絞扼性イレウスを疑って開腹手術を行う注意義務 東京地裁平成18年5月31日判決
疑い診断は教科書的記述の全てを充たす前に行われます.とくに重篤な結果を生じうる緊急疾患の疑い診断は裁判でもよく問題になります.
本判決は,絞扼性イレウスを疑って開腹手術を行う注意義務と因果関係の判断について参考になります.
なお,これは私が担当した事件ではありません.
「1 前記前提事実に証拠(乙A1ないし4及び証人Hのほか,各項に掲記したもの)及び弁論の全趣旨を併せると,次の事実が認められる。
(1) 胃亜全摘術等及びその術後経過
Eは,2月13日,被告病院において,胃癌に対する幽門側胃切除術及び胆石症に対する胆のう摘出術を受け,同月25日に退院し,その後,容態は安定していた。
(2) 腹痛発症から入院時まで(乙A5の1・2,8の1ないし3)
Eは,5月13日午後7時35分ころに救急車で被告病院に搬送され,直ちに救急外来でF医師の診察を受けた。その際のEの主訴は,同日午後4時ころから心窩部痛が出現して徐々に増悪し自制が不可能であるというものであった。F医師は,午後8時46分ころソセゴンを投与した。
その後診察したH医師は,筋性防御なし,ブルンベルグ徴候なしと判断した。H医師は,腹部X線(乙A5の1・2,午後9時12分ころ施行)上,大腸ガスあり,小腸ガス少量あり,立位での明らかな鏡面像なし,横隔膜下に遊離ガスなし,腸ひだありと判断し,腹部CT(乙A8の1ないし3,午後9時43分ころ施行)上,上腸間膜動脈は異常なく,腹水なし,拡張した小腸ありと認め,腸管血流は保たれていると判断した。また,Eには嘔吐・嘔気があった。H医師は,以上の所見などから亜イレウスと診断し,午後10時30分ころにEを入院させた。
Eは救急外来で血液検査(以下「13日の血液検査」という。)を受け,同日午後9時33分ころに迅速仮報告書が出された。
(3) 入院時から14日午前4時30分ころまで
入院時,Eは,体温が36.3度,血圧が170/88であって,心窩部痛を訴えたところ,H医師は,腸音良好,腹部について軟らかい,やや硬い,筋性防御なし,ブルンベルグ徴候なしと判断し,血液検査の結果(WBC10000,CRP1.0)から軽度炎症所見ありと認め,改めて亜イレウスと診断した。
Eは,少なくとも13日午後11時ころと14日午前4時30分ころに自制不可能の腹痛を訴え,14日午前3時ころには,便秘を訴え,著明な発汗があった。
14日,H医師は,便秘に対し,午前3時ころにレシカルボン座薬の投与を,午前4時10分ころにグリセリン浣腸をそれぞれ指示したが,いずれも効果がなかった(浣腸はすぐ流出した。)。H医師は,午前4時30分ころ,Eを診察して,再度ソセゴンを投与した。
(4) 14日の午前4時30分ころから午前9時13分ころまで(乙A6)
Eは,午前4時30分ころ以降も,疼痛が続き,病室とトイレを行き来したり,身の置き所がなく動き回るなどしていた。午前7時30分ころに尿意を訴えたが,排尿は無かった。
午前8時ころ,ベッドサイドに座り込み,そのまま倒れ込みそうになった。
午前8時10分ころ,血圧は80/52で,冷汗をかいており,腹痛のためかずっとうなっていたが,意識レベルの変化はなかった。
午前8時15分ころ,I医師がEを診察して動脈血ガス分析を行ったところ,その主な結果は,PHが7.239,PCO2 が21.4,PO2 が119.5,HCO3が8.9,BEが-16.3,O2SATが97.3であり,過換気ではないかとの診断をした。そして,午前8時30分ころ,IVHが挿入され,プレドパの点滴が開始された。
その後 血圧は 92/60(午前8時30分),90/54(午前9時),209/160(午前9時30分)と推移し,午前9時30分ころプレドパの投与が中止された。Eは,午前9時ころ,腹痛が変わらずあると訴え,身の置き所落ち着かず,体動が激しくあった。
午前9時13分ころ,腹部X線検査(乙A6)を受けた。
