医療過誤に基づく損害賠償請求の要件
民法709条は,「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は,これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」と定めています.
そこで,民事の損害賠償請求訴訟では,一般的に,
①故意・過失
②因果関係
③法益侵害(違法性)
④損害
のすべての要件を損害賠償を請求する側=原告側で立証することが必要とされています.
立証の程度は,高度の蓋然性まで求められます.高度の蓋然性とは,通常人(実際には裁判官)が10中8,9確かと考える程度です.
債務不履行構成でも,実質的にはほぼ同様です.
◆ 医事裁判における,裁判所による上記要件の修正
医療過誤に基づく損害賠償請求でも,同じ条文を適用しますので,基本的には同じように考えられます.
ただ,医療行為の特殊性,医師・患者関係の特殊性から,全く同じように扱うと不合理が生じます.
そこで,裁判所は,解釈によって,修正を加えてきました.
1 相当程度の可能性
医療における因果関係立証は実際上難しいため,医事訴訟に条文解釈を形式的に当てはめると,不合理な判決が生じます.
医療行為が不適切に行われたことと悪しき結果との間の因果関係を,一般事件のような高度の蓋然性の程度まで立証することは,事実上困難です.
(医事裁判における因果関係認定は,最高裁判決昭和50年10月24日(ルンバール判決)は「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではな
く、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。」と判示しました.つまり,一点の疑義も許されない自然科学的証明でではない,ということに意味があります.同時に「高度の蓋然性で足りる」とされましたが,そこでいう「高度の蓋然性」の内容は医事裁判以外での「高度の蓋然性」より低い程度のものと考えるべきでしょう.)
とくに必要な検査・治療が行われなかった場合など検査結果・治療結果が不明ですので,立証は事実上困難です.一方で医師に過失があり,他方で患者に死亡,重度の障害が発生している場合にまで,その過失行為と結果との因果関係が高度の蓋然性の程度まで立証されていないという理由で,請求棄却判決を下するのは,明らかに不合理です.
そこで,裁判所は,このような場合であっても,相当程度の可能性が立証されたときは,一定の損害賠償を認めています.(ただし,高度の蓋然性の程度まで立証でした場合に比べると低額です.)
最高裁平成9年(オ)第42号同12年9月22日第二小法廷判決(民集54巻7号2574頁)は,「医師に医療水準にかなった医療を行わなかった過失がある場合において,その過失と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されないが,上記医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときには,医師は,患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき不法行為責任を負うものと解すべきである」と判示し,最判平16・1・15集民213号229頁・判タ1147号152頁・判時1853号85頁,スキルス胃がん事件)は,同判決を引き,「このことは,診療契約上の債務不履行責任についても同様に解される。すなわち,医師に適時に適切な検査を行うべき診療契約上の義務を怠った過失があり,その結果患者が早期に適切な医療行為を受けることができなかった場合において,上記検査義務を怠った医師の過失と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されなくとも,適時に適切な検査を行うことによって病変が発見され,当該病変に対して早期に適切な治療等の医療行為が行われていたならば,患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときには,医師は,患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき診療契約上の債務不履行責任を負うものと解するのが相当である。」と判示しました.
重度の障害についても,同様に相当程度の可能性での賠償が認められると解釈されています.
最高裁平成15年11月11日判決(急性脳症適時転送不実施事件 民集57巻10号1466頁)は,「上記の重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存否については,本来,転送すべき時点における上告人の具体的な症状に即して,転送先の病院で適切な検査,治療を受けた場合の可能性の程度を検討すべきものである上,原判決の引用する前記の統計によれば,昭和51年の統計では,生存者中,その63%には中枢神経後遺症が残ったが,残りの37%(死亡者を含めた全体の約23%)には中枢神経後遺症が残らなかったこと,昭和62年の統計では,完全回復をした者が全体の22.2%であり,残りの77.8%の数値の中には,上告人のような重大な後遺症が残らなかった軽症の者も含まれていると考えられることからすると,これらの統計数値は,むしろ,上記の相当程度の可能性が存在することをうかがわせる事情というべきである。」と判示し,原審に差し戻しました.
2 過失の程度が著しく大きな場合
医療における因果関係立証は実際上難しいため,医事訴訟に条文を形式的に当てはめると,不合理な判決が生じます.
生命・身体への侵害との因果関係が立証できないときでも,医師の過失の程度が著しく大きな場合は,請求棄却とするのは,明らかに不合理です.そこで,裁判所は,そのような場合には適切な医療を受ける権利(期待権)が侵害されたと構成して,一定の賠償を認めています.(ただし,賠償金額は低額です.)
