東京地裁医療集中部と丁寧な仕事
1 東京地裁医療集中部
平成13年4月に東京地方裁判所に4か部、大阪地方裁判所に2か部、医療事件を集中的に担当する部が設けられました。
東京地方裁判所の医療種中部は民事14部、30部、34部、35部です.前田順司判事、貝阿彌誠判事、福田剛久判事らが医療訴訟のルールとツールをつくり、医療集中部の審理スタイルの基礎を築きました。
当初は14部だけ別のフロアーだったのですが、何かと不便だということで、14部も他の部と同じ14階に移り、今日に至っています。
東京地方裁判所医療集中部(民事14部、30部、34部、35部)における事件概況等は、毎年、法曹時報に掲載されています.
令和2年の事件概況等は「法曹時報 第七十三巻 第七号(令和三年七月号)」に掲載されています。
東京地方裁判所が新しく受ける医療事件(新件)が年平均150件で、約400~500件の医療事件が繋属しているとすると、裁判長は約100~125件の事件を審理することになります。大変でしょうが、数多くの医療事件を担当することで、自ずと医療事件の感覚、スジがみえてくると思います。
医療集中部のない地方の裁判所と比べると、医療集中部の審理は進行が早いと思います。
もちろん医療集中部のない地方の裁判所の裁判官でも真摯に医療に取り組んでくれる人が多く、非医療集中部の裁判官は急ぎ過ぎないところがよいと思います。
また、医療集中部の裁判官が当該事件のスジがみえると思いこみ、自信故に誤りに陥ることもあり得ます。
2 医療集中部前との比較
医療集中部ができて良いと思われるところは、医療事件審理のためのルールとツールができ、効率的な訴訟活動ができるようになったことと思います。
被告病院の診療記録は被告から訳をつけて提出する、診療経過一覧表を作成する、代理人は期日1週間前までに書面を提出し、裁判官は期日で問題点を指摘し当事者に必要な立証を促す、必要な場合争点整理表を作成する、などは医療集中部ができる前は行われていなかったことです。
このような医療事件審理のためのルールとツールができたことにより、裁判官と双方代理人の事件についての共通認識が形成され、医療裁判の効率的な運営がはかられるようになったと思います。
医療集中部ができる前、東京地裁で大変よく考えられた立派な判決をいただいたことがあります。ちなみに、2000年の認容率は、46.9%でした。
医療集中部の良くないと思われるところは、迅速を優先するあまり心証形成を急ぎ、時として適正を犠牲にすることがあることと思います。
2 他の医療集中部との比較
私は、札幌地裁2民、千葉地裁2民、さいたま地裁1民、横浜地裁4民・5民、大阪地裁20民、福岡地裁3民については経験があります。仙台地裁3民、名古屋地裁4民、大阪地裁17民・19民、広島地裁1民については未だ経験がありません。
各医療集中部には、医療事件審理のためのツールの用い方に微妙な違いがあります。
例えば、大阪地裁は、診療経過一覧表が認否形式で、争点整理が判決形式です。東京地裁のものより合理的と思います。
鑑定のシステムは各裁判所により異なります。東京地裁は、カンファレンス鑑定を行っています。都内13大学のうち3大学に鑑定人を各1名推薦してもらい3名の鑑定人に来てもらって口頭で鑑定意見を述べてもらうというものです。被告病院と近い地域から鑑定人が選ばれることは問題です。大阪地裁では大阪高裁管轄内の医療機関から鑑定人を選んでいます。
東京地裁の期日は一部を除けば概ね充実していますが、裁判長、左陪席ともに熱心で、最も期日が充実していると感じたのは札幌地裁2民でした。
3 非医療集中部との比較
非医療集中部も、医療事件審理のルールとツールができたことにより、医療事件の効率的な訴訟運営を試みるようになり、医療集中部ほどではありませんが、迅速化がはかられるようになったと思います。
医療集中部の経験の有る裁判官が担当する場合と医療集中部の経験の無い裁判官が担当する場合とでは、異なるように思います。
停滞気味だった事件が、裁判長が大阪地裁医療集中部の経験のある裁判官に交替して急転直下和解ができたことがあります。また、高裁で東京地裁医療集中部の経験のある裁判官が担当し、審理を尽くし粘り強く被控訴人を説得して和解に至ったことがあります。