(5) 14日の午前9時30分ころから正午ころまで
Eは 午前9時30分ころ,「ウ~,ウ~痛いの。ここここここの3か所,痛いよ。」と心窩部,左右側腹部の3か所の圧痛を訴えた。そのころ,被告病院医師は,再度Eを診察し,体温37度台後半,腹部やや膨満しやや硬い,心窩部痛あり,腸音弱め,筋性防御はっきりせず,ブルンベルグ徴候なしと判断した。Eは,午前10時ころ,落ち着かず,体動著しく,不明言動が時折あった。午前10時30分ころ血圧が92/触知まで低下したが,H医師は様子観察と判断した。
H医師及びI医師は,午前10時55分ころ,残胃病変の可能性を考え,胃内視鏡検査を施行した。その際の所見は,食道内から胃内に水溶性内容物多量,吻合腸管狭窄等著変なし,残胃内に赤褐色調粘液付着などというものであり,被告病院医師は,残胃炎の症状と診断した。その際の血圧は89/41であった。
Eは,午前11時ころ,血圧が105/50で,体動著しく落ち着かなかった。午前11時20分ころ,ベッドから立ち上がり,中心静脈ラインより逆流があり,また,尿管接続が外れてしまい,再固定された。
14日起床時の血液検査結果は,午前11時ころ病棟に報告された。
(6) 14日の午後
午後1時30分ころ,H医師が胃管を挿入していたところ,100m?の暗赤血性排液が吸入され,午後1時45分ころ,急激に意識レベルの低下があり,心肺停止状態に陥った。これに対して蘇生措置が行われ,いったんは心拍及び呼吸を再開したが,意識は回復せず,午後8時45分ころに再度心停止となり,午後9時50分ころに死亡が確認された。
(7) 本件解剖
東京都監察医務院の東京都監察医J医師が,5月16日午前9時30分から午前10時40分まで,Eの遺体を行政解剖した。その結果の要旨は以下のとおりである (甲A3) 。
① 絞扼性イレウス
トライツより20cmの回腸が,胃癌手術後の癒着により生じた索状の組織の間に約40cmにわたり入り込み,出血性壊死を起こしている。循環障害が強く,出血した回腸は一部に小孔あり穿孔している。腸間膜も同様に出血している。
② 血性腹腔液700m?
③ 胃切除後状態 ビルロートⅠ法,胃癌の再発なし。(胃炎の所見の記載はない。)
④ 胆のう切除術後状態
⑤ 心肥大,冠動脈硬化
⑥ 大動脈が高度の粥状硬化
⑦ 多発性脳梗塞
⑧ 肺うっ血,肝小葉中心性に肝細胞のネクロビオーシス,脾うっ血,膵自家融解,腎小動脈硬化・蛋白円柱
2 前記前提事実及び上記1の認定事実(以下「前提事実等」という。)によれば,Eは,死亡時までに絞扼性イレウスを発症していて,これが原因で死亡したこと,その絞扼性イレウスの発症時期は,被告病院来院時(13日午後7時35分ころ)以前,あるいは,その後死亡するまでの間のいずれかであること,そして,被告病院来院時には、既に単純性であるか複雑性(絞扼性)であるかはともかくとして機械的イレウス(亜イレウスを含む。)を発症していたことが認められる。
ところで,絞扼性イレウスについては,腸管壊死,腹膜炎,敗血症,ショック等を起こし,急速に全身状態が悪化して死に至る危険があることから,直ちに開腹手術を行うことが必要である(別紙知見1(4))のであって,絞扼性イレウスと診断されたときはもとより,その確定診断はつかなくても,その疑いが強いものと判断されるときには,直ちに開腹手術を行うべきである(甲B1乙B4にも同旨の意見が記載されている。)。
しかして,原告らの主張は,被告病院医師において,第1に13日午後10時30分ころまでに,第2に14日午前4時30分ころまでに,第3に14日午前8時10分ころまでに,絞扼性イレウスと診断し,又はその疑いが強いものと判断して,直ちに開腹手術を行うべきであったというものであり,絞扼性イレウスの発症時期については,第1次的には,被告病院来院時以前(腹痛が生じた13日午後4時ころ)と主張しているが,仮にそうでないとしても遅くとも上記第1ないし第3の各時点までと主張するものと解される。これに対し,被告は,被告病院来院時には亜イレウスであったとした上,その後どの時点で絞扼性イレウスを発症したかは不明であると主張している。
