婦において夫の氏を選択するという性差別を発生させ,ほとんど女性のみに不利益を負わせる効果を有する規定であるから,憲法14条1項に違反する旨をいうものである。

2 憲法14条1項は,法の下の平等を定めており,この規定が,事柄の性質に応じた合理的な根拠に基づくものでない限り,法的な差別的取扱いを禁止する趣旨のものであると解すべきことは,当裁判所の判例とするところである(最高裁昭和37年(オ)第1472号同39年5月27日大法廷判決・民集18巻4号676頁,最高裁昭和45年(あ)第1310号同48年4月4日大法廷判決・刑集27巻3号265頁等)。

そこで検討すると,本件規定は,夫婦が夫又は妻の氏を称するものとしており,夫婦がいずれの氏を称するかを夫婦となろうとする者の間の協議に委ねているのであって,その文言上性別に基づく法的な差別的取扱いを定めているわけではなく,本件規定の定める夫婦同氏制それ自体に男女間の形式的な不平等が存在するわけではない。

我が国において,夫婦となろうとする者の間の個々の協議の結果として夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占めることが認められるとしても,それが,本件規定の在り方自体から生じた結果であるということはできない。

したがって,本件規定は,憲法14条1項に違反するものではない。

3 もっとも,氏の選択に関し,これまでは夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占めている状況にあることに鑑みると,この現状が,夫婦となろうとする者双方の真に自由な選択の結果によるものかについて留意が求められるところであり,仮に,社会に存する差別的な意識や慣習による影響があるのであれば,その影響を排除して夫婦間に実質的な平等が保たれるように図ることは,憲法14条1項の趣旨に沿うものであるといえる。そして,この点は,氏を含めた婚姻及び家族に関する法制度の在り方を検討するに当たって考慮すべき事項の一つというべきであり,後記の憲法24条の認める立法裁量の範囲を超えるものであるか否かの検討に当たっても留意すべきものと考えられる。

第4 上告理由のうち本件規定が憲法24条に違反する旨をいう部分について

1 論旨は,本件規定が,夫婦となろうとする者の一方が氏を改めることを婚姻届出の要件とすることで,実質的に婚姻の自由を侵害するものであり,また,国会の立法裁量の存在を考慮したとしても,本件規定が個人の尊厳を侵害するものとして,憲法24条に違反する旨をいうものである。

2(1) 憲法24条は,1項において「婚姻は,両性の合意のみに基いて成立し,夫婦が同等の権利を有することを基本として,相互の協力により,維持されなければならない。」と規定しているところ,これは,婚姻をするかどうか,いつ誰と婚姻をするかについては,当事者間の自由かつ平等な意思決定に委ねられるべき
であるという趣旨を明らかにしたものと解される。

本件規定は,婚姻の効力の一つとして夫婦が夫又は妻の氏を称することを定めたものであり,婚姻をすることについての直接の制約を定めたものではない。

仮に,婚姻及び家族に関する法制度の内容に意に沿わないところがあることを理由として婚姻をしないことを選択した者がいるとしても,これをもって,直ちに上記法制度を定めた法律が婚姻をすることについて憲法24条1項の趣旨に沿わない制約を課したものと評価することはできない。ある法制度の内容により婚姻をすることが事実上制約されることになっていることについては,婚姻及び家族に関する法制度の内容を定めるに当たっての国会の立法裁量の範囲を超えるものであるか否かの検討に当たって考慮すべき事項であると考えられる。

(2) 憲法24条は,2項において「配偶者の選択,財産権,相続,住居の選定,離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては,法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して,制定されなければならない。」と規定している。

婚姻及び家族に関する事項は,関連する法制度においてその具体的内容が定められていくものであることから,当該法制度の制度設計が重要な意味を持つものであるところ,憲法24条2項は,具体的な制度の構築を第一次的には国会の合理的な立法裁量に委ねるとともに,その立法に当たっては,同条1項も前提としつつ,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきであるとする要請,指針を示すことによって,その裁量の限界を画したものといえる。

そして,憲法24条が,本質的に様々な要素を検討して行われるべき立法作用に対してあえて立法上の要請,指針を明示していることからすると,その要請,指針は,単に,憲法上の権利として保障される人格権を不当に侵害するものでなく,かつ,両性の形式的な平等が保たれた内容の法律が制定されればそれで足りるというものではないのであって,憲法上直接保障された権利とまではいえない人格的利益をも尊重すべきこと,両性の実質的な平等が保たれるように図ること,婚姻制度の内容により婚姻をすることが事実上不当に制約されることのないように図ること等についても十分に配慮した法律の制定を求めるものであり,この点でも立法裁量に限定的な指針を与えるものといえる。

