弁護士谷直樹/医療事件のみを取り扱う法律事務所のブログ

「産婦人科診療ガイドライン産科編」の推奨に従って急速遂娩を準備実行する注意義務 高知地裁平成28年12月9日判決

高知地裁平成28年12月9日判決(裁判長 石丸将利)は、胎児心拍数陣痛図(分娩監視装置の記録)から「産婦人科診療ガイドライン産科編」の推奨に従って急速遂娩を準備実行する注意義務を認めました.
なお、これは私が担当した事件ではありません.

同判決は、「基線細変動の減少を伴う高度遅発一過性徐脈は、一回だけでなく、午後3時50分頃から午後4時40分頃までの間に、複数回にわたり発生しており、原告Aの低酸素状態が徐々に増悪化していることが推測される状況下にあったこと、子宮口全開大から既に4時間以上が経過していること、ベテランの助産師であるEも、午後3時50分頃には、分娩を早めるべきことを既にDに提案していたこと、上記イのとおり、クリステレル又は帝王切開の実行をすることは可能な状況にあったこと、クリステレル又は帝王切開により合併症が発生する可能性があることについて見るべき主張立証はされていないこと、産科医療補償制度原因分析委員会の回答書においても、午後3時40分以降の胎児心拍数陣痛図は軽度から中等度の異常波形を示しており、分娩方法の見直しを行わず、陣痛促進薬の投与を継続し、経過観察したことは基準から逸脱していると判断されていることからすれば、Dには、遅くとも、午後4時40分過ぎの時点で、クリステレル又は帝王切開を実施すべきかを検討し、いずれかの準備に着手し、これを実行すべき注意義務があった」と認定しました.

「(2)Dの過失

ア 別紙7≪略≫によれば、原告Aの心拍の状況は、午後0時40分頃に高度遅発一過性徐脈が発生し、午後2時37分頃から、午後0時40分頃に生じたときよりも心拍数の低下幅が大きい高度遅発一過性徐脈が継続して発生し、午後3時40分頃にも高度遅発一過性徐脈が発生し、午後3時50分頃から、基線細変動の減少を伴う高度遅発一過性徐脈が複数回にわたり発生するようになったのである。また、原告Cの子宮口は、午後0時15分には前回大の状態となり、陣痛促進薬であるプロスタルモンFの点滴が継続され、その量が増量されていたにもかかわらず、子宮の収縮は弱いままであり、証拠≪略≫によれば、午後4時前まで原告A及び原告Cの観察をしていたベテランの助産師であるEの見立てによれば、原告Aがその後直ちに娩出されるような状況にはなかったとの事実が認められるのである。そして、Dは、午後4時40分頃に分娩室に入室し、胎児心拍数陣痛図を見ているのであるから、以上の原告Aの心拍数の推移及び原告Cの状況を認識することができたのである。
ところで、前記前提事実(3) のとおり、遅発一過性徐脈がある場合には、胎児が低酸素状態にあることが、基線細変動が減少している場合には、胎児の状態が悪化していることがそれぞれ推測されるところ、上記のとおり、原告Aの遅発一過性徐脈は一時的なものではなく、午後3時40分頃には高度遅発一過性徐脈が発生し、午後3時50分頃から、基線細変動の減少を伴う高度一過性徐脈が複数回にわたり発生するようになっていたのであるから、Dにおいては、遅くとも午後4時40分頃に分娩室に入室した頃には、原告Aが低酸素状態にあり、その状態が悪化していることを認識することができたというべきである。そして、原告Aがその後直ちに娩出されるような状況にはなかったことからすれば、陣痛促進薬による経膣分娩をそのまま続行した場合には、上記の低酸素状態が更に増悪し、ひいては原告Aに低酸素状態を原因とする脳性麻痺などの後遺障害が生じることがあり得ることを予見することができたものというべきである。
この点につき、被告は、原告Aの状態は回復していたと主張するが、別紙7≪略≫のとおり、原告Aには、午後3時50分頃から午後4時40分頃までの間に、心拍数基線から最下点までの心拍数の低下が40~60拍/分の基線細変動の減少を伴う高度遅発一過性徐脈が複数回にわたり発生していたのであり、原告Aの状態が回復していたと評価することは困難である。

