裁判官寺田逸郎氏の2つの補足意見に思う
平成22年12月27日に最高裁判所裁判官となり,平成26年4月1日に最高裁判所長官となり,受信契約締結承諾等請求事件についての平成29年12月6日の棄却判決は,記憶に新しいところですが,それ例外にも下した判決は多数あります.
戸籍訂正許可申立て却下審判に対する抗告棄却決定に対する許可抗告事件の平成25年12月10日判決は,「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律3条1項の規定に基づき男性への性別の取扱いの変更の審判を受けた者の妻が婚姻中に懐胎した子は,民法772条の規定により夫の子と推定されるのであり,夫が妻との性的関係の結果もうけた子であり得ないことを理由に実質的に同条の推定を受けないということはできない」としたものです.
裁判官寺田逸郎氏は,次の補足意見を書いています
「現行の民法では,「夫婦」を成り立たせる婚姻は,単なる男女カップルの公認に止まらず,夫婦間に生まれた子をその嫡出子とする仕組みと強く結び付いているのであって,その存在を通じて次の世代への承継を予定した家族関係を作ろうとする趣旨を中心に据えた制度であると解される。嫡出子,なかでも嫡出否認を含めた意味での嫡出推定の仕組みこそが婚姻制度を支える柱となっており,婚姻夫婦の関係を基礎とする家族関係の形成・継承に実質的な配慮をしていると考えられるのである(注1)。戸籍上女性とされていた性同一性障害者の性別を男性に変更することを認める特例法が,婚姻し,夫となることを認める限りでの適用に限定せず,民法の適用全般について男性となったものとみなすとして(4条),嫡出推定に関する規定を含めた嫡出子の規定の適用をあえて排除していないのも,このように婚姻と強く結び付く嫡出子の仕組みの存在をもふまえてのことであると解される。
特例法3条の規定により,戸籍上女性とされていた性同一性障害者が性別を男性に変更することが認められ,同法4条の規定により夫となる資格を得た場合においても,その夫婦にとって,夫の直接の血縁関係により妻との間で嫡出子をもうけ,その存在を通じて次の世代への承継を予定した家族関係を作ることはおよそ望むべくもない。そのような立場にある者にもあえて夫としての婚姻を認めるということ は,そのままでは上記で示した前提をおよそ欠いた夫婦関係を認めることにほかならない。そのような意義づけを避けるとするなら(注2),当該夫婦が,血縁関係とは切り離された形で嫡出子をもうけ,家族関係を形成することを封ずることはしないこととしたと考えるほかはない。つまり,「血縁関係による子をもうけ得ない一定の範疇の男女に特例を設けてまで婚姻を認めた以上は,血縁関係がないことを理由に嫡出子を持つ可能性を排除するようなことはしない」と解することが相当である(注3)。そして,民法が,嫡出推定の仕組みをもって,血縁的要素を後退させ,夫の意思を前面に立てて父子関係,嫡出子関係を定めることとし,これを一般の夫に適用してきたからには,性別を男性に変更し,夫となった者についても,特別視せず,同等の位置づけがされるよう上記の配慮をしつつその適用を認めることこそ立法の趣旨に沿うものであると考えられるのである(注4)。
[注は引用を省略します]
2 1のような結論に対しては,夫=父親の意思を重んじることで嫡出子とされてしまうことについての子の福祉の観点から批判があり得るのであって,これには傾聴すべきところがある。しかし,それは,本件のような立場の子の場面に限らず,嫡出推定を当てはめるのに相応の疑義があるにもかかわらず同規定の適用によって夫の子とされる他の場合にも生じている問題であり,法が嫡出否認の訴えができる者を父に限っていること(民法774条)に由来するところが大きいわけであって,その仕組みを改めるかどうかとして広く議論をすべきものであろう。ただし,上記1の解釈は特殊な場合に即して夫=父親(副次的には妻=母親)の意思に比重を置いた結果としての家族形成を認める特例法の考え方から導かれるのであり,この特例法による仕組みにおいても,子の立場に立てば親の意思に拘束されるいわれはない度合いが強いと考える余地はあろうから,法整備ができるまでの間は,民法774条の規定の想定外の関係であるとして,子に限って親子関係不存在確認請求をすることができるとする解釈もあり得なくはないように思われる。」
寺田氏の考え方がよくわかります
いわゆる別姓訴訟(損害賠償請求事件)についての平成27年12月16日判決は,民法750条は,憲法13条,憲法14条1項,憲法24条に違反しない,としたものです
