箱根駅伝往路で中大10位
箱根駅伝は、前年10位までのシード校10大学と予選会を通過した10大学で争われます.シード権がかかっていますので、10位と11位は大違いです.
中大は、予選を7位で通過して出場したのですから、往路10位は大健闘です.(ちなみに、昨年は往路17位、復路11位、総合15位でした.)
10位の中大が5時間35分25秒で、11位の拓大が5時間35分36秒です.5時間35分台が4大学と接戦です.
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【追記】
9区まで8位でしたが,10区で失速し19位でゴールとなりました.
多田要選手は,見るからに足が痛そうでした.
当初疲労骨折が疑われていましたが,骨に異常はなくオーバーワークによる左膝の痛みとのことです.
多田選手を走らせるべきではなかったと思います.
多田選手は,ウオーミングアップ中に強い痛みを感じたことを浦田春生監督に言わずに出場を強行したとのことですが,そのようなことのないよう日頃の指導が大事ですし,あの走りを見たら止めるべきではないでしょうか.
出場,完走は美談ではありません.
浦田監督は,高校3年のとき足を痛め,大学4年のとき肺気胸で練習を休み,それぞれ周囲の懇願にもかかわらず駅伝出場を辞退しています.その年,九州学院は4位,中大はシード落ち,という残念な結果になりました.体調万全で出場していたら結果は違っていたかもしれませんが,体調不調で出場していたらもっとひどい結果になっていたでしょう.
浦田監督は,大学で競技をやめるつもりだったのですが,大学4年のときに箱根を走れなかったことから実業団で走り続ける気持ちになったそうです.浦田監督が,もし大学4年のときに箱根駅伝に出て完全燃焼していたら,競技を止めたでしょうから,オリンピックに出場することもなかったでしょう.
浦田監督は,自分で自分の状態を把握して冷静に判断できる方なのでしょう.しかし,選手みんながそうではありませんので,浦田監督が多田選手を止めるべきであったのではないか,と思います.
また,現行ルールは,補欠選手との交代は当日朝レース開始1時間10分前までとなっていますが,選手の健康に配慮し,区間走直前まで交代を認めるようにすることを検討したほうがよいのではないか,と思います.
青山学院大学は,往路復路ともにトップで,文句なしです.
2003年原普氏監督就任
当時は飲酒が当たり前で朝練にも来ない選手達だったそうです.
「就任当初は、自分が育った中国電力流の練習をそのままやらせようとしていたのですが、途中でそれではダメだということに気付きました。・・・それに気づくまでには4、5年かかりました。」(スポーツコミュニケーションズ)と原監督は述べています.
2007年予選会レース順位は9位でしたがポイントで逆転され出場ならず.
2008年予選会で青学は予選会で13位になり枠拡大で出場.
2010年8位でシード権獲得.
2015年優勝.
「積み上げてきたものが実を結んだ」という原普監督の言葉どおりです.
原監督は,選手と一緒に寮で生活し,10年の営業マン経験で学んだユニークな手法を用い(「もしドラ」みたいですね),現代の名工三村仁司さんのadizero takumiを履かせ,と伝統に縛られない合理的な育成指導がこの結果を導いたのでしょう.
谷直樹
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