イ 原告Cは出産日時点で妊娠39週2日であったこと(前記前提事実(2))、別紙7≪略≫のとおり、Eが、午後4時頃に行われた引継ぎの際に、Fに対し、クリステレルによる出産が可能な状態であると報告していること、被告病院においては、約1時間で帝王切開により児を取り上げることができる体制にあったこと(上記(1)イ)、Dは鉗子分娩をしたことがなかったこと(上記(1)イ)、午後5時30分頃の時点でも、被告病院に備えられている器具では吸引分娩をすることができなかったこと(上記(1)イ)からすれば、原告Cに対しては、クリステレル又は帝王切開を実施することが可能であったと認めることができる。証拠≪略≫によれば、一般的に、クリステレルや帝王切開を行うことにより、胎児や母体に合併症が発生する可能性があることが認められるけれども、本件においてそれらの合併症が発生する可能性があることについて見るべき主張立証はされていない。

ウ ところで、被告は、本件ガイドラインについて、規範性を有するようなものではないと主張する。証拠≪略≫によれば、本件ガイドラインの胎児心拍数波形に基づく対応について、「エビデンスが乏しい中での推奨であることを考慮して幅をもたせてあるのが特徴である。」との記載がある事実が認められるものの、本件ガイドラインには、××年時点での日本産婦人科学会及び日本産婦人科医会でコンセンサスが得られた医学的知見が示されている事実も認められ、本件ガイドラインの胎児心拍数波形に基づく対応については、平成20年6月に公表された本件指針の推奨内容を踏襲したものであることからすれば(前記前提事実(3))、基線細変動の減少を伴う高度遅発一過性徐脈が生じている場合には、胎児が低酸素状態にあることが推測され、母体や胎児の置かれた状況如何によっては、その低酸素状態を原因とする脳性麻痺などの後遺障害の発生を回避するために執るべき措置として、急速遂娩を行うことを検討すべき義務が発生することはあり得るものというべきである。
そして、別紙4のとおり、本件ガイドラインは、上記アの状況下において、低酸素状態を原因とする脳性麻痺などの後遺障害の発生を回避するために執るべき措置として、「保存的処置の施行及び原因検索、急速遂娩の準備」又は「急速遂娩の実行、新生児蘇生の準備」を挙げており、保存的処置としては、体位変換、陣痛促進薬の注入速度の調節又は注入の停止などを挙げているが、本件では、午後3時30分頃に児への血液の供給に適した側臥位への体位変換が行われているものの、午後3時40分頃には高度遅発一過性徐脈が発生し、その後、基線細変動の減少を伴う高度遅発一過性徐脈が複数回にわたり発生するようになっていた上、午後4時26分頃の陣痛は弱い状況であったことからすると、原告Aの低酸素状態を解消するための保存的処置として午後4時40分頃に上記のような処置で足りるのかについては疑問を差し挟む余地があるにもかかわらず、これを否定するに足りるだけの証拠は提出されていない。そして、上記のとおり、基線細変動の減少を伴う高度遅発一過性徐脈は、一回だけでなく、午後3時50分頃から午後4時40分頃までの間に、複数回にわたり発生しており、原告Aの低酸素状態が徐々に増悪化していることが推測される状況下にあったこと、子宮口全開大から既に4時間以上が経過していること、ベテランの助産師であるEも、午後3時50分頃には、分娩を早めるべきことを既にDに提案していたこと、上記イのとおり、クリステレル又は帝王切開の実行をすることは可能な状況にあったこと、クリステレル又は帝王切開により合併症が発生する可能性があることについて見るべき主張立証はされていないこと、産科医療補償制度原因分析委員会の回答書においても、午後3時40分以降の胎児心拍数陣痛図は軽度から中等度の異常波形を示しており、分娩方法の見直しを行わず、陣痛促進薬の投与を継続し、経過観察したことは基準から逸脱していると判断されていることからすれば、Dには、遅くとも、午後4時40分過ぎの時点で、クリステレル又は帝王切開を実施すべきかを検討し、いずれかの準備に着手し、これを実行すべき注意義務があったというべきである。
ところが、Dは、午後4時40分頃に分娩の状況を診たものの、クリステレル又は帝王切開を実施すべきかを検討することなく、その準備に着手することもなく、従前の状況を正確に把握しないまま、陣痛促進薬による分娩を続行する判断をしたのであるから、Dには、上記注意義務に違反した過失がある。」