裁判官寺田逸郎氏は,次の補足意見を書いています
「岡部裁判官及び木内裁判官の各意見における憲法適合性の議論に鑑み,多数意見の第4の4の記述を敷衍する趣旨で補足的に述べておきたい。
本件で上告人らが主張するのは,氏を同じくする夫婦に加えて氏を異にする夫婦を法律上の存在として認めないのは不合理であるということであり,いわば法律関係のメニューに望ましい選択肢が用意されていないことの不当性を指摘し,現行制度の不備を強調するものであるが,このような主張について憲法適合性審査の中で裁判所が積極的な評価を与えることには,本質的な難しさがある。
(1)およそ人同士がどうつながりを持って暮らし,生きていくかは,その人たちが自由に決められて然るべき事柄である。憲法上も,このことを13条によって裏付けることができよう。これに対して,法律制度としてみると,婚姻夫婦のように形の上では2人の間の関係であっても,家族制度の一部として構成され,身近な第三者ばかりでなく広く社会に効果を及ぼすことがあるものとして位置付けられることがむしろ一般的である。現行民法でも,親子関係の成立,相続における地位,日常の生活において生ずる取引上の義務などについて,夫婦となっているかいないかによって違いが生ずるような形で夫婦関係が規定されている。このような法律制度としての性格や,現実に夫婦,親子などからなる家族が広く社会の基本的構成要素となっているという事情などから,法律上の仕組みとしての婚姻夫婦も,その他の家族関係と同様,社会の構成員一般からみてもそう複雑でないものとして捉えることができるよう規格化された形で作られていて,個々の当事者の多様な意思に沿って変容させることに対しては抑制的である。民事上の法律制度として当事者の意思により法律関係を変容させることを許容することに慎重な姿勢がとられているものとしては,他に法人制度(会社制度)や信託制度などがあるが,家族制度は,これらと比べても社会一般に関わる度合いが大きいことが考慮されているのであろう,この姿勢が一層強いように思われる。
(2)現行民法における婚姻は,上記のとおり,相続関係(890条,900条等),日常の生活において生ずる取引関係(761条)など,当事者相互の関係にとどまらない意義・効力を有するのであるが,男女間に認められる制度としての婚姻を特徴づけるのは,嫡出子の仕組み(772条以下)をおいてほかになく,この仕組みが婚姻制度の効力として有する意味は大きい(注)。現行民法下では夫婦及びその嫡出子が家族関係の基本を成しているとする見方が広く行き渡っているのも,このような構造の捉え方に沿ったものであるといえるであろうし,このように婚姻と結び付いた嫡出子の地位を認めることは,必然的といえないとしても,歴史的にみても社会学的にみても不合理とは断じ難く,憲法24条との整合性に欠けることもない。そして,夫婦の氏に関する規定は,まさに夫婦それぞれと等しく同じ氏を称するほどのつながりを持った存在として嫡出子が意義づけられていること(790条1項)を反映していると考えられるのであって,このことは多数意見でも触れられているとおりである(ただし,このことだけが氏に関する規定の合理性を根拠づけるわけではないことも,多数意見で示されているとおりである。)。複雑さを避け,規格化するという要請の中で仕組みを構成しようとする場合に,法律上の効果となる柱を想定し,これとの整合性を追求しつつ他の部分を作り上げていくことに何ら不合理はないことを考慮すると,このように作り上げられている夫婦の氏の仕組みを社会の多数が受け入れるときに,その原則としての位置付けの合理性を疑う余地がそれほどあるとは思えない。
(注)性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律に基づき男性への性別の取扱いの変更の審判を受けた者の妻の懐胎子と嫡出推定規定の適用に関する最高裁平成25年(許)第5号同年12月10日第三小法廷決定・民集67巻9号1847頁における寺田補足意見(1852頁以下)参照。嫡出推定・嫡出否認の仕組みは,妻による懐胎出生子は,夫自らが否定しない限り夫を父とするという考え方によるものであり,妻が子をもうけた場合に,夫の意思に反して他の男性からその子が自らを父とする子である旨を認知をもって言い立てられることはないという意義を婚姻が有していることを示している。このように,法律上の婚姻としての効力の核心部分とすらいえる効果が,まさに社会的広がりを持つものであり,それ故に,法律婚は型にはまったものとならざるを得ないのである。
