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プロラクチン産生腺腫の治療方法の選択,決定段階における過失 福岡地方裁判所小倉支部平成15年6月26日判決

プロラクチン産生腺腫の治療方法の選択,決定段階における過失 福岡地方裁判所小倉支部平成15年6月26日判決(裁判長 杉本正樹)は,「未確定で不十分な病状の把握を前提として開頭手術を実施するという治療方針を立ててしまい,プロラクチン産生腺腫の確定診断ができた後には,その確定診断を前提にした治療方針の再検討を行う義務を怠った」と認定し,プロラクチン産生腺腫の治療方法の選択,決定段階における過失を認めました.
なお、これは私が担当した事件ではありません.

(7) 治療方法の選択,決定段階における注意義務違反の有無(争点(1)イ及び
争点(3))について

(7) 治療方法の選択,決定段階における注意義務違反の有無(争点(1)イ及び争点(3))について
原告らは,被告E医師及び被告病院の他の医師が,亡Fの疾患がプロラクチン産生腺腫であるとの確定診断をしないまま,杜撰かつ不十分な診断及び治療方法の検討に基づいて開頭手術を選択し,治療方法の選択を誤ったこと(争点(1)イ),及び,被告E医師及び被告病院の他の医師が,開頭手術以外の治療方法の内容や開頭手術以外の治療方法との比較,利害得失について説明し,患者の同意を得る義務を怠ったこと(争点(3))を主張する。
ア 治療方法の選択,決定段階における医師の注意義務の内容
一般に,医師は,患者に対する問診,観察を行うとともに,必要な検査を実施するなどして,当該患者の疾患(病名と病状)をできる限り確定的に診断し,そのうえで,その時点における医療水準に従い,治療方法を慎重に検討し,自らが最善と考える治療方針(実施予定の治療方針)を選択する必要があると解される。
その治療方針の選択は,患者の疾患の内容や程度のみならず,患者の年齢,性別,体力の程度,既往症,治療による改善の見込み,治療に伴い発生の予測される危険性,治療を行わない場合の危険性などの諸要素を総合的に検討して行われるものであって,極めて専門性の高い判断が求められることから,医師は,実施予定の治療方針の選択については,医療の専門家として広範な裁量権を有しているというべきである。
しかし,他方で,医療行為の多くは不可避的に患者の身体に対する侵襲を伴うものであるから,医師がある治療行為を実施すべきであると判断した場合であっても,その治療行為を適法に行うためには,患者の自己決定権を尊重し,患者の同意を得る必要があるというべきである。特に,患者の生命及び身体に重大な影響を及ぼすような外科的侵襲を伴う治療行為が問題となる場面では,当該治療行為を行うことにより,患者は,自らの疾患による苦痛や不安のほかに,当該治療行為そのものや治療に伴う合併症から生じる肉体的,精神的苦痛を受け,また,重大な後遺症や死の危険にさらされることになるのであるから,患者の同意の重要性は一層高いといわなければならない。
そこで,医師は,患者に対し,診療契約に基づき,治療方法の選択,決定段階における注意義務として,当該患者の疾患(病名と病状)をできる限り確定的に診断し,そのうえで,その時点における医療水準に従い,治療方法を慎重に検討し,自らが最善と考える治療方針(実施予定の治療方針)を選択する義務を負うとともに,緊急を要し時間的余裕がないなどの特別の事情のない限り,当該患者(その者に判断能力がなければそれを補完すべき者)において,患者の身に行われようとする治療行為につき,その利害得失を理解したうえで当該治療行為を受けるか否かを熟慮し,決断する前提として,当該疾患の診断(病名と病状),実施予定の治療の方法,内容及び必要性,その治療に伴い発生の予測される危険性,他に選択可能な治療方法があれば,その内容と利害得失,予後などについて,できる限り具体的に説明したうえで,実施予定の治療を受けるか否かについて,患者の同意を得る(選択させる)義務を負うというべきである。

