臨床症状等から腹部の急性,重大な病気の可能性を疑うべき注意義務 名古屋地裁平成23年1月14日判決
具体的に「脳出血の後遺症のため,体幹機能障害により立位困難で,四肢の筋力が低下し,食事等に介助が必要で,発語も容易でなく,意思疎通の困難さが頻繁にみられる状態であったことが認められる。しかし,Aが上記のごとく腹痛を主訴として搬送されている以上,被告病院医師としては,当該時点におけるAの発語状況や姿勢の状況が,普段のそれとどれほど異なるのかということを居合わせた原告らに聞くなどして,発語困難等の原因につき腹痛を念頭において注意深く探るべきであったといえるから,仮に腹痛の痛みの程度は軽いと判断したとすれば,その判断はやや慎重さを欠くものであった」と認定したことは参考になります.
なお,これは私が担当した事件ではありません.
「第3 当裁判所の判断
1 争点(1)(消化管穿孔及び穿孔性腹膜炎の可能性を考えて腹部CT撮影ないし左側臥位での腹部X線撮影を行わなかった注意義務違反の有無)について
(1) 本件では血液検査データ及び仰臥位正面X線撮影結果では,異常がなかったという点に争いはないから,問題はAの臨床症状等から腹部の急性,重大な病気の可能性を疑うべきであったといえるか否かである。
(2) 急性腹症の鑑別
ところで,前記前提事実によれば,腹痛を訴えている患者が急性腹症であるか否かの鑑別には,問診,バイタルサインのチェック,腹部理学的所見の把握,緊急血液検査,緊急画像診断が必要となる。証拠(甲B3)によれば,問診では,疼痛の発症時期,部位や痛みの程度,嘔吐や悪心の有無及び既往症等を確認し,腹部理学的所見では,膨隆の有無,腹壁緊張の有無,腸雑音の亢進又は消失,腹水の波動等に注意すべきであるが,画像診断による腹腔内遊離ガスの有無の確認が重要であることが認められる。
そして,前記前提事実によれば,腹腔内遊離ガスの有無の確認のためには,腹部CT撮影が有用であり,レントゲン撮影の場合には,少なくとも臥位と立位正面を撮影する必要があり,立位になれない場合には,左側臥位正面像を撮影する必要がある。証拠(甲B2)によれば,レントゲン撮影において撮影姿勢が重要な理由は,立位の場合には腹腔上部に,左側臥位正面の場合には肝臓表面に,それぞれ遊離ガスが移動して,判読しやすくなるからであり,そのためには撮影前に10分以上同じ姿勢を保持する必要があることが認められる。
(3) 救急外来でのAの状況
まず,B救急隊活動記録票(乙A2の1・17頁)の「19時5分前位から腹痛」との記載,外料診療録(乙A2の1・7頁,乙A2の2)の「腹痛(+)」との記載及び診療録のその他の記載によれば,Aの主訴が腹痛であったと認定することができる(主訴が頭痛であったとする被告の主張は採用できない。)。
また,前記前提事実及び証拠(甲B16,乙A2の1,2,乙A3)によれば,Aが救急搬送されてきた患者であること,搬送後も意識が不清明で,発語困難であり「うー,うー」としか発語していなかったこと,腹部に力が入っていて固い感じで,保持介助しても座位の姿勢がとれない状態で,口から茶褐色様のものを出していたことが認められる。
(4) 腹部CT撮影をすべき注意義務の有無
以上認められるAの臨床症状等によれば,問診による疼痛の状況の聴取は不能であって,強い疼痛が発生している可能性は否定できず,嘔吐している疑い及び腹部が緊張している疑いもあるといえる。そうすると,被告病院医師は,当初の救急外来診察時点において,Aが腹部に関する何らかの急性,重大な病気に罹患している可能性が否定できないことを認識できたというべきであるから,この時点で消化管穿孔及び穿孔性腹膜炎の可能性をも念頭において,鑑別を進める必要があったところ,Aの場合には,体勢を保持できないため仰臥位正面像のみの撮影であるから,それだけから腹腔内遊離ガスがないと判断することはできない。
そうだとすると,Aについて,当初の救急外来診察で行った診察や検査結果のみでは,腹部に関する何らかの急性,重大な病気に罹患していた可能性を排除できていないので,被告病院医師としては,当初の外来診察が終了するまでの間に(原告らが救急外来を再受診し,救急外来に留まることを選択した時点ではない),急性腹症の診断に有用である腹部CT検査をすべき注意義務があったといわざるをえない。
なお,左側臥位正面像については,左側臥位の姿勢を10分以上保持してから撮影を行う必要があり,当時のAの状態からすれば,左側臥位正面の撮影を行うための姿勢保持がとれなかったことが推認されるから,被告病院医師が左側臥位正面像を撮影しなかったことは注意義務違反となるものではない。