同判決は、急速遂娩を準備実行する注意義務の根拠として、「産婦人科診療ガイドライン 産科編2011」を用いました.
被告は同ガイドラインについて規範性を有するようなものではないと主張しましたが、同判決はその主張を退けました.
最新の「産婦人科診療ガイドライン 産科編2020」は、以下のとおりです.

「1.‌‌心拍数基線(FHR‌ baseline)と基線細変動(baseline‌ variability)が正常であり,一過性頻脈があり,かつ一過性徐脈がないとき,胎児健常性(well-being)が保たれていると判断する.(A)
2.‌‌以下のいずれかが認められる場合,胎児健常性(well-being)が障害されているおそれがあると判断する.(B)
・基線細変動の消失を伴った,繰り返す遅発一過性徐脈
・基線細変動の消失を伴った,繰り返す変動一過性徐脈
・基線細変動の消失を伴った,遷延一過性徐脈
・基線細変動の減少または消失を伴った高度徐脈
・サイナソイダルパターン
3.‌‌基線細変動,心拍数基線,一過性徐脈の組み合わせに基づいた分娩時の胎児心拍数波形のレベル分類の 3~5(異常波形軽度,中等度,高度)の場合,分娩時の「胎児機能不全」と診断する.(B)
4.‌‌分娩時の胎児心拍数波形のレベル分類 1~5 の場合,表 3 を参考に対応(経過観察,監視の強化,保存的処置,急速遂娩準備,急速遂娩)する.(C)
5.‌‌分娩中にレベル 3 ないしレベル 4 が持続する場合(表 3 を参考に対応する場合),分娩進行速度と分娩進行度(子宮口開大ならびに児頭下降度で判断)も加味し,定期的に「経腟分娩続行の可否」について判断する.(B)
6.‌‌上記 Answer‌ 5 において,「経腟分娩困難」と判断した場合には早期に緊急帝王切開を行う.(B)」


同ガイドラインの推奨レベルCについて注意義務の基準になるのかの議論があります.
「『産婦人科診療ガイドライン産科編2014』では、分娩監視について、胎児心拍数陣痛図をレベル分類し、それに応じた医師や助産師の対応を定めている。このレベル分類は分娩に関する全てのテキストで詳しく解説されており、現在これを知らない産科医、助産師はいないと思われるし、実際の臨床においてはこのレベル分類とそれに対応した処置が行われている。しかし、レベル分類に従った対応についてガイドラインの推奨レベルはCとなっているため、これに従わなくても注意義務違反にはならないという主張が被告からなされることが少なくない。もっとも、それにもかかわらず、レベル分類に従った対応を医療水準を認めて、それに従わない対応をした場合に過失を認めている裁判もあり、推奨レベルをCとすることが直ちに法的な責任の回避につながるわけではない。」(平野哲郎著「医師民事責任の構造と立証責任」435頁)と指摘されています.
「分娩時の胎児心拍数波形のレベル分類 1~5 の場合,表 3 を参考に対応(経過観察,監視の強化,保存的処置,急速遂娩準備,急速遂娩)する.」についても、裁判所は注意義務の基準になると考えているとみてよいでしょう.

谷直樹

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by medical-law | 2022-01-25 05:04 | 医療事故・医療裁判