弁護士谷直樹/医療事件のみを取り扱う法律事務所のブログ

『蜜柑』

横須賀市の吉倉公園に芥川龍之介氏の碑があります.
海軍機関学校の英語担当の嘱託教官であったとき,書いた短編小説『蜜柑』の一節が次のとおり刻まれています.

「或曇った冬の日暮である。私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下してぼんやり発車の笛を待っていた。(中略)
するとその瞬間である。窓から半身を乗り出していた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして勢よく左右に振ったと思うと、忽ち心を躍らすばかり暖かな日の色に染まっている蜜柑が凡そ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降って来た。私は思わず息を呑んだ。そうして刹那に一切を了解した。」


『蜜柑』の冒頭は次のとおりです.
「或曇つた冬の日暮である。私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下して、ぼんやり発車の笛を待つてゐた。とうに電燈のついた客車の中には、珍らしく私の外に一人も乗客はゐなかつた。外を覗くと、うす暗いプラツトフオオムにも、今日は珍しく見送りの人影さへ跡を絶つて、唯、檻に入れられた小犬が一匹、時々悲しさうに、吠え立ててゐた。これらはその時の私の心もちと、不思議な位似つかはしい景色だつた。私の頭の中には云ひやうのない疲労と倦怠とが、まるで雪曇りの空のやうなどんよりした影を落してゐた。私は外套のポツケツトへぢつと両手をつつこんだ儘、そこにはいつてゐる夕刊を出して見ようと云ふ元気さへ起らなかつた。」

アンニュイな光景です.
それが蜜柑投げ後に変わります.
「私」は,車窓から蜜柑を投げるなど危ないではないか,と小娘を叱るのでは無く,朗な心もちが湧き上つて来るのです.

「小娘は、恐らくはこれから奉公先へ赴かうとしてゐる小娘は、その懐に蔵してゐた幾顆の蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切りまで見送りに来た弟たちの労に報いたのである。
暮色を帯びた町はづれの踏切りと、小鳥のやうに声を挙げた三人の子供たちと、さうしてその上に乱落する鮮な蜜柑の色と――すべては汽車の窓の外に、瞬く暇もなく通り過ぎた。が、私の心の上には、切ない程はつきりと、この光景が焼きつけられた。さうしてそこから、或得体の知れない朗な心もちが湧き上つて来るのを意識した。私は昂然と頭を挙げて、まるで別人を見るやうにあの小娘を注視した。小娘は何時かもう私の前の席に返つて、不相変皸だらけの頬を萌黄色の毛糸の襟巻に埋めながら、大きな風呂敷包みを抱へた手に、しつかりと三等切符を握つてゐる。…………
 私はこの時始めて、云ひやうのない疲労と倦怠とを、さうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出来たのである。」


蜜柑の美味しい季節です.

谷直樹

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by medical-law | 2021-12-11 13:23 | 趣味