そこで,本件においては,原告ら主張の各時点において,①(事後的客観的に見て)その時点までに絞扼性イレウスを発症していたといえるかどうか,②これが肯定されるとき,被告病院医師において,絞扼性イレウスと診断し,又はその疑いが強いものと判断すべきであった(直ちに開腹手術を行うべきであった。)といえるかどうか,ということを検討すべきことになる。なお,単純性イレウスが絞扼性イレウスに移行することもある(別紙知見1(4))ので,このことも念頭に置いて検討する。
3 ここで,単純性イレウスと絞扼性イレウスの臨床症状及び鑑別点並びにイレウスの手術適応について,以下のとおりであることが認められる(甲B1,4,7,8,12,乙B1,2,4)。
(1) 術後の癒着によるイレウスには,単純性と絞扼性の両方があるが,単純性イレウスの頻度が高い。
(2) 腹痛等の症状については,単純性イレウスでは,徐々に発症し,周期的な疼痛発作,疝痛様の腹痛があり,蠕動亢進を抑える目的で抗コリン剤を使用し(抗コリン剤が奏功する場合は単純性イレウスのことが多い。抗コリン剤禁忌の場合は,ペンタゾシン,レペタン等の一般的鎮痛剤を投与する。),膨満,蠕動不安,金属製雑音などの腹部所見が認められるのに対し,絞扼性イレウスでは,発症が急速で,持続的に激痛(絞扼痛)があり,抗コリン剤や一般的鎮痛剤では軽快せず,麻薬系鎮痛剤を必要とすることもあり,絞扼された腸の部位に限局性圧痛が見られ,腹膜刺激症状(筋性防御,ブルンベルグ徴候 ,Wahl徴候 ) などの腹部所見が認められる。
(3) 絞扼性イレウスでは,発熱,白血球増多,白血球核の左方移動が認められることが多く,時にショック状態に陥るが,高齢者では,これらを伴わずに汎発性腹膜炎に移行し,ショック状態になることもある。また,絞扼性イレウスでは,腸管壊死が進行するとCK値が上昇し,その上昇が壊死の指標となるが,早期には変化が見られず,絞扼自体の指標とはなり得ない。
単純性イレウスでは,輸液を十分に行えば,全身症状は軽度で済むのに対し,絞扼性イレウスでは,輸液のみでは発熱,頻脈,血圧低下が改善されにくい。
(4) 脱水所見(Ht値の上昇,嘔吐による電解質(Na+,K+,Cl-)バランスの崩れ,尿量減少),血中エンドトキシンの上昇,アミラーゼ値の上昇が認められる場合,絞扼性イレウスを疑う。
(5) 腹部X線上,単純性イレウスでは,鏡面像,腸係蹄著明の所見が認められるのに対し,絞扼性イレウスでは,ガス像少ない,コーヒー豆様陰影ないし腹水の所見が認められる。
(6) エコー検査は,単純性イレウスと絞扼性イレウスの鑑別に有用であり,腸管運動や腸内容の移動性,浮動性をリアルタイムで描出でき,ベッドサイドで容易に反復して行うことができるが,腸管全体を走査することは困難であり,腸管ガスのために描出不良となることも多い。
単純性イレウスでは 拡張腸管とKerckringひだ(keyboard sign)の有無 ,拡張腸管内を内容物が往復する所見(to and fro movement),長期経過後には逆に内容の移動性や腸間蠕動の減弱などの所見が認められる。絞扼性イレウスでは,他の検査所見に先行して,絞扼分節で腸内容の浮動性や腸蠕動の減弱を早期から認める。虚血が進行すると絞扼腸管周囲に腹水が認められ,腸管壁の肥厚,層構造の明瞭化,さらに腸管壊死に至ると腸内容の移動性の停止,壁の菲薄化,腹水の増加等が描出される。
(7) 腹部CTは,超音波検査に比較し,静止画像であるが再現性に優れる。
腸間内の液体貯留も評価可能であり,拡張腸管を連続的に評価することにより,閉塞起点が推定可能なこともある。絞扼性イレウスでは,腸間壁の肥厚(うっ血や浮腫),進行すると逆に壁の菲薄化(壊死)として描出される。
