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中在からの吸引分娩,クリステレル圧出法を差し控える注意義務 名古屋地裁平成18年6月30日判決

名古屋地裁平成18年6月30日判決(裁判長 内田計一)は,児頭の下降は思わしくなく,平成11年10月27日午後9時50分の時点において吸引分娩を行わなければ,分娩第2期遷延ないし停止となっていた可能性が相当程度あったものと推認される事案について,「中在からの吸引分娩,クリステレル圧出法は差し控えて十分な児頭下降を待って行い,その結果,十分な児頭下降が見られず,分娩第2期遷延ないし停止や著しい母体疲労等経膣分娩に不利になる事情が生じた場合には,帝王切開に移行するという注意義務」を認めた判決です.
「産婦人科診療ガイドライン産科編」以前の1999年の事案ですが,当時でも吸引分娩の適応と要約を充たさない事案です.
ただ,未だに適応と要約を充たさない吸引分娩が行われることがありますので,参考になります.
なお、これは私が担当した事件ではありません.

「3 原告らの主張(2)(分娩方法選択の過失)について

(中略)

(2) 次に,被告病院医師に平成11年10月27日午後9時50分の時点において,吸引分娩は差し控え,帝王切開を選択すべき注意義務があったか否かにつき検討する。

ア まず,平成11年10月27日午後9時50分までに存在した肩甲難産の危険因子につき検討する。

(ア) 巨大児及び母体肥満
本件は,原告Aが被告病院に入院した平成11年10月26日,胎児の推定体重は4348グラム,原告Aの体重は94.8キログラム,子宮底長は43センチメートルであり,巨大児出産が,ほぼ確実視された(前記第3,1の認定事実 。)

(イ) 陣痛促進剤の使用
平成11年10月27日午前6時ころから午前9時ころまでの間,1時間ごとに,陣痛促進剤であるプロスタルモンE2の内服投与(1回1錠,合計4錠)が行われ,同日午前9時ころから,プロスタルモンの点滴投与が,同日午後8時5分ころ,同じく陣痛促進剤であるアトニンOの点滴投与がそれぞれ開始された(前記第3,1の認定事実 。)

(ウ) 分娩第2期遷延の可能性
分娩第2期とは,子宮口全開大から娩出までの期間をいい,分娩第2期遷延及び停止に明確な定義はなく,諸説あるが,一般的には,分娩第2期遷延は,初産婦で2時間以上の遷延をいい,分娩第2期停止とは,1時間以上の児頭の下降停止をいう(鑑定)。
本件では,平成11年10月27日午後8時50分ころ,子宮口全開大となって分娩第2期に入ったが,その1時間後の同日午後9時50分にクリステレル圧出法と吸引分娩が行われているため,同時点において分娩第2期遷延に該当するとは断定できないし,胎児の下降停止の有無についても,定かではない(乙2)。
とはいえ,分娩第2期に入ってから既に1時間が経過した時点で,自己努責が不十分であるとして,午後9時50分以降,クリステレル圧出法が単独で数回行われた上で同手技と併せて吸引分娩が行われたところ,その23分後に児頭を娩出したなどの吸引分娩の開始に至るまでの分娩経過に照らせば,児頭の下降は思わしくなく,同時点において吸引分娩を行わなければ,分娩第2期遷延ないし停止となっていた可能性が相当程度あったものと推認される。

イ 次に,同日午後9時50分の時点における児頭降下度につき検討する。

(ア) 入院診療録中の助産録の平成11年10月27日午後6時5分の欄に「SP-1 ,カルテの同日午後8時50分の欄に「自己のいきみで」児頭下降(+ 」との記載があるのみで,吸引分娩が行われた同日午後)9時50分ころの具体的な児頭下降度に関する記載はなく,証人Eも証人Gも,吸引分娩施行時の児頭下降度について明確な供述をしていないことから,吸引分娩を開始した際の児頭先進部の位置は確定できない。
すなわち,児頭先進部がステーションプラス2に達していたとも,いなかったとも,断定できない。
もっとも,同日午後9時50分以降に,クリステレル圧出法を数回行った上,同手技と併せて吸引分娩を行ったこと,その23分後に児頭を娩出したこと,通常,児頭先進部がステーションプラスマイナス0以下であれば吸引カップの装着が可能であること(鑑定)に照らせば,児頭先進部は少なくともステーションプラスマイナス0程度に達していたとは認められる。

(イ) ところで,児頭下降度の表現法としては,ステーションの表現法のほか,高在・中在・低在・出口部と表現する方式があり,両表現方式の関係については,正常分娩における平均的な所見は別紙2対応関係表のとおりであって(前記第2,1(4)の認定事実),通常の場合,ステーションプラス2は,後者の表現方法によれば中在と低在の境界域に相当するということができる(鑑定)。しかし,骨盤の深さ,形に個人差があり,同じステーションでも嵌入の度合いが異なって,ステーションによる高さの表現のみでは産道内での児頭下降の程度が正確に看取できず,特に,胎児が大きい場合,通常の胎児に比べて児頭の先進部と最大周囲径の距離が長い上,大きな児頭は強く横経する傾向にあり,横経変化に応じて児頭の最大周囲径は先進部から離れてくるため,ステーションプラス2でも中在にあると推定される(甲13,乙15,鑑定) 。
児頭先進部がステーションプラスマイナス0程度であったとすれば,児頭の最大周囲径が中在に位置していたことは明らかであるが,仮に,児頭先進部がステーションプラス2にあったとしても,Bが巨大児であったことからすると,児頭の最大周囲径は,未だ中在に位置していたと認められる。

