あをによし 奈良の京は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり
あをによし 奈良の京は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり (小野老)
青丹吉 寧楽乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有
平城京と言えばこの歌が有名です.
元明天皇は娘の元正天皇に譲位し,上皇となり,娘吉備内親王の夫長屋王と藤原房前に後事を託して亡くなりました.
ところが,715年に正天皇から譲位された聖武天皇(文武天皇と宮子の子)の代になり,皇族側の長屋王と藤原氏側の聖武天皇の関係は悪化します.
長屋王は,聖武天皇の1歳の子碁王を呪い殺した罪をきせられ,長屋王と妻吉備内親王,その間の子膳夫王,桑田王,葛木王,鉤取王はことごとく自害し果てます.これが729年の長屋王の変です.
上記の歌は,政敵長屋王を倒して藤原四兄弟の時代となったことを,藤原四兄弟側の小野老氏が高らかに歌い上げたものです.
しかし,この長屋王の変の6年後に藤原四兄弟は天然痘で亡くなりました.小野老も前後して亡くなりました.
藤原四兄弟の時代はあっけなく終わりました.
その後,光明皇后の異母兄橘諸兄左大臣が政治の中枢を担うことになります.
井手寺跡の発掘調査が平成16年からすすめられていますが,8世紀中ごろの建物の基壇跡が出土したとのことです.
谷直樹
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