腸間壁や腸間膜動脈が明瞭に造影されなければ血行障害を疑う。気腹,腹水の存在も診断が可能である。
(8) 腹腔穿刺は,腸管拡張が著明な状態で手技に習熟していない者にとっては一般に禁忌であるが,臨床所見から絞扼性イレウスが疑われ,超音波で腹水貯留が認められた場合は,診断価値は高い。血性腹水であれば,絞扼性イレウスと診断できる。
(9) 腹膜刺激症状,腹膜炎,ないしショック症状が認められる場合,通常手術適応が認められる。
4 上記2の①,②の点について,当裁判所は,①腹痛発生当初(13日午後4時ころ)から絞扼性イレウスを発症していた可能性が高く,仮にそうでないとしても,遅くとも14日午前8時10分ころには既に絞扼性イレウスを発症していた,②被告病院医師において,14日午前8時10分ころには,絞扼性イレウスの疑いが強いものと判断すべきであった(直ちに開腹手術を行うべきであった。)との結論に達した。その認定判断の理由は,以下のとおりである。
(1) Eの症状や検査結果等を別紙知見及び上記3の医学的知見に照らして検討する。以下,<ア>では,14日午前8時10分ころまでに判明した症状等を,<イ>では,それ以降に判明した症状等をそれぞれ検討する(なお,白血球の核の左方移動,アミラーゼ値,CK値,Ht値についての原告らの主張は,いずれも14日起床時に実施された血液検査の結果を前提としているところ,その検査結果が判明したのは同日午前11時ころであったことは上記1(5)で認定したとおりである。)。
ア 発症及び症状悪化の態様について
下記のとおり発症及び症状悪化が急速である点は,絞扼性イレウスの症状に合致する。
<ア> 胃亜全摘術等の手術後,容態は安定していたにもかかわらず,13日午後4時ころ腹痛が出現し,その後,自制が効かなくなって同日午後7時35分ころ救急車で被告病院に搬送され,そのまま入院したが,その後も腹痛が持続し,さらに,14日午前8時10分ころには後記ウのとおりショック症状が認められるなど,発症及び症状の悪化が急速であった。
<イ> その後,血圧は14日午前9時30分ころまでに一時回復したものの,午後1時45分ころには,意識レベルの低下があり,心肺停止に陥るショックが生じて,午後9時50分には死亡確認に至っており,症状の悪化が急速であった。
イ 腹痛について
(ア) 下記のような持続的な激しい腹痛は,絞扼性イレウスに特徴的な症状に合致する。
<ア> 腹痛は,13日午後4時ころ発現し,被告病院に救急車で搬送された午後7時35分ころまでには,自制が効かないというほどの強い痛みになった。そして,少なくとも13日午後11時ころ及び14日午前4時30分ころにも自制不可能の腹痛を訴え,その後も,持続的に腹痛を訴えて,身の置き所がなく動き回るなどし,14日午前7時ころには看護師に背中をさすってもらい落ち着いたものの,午前8時ころにはベッドサイドで倒れ込むにまで至ったのであって,強度の腹痛が持続していたものと認められる。
ところで,別紙知見4(1)によれば,ソセゴンは,筋肉注射後15~20分で鎮痛効果が発現し,その効果は3~4時間継続するとされ,しかも,上記3(2)によれば,単純性イレウスであれば疼痛対策には抗コリン剤又はそれが禁忌の場合はペンタゾシン(「ソセゴン」はその商品名)などの一般的鎮痛剤が用いられるのに対し,絞扼性イレウスの場合は,抗コリン剤や一般的鎮痛剤では疼痛が軽快せず,麻薬性鎮痛剤が必要な場合もあるとされている。
そうすると,Eの腹痛については,13日のソセゴン投与後も自制不可能な程度のものが続き,特に14日午前4時30分ころのソセゴン投与後は単純性イレウスとしては説明できない程度に強いものが持続していた。
<イ> 14日午前9時ころ以降も,腹痛が変わらずあると訴え,身の置き所落ち着かず激しく体動しており,<ア>と同様の激しい腹痛が持続していた。
