弁護士谷直樹/医療事件のみを取り扱う法律事務所のブログ

水俣病認定裁判最高裁平成25年4月16日判決,溝口訴訟勝訴確定(報道)

NHK「最高裁 水俣病と認める判決」(2013年4月16日)は,次のとおり報じました.

「水俣病の認定について、最高裁判所は、行政の審査では認められなかった熊本県の女性を水俣病と認定する判決を言い渡しました。
判決は水俣病の認定をこれまでの行政の審査よりも事実上広げる判断で、現在の国の認定基準をより弾力的に運用するよう行政に求めるものとなりました。

この裁判は、国の認定基準に基づく行政の審査で水俣病と認められず、いずれもすでに死亡した熊本県水俣市の女性と、大阪・豊中市の女性の遺族が起こしていました。
熊本の女性に対しては、福岡高等裁判所が独自に症状などを検討して水俣病と認定した一方、大阪の女性に対しては、大阪高等裁判所が行政の裁量をより幅広くとらえて訴えを退け、2審の判断が分かれていました。
最高裁判所第3小法廷の寺田逸郎裁判長は、「国の現在の認定基準には一定の合理性があるが、感覚障害の症状だけでも水俣病は否定できず、『複数の症状』がなくても認定する余地もある」と判断しました。
さらに判決は、「裁判所も証拠に基づいて個別の事情を具体的に検討し、水俣病かどうか判断ができる」と指摘し、司法の独自の判断による救済を認め、熊本の女性を水俣病と認定した判決が確定しました。
また、大阪の女性に対しても、最高裁は水俣病と認めなかった2審を取り消し、大阪高裁で審理をやり直すよう命じました。
判決は、現在の国の認定基準に一定の合理性を認める一方、これまでの行政の審査よりも事実上認定の幅を広げる判断して行政による水俣病の審査をより弾力的に運用するよう求めるものとなりました。

「最高の判決」

判決のあと、原告の溝口秋生さん(81)は、都内で開かれた記者会見で、「判断がくつがえるのではないかとずっと心配していた。最高の判決だが、正直疲れました。母親に『やってきたかいがあったよ』と報告したい。母親も『よかった』と答えてくれると思います。あまりにも多くの人が苦しんで、切り捨てられてきた。国の姿勢は間違っていたと思うし、私にできる範囲で今も苦しんでいる人たちを応援していきたい」と話していました。
また、原告の弁護団の山口紀洋弁護士は、「環境省と熊本県は水俣病ではないと否定したことについて責任を取るべきだ。きょうの判決は、これまでの行政の認定制度の運用を完全に否定しており、もう一度、すべての未認定患者の認定の見直しを要求しなければならない」と話していました。

「救われた」という気持ち

大阪・豊中市の女性は先月亡くなり、長女が16日の判決を法廷で聞きました。
判決のあと、最高裁の前には「希望」と「差戻し」と書かれた紙が掲げられ、支援者から拍手が起きました。
長女はハンカチで涙をふきながら、「救われたという気持ちです。ことばにできません。亡くなった母には水俣病と認定されるまで、もう少し頑張ってくださいと伝えたい」と話していました。
判決内容を精査
今回の判決を受けて環境省の佐藤敏信環境保健部長は、「判決の詳細は把握していませんが、2つの判決については、関係者と協力しつつその内容について精査してまいります」というコメントを出しました。
「行政の考えは覆された」
水俣病問題の裁判に詳しい熊本大学の富樫貞夫名誉教授は、「感覚障害のみの水俣病を最高裁が認めたことで、40年にわたる水俣病とは何かという問題に決着がついた。被害者を認定せず、政治決着や特別措置法などで救済を終わりにしようとした行政の基本的な考えが根底から覆された」と話しています。
各地で国の責任問う裁判
水俣病の認定基準を巡っては、基準で示された複数の症状の組み合わせがない場合、患者と認められたケースはこれまでほとんどなかったため、認定申請を棄却される人たちが相次ぎ、国などの責任を問う裁判が各地で起こされました。
このうち平成16年には、最高裁判所が国などの責任を認め、家族に認定患者がいれば、手足の先の「感覚障害」だけで被害者と認めるなど、国の基準より広い範囲の健康被害を賠償の対象にしました。
この判決を受けて、被害者たちは認定基準は厳しすぎるとして国に見直しを求めましたが、国は「判決は基準そのものを否定したものではない」などとして見直しませんでした。
一方で国は、判決をきっかけに新たに認定を求める人が急増したことなどから、平成21年、国の基準では水俣病と認められない未認定患者を対象とした特別措置法を制定し、一定の症状がある場合に1人210万円の一時金を支払うなどとする救済策を設けました。
救済策の申し込みは去年7月末までで締め切られましたが、国の当初の想定を大きく上回る6万5151人が申請しました。
この救済策では、一時金の支給などを受け入れる場合、患者の認定申請については取り下げる必要があります。
これに対し、被害者団体の一部は、「被害を受けた人を患者と認めない国の救済策は受け入れられない」などと批判していて、今も338人(ことし3月末)が行政に対し、患者の認定を求めています。」


流石,破邪顕正破邪千勝の山口紀洋先生です.合掌

【追記】

毎日新聞「水俣病:裁判11年やっと、溝口さん満面の笑み」(2013年4月16日)は,次のとおり伝えました.