イ プロラクチン産生腺腫の治療方法の選択,決定段階における医師の注意義務の内容

(ア) プロラクチン産生腺腫の治療方法には,手術療法のほかに,ブロモクリプチンによる薬物療法があり,いずれも医療水準として確立された治療方法であるところ,ブロモクリプチンの投与による薬物療法は,無月経,乳汁分泌等の症状の改善のほか,プロラクチン産生腺腫の腫瘍縮小効果が得られるため,第1次的な治療方法としてだけではなく,少なくとも手術後の補助療法として実施できるという特徴を有しており,この点がブロモクリプチンの適応のない下垂体腺腫や頭蓋咽頭腫とは大きく異なるところである。
そこで,医師は,患者にプロラクチン産生腺腫が疑われる場合には,速やかに確定診断を行う必要があるところ,画像所見からは下垂体ホルモン(プロラクチン)を分泌するかどうかを判断することができないこと,頭蓋咽頭腫やプロラクチン産生能を有しない下垂体腺腫(非機能性腺腫)であっても,無月経や乳汁分泌という高プロラクチン血症が現れる場合があるが,これらの原因による場合の血中プロラクチン値は通常200ng/mlを上回ることはなく,200ng/ml以上の高値の場合はプロラクチン産生腺腫の可能性が高いと解されていることに照らし,エックス線,CT,MRI等による画像診断を行うとともに,速やかに血中プロラクチン値の測定を含む下垂体ホルモンの内分泌検査を実施して,プロラクチン産生腺腫であるかどうかの確定診断をする必要があるというべきである(なお,同検査は,一般の血液検査と同時に行うことが可能であり(被告E医師本人),患者及び医師に困難な検査を強いるものではない。)。
そして,医師は,プロラクチン産生腺腫の確定診断をした場合には,ブロモクリプチンの手術前又は手術後の投与が可能であることなども考慮したうえで,実施予定の治療方法の選択・組合せ,手術療法を採る場合の術式の選択,腫瘍摘出の程度などの点について慎重に考慮し,自らが最善と考える治療方針(実施予定の治療方針)を立てる必要があると解すべきである。

(イ)a 一方,被告病院の医師は,亡Fの疾患がプロラクチン産生腺腫であることやその病状,実施予定の治療方法である開頭手術の内容とその必要性,開頭手術に伴い発生の予測される危険性について説明義務を負うことはいうまでもないが,本件においては,次の各事情が存するので,これと並んで,亡Fに対して適応可能性があり,少なくとも検討に値する治療方法である経蝶形骨洞手術と薬物療法について,選択可能な他の治療方法として,原告らに説明する義務があるというべきである。
すなわち,亡Fの腫瘍は,トルコ鞍内から鞍上部及び右側方に伸展し,海綿静脈洞にまで浸潤した巨大なプロラクチン産生腺腫であり(R鑑定),手術による腫瘍の全摘出や,手術のみによる血中プロラクチン値の正常化はいずれも困難である(甲6,17)から,最初から薬物療法を行うという見解や,手術までの準備期間を利用して薬物療法を試み,場合によっては手術を中止して薬物療法を行うという見解(前記認定)にも合理性があり,亡Fにこれらの治療方法が適応する可能性もあったと解される。
また,第1次的に薬物療法を行うという治療方法に対しては,ブロモクリプチンに抵抗性を示す場合があること,ブロモクリプチンを2,3か月以上用いると腫瘍が線維化により硬く,出血性があるため,手術が困難になること,髄液鼻漏,気脳症や髄膜炎等の合併症が生じうることなどの欠点が存在する(前記認定)から,最初から手術療法を行うという見解にも合理性がある。そして,その場合の術式については,平成4年当時,すべての場合に経蝶形骨洞手術を行うという見解や,大型のプロラクチン産生腺腫(ラージ又はジャンボプロラクチノーマ)については開頭法より経蝶形骨洞法の方が優れているという見解が存在しており(前記認定),R医師も,経蝶形骨洞手術で成功した経験を持つ外科医は同手術を第1選択と主張するであろうと述べていること(R回答書)に照らせば,亡Fに経蝶形骨洞手術が適応する可能性もあったと解される。
したがって,被告病院の医師は,経蝶形骨洞手術と薬物療法について,それぞれの治療方法の内容と利害得失,予後などについて,できるかぎり具体的に,分かりやすく説明する必要がある。
なお,これらの説明は,亡Fに対してはもちろんのこと,同人が未成年者であることから,その両親(同意権者)である原告らに対しても説明する必要がある。

