弁護士谷直樹/医療事件のみを取り扱う法律事務所のブログ

熊本地方裁判所平成13年5月11日判決から20年

熊本地方裁判所平成13年5月11日判決から20年になりますが,国が長年にわたるハンセン病隔離政策とらい予防法により患者の人権を著しく侵害しハンセン病に対する偏見差別を助長してきた問題は終わっていません.

沖縄タイムス「社説[ハンセン病家族補償]旧植民地も広く救済を」(2021年4月21日)は,偏見と差別をなくす国の取り組みが不十分なことは明らかと述べています.

「日本が戦前、植民地支配していた台湾と韓国のハンセン病元患者の家族が、救済を求め動きだしている。
 国の誤った隔離政策によって差別に苦しむ家族に対する補償法に基づき、台湾の家族6人は既に申請を済ませた。韓国の家族約60人も近く申請するという。関係機関が連携し、速やかに補償を実施すべきだ。

 ハンセン病を巡っては、2019年に熊本地裁が家族への差別被害を認め、国に賠償を命じる判決を言い渡した。これを受け施行された家族補償法は、旧植民地の元患者家族も対象としている。
 家族訴訟の弁護団がその被害に本格的に向き合ったのは判決後。現地の法律家が韓国の療養所「小鹿島(ソロクト)更生園」や台湾の「楽生院」に関する被害聞き取りや陳述書の作成を担った。
 両療養所は日本のハンセン病患者隔離政策に基づいて開設されたもので、強制的に収容し重労働や断種手術、神社参拝などを強要した。感染症問題と民族差別で、「国内をはるかに上回る二重の人権侵害があった」とされる。
 隔離が助長した偏見によって家族というだけで地域から排除され、結婚や就職などの場面で差別を受け、家族の離散や分断を強いられたといった被害は想像に難くない。

 終戦前、韓国では約6千人、台湾では約700人が療養所に収容されていた。家族であることの証明など申請に必要な資料集めでは相互の協力が必要だ。広く迅速に被害を救済するためにも特別な配慮を求めたい。

 01年、元患者本人による国家賠償請求訴訟で熊本地裁は隔離政策を違憲とし、原告が全面勝訴した。しかし同年施行されたハンセン病補償法は、当初、運用面で旧植民地の療養所を含んでいなかった。韓国、台湾の元患者らが提訴し、06年の法改正によって対象となった経緯がある。
 家族補償では当初から旧植民地も含むが、安心して法律の適用を受けられるかは、また別の問題だ。

 家族補償法の施行から約1年半、全体でも申請は6980件、認定は6699件にとどまっている。対象とされる約2万4千人の3割にも届いていない。
 家族が患者だったことを周囲に打ち明けていない人も多く、二の足を踏んでいるのだろう。

 海外に住む対象者の場合、言葉の壁もある。情報が届いていない可能性も高い。平等な補償の実現には、申請を促す仕組みが必要だ。

 ハンセン病問題は、補償の契機となった01年の熊本地裁判決から来月で20年となる。
 補償金申請が伸び悩んでいることが示すように、差別を恐れる状況は大きく変わっていない。

 図らずもコロナ禍で露呈したのが感染者への偏見差別である。官民で患者を地域から排除した「無らい県運動」と、「自粛警察」に象徴される同調圧力は重なり合うところがある。
 偏見と差別をなくす国の取り組みが不十分なことは明らかだ。」


西日本新聞「憲判決20年 ハンセン病の教訓、今こそ」(2021年5月10日)は,国の感染症対策には危うさが残る,と述べています.

 「「病より差別はつらい」

 ハンセン病の元患者の言葉を今こそかみしめたい。

 国のハンセン病隔離政策を憲法違反と断罪した熊本地裁判決から、明日で20年になる。約90年にわたる患者・元患者への人権侵害は今日に多くの教訓を残した。病者への差別を繰り返さないためにも、ハンセン病問題を学び直す機会にしたい。

 <二〇〇一年五月十一日は、私の「人間回復」の忘れることのできない誕生日です。ひとことではとても語ることのできない、闇の中の生活から脱皮した記念の日です>

 原告の一人で、鹿児島県鹿屋市の国立ハンセン病療養所・星塚敬愛園で暮らす上野正子さんは、著書「人間回復の瞬間(とき)」に勝訴の感慨をつづった。「人間回復」は、人としての尊厳をひどく傷つけられた体験がなければ表せない言葉だろう。

■教育・啓発は道半ば

 ハンセン病はらい菌により、皮膚や末梢(まっしょう)神経が侵される感染症である。国は明治以来、患者を療養所に強制収容し、社会から切り離した。

 戦後、基本的人権を保障した新憲法が制定されても、治療薬の普及で「治る病気」になっても見直されることはなかった。この隔離政策は、根拠法のらい予防法を廃止する1996年まで続いた。それほど遠い昔の出来事ではない。

 絶対隔離の療養所生活はあまりにも非人道的だった。

 入所すると、解剖承諾書に署名させられ、偽名(園名)を使うように指示された。夫婦は断種や堕胎を強いられ、子どもを産み、育てることはできない。傷んだ体で重病者の介助、火葬などの作業を強制された。懲罰の監禁室も存在した。

 警察を使った患者の収容、患者宅が真っ白になる消毒は「恐ろしい病気」の偏見を社会に植え付け、患者の多くが家族や古里との縁を絶たれた。

 こうした長きにわたる被害の実態が、入所者が起こした裁判で原告の証言により明らかになった。裁判の意義の一つだ。その結果、熊本地裁は国と国会の責任を明確にし、損害賠償を命じる歴史的判決を下した。

 判決は療養所が社会に開かれる転機となった。療養所を訪ねる人が増え、入所者が園外で体験を語る機会ができ、熊本県合志市の菊池恵楓園には保育施設が開設された。ハンセン病差別の認知度は一定程度高まった。

■「コロナ」も同じ構図

 それでも、差別や偏見をなくす教育、啓発は今なお道半ばにあると言わざるを得ない。

 2003年11月、熊本県のホテルが菊池恵楓園の入所者の宿泊を拒否する事件が起きた。知事が公表すると、入所者を誹謗(ひぼう)中傷する手紙やファクスが菊池恵楓園に次々と届いた。社会に潜在する差別意識をなくすために学校教育や社会教育、啓発の役割は重要だ。検証を重ねて継続してこそ、効果が表れる。

 その担い手は、国だけではない。かつて「無らい県運動」を推し進めた地方自治体の責務であり、市民の一人一人も当事者である。その取り組みは地域格差がないようにすべきだ。

 ハンセン病差別は病気への誤った認識や過度な恐れにより助長された。折しも、感染症である新型コロナの患者や医療者も差別や偏見にさらされている。ハンセン病と同じ構図だと元患者がいみじくも指摘している。

 新型コロナ対策では、感染症法に入院を拒否した患者への罰則を盛り込むことが検討され、ハンセン病元患者らが撤回を求める一幕があった。

 感染症法はハンセン病やエイズなどに対する差別、偏見の教訓を踏まえて制定された。その経緯を考えると、国の感染症対策には危うさが残る。

 ハンセン病問題から、私たちはまだまだ多くのことを学ぶ必要がある。」

谷直樹

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by medical-law | 2021-05-11 00:14 | 人権