《受胎告知》
堀辰雄氏は「大和路・信濃路」に「この七日にはどうしても帰京しなければならない用事がある上、こんどはどうしても倉敷の美術館にいってエル・グレコの「受胎告知」を見てきたいので、奈良には三四日しかいられないことになりました。まるでこの秋ホテルに預けておいた荷物をとりにだけきたような恰好です」と書いています.
「その藁屋根の古い寺の、木ぶかい墓地へゆく小径のかたわらに、一体の小さな苔蒸した石仏が、笹むらのなかに何かしおらしい姿で、ちらちらと木洩れ日に光って見えている。」ではじまる「大和路・信濃路」のゴールは,エル・グレコ氏の《受胎告知》に設定されていたのです.
谷直樹
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