「レモン哀歌」(『智恵子抄』より )
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
高村光太郎氏の『智恵子抄』は読むのが辛い詩集です.
臨終の場面の「レモン哀歌」はとくに...
「瀬戸ぎは」という言葉はこのように用いるのが正しいのです.
最期にも立ち会えないコロナ死にくらべれば,まだよいのかも,と最近思いました.
米津玄師氏の「Lemon」は,「レモン哀歌」からインスピレーションを受けています.
今日4月2日は高村光太郎氏の命日連翹忌です.
谷直樹
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