『日輪草は何故枯れたか』
「こんな所に日輪草が咲くとは、不思議じゃあありませんか」
そこを通る人達は、寺内(てらうち)将軍の銅像には気がつかない人でさえ、きっとこの花を見つけて、そう言合いました。
熊吉(くまきち)という水撒(みずまき)人夫がありました。お役所の紋のついた青い水撒車を引張(ひっぱ)って、毎日半蔵門の方から永田町へかけて、水を撒いて歩くのが、熊さんの仕事でした。
熊さんがこうして、毎日水を撒いてくれるから、この街筋の家では安心して、風を入れるために、障子を明けることも出来るし、学校の生徒たちも、窓を明けておいてお弁当を食べることが出来るのでした。」
竹久夢二氏の『日輪草は何故枯れたか』の冒頭です.
昔の日本には,水を撒いて歩く仕事があったのですね.
今は,散水車が高速道路脇の樹木に水を与えていますが...
「熊さんはある時、自分の仕事場の三宅坂の水揚ポンプの傍に、一本の草の芽が生えたのを見つけました。熊さんは朝晩その草の芽に水をやることを忘れませんでした。可愛(かあ)いい芽は一日一日と育ってゆきました。青い丸爪(まるづめ)のような葉が、日光のなかへ手をひろげたのは、それから間もないことでした。風が吹いても、倒れないように、熊さんは、竹の棒をたててやりました。」
日輪草には適度の水分が必要ですから,土が乾いたら水やりをします.
熊さんの丹精のおかげで日輪草は育っていきました.
「熊さんはもう嬉(うれ)しくてたまりませんでした。熊さんは、永田町の方へ水を運んでいっても、早く日輪草を見たいものだから、水撒車(みずまきぐるま)の綱をぐんぐん引いて、早く水をあけて、三宅坂へ少しでも早く帰るようにしました。だから熊さんの水撒車の通ったあとは、いくら暑い日でも涼しくて、どんな風の強い日でも、塵(ほこり)一ツ立ちませんでした。
太陽が清水谷(しみずだに)公園の森の向うへ沈んでしまうと、熊さんの日輪草も、つぼみました。
「さあ晩めしの水をやるぞい。おやお前さんはもう眠いんだね」
熊さんはそう言って、首をたれて寝ている花をしばらく眺めました。時によると、日が暮れてずっと暗くなるまで、じっと日輪草をながめていることがありました。」
日輪草の花言葉は「私はあなただけを見つめる」です.
その日輪草が枯れてしまうすこし哀しいお話です.
竹下夢二氏は,はしがきに「「日輪草」の熊さんも私の姿に違いありません。」と書いています.
谷直樹
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