(イ) この点について,被告は,絞扼性イレウスの場合,腹部全体に1人で歩行することができないほど激烈な痛みが突発するところ,Eの腹痛は1人でトイレに行けるほど軽度の圧痛で,その部位も心窩部に限局されていたのであり,この程度の疼痛は亜イレウスに伴う腸管拡張による膨満痛と評価される旨主張する。
しかし,イレウスに伴う腹痛のうち絞扼性イレウスに伴う絞扼痛については,腹部全体に激痛を訴えるとする文献(甲B1)もあるが,この文献においては,膨満痛も腹部全体に持続的な痛みを訴えるとされ,絞扼性イレウスと単純性イレウスの鑑別方法として腹痛の部位を指摘している訳ではなく,むしろ,上記鑑別に関して,絞扼性イレウスの腹痛は
限局性圧痛を示す旨を指摘する文献(甲B7,乙B2)もあるのであって,絞扼性イレウスに関する上記以外の文献(甲B4,8,乙1,4)にはイレウスの種類と腹痛の部位について特段言及されていないことなどに鑑みると,腹痛の部位は,絞扼性イレウスの診断に際して少なくともあまり重要な意義を有しないものと考えられ,Eの腹痛が限局性のものであったからといって絞扼性イレウスが否定されるものではない。また,絞扼性イレウスの腹痛については,激痛であるとされている(上記3(2))が,特に1人で歩行することができなくなるほどのものであるとする文献は見当たらず,上記のとおり「自制不可能」と表現されるような痛みであれば,通常「激痛」と呼ばれる痛みに当たると見るのが相当であり,かえって,上記のとおり「自制不可能」と表現されるような腹痛を被告主張の亜イレウスによるものと説明することのほうが難しいと考えられる。
ウ 血圧,ショックについて
(ア) 本件では,下記のとおり,腹痛発症からわずか約16時間後及び約22時間後という短時間のうちに2度のショックが起きており,このことは,単純性イレウスでは説明が困難であり,絞扼性イレウスの症状と合致する。
<ア> Eの血圧は,13日入院時は170/88であったところ,14日午前8時10分ころには80/52にまで急低下しており,この血圧低下は下記のとおりショックであったと判断される。
① ショックの定義(別紙知見2(1))のうち,収縮期血圧90以下,40以上の急激な血圧低下の2つに該当する。
② また,蒼白,拍動の減弱,発汗,虚脱,頻呼吸は典型的なショック症状とされている (別紙知見2(1))ところ,Eは,冷汗をかき,倒れ込みそうになり,過換気と診断されたことからすれば,少なくとも上記のうち発汗,虚脱,頻呼吸の3症状を呈していたといえる。
③ ショックスコア(別紙知見2(1)別表2参照)については,本件では脈拍,尿量のデータがないため正確に計算することはできないが,午前8時10分の収縮期血圧は80,午前8時14分のBEは-16.3mmol/?であり,また,午前8時30分ころにプレドパが投与されているところ,プレドパは,急性循環不全改善剤であって,a)無尿,乏尿や利尿剤で利尿が得られない状態,b)脈拍数の増加した状態,c)他の強心剤,昇圧剤により副作用が認められたり奏功しない場合に使用される(別紙知見4(3))ところ,上
記c)の事情は認められないので,a)尿量が減少したか,b)脈拍数が増加していた可能性が高く,Eのスコアは,ショックと診断される5点以上になる可能性が十分ある。
<イ> 14日午後1時45分ころの意識レベル低下,心肺停止は,ショ
ックと判断される(争いがない。)。
(イ) 14日午前8時10分ころの血圧低下の評価につき,被告は,①血液分布異常性ショックの場合,プレドパでは昇圧できないことが多いとされていること,②プレドパは5γ以上投与しなければ血圧上昇作用が加わってこないところ,本件ではプレドパを約3γ投与しただけで血圧が回復したのであり,この血圧低下の原因を絞扼性イレウスによるショックと考えることはできず,むしろ,鎮痛剤(ソセゴン)使用ないし亜イレウスに伴う血管内脱水のいずれか又は双方が原因と考えられた旨主張する。
しかし,①の点についてみると,絞扼性イレウスを原因とするショックには敗血症性ショックのみならず循環血流量減少性ショックもある(別紙知見1(2))ことから,絞扼性イレウスを否定する根拠とはならない。