この期待権侵害は,「医療行為が著しく不適切なものであったこと」を立証することが必要です.判例上,期待権侵害が認められる場合は例外であり,最高裁平成23年2月25日判決等で絞りがかかっています.
最高裁平成23年2月25日判決は,「被上告人は,本件手術後の入院時及び同手術時に装着されたボルトの抜釘のための再入院までの間の通院時に,上告人Y2に左足の腫れを訴えることがあったとはいうものの,上記ボルトの抜釘後は,本件手術後約9年を経過した平成9年10月22日に上告人病院に赴き,上告人Y2の診察を受けるまで,左足の腫れを訴えることはなく,その後も,平成12年2月以後及び平成13年1月4日に上告人病院で診察を受けた際,上告人Y2に,左足の腫れや皮膚のあざ様の変色を訴えたにとどまっている。これに対し,上告人Y2は,上記の各診察時において,レントゲン検査等を行い,皮膚科での受診を勧めるなどしており,上記各診察の当時,下肢の手術に伴う深部静脈血栓症の発症の頻度が高いことが我が国の整形外科医において一般に認識されていたわけでもない。そうすると,上告人Y2が,被上告人の左足の腫れ等の原因が深部静脈血栓症にあることを疑うには至らず,専門医に紹介するなどしなかったとしても,上告人Y2の上記医療行為が著しく不適切なものであったということができないことは明らかである。」と具体的に事実を認定し,「患者が適切な医療行為を受けることができなかった場合に,医師が,患者に対して,適切な医療行為を受ける期待権の侵害のみを理由とする不法行為責任を負うことがあるか否かは,当該医療行為が著しく不適切なものである事案について検討し得るにとどまるべきものであるところ,本件は,そのような事案とはいえない。したがって,上告人らについて上記不法行為責任の有無を検討する余地はなく,上告人らは,被上告人に対し,不法行為責任を負わないというべきである。」と判示しました.
3 人格権侵害,自己決定権侵害
医療で問題になる保護法益は,生命・身体に限られません.
人格権,自己決定権はそれ自体保護に値する法益ですから,裁判所は,人格権侵害,自己決定権侵害があれば,これによって被った精神的苦痛についての慰謝料を認めています.ただし,生命・身体の侵害に比べると慰謝料は低額です.
説明義務違反は,説明義務違反があっても,生命・身体に生じた悪しき結果との因果関係を立証できない場合が多く,自己決定権侵害との関係で賠償責任を生じる場合があります.その場合,説明義務違反に基づく慰謝料はきわめて低額です.裁判所は,請求棄却判決を下すことが不合理な場合に,自己決定権侵害との関係で説明義務違反を認定し,低額でも請求認容判決を下すことがあります.
最高裁判所平成12年2月29日判決(エホバの証人事件)は,「患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合、このような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない。そして、Tが、宗教上の信念からいかなる場合にも輸血を受けることは拒否するとの固い意思を有しており、輸血を伴わない手術を受けることができると期待してVに入院したことをW医師らが知っていたなど本件の事実関係の下では、W医師らは、手術の際に輸血以外には救命手段がない事態が生ずる可能性を否定し難いと判断した場合には、Tに対し、Vとしてはそのような事態に至ったときには輸血するとの方針を採っていることを説明して、Vへの入院を継続した上、W医師らの下で本件手術を受けるか否かをT自身の意思決定にゆだねるべきであったと解するのが相当である。ところが、W医師らは、本件手術に至るまでの約一か月の間に、手術の際に輸血を必要とする事態が生ずる可能性があることを認識したにもかかわらず、Tに対してVが採用していた右方針を説明せず、同人及び被上告人らに対して輸血する可能性があることを告げないまま本件手術を施行し、右方針に従って輸血をしたのである。そうすると、本件においては、W医師らは、右説明を怠ったことにより、Tが輸血を伴う可能性のあった本件手術を受けるか否かについて意思決定をする権利を奪ったものといわざるを得ず、この点において同人の人格権を侵害したものとして、同人がこれによって被った精神的苦痛を慰謝すべき責任を負うものというべきである。そして、また、上告人は、W医師らの使用者として、Tに対し民法七一五条に基づく不法行為責任を負うものといわなければならない。」と判示して,人格権を保護法益として賠償責任を認めました.
4 まとめ
このように,一般的な条文の解釈をそのまま形式的に医事裁判に当てはめると,原告(患者)側に過大な立証負担を課し,不合理なことになります.
裁判所の仕事は,具体的に適切な判決を下すことにありますので,裁判所は,医事裁判において修正のための理論を創出してきました.
谷直樹
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