3(1) 他方で,婚姻及び家族に関する事項は,国の伝統や国民感情を含めた社会状況における種々の要因を踏まえつつ,それぞれの時代における夫婦や親子関係についての全体の規律を見据えた総合的な判断によって定められるべきものである。

特に,憲法上直接保障された権利とまではいえない人格的利益や実質的平等は,その内容として多様なものが考えられ,それらの実現の在り方は,その時々における社会的条件,国民生活の状況,家族の在り方等との関係において決められるべきものである。

(2) そうすると,憲法上の権利として保障される人格権を不当に侵害して憲法13条に違反する立法措置や不合理な差別を定めて憲法14条1項に違反する立法措置を講じてはならないことは当然であるとはいえ,憲法24条の要請,指針に応えて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定が上記(1)のとおり国会の多方面にわたる検討と判断に委ねられているものであることからすれば,婚姻及び家族に関する法制度を定めた法律の規定が憲法13条,14条1項に違反しない場合に,更に憲法24条にも適合するものとして是認されるか否かは,当該法制度の趣旨や同制度を採用することにより生ずる影響につき検討し,当該規定が個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き,国会の立法裁量の範囲を超えるものとみざるを得ないような場合に当たるか否かという観点から判断すべきものとするのが相当である。

4 以上の観点から,本件規定の憲法24条適合性について検討する。

(1)ア 婚姻に伴い夫婦が同一の氏を称する夫婦同氏制は,旧民法(昭和22年法律第222号による改正前の明治31年法律第9号)の施行された明治31年に我が国の法制度として採用され,我が国の社会に定着してきたものである。

前記のとおり,氏は,家族の呼称としての意義があるところ,現行の民法の下においても,家族は社会の自然かつ基礎的な集団単位と捉えられ,その呼称を一つに定めることには合理性が認められる。

そして,夫婦が同一の氏を称することは,上記の家族という一つの集団を構成する一員であることを,対外的に公示し,識別する機能を有している。

特に,婚姻の重要な効果として夫婦間の子が夫婦の共同親権に服する嫡出子となるということがあるところ,嫡出子であることを示すために子が両親双方と同氏である仕組みを確保することにも一定の意義があると考えられる。また,家族を構成する個人が,同一の氏を称することにより家族という一つの集団を構成する一員であることを実感することに意義を見いだす考え方も理解できるところである。さらに,夫婦同氏制の下においては,子の立場として,いずれの親とも等しく氏を同じくすることによる利益を享受しやすいといえる。

加えて,前記のとおり,本件規定の定める夫婦同氏制それ自体に男女間の形式的な不平等が存在するわけではなく,夫婦がいずれの氏を称するかは,夫婦となろうとする者の間の協議による自由な選択に委ねられている。

イ これに対して,夫婦同氏制の下においては,婚姻に伴い,夫婦となろうとする者の一方は必ず氏を改めることになるところ,婚姻によって氏を改める者にとって,そのことによりいわゆるアイデンティティの喪失感を抱いたり,婚姻前の氏を使用する中で形成してきた個人の社会的な信用,評価,名誉感情等を維持すること
が困難になったりするなどの不利益を受ける場合があることは否定できない。

そして,氏の選択に関し,夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占めている現状からすれば,妻となる女性が上記の不利益を受ける場合が多い状況が生じているものと推認できる。さらには,夫婦となろうとする者のいずれかがこれらの不利益を受けることを避けるために,あえて婚姻をしないという選択をする者が存在することもうかがわれる。

しかし,夫婦同氏制は,婚姻前の氏を通称として使用することまで許さないというものではなく,近時,婚姻前の氏を通称として使用することが社会的に広まっているところ,上記の不利益は,このような氏の通称使用が広まることにより一定程度は緩和され得るものである。

ウ 以上の点を総合的に考慮すると,本件規定の採用した夫婦同氏制が,夫婦が別の氏を称することを認めないものであるとしても,上記のような状況の下で直ちに個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠く制度であるとは認めることはできない。したがって,本件規定は,憲法24条に違反するものではない。

(2) なお,論旨には,夫婦同氏制を規制と捉えた上,これよりも規制の程度の小さい氏に係る制度(例えば,夫婦別氏を希望する者にこれを可能とするいわゆる選択的夫婦別氏制)を採る余地がある点についての指摘をする部分があるところ,上記(1)の判断は,そのような制度に合理性がないと断ずるものではない。上記のとおり,夫婦同氏制の採用については,嫡出子の仕組みなどの婚姻制度や氏の在り方に対する社会の受け止め方に依拠するところが少なくなく,この点の状況に関する判断を含め,この種の制度の在り方は,国会で論ぜられ,判断されるべき事柄にほかならないというべきである。