b 被告らは,より厳格な説明と同意が求められるようになった現時点と平成4年当時との間では,説明義務の内容にかなりの隔たりがあり,同一に考えるのは相当でないと主張する。
まず,説明の対象となる治療方法の内容自体に関する事項,すなわち,ある治療方法の内容,それが医療水準として確立された治療方法であるかどうか,その治療方法の利害得失の内容などについての医師の説明義務の内容は,治療方法が臨床的結果の蓄積によって変容したり,次第に確立されていくものであることに鑑みれば,診療が行われていた当時の医療水準に基づくものが要求されることはいうまでもない。
他方で,医師において実施予定の治療方法以外の代替的治療方法に関する説明の要否,及び,患者の病状やそれぞれの治療方法に関する説明の程度など,医師の説明義務の範囲及び程度は,インフォームド・コンセントに関する国民の意識の変化などに応じて時代による変容を受ける性質のものではなく,本来は普遍的であるべきものである。殊に,本件のように複数の治療方法が存在する場面では,採用される治療方法によって患者の身体に対する侵襲の程度が大きく異なるため,医師による説明が自己決定権を有する患者にとって極めて重要な情報となることに鑑みれば,この点の重要性は決して軽視し得るものではなく,本件の平成4年当時においても,医師は,当該疾患の診断(病名と病状),実施予定の治療の方法,内容及び必要性,その治療に伴い発生の予測される危険性のみならず,代替的治療方法の内容と利害得失,予後などについて,できるかぎり具体的に,分かりやすく説明する義務があったというべきである。

ウ 治療方法の選択,決定段階における医師の注意義務違反の有無

亡Fに対する治療方法の選択,決定段階における被告病院の医師の注意義務違反の有無について検討する。

(ア)a 本件において,入院当日の6月22日には,亡Fに無月経と乳汁分泌というプロラクチン産生腺腫に特徴的な臨床症状があることが判明していたものであるが,血中プロラクチン値の測定を含む下垂体ホルモンの内分泌検査の実施が6月30日まで遅れたため,同検査の結果が判明し,プロラクチン産生腺腫の確定診断ができたのは7月6日のことであった。ところが,被告E医師は,この確定診断がなされるよりも前の6月26日には,下垂体腺腫が疑われるという未確定の診断を前提にして,開頭手術を実施すべきであると判断したものである。
これらの事実に鑑みれば,被告E医師が血中プロラクチン値の測定を含む下垂体ホルモンの内分泌検査の実施を怠ったため,速やかになすべきプロラクチン産生腺腫の確定診断が遅れたというべきである。また,プロラクチン産生腺腫の確定診断ができたよりも以前に,既にI教授を執刀医として本件開頭手術を行うことが決定されていたものであるから,被告E医師は,未確定で不十分な病状の把握を前提として開頭手術を実施するという治療方針を立ててしまい,プロラクチン産生腺腫の確定診断ができた後には,その確定診断を前提にした治療方針の再検討を行う義務を怠ったというべきである。

b この点につき,被告E医師は,本人尋問において,亡Fが6月26日から同月29日まで外泊していたために内分泌検査を実施することができなかった旨を供述するが,亡Fは6月22日から同月26日の外泊時までの間は被告病院に入院し,同月23日と24日には他の目的の血液検査が行われていたものであって,6月30日よりも前に内分泌検査のための血液採取の機会は十分あったというべきであるから,亡Fが外泊したことは,同検査の実施が遅れたことを正当化する理由にはならない。
また,被告E医師は,本人尋問において,亡Fに対する治療方法の選択は,カンファレンスを経て被告病院の脳神経外科の総意で決まったものであり,最終的には,MやI教授が決めた旨を供述している。しかしながら,下垂体腺腫か頭蓋咽頭腫のどちらかであるという程度の診断に基づいて,いずれの場合であっても開頭手術を行うという意見で一致した6月23日のカンファレンス以後,被告病院で毎週火曜日及び金曜日に行われていたカンファレンスなどにおいて,亡Fの疾患の確定診断や治療方法について話し合われたことを認めるに足りる証拠はなく,また,本件全証拠に照らしても,プロラクチン産生腺腫の確定診断ができた7月6日から翌日の本件開頭手術の開始までの間に,本件開頭手術の主たる術者であるI教授と補助的な術者であるM及び被告E医師との間で,亡Fに開頭手術を実施することの当否や,術後にブロモクリプチンの投与ができることを前提にしてどの程度腫瘍を摘出すべきかなどについて再度検討した事実を認めることはできないから,被告E医師の上記供述を採用することはできない。