「「素晴らしい判決だ」「望みが出てきた」。熊本県水俣市の溝口秋生(あきお)さん(81)と大阪府豊中市の60代女性が、それぞれ亡き母の水俣病認定を求めた訴訟の16日の最高裁判決。司法は、行政による「非認定」を覆す最終判断を下した。公害の原点といわれる水俣病の救済に新たな道を開くことになるのか。【和田武士、山本将克】

 「よしっ」。午後3時過ぎ、最高裁第3小法廷。裁判長が溝口さんの母チエさん(1977年に77歳で死去)を水俣病と認める主文を告げると、傍聴席の支援者らから歓声が上がり、拍手が湧き起こった。耳の遠い溝口さんの隣に座った女性支援者が顔を近づけて「勝ちましたよ」と伝えて抱きしめると、溝口さんは笑顔を見せた。

 閉廷後、最高裁南門に集まった支援者の前に掛け軸が掲げられた。「勝訴」。書道をたしなむ溝口さんが揮毫(きごう)した力強い2文字。拍手で迎えられた溝口さんは「最高も最高。これ以上のことはありません」。更に「『おふくろ、頑張ってきたよ』って言いたい」と語りつつ、「こんなに長くかかるとは。『裁判をするな』というのと一緒だ」と11年余の裁判闘争の疲れもにじませた。

 福岡高裁で勝訴したが最高裁が2審を見直す際に開く弁論を開いたため、「どう覆されるのか気になって夜も眠れずいらいらしていた」と溝口さん。代理人の山口紀洋(としひろ)弁護士が「今日はぐっすり眠って」と声をかけると再び満面の笑みになった。

 一方、午後4時に同じ小法廷で言い渡された大阪府豊中市の女性(3月に87歳で死去)の判決。女性敗訴の大阪高裁判決を破棄し、審理を差し戻す内容に再び法廷は拍手に包まれた。裁判を引き継いだ長女は裁判官に深々と頭を下げた。

 母の形見の指輪をつけて臨んだ長女。閉廷後に南門で、支援者が「希望」と書いた紙を掲げると「言葉が出ない」と涙をハンカチでぬぐった。女性は04年、未認定患者が国などの責任を問う関西訴訟に加わり04年の最高裁判決で賠償が認められたが、国は77(昭和52)年に定めた認定基準(52年判断条件)を見直さず、未認定のままだ。今後も裁判は続くが、長女は「望みが出てきて良かった」と前向きに受け止め、「母に『もう少し待ってて』と声をかけたい」と早期終結も訴えた。」


【再追記】

毎日新聞「<水俣病>環境省次官、認定基準「変える必要ない」」(2013年4月18日)は,次のとおり報じました.
 

「水俣病と認められなかった熊本県水俣市の女性(故人)を最高裁が初めて水俣病患者と認定したことを受け、環境省の南川秀樹事務次官は18日、記者会見し、「判決で認定基準は否定されておらず、基準を変える必要はない」と述べ、基準を見直さない方針を明らかにした。

 判決は、患者側から「厳しすぎる」と批判されている認定基準の柔軟な運用を求めた。南川次官は熊本、鹿児島、新潟各県の認定審査のあり方について、「複数症状がない人も現に認定した例があり、従来、適切に行われてきたと考えている。より適切な運用のため、新たな指針などが必要かはよく考えたい」と述べた。

 1977(昭和52)年に国が示した認定基準「52年判断条件」は、手足の感覚障害に加え、視野狭さくや運動障害など複数の症状の組み合わせを求めた。

 これに対し、最高裁判決は「感覚障害だけの水俣病が存在しない科学的な実証はない」と指摘。「症状の組み合わせがない場合でも、個別具体的な判断で水俣病と認定できる余地がある」と、行政側に硬直的な運用を改めるよう求めた。

 公害健康被害補償法に基づく認定患者は2975人。棄却は1万6795人に達し、認定率は15%。現在、3県で約300人が認定申請をしている。一方、認定基準に満たないと判断された被害者を対象とする09年の水俣病被害者救済特別措置法の救済策には、6万5151人が申請している。【阿部周一】」


認定基準には科学的な根拠がないこを指摘されたのですから,見直すべきでしょう.

谷直樹

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by medical-law | 2013-04-16 22:11 | 医療事故・医療裁判