第5 その余の上告理由について

論旨は,憲法98条2項違反及び理由の不備をいうが,その実質は単なる法令違反をいうものであって,民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。

第6 結論

以上によれば,本件規定を改廃する立法措置をとらない立法不作為は,国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるものではない。上告人らの請求を棄却すべきものとした原審の判断は,是認することができる。論旨は採用することができない。

よって,裁判官山浦善樹の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文
のとおり判決する。なお,裁判官寺田逸郎の補足意見,裁判官櫻井龍子,同岡部喜
代子,同鬼丸かおる,同木内道祥の各意見がある。」


配慮検討はしながらも、もう一歩届かなかったかんじのもどかしい判決です.
旧姓を通称として使用することまでは禁じていないからいい、というのもおかしな話です.旧姓を通称として使用せざるをえなかった人が、1万に集まって、訴訟を提起したら、どうなるのでしょう.
また、最高裁裁判官の女性比率が、一般の裁判官の女性比率と同じになると、結論は変わるのではないでしょうか.


谷直樹


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by medical-law | 2015-12-21 01:49 | 司法

最高裁別姓判決、裁判官寺田逸郎の補足意見

「裁判官寺田逸郎の補足意見は,次のとおりである。

岡部裁判官及び木内裁判官の各意見における憲法適合性の議論に鑑み,多数意見の第4の4の記述を「敷衍する趣旨で補足的に述べておきたい。

本件で上告人らが主張するのは,氏を同じくする夫婦に加えて氏を異にする夫婦を法律上の存在として認めないのは不合理であるということであり,いわば法律関係のメニューに望ましい選択肢が用意されていないことの不当性を指摘し,現行制度の不備を強調するものであるが,このような主張について憲法適合性審査の中で裁判所が積極的な評価を与えることには,本質的な難しさがある。

(1) およそ人同士がどうつながりを持って暮らし,生きていくかは,その人たちが自由に決められて然るべき事柄である。憲法上も,このことを13条によって裏付けることができよう。これに対して,法律制度としてみると,婚姻夫婦のように形の上では2人の間の関係であっても,家族制度の一部として構成され,身近な第三者ばかりでなく広く社会に効果を及ぼすことがあるものとして位置付けられることがむしろ一般的である。現行民法でも,親子関係の成立,相続における地位,日常の生活において生ずる取引上の義務などについて,夫婦となっているかいないかによって違いが生ずるような形で夫婦関係が規定されている。このような法律制
度としての性格や,現実に夫婦,親子などからなる家族が広く社会の基本的構成要素となっているという事情などから,法律上の仕組みとしての婚姻夫婦も,その他の家族関係と同様,社会の構成員一般からみてもそう複雑でないものとして捉えることができるよう規格化された形で作られていて,個々の当事者の多様な意思に沿って変容させることに対しては抑制的である。

民事上の法律制度として当事者の意思により法律関係を変容させることを許容することに慎重な姿勢がとられているものとしては,他に法人制度(会社制度)や信託制度などがあるが,家族制度は,これらと比べても社会一般に関わる度合いが大きいことが考慮されているのであろう,この姿勢が一層強いように思われる。

(2) 現行民法における婚姻は,上記のとおり,相続関係(890条,900条等),日常の生活において生ずる取引関係(761条)など,当事者相互の関係にとどまらない意義・効力を有するのであるが,男女間に認められる制度としての婚姻を特徴づけるのは,嫡出子の仕組み(772条以下)をおいてほかになく,この仕組みが婚姻制度の効力として有する意味は大きい(注)。

現行民法下では夫婦及びその嫡出子が家族関係の基本を成しているとする見方が広く行き渡っているのも,このような構造の捉え方に沿ったものであるといえるであろうし,このように婚姻と結び付いた嫡出子の地位を認めることは,必然的といえないとしても,歴史的にみても社会学的にみても不合理とは断じ難く,憲法24条との整合性に欠けることもない。

そして,夫婦の氏に関する規定は,まさに夫婦それぞれと等しく同じ氏を称するほどのつながりを持った存在として嫡出子が意義づけられていること(790条1項)を反映していると考えられるのであって,このことは多数意見でも触れられているとおりである(ただし,このことだけが氏に関する規定の合理性を根拠づけるわけではないことも,多数意見で示されているとおりである。)。

複雑さを避け,規格化するという要請の中で仕組みを構成しようとする場合に,法律上の効果となる柱を想定し,これとの整合性を追求しつつ他の部分を作り上げていくことに何ら不合理はないことを考慮すると,このように作り上げられている夫婦の氏の仕組みを社会の多数が受け入れるときに,その原則としての位置付けの合理性を疑う余地がそれほどあるとは思えない。