(5) 被告の主張について
ア これに対し,被告は,救急外来を担当する医師は,多数の患者に対し,限られた時間及び不十分な情報の中で診断を下し,必要な治療をしなければならないから,すべての検査を救急外来時に行うことまで求めるのは医療従事者に不可能を強いるものである旨主張する。
確かに,救急外来においては通常の診療と比較して時間及び情報等に制約があること及び被告病院の時間外患者が相当数いること(乙B1)は否定できない。
しかしながら,救急外来を担当する医師は,与えられた情報に基づいて可能な範囲で正確に診断を下さなければならないところ,本件においては,前記のごとく,Aが腹部に関する何らかの急性,重大な病気に罹患していた可能性が否定できていないのであるから,被告主張の事情は,前記認定判断を左右するものではない。
イ 次に,被告は,Aが日頃から発語困難で,体も不自由であったから,当該時点でも腹痛から来る発語困難や姿勢がとれない状態であると理解することができなかった旨主張する。
確かに,証拠(乙A4ないし7)によれば,Aは,平成14年時点において,脳出血の後遺症のため,体幹機能障害により立位困難で,四肢の筋力が低下し,食事等に介助が必要で,発語も容易でなく,意思疎通の困難さが頻繁にみられる状態であったことが認められる。しかし,Aが上記のごとく腹痛を主訴として搬送されている以上,被告病院医師としては,当該時点におけるAの発語状況や姿勢の状況が,普段のそれとどれほど異なるのかということを居合わせた原告らに聞くなどして,発語困難等の原因につき腹痛を念頭において注意深く探るべきであったといえるから,仮に腹痛の痛みの程度は軽いと判断したとすれば,その判断はやや慎重さを欠くものであったと言わざるをえず,前記認定の過失の判断に影響するものではない。
(6) 結論
本件において,被告病院医師が当初の外来診察が終了するまでの間に腹部CT検査をしていないことは明らかであるから,被告病院医師には前記注意義務を懈怠した過失があるというべきである。」
同判決は,「被告病院医師が,当初の外来診察が終了するまでの間に腹部CT検査を行えば,腹腔内に遊離ガスがあることが判明し,Aが消化管穿孔である旨の診断を行うことができた可能性が高く,かつ,当該時点ではAが消化管穿孔を発症してからそれほど時間が経過していなかったことも併せて考えると,当該時点で緊急手術が行われればAを救命できた可能性が高い」と認定し,因果関係を認めました.
「2 争点(2)(因果関係の存否)について
(1) 被告は,当初の外来診察の時点では,腹部CT画像を撮ったとしても,消化管穿孔と診断できたかどうかは不明である旨主張する。
しかし,前記認定事実を総合すれば,事後的に見た場合,Aは当初の腹痛を訴えた時点から間もないころ,すなわち被告病院の外来診察の時点までに,消化管穿孔を発症していた可能性が高いことが認められる。
また,前記本件に関する医学的知見及び各種医学文献(甲B5ないし7,甲B13ないし15)によれば,腹部CT検査は腹腔内の遊離ガスを検出する能力が高く,中京病院において平成12年1月から平成20年1月までの消化管穿孔症例180例を調査した結果では,腹部CT検査で遊離ガスが検出された割合は,上部消化管で97%,小腸で56%,大腸で78.6%であり,遊離ガスがみられた場合には消化管穿孔が原因である可能性が最も高いこと,消化管穿孔及び穿孔性腹膜炎は発症より手術までの経過時間が長いほど予後が悪いことが認められる。
そうだとすると,被告病院医師が,当初の外来診察が終了するまでの間に腹部CT検査を行えば,腹腔内に遊離ガスがあることが判明し,Aが消化管穿孔である旨の診断を行うことができた可能性が高く,かつ,当該時点ではAが消化管穿孔を発症してからそれほど時間が経過していなかったことも併せて考えると,当該時点で緊急手術が行われればAを救命できた可能性が高いというべきである。
(2) なお,本件においてAの消化管穿孔部位は特定されていないところ,上記認定事実によれば,小腸穿孔の場合は遊離ガスの検出率が低いことが認められ,その場合には腹部CT検査を行っても消化管穿孔と診断できない可能性が高かったことになるが,消化管穿孔の中で小腸穿孔は稀であるから,消化管穿孔である旨の診断を行うことができた可能性にはほとんど影響しないというべきである。
(3) 以上により,被告病院医師に前記注意義務違反がなければ,Aが現実に死亡した時点においてなお生存していた高度の蓋然性を認めるのが相当である。」
谷直樹
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