ウ 被告病院医師の注意義務の内容について
一旦,肩甲難産に陥った場合,児の死亡や重篤な後遺症の発生等,その予後は極めて不良であるところ,産科臨床において,その発生を予測すべく肩甲難産の危険因子が指摘されているものの,肩甲難産の発生を胎児娩出前に正確に診断する基準は確定されていない(前記第2,1(4)の認定事実)。
そうとすると,分娩管理に当たる医師としては,肩甲難産発生の可能性を予測させる因子を常に念頭におき,診療当時の臨床医学の実践における医療水準に即し,可能な診断方法を総合して,母児に対する分娩前及び分娩中における臨床上の危険因子及びその徴候を発見し,それを総合することを通じて,肩甲難産発生の可能性を予測し,これを前提とした分娩管理に努めなければならない。
本件においては,前記ア,イの認定事実からすると,平成11年10月27日午後9時50分の時点において肩甲難産の危険因子及びその徴候が存在し,肩甲難産の発生が十分に懸念されるべき症例であったということができる。
そうとすると,被告病院医師としては,急速遂娩術として吸引分娩を選択するにしても,中在からの吸引分娩,クリステレル圧出法は差し控えて十分な児頭下降を待って行い,その結果,十分な児頭下降が見られず,分娩第2期遷延ないし停止や著しい母体疲労等経膣分娩に不利になる事情が生じた場合には,帝王切開に移行するという注意義務があり,平成11年10月27日午後9時50分の時点では直ちに帝王切開をすべき義務があったとまでは認めがたいものの,吸引分娩,クリステレル圧出法を差し控え経過を観察すべき義務があったということができる。

エ 被告病院医師の注意義務違反について
E医師は,児頭が中在にあった同日午後9時50分ころ,漫然と単独でクリステレル圧出法を数回行った上で,同手技と併せて吸引分娩を行ったというのであるから,上記注意義務に違反する。

オ この点,被告は,肩甲難産は予測不可能で避けられない,巨大児,母体肥満のほか,陣痛促進剤の使用や分娩第2期の分娩停止ないし分娩遷延をもって,帝王切開の絶対的適応とする医学的根拠はない,児体重の推定には誤差があるし,肩甲難産の危険因子があったとしてもその発生頻度は低く,そのすべてについて帝王切開を選択すれば膨大な不必要な帝王切開を行うことになる,本件症例における吸引分娩開始の判断は,産道の状態,陣痛の状態,胎児の状態を総合的に判断して決めるものであり,臨床の現場における医師の裁量事項であると主張し,鑑定人Iも,肩甲難産の可能性からの吸引分娩の適否の判断は微妙である,児頭の最大周囲部分は内診などにより骨盤形態,児頭の変形・回旋を判断して推定するもので,一律に規定できない,分娩管理をしていた医師が適と判断したものを否といえるような医学的根拠を挙げるのは困難であるとし,本件のクリステレル圧出法,吸引分娩の実施を適切であったとする。
確かに,危険因子があったとしても肩甲難産の発生頻度は低く,不必要な帝王切開を避けるべきであるとの指摘は一般論としては首肯し得る。しかし,一旦,肩甲難産に陥ったならば,児の死亡ないし重篤な後遺症を完全に回避する術がないことに照らせば,本件のように肩甲難産の危険因子が幾重にも重なった場合,更なる危険因子の発生に繋がる事態を回避するよう努め,その後の分娩経過の如何によっては帝王切開に移行するという担当医師の注意義務を否定するまでの根拠とはならない。
また,分娩機序の複雑さとその個別性に照らせば,分娩方法の選択及び実施は,医師の高度の知識,経験に基づく専門的裁量に属するとはいい得る。しかし,その裁量は全くの自由裁量ではなく,診療当時の臨床医学の実践における医療水準に即し,十分な資料の収集とそれに対する高度の知識と経験に基づく適切な評価に裏打ちされたものでなければならない。
本件では,午後9時50分の時点において,巨大児出産がほぼ確実視され,陣痛促進剤が使用されたほか,分娩第2期遷延ないし停止となるおそれがあったのであるから,担当医師は肩甲難産発生の可能性について常に念頭におき,これを前提とした分娩管理に努めなければならなかった。しかし,担当であるE医師は,同時点において早急に急速娩出術を実施しなければならない事情も窺われないのに,肩甲難産の危険性を高める中在における吸引分娩,クリステレル圧出法を併用したというのであるから,その分娩管理において肩甲難産発生の可能性を全く念頭に置いていなかったというべきであり,結局,同医師は,その裁量を逸脱したものといわざるを得ない。
したがって,被告の同主張は採用できない。」

同判決は次のとおり判示し過失行為とBの死亡との因果関係を認めました.

「5 被告病院医師の過失行為とBの死亡との因果関係について

Bの死亡の原因は肩甲難産に陥り肩甲娩出が遅延したことにあるところ,肩甲難産の周産期死亡率に照らせば,上記3,4の注意義務違反がなければ,早期に肩甲を娩出し,Bの死亡が回避された高度の蓋然性が認められる。」


谷直樹

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by medical-law | 2022-01-23 07:07 | 医療事故・医療裁判