(3)家族の法律関係においても,人々が求めるつながりが多様化するにつれて規格化された仕組みを窮屈に受け止める傾向が出てくることはみやすいところであり,そのような傾向を考慮し意向に沿った選択肢を設けることが合理的であるとする意見・反対意見の立場は,その限りでは理解できなくはない。しかし,司法審査という立場から現行の仕組みが不合理といえるかどうかを論ずるにおいては,上記の傾向をそのまま肯定的な結論に導くにはいくつかの難所がある。
上記のとおり,この分野においては,当事者の合意を契機とすることにより制度を複雑にすることについて抑制的な力学が働いているという壁がまずある。我が国でも,夫婦・親子の現実の家族としてのありようは,もともと地域などによって一様でないとの指摘がある中で,法的には夫婦関係,親子関係が規格化されて定められてきていることに留意することが求められよう。諸外国の立法でも柔軟化を図っていく傾向にあるとの指摘があるが,どこまで柔軟化することが相当かは,その社会の受け止め方の評価に関わるところが大きい。次に,選択肢を設けないことが不合理かどうかについては,制度全体との整合性や現実的妥当性を考慮した上で選択肢が定まることなしには的確な判断をすることは望めないところ,現行制度の嫡出子との結び付きを前提としつつ,氏を異にする夫婦関係をどのように構成するのかには議論の幅を残すことを避けられそうもない。例えば,嫡出子の氏をどのようにするかなどの点で嫡出子の仕組みとの折り合いをどのようにつけるかをめぐっては意見が分かれるところであり(現に,平成8年の婚姻制度に関する法制審議会の答申において,子の氏の在り方をめぐって議論のとりまとめに困難があったようにうかがわれる。),どのような仕組みを選択肢の対象として検討の俎上に乗せるかについて浮動的な要素を消すことができない。もちろん,現行法の定める嫡出子の仕組みとの結び付きが婚姻制度の在り方として必然的なものとまではいえないことは上記のとおりであり,嫡出子の仕組みと切り離された新たな制度を構想することも考えられるのであるが,このようなことまで考慮に入れた上での判断となると,司法の場における審査の限界をはるかに超える。加えて,氏の合理的な在り方については,その基盤が上記のとおり民法に置かれるとしても,多数意見に示された本質的な性格を踏まえつつ,その社会生活上の意義を勘案して広く検討を行っていくことで相当性を増していくこととなろうが,そのような方向での検討は,同法の枠を超えた社会生活に係る諸事情の見方を問う政策的な性格を強めたものとならざるを得ないであろう。
以上のような多岐にわたる条件の下での総合的な検討を念頭に置くとなると,諸条件につきよほど客観的に明らかといえる状況にある場合にはともかく,そうはいえない状況下においては,選択肢が設けられていないことの不合理を裁判の枠内で見いだすことは困難であり,むしろ,これを国民的議論,すなわち民主主義的なプロセスに委ねることによって合理的な仕組みの在り方を幅広く検討して決めるようにすることこそ,事の性格にふさわしい解決であるように思える。選択肢のありようが特定の少数者の習俗に係るというような,民主主義的プロセスによる公正な検討への期待を妨げるというべき事情も,ここでは見いだすに至らない。離婚における婚氏続称の仕組み(民法767条2項)を例に挙げて身分関係の変動に伴って氏を変えない選択肢が現行法に設けられているとの指摘もみられるが,離婚後の氏の合理的な在り方について国会で議論が行われ,その結果,新たに選択肢を加えるこの仕組みが法改正によって設けられたという,その実現までの経緯を見落してはなるまい。そのことこそが,問題の性格についての上記多数意見の理解の正しさを裏
書きしているといえるのではないであろうか。」
裁判官寺田逸郎氏が,法律婚は型にはまったものとならざるを得ないと考える点で,平成25年12月10日判決の補足意見の延長上にあることが分かります.
裁判官であれば,筋道がとおっているだけの判決は簡単に書くことができます.最高裁判所の判決は,単に筋道がとおっているだけでは合格点はつきません.最高裁判所の判決は,社会にとって適切な法解釈でなけばなりません.
寺田氏の考え方は基本的に同じですが,平成25年12月10日判決が支持され,平成27年12月16日判決については批判も強かったのは,社会が求める適切な法解釈と一致するものだったのか否か,によるのではないでしょうか.
谷直樹
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