柿の日~柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

今日は柿の日です.
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」
これは,「法隆寺の茶店に憩ひて」と前書きがあることから,正岡子規氏が明治28年10月26日からの奈良旅行で詠んだ句とされています.
この句は,夏目漱石氏の
「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」
をふまえています.
建長寺の紅葉は11月下旬から見頃になります.
先の句は,奈良市内から法隆寺まで結構距離があり,正岡子規氏の健康状態を考えると,実際に法隆寺に行って柿を食べて詠んだ句ではないという説があり,この説は半分誤りで半分正しいように思います.
奈良観光では、東大寺、春日大社は見るでしょう.そして,奈良市内まできて、斑鳩の法隆寺に行かない手はありません.体調が優れなくても、余命が短いと感じていたら、見たいところは見ておこうと思うでしょう.ですから、正岡子規氏は法隆寺にも行っていると思います.
柿は、林檎のように外で齧りついて食べるものではありません.奈良とは言え,茶店のメニューに柿があるはあまり考えられません.切って皿に盛られたものを食する果物です.法隆寺で柿を食べたとは考え難いです.
「柿くへば」の柿は奈良名産の御所柿と言われています.御所柿の旬は冨有柿の旬より遅く11月下旬頃です.
正岡子規氏が柿を食べたのは東京で、11月下旬か12月上旬でしょう.
夏目漱石氏の句では、鐘の上に積もった銀杏の葉が、鐘を衝いたために落ちる、そのような原因・結果の関係、すなわち事実的因果関係があります.これに対し、柿を食べても食べなくても、時間になれば法隆寺の鐘は鳴ります.
この句は、御所柿を食べると、記憶の中の法隆寺の鐘が鳴る、というものでしょう.マドレーヌを食べると幼いときの記憶が蘇るのと同じです.
正岡子規氏は、好物の御所柿を食べ、御所柿→奈良の名産→奈良旅行→法隆寺の鐘の音、と連想したと思います.
なお、法隆寺の西円堂の梵鐘は,午前8時から午後4時まで2時間ごとに衝かれますが,私の中ではこの句は午後2時のイメージです.
正岡子規氏は果物とくに柿が好物だったそうです.この句を詠んだ翌年9月に亡くなっていますので、翌秋の柿は食べることができませんでした.
秋深き季節に自宅で御所柿を食べ、その味覚・嗅覚の刺激により,約1か月前の秋の晴れた日の午後2時の,法隆寺の紅葉(視覚)、鐘の音(聴覚)を想起した、そのような記憶の再生に、過去が現在に共有される穏やかな日常の幸せを感じます.
谷直樹
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