弁護士谷直樹/医療事件のみを取り扱う法律事務所のブログ

ヘルペス脳炎の鑑別を十分に行わなかった過失 名古屋地裁平成19年4月26日判決

名古屋地裁平成19年4月26日判決(裁判長 永野圧彦)は,「ヘルペス脳炎は,早期治療が重要であるとされ,しかも死に至る危険も十分に存在する重大な疾患であるから,ヘルペス脳炎の鑑別診断すべき必要性は非常に高いといえる。」と判示し,「異常行動等の精神症状が認められる患者においては,ヘルペス脳炎の可能性も考えて,まず,発熱や頭痛などの髄膜刺激症状の有無を,問診及び患者を観察することにより確認すべき注意義務があると考えるのが相当である。」,「診察時の状態のみならず,異常行動の現れた前後も含めて,発熱や頭痛の有無を確認すべきである。」ことから,「B医師には,原告についてヘルペス脳炎の鑑別を十分に行わなかった過失が認められる。」と認定しました.
同判決は,平成11年当時の医学的知見を前提としていること,頭痛がみられた事案であることから,「頭痛がみられない症例も多く存在する」(「単純ヘルペス診療ガイドライン2017」17頁)ことについての考慮が不足していますが,ヘルペス脳炎鑑別義務の判断において参考となります.
なお,これは私が担当した事件ではありません.

「ア(ア) 上記認定の知見のとおり,ヘルペス脳炎の臨床症状は,異常行動等の精神症状と,発熱や頭痛の双方が現れるものであり,ヘルペス脳炎は,早期治療が重要であるとされ,しかも死に至る危険も十分に存在する重大な疾患であるから,ヘルペス脳炎の鑑別診断すべき必要性は非常に高いといえる。
異常行動等の精神症状が見られた場合,ヘルペス脳炎を含めた鑑別診断を行うには,その他の臨床症状の有無,程度等を総合して診断していく必要があるが,上記の知見によれば,異常行動等の精神症状が認められる患者においては,ヘルペス脳炎の可能性も考えて,まず,発熱や頭痛などの髄膜刺激症状の有無を,問診及び患者を観察することにより確認すべき注意義務があると考えるのが相当である。その場合,受診時における症状を確認することは当然であるが,異常行動等の精神症状に先立ち,発熱や頭痛が見られることも多いこと,ヘルペス脳炎における経過の中で発熱の見られない時期もあり得ること(B証人44頁)から,診察時の状態のみならず,異常行動の現れた前後も含めて,発熱や頭痛の有無を確認すべきである。
そして,発熱や頭痛などの症状が見られた場合,ヘルペス脳炎の可能性が高まることから,確実な鑑別のために,CT,MRI,脳波検査,髄液検査などの検査を実施すべきである。

(イ) しかし,本件において,B医師は,受診当日及び異常行動の現れた前後の時期における原告の発熱や頭痛などの症状の有無を十分問診することなく,受診時のDからの聴取内容及び原告の診察時の行動だけから,ヘルペス脳炎の可能性を非常に低いものと判断し,精神科疾患であると判断している。
とすれば,B医師は,ヘルペス脳炎について,十分な問診等をせず,その上で鑑別に必要な検査を行わなかったといえ,法的な注意義務に違反したといわざるを得ない。

イ この点,被告は,B医師が,原告の診察時において,発熱がないこと,食事を摂れていることを確認しており,頭痛については原告及びDが告げていないことから,ヘルペス脳炎よりも精神科疾患の可能性が高いと判断したことは問題ないと主張する。
しかし,発熱についてはこれを正確に測定したと認めるに足りる証拠はなく(むしろ,B医師は,神経内科においては,通常体温を測定せず,本件においても測定する必要まではなかったと証言する。B証人6頁),かつ,異常行動の見られた前後に原告が発熱していたことを確認したとの事情も認められない。食事を摂れていることについては,それだけでヘルペス脳炎を否定する理由にはならず,頭痛についても,確かに,Dが問診票に頭痛の欄があるにもかかわらず丸を付けていないという事情はあるものの,専門家ではない患者及びその家族が必要な情報をすべて積極的に医師に伝えなければならないとするのは酷であり,問診により確認できる事項であれば医師の負担は大きいものではないことから,医師の側で改めて確認する必要がないとはいえない。
したがって,この点についての被告の主張は採用することができない。

ウ(ア) また,被告は,脳の器質的疾患の症状として挙げられる意識障害については,主に意識の明るさ,すなわち清明度の異常を意味するのが通常であり,覚醒していないなど,意識の清明度に問題がある場合に初めて意識障害が問題となるのであって,刺激しなくても覚醒している状態(自発的開眼がある,自分で歩行等できる,食事も摂取できる)であれば,通常は意識障害があるとは判断せず,意識清明の状態である場合に,見当識障害のみを取り上げて意識障害とは評価しないのが通常であって,原告には,4月30日の被告病院受診時において,意識の清明度としての意識障害が見られなかったのであるから,B医師が,ヘルペス脳炎の可能性は非常に低いと考えて精神科を紹介したことに問題はないとも主張する。

(イ) しかし,本件において,原告がB医師の質問に対し,何も答えず,視線をそらしたり,そわそわして立ち上がろうとするなどしたため,見当識を確認できる状態ではなかったのであり,そのような状況では,B医師は見当識障害の有無を確認できていたとは認められない。
そして,意識の清明度の低下を示す尺度として日本で使用されているJCSにおいては,見当識障害があれば,軽度の意識障害(I-2)に当たるとされており(甲B5の1),見当識障害の有無は,意識障害の有無を判断する際の要素といえる。
また,見当識の障害された状態を失見当識というが,失見当識が起こる原因として臨床的に重要なのは,①意識障害,②記憶障害(健忘),③知能障害などであり,軽度の意識障害の存在が疑われる場合,見当識障害の有無がまず確かめられる必要がある(甲B7)。
これらのことからすると,見当識障害は,意識障害の有無を判断するための1つの要素に含まれているといえる。
そして,B医師は,少なくとも原告に見当識障害がないと判断できる状態ではなく,意識障害について十分判断できる状態にないままに,異常行動は精神疾患によるものと判断したということになる。
そうだとすると,意識障害の点からも,B医師は原告がヘルペス脳炎である可能性を否定できるほどの情報を得ることなく精神科を紹介したということになる。

(3) 小括
したがって,B医師には,原告についてヘルペス脳炎の鑑別を十分に行わなかった過失が認められる。」


谷直樹

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by medical-law | 2022-01-05 02:46 | 医療事故・医療裁判