医療集中部の経験の無い裁判官が担当する場合でも、適正な解決に至ったことが多いのですが、認容判決を書く自信がないためか、適正な解決に至らなかったこともあります。
非医療集中部が医療集中部並みの迅速さを追求すると、おそらく適正な結果にはならないと思います。非医療集中部には、非医療集中部なりのやり方があると思います。
4 東京地裁医療種中部20年間の変化について
1999年横浜市大病院患者取り違え事件、都立広尾病院事件等医療不信の時代背景があり、最高裁も、最判平11・2・25(肝細胞癌早期発見義務違反事件)、最判平11・3・23(脳ベラ事件)、最判平12・2・29(エホバの証人事件)、最判平13・11・27(乳房温存療法事件)の判決を下しました。医療集中部草創期の裁判官には、強い意思と熱意がありました。草創期の裁判官の功績は大きいと思います。
草創期の次の裁判長は、前の裁判長の影響を受けた左陪席判事補との関係に苦慮している様子がうかがえ、審理に混乱が生じたこともありました。
医療訴訟の手続き面の改革に着目する時期があり、反面、審理に十分な時間をとって事案について深い考察を巡らすことが不足している裁判長もいたように思います。
全国の裁判所の医療事件新受件数は、2001年824件、2002年906件、2003年1003件、2004年1110件と増加傾向にありました。
2006年に福島県の大野病院の産科医が業務上過失致死傷罪および医師法違反の容疑で逮捕・起訴され、これについて医療界から強い反発がありました。裁判所が萎縮したと思われますが、当然高度の蓋然性を認定すべきと考えられる事案で相当程度の可能性にこだわり、低額の和解に終わるなど、問題と思われる時期がありました。
2009年に東京地裁医療集中部の裁判官が中心になって執筆した「リーガル・プログレッシブ・シリーズ医療訴訟」が出版されました。医療集中部8年間の到達点と限界(問題点)を示す内容でした。
2010年の全国の認容率20.2%は、2008年、2009年の審理が偏ったもので、医療側に有利な判決がふえた結果だと思います。2010年が底となり、医療崩壊キャンペーンが落ち着いたこともあり、2010年、2011年頃からは、医療事件に苦手意識をもつ裁判長が着任したこともあり、部間格差もありましたが、概ね適任の人材を得て、次第にバランスのとれた訴訟運営が行われるようになっていきました。2013年4月 に東京地方裁判所の医療訴訟対策委員会より「医療訴訟の審理運営指針(改訂版)」が公表されました。2013年7月の「医療訴訟の実務」は、このような医療訴訟実務を書籍化し、定着をはかるものだったと思います。ガイドライン、添付文書の役割等文献立証について正当な評価がなされるようになったと思います。他方、専門委員の関与、カンファレンス鑑定については、専門委員医師が当該事案の専門ではない、鑑定人が忖度をして医師寄りの鑑定になるなど、功罪があると思います。
事故の原因分析と再発防止のために2016年に医療事故調査制度ができました。そして、2019年に「医療訴訟の実務第2版」が出版され、医療集中部が安定期にあることが示されたように思います。
他方、集中部審理の形骸化も指摘されています。
5 今後の東京地裁医療集中部に期待すること
充実した訴状を書くには、事実経過を知る必要があります。訴状に充実した主張を記載するためには、相手方の主張を知る必要があります。ところが、医療機関の多くは、未だに説明会を開かない、書面での回答も簡単で、事実・主張を明かしません。そのような状況では、訴訟の進行により原告が訴訟の主張を変えざるをえないこともあります。
裁判官と双方代理人が共通認識を形成し、裁判官が主張立証が不足と考える点をその都度期日で代理人に伝えること(書証の評価と暫定的心証の開示)により、医療裁判の効率的な運営がはかられます。
1審の審理期間は、現在では、医療集中部が出来た2001年より半年くらい短縮されています。新受件数も最近は700件台まで下がっています。「迅速」より「適正」「丁寧さ」を重視すべき時期にきていると思います。
もともと医療事件は困難で審理に時間がかかるものです。適正を害さない医療裁判の効率的な運営は、裁判官と双方代理人が時間をかけた「丁寧な仕事」をすることで実現できると思います。
谷直樹
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