c R医師は,血中プロラクチン値の検査結果が判明する前に開頭手術が決定されたことにつき,頭部MRI検査で,亡Fの疾患が下垂体腺腫であることが判明し,腫瘍伸展度も把握できているので,その腫瘍がプロラクチンを産生しているか否かによって,視力を救うために早急に開頭による可及的多量腫瘍摘出を行うという治療方針及び手術方法は変わらなかったであろうと指摘している(R鑑定)。
しかしながら,R医師の上記見解が正しいと認めるべき根拠が必ずしも十分でないほか,医師がプロラクチン産生腺腫の確定診断に基づいて治療方法を慎重に検討し,実施予定の治療方針を立てる必要があるのは,患者の疾患(病名と病状)に応じて治療方針が異なる可能性があるという理由からだけではなく,その慎重な検討の過程及び検討結果が,実施予定の治療行為を受けるか否かを熟慮し,決断するために患者に対して提供されるべき重要な情報の内容(説明内容)の前提にもなるからである。
そうすると,亡Fの腫瘍がプロラクチンを産生しているか否かによって治療方針が変わらない可能性があることをもって,被告E医師において確定診断に基づいて治療方法を慎重に検討しなかったことが正当化されるものではないというべきである。

(イ) 被告E医師が,原告Aに対し,①6月26日,亡Fの疾患については下垂体腺腫が疑われること,その治療方法としては,右前頭側頭開頭手術による減圧が必要であること,左眼の視力の回復は困難であるが,右眼の視力の温存が開頭手術の目的であること,開頭手術により,視野の回復は少し期待できること,開頭手術の合併症として,麻酔による合併症,再出血,痙攣,脳浮腫,感染,尿崩症,内分泌異常,精神症状の発生する危険性があることを説明し,②6月30日,開頭手術後に眼球運動障害が起こる可能性があることを説明したことは前記認定のとおりであり,前記認定事実及び証拠(乙2)によれば,原告らは,6月30日には,亡Fに本件開頭手術を行うことについて同意をしたものと認められる(原告Aが6月23日にI教授による執刀を希望したのは,被告E医師から,その前日に,亡Fの疾患について頭蓋咽頭腫が最も疑われるという前提で,頭蓋咽頭腫の場合は開頭手術が必要になるとの説明を受けたことによるものであるから,開頭手術を行うという治療方法が採用された場合の執刀医に関する希望にすぎないというべきであり,原告Aが6月23日時点で開頭手術の実施を希望し又は同意したものと解することはできないというべきである。)。
しかし,上記各説明は,亡Fの疾患が未確定の段階における説明であり,原告らの上記同意を得るまでの間には,亡Fの確定的かつ正確な病名及び病状の説明はなされなかったものである。また,上記各説明の時点において開頭手術をすべきとした医師の治療方針は,未確定で不十分な病状の把握を前提にして立てられたものであるから,開頭手術の必要性などの重要な説明の内容も,プロラクチン産生腺腫の確定診断を前提にする場合と比較して,不十分ないし不正確なものであるといわなければならない。
さらに,被告E医師は,下垂体腺腫の代替的治療方法である経蝶形骨洞手術の内容,利害得失,予後等について何ら説明をしなかったものであるばかりか,プロラクチン産生腺腫の確定診断がなされていなかったために,代替的治療方法として亡Fに対して適応可能性があり,少なくとも検討に値するブロモクリプチンによる薬物療法の内容,利害得失,予後等についても説明をしなかったものである。
そうすると,原告らが6月30日にした本件開頭手術の実施に対する上記同意は,医師による必要な説明を欠いた状態でなされたものであるから,本件開頭手術は,原告らの十分な同意がないままに実施されたものであるというべきである。

(ウ) 以上のとおり,亡Fの主治医である被告E医師は,血中プロラクチン値の測定を含む下垂体ホルモンの内分泌検査を怠り,速やかになすべきプロラクチン産生腺腫の確定診断を遅らせ,未確定で不十分な病状の把握を前提に開頭手術を実施するという治療方針を立て,プロラクチン産生腺腫の確定診断に基づく治療方針の再検討を行わなかったばかりか,亡Fの治療に関して説明義務を負う相手方である原告らに対し,実施予定の治療行為である開頭手術を受けるか否かを熟慮し,決断する前提として必要な説明をせず,必要な説明を前提とした同意を得なかったものであり,治療方法の選択,決定段階における医師の注意義務に違反した過失があるというべきである。」

谷直樹

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by medical-law | 2022-01-16 00:12 | 医療事故・医療裁判