(注) 性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律に基づき男性への性別の取扱いの変更の審判を受けた者の妻の懐胎子と嫡出推定規定の適用に関する最高裁平成25年(許)第5号同年12月10日第三小法廷決定・民集67巻9号1847頁における寺田補足意見(1852頁以下)参照。

嫡出推定・嫡出否認の仕組みは,妻による懐胎出生子は,夫自らが否定しない限り夫を父とするという考え方によるものであり,妻が子をもうけた場合に,夫の意思に反して他の男性からその子が自らを父とする子である旨を認知をもって言い立てられることはないという意義を婚姻が有していることを示している。

このように,法律上の婚姻としての効力の核心部分とすらいえる効果が,まさに社会的広がりを持つものであり,それ故に,法律婚は型にはまったものとならざるを得ないのである。

(3) 家族の法律関係においても,人々が求めるつながりが多様化するにつれて規格化された仕組みを窮屈に受け止める傾向が出てくることはみやすいところであり,そのような傾向を考慮し意向に沿った選択肢を設けることが合理的であるとする意見・反対意見の立場は,その限りでは理解できなくはない。

しかし,司法審査という立場から現行の仕組みが不合理といえるかどうかを論ずるにおいては,上記の傾向をそのまま肯定的な結論に導くにはいくつかの難所がある。

上記のとおり,この分野においては,当事者の合意を契機とすることにより制度を複雑にすることについて抑制的な力学が働いているという壁がまずある。我が国でも,夫婦・親子の現実の家族としてのありようは,もともと地域などによって一様でないとの指摘がある中で,法的には夫婦関係,親子関係が規格化されて定めら
れてきていることに留意することが求められよう。

諸外国の立法でも柔軟化を図っていく傾向にあるとの指摘があるが,どこまで柔軟化することが相当かは,その社会の受け止め方の評価に関わるところが大きい。

次に,選択肢を設けないことが不合理かどうかについては,制度全体との整合性や現実的妥当性を考慮した上で選択肢が定まることなしには的確な判断をすることは望めないところ,現行制度の嫡出子との結び付きを前提としつつ,氏を異にする夫婦関係をどのように構成するのかには議論の幅を残すことを避けられそうもない。

例えば,嫡出子の氏をどのようにするかなどの点で嫡出子の仕組みとの折り合いをどのようにつけるかをめぐっては意見が分かれるところであり(現に,平成8年の婚姻制度に関する法制審議会の答申において,子の氏の在り方をめぐって議論のとりまとめに困難があったようにうかがわれる。),どのような仕組みを選択肢の対象として検討の俎上に乗せるかについて浮動的な要素を消すことができない。

もちろん,現行法の定める嫡出子の仕組みとの結び付きが婚姻制度の在り方として必然的なものとまではいえないことは上記のとおりであり,嫡出子の仕組みと切り離された新たな制度を構想することも考えられるのであるが,このようなことまで考慮に入れた上での判断となると,司法の場における審査の限界をはるかに超える。

加えて,氏の合理的な在り方については,その基盤が上記のとおり民法に置かれるとしても,多数意見に示された本質的な性格を踏まえつつ,その社会生活上の意義を勘案して広く検討を行っていくことで相当性を増していくこととなろうが,そのような方向での検討は,同法の枠を超えた社会生活に係る諸事情の見方を問う政策的な性格を強めたものとならざるを得ないであろう。

以上のような多岐にわたる条件の下での総合的な検討を念頭に置くとなると,諸条件につきよほど客観的に明らかといえる状況にある場合にはともかく,そうはいえない状況下においては,選択肢が設けられていないことの不合理を裁判の枠内で見いだすことは困難であり,むしろ,これを国民的議論,すなわち民主主義的なプロセスに委ねることによって合理的な仕組みの在り方を幅広く検討して決めるようにすることこそ,事の性格にふさわしい解決であるように思える。

選択肢のありようが特定の少数者の習俗に係るというような,民主主義的プロセスによる公正な検討への期待を妨げるというべき事情も,ここでは見いだすに至らない。離婚における婚氏続称の仕組み(民法767条2項)を例に挙げて身分関係の変動に伴って氏を変えない選択肢が現行法に設けられているとの指摘もみられるが,離婚後の氏の合理的な在り方について国会で議論が行われ,その結果,新たに選択肢を加えるこ
の仕組みが法改正によって設けられたという,その実現までの経緯を見落してはなるまい。そのことこそが,問題の性格についての上記多数意見の理解の正しさを裏書きしているといえるのではないであろうか。」


寺田逸郎氏は意外に旧弊な考えをおもちということがわかりました.


谷直樹


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by medical-law | 2015-12-21 01:26 | 司法