「タバコ病をなくす裁判」第2回期日

9月29日の 「タバコ病をなくす裁判」東京高裁第2回期日で,控訴人の肺気腫の水野さんが陳述しました.病態からして陳述は本来無理だったのですが・・・ その内容は,おおよそ次のとおりです.
「私は1957年(昭和32年),中学校を卒業して15歳でオートバイ組立工になりました.その現場で吸い始め,40歳代で何度も禁煙に挑みましたが失敗し,51歳まで36年間喫煙を続けました.51歳で坂が上がれないほど呼吸が苦しくなってようやく禁煙することができました.1993年のことでした.」
「それから4年後1997年に重篤な喘息発作に襲われました.」
「そのとき年齢はまだ働き盛りの55歳でしたが,主治医の高橋宏ドクターからは『あなたの年齢は50歳代ですが肺の年齢は90歳代です』と宣告され,唖然とし,また愕然としました.」
「それから13年,68歳に至るこの間,4度にわたる重篤な喘息発作,4度の気胸,あれこれの肺炎,咳と痰に苦しみながら24回の入退院を繰り返してきたことに感慨深いものがあります.」
「当たり前のようにタバコを吸い,既になくなった森下賢一原告や多くの先輩,思いを共有した患者仲間の苦しみ悲しみ怒り,家族を残して死ななければならない苦悩を裁判の場で伝え,裁判長を始め多くの皆さんのご理解をいただきたいと深く念じるものです.」
「1秒量0,5リットルほどの肺の状況では全身麻酔に耐えられる力はありません.したがって最適な手術による方法はとれませんでした.癒着療法という初めて経験する措置が取られましたが,癒着しても空気が漏れて,ぶくぶくとその後6日漏れ続けました.そろそろ2回目を考えようかという時にようやく止まりましたが,その間は特に息苦しく希望が持てない思いでした.」
「今度はこれまでの入退院で疲れきった家族を残していくかもしれない.弁護団,友人仲間に感謝のことばも掛けずにいくかもしれないという思いが胸を締め付けました.」
「『今日も元気だ タバコがうまい』と宣伝した時代は確かに過去になりましたが,そのころ喫煙を始めた人々が依存にとらわれて,今タバコ病で苦しみ,やがて『病死という殺人』にあっているのです.」
「WHOたばこ規制枠組み条約を締約国として各条項を誠実に履行して,タバコのない社会の実現をめざす,日本学術会議の提言も踏まえて,私達のような犠牲者をもう出さない,タバコ病のない社会をめざして,もっと積極的に禁煙対策をすすめるべきです.タバコがなければタバコ病も存在しません.兆の単位の膨大な関連医療費も要りません.毎年20万人の死亡者,何百万人という国民の悲痛と苦闘をなくすことができるのです.」
「息苦しいこともあり,これ以上のことはビデオの陳述に託したいと思います.どうぞ宜しくお願いいたします.」
谷
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