②の点についてみても,確かに,プレドパについては5γ以上投与しなければ血圧上昇作用等のα刺激作用はないとされている(別紙知見4(3))が,循環血流量減少性ショックの場合,その治療は輸液による循環血流量の補充が基本であって,プレドパのα刺激作用がなければ血圧の回復が期待できないわけではなく(別紙知見2(2) ,現に本件では )プレドパの投与と併せてIVHにより循環血流量の補充がされているのであるから,この点も絞扼性イレウスによるショックを否定するものではない。
一方,ソセゴンの副作用にはショックがある(甲B9)ものの,13日にソセゴンを投与した後には何らのショック症状を呈していないし(午後10時30分ころの血圧は170/88であった。),14日午前4時30分ころのソセゴン投与からショックまで約3時間30分も経過していることからすれば,ソセゴンの投与によるショックであるとは考えにくい。また,単純性イレウスに伴う血管内脱水によってもショックは起こり得る(別紙知見1(2)別表1)が,絞扼性イレウスを単純性イレウスと鑑別するポイントの1つにショックが挙げられていること,単純性イレウスにしては発症からショック発生まで症状の進展があまりに急激であることに鑑みると,亜イレウスに伴う血管内脱水によるショックであるとは考えにくい。
エ 腹部X線検査について
<ア> 13日の腹部X線検査で,単純性イレウスの場合に認められるとされている鏡面像 立位 が認められず,小腸ガス像が少なかったことは,単純性イレウスよりも絞扼性イレウスを疑わせるものである。
なお,絞扼性イレウスの場合,常に直ちに腸管穿孔が生じて遊離ガスが認められるわけではないから,腹部X線検査で遊離ガスが認められなかったことは絞扼性イレウスと矛盾しない。
オ 胃内視鏡検査について
<イ> 14日午前10時55分ころの胃内視鏡検査において残胃内に赤褐色粘液の付着等が認められたところ,本件解剖の結果,絞扼性イレウスによる腸管の穿孔・出血が認められたこと,胃内視鏡検査時に食道内から胃内まで水溶性内容物が多量に認められたこと及び14日午後1時30分ころの胃管挿入時に暗赤血性排液が吸入されたことからすると,絞扼性イレウスによる腸管からの出血があって,その出血が絞扼部位から胃内に逆流したものと思われ,胃内視鏡検査時(14日午前10時55分ころ)よりも相当程度前に絞扼性イレウスを発症していた可能性が高いといえる。
なお,被告は,上記の胃内視鏡検査の結果について,それが残胃炎を示すものであるかのように主張するが,本件解剖の結果,特に残胃炎の所見は認められていない。
カ CK値について
<イ> CK値(基準値32~187)は13日に51であったものが14日起床時には356と大幅に上昇しているところ,このCK値の上昇については,筋肉注射後にもCK値は上昇する(別紙知見5(1))ことからして,14日午前4時30分ころのソセゴンの筋肉注射の影響を受けている可能性はあるが,腸管壊死が進行するとCK値が上昇するのであって,その後の症状の経過も併せ考えると,絞扼性イレウスによる腸管壊死の進行を示すものである可能性もある。
(2) 上記(1)による認定判断
ア 上記(1)の検討(<イ>の点を含む。),とりわけ,上記(1)のアないしウの検討によれば,腹痛発生当初(13日午後4時ころ)から絞扼性イレウスであった可能性が高く,仮にそうでないとしても,遅くとも,血圧が80/52に低下してショック状態に陥ったと認められる14日午前8時10分ころには,既に絞扼性イレウスを発症していたものと認めるのが相当である。
イ また,上記(1)の検討(ただし,<イ>の点を除く。)とりわけ,上記(1)のアないしウの検討によれば,被告病院医師は,Eについて,2度のソセゴンの投与によっても自制不可能な程度の激しい腹痛が持続し,しかも,症状が急速に悪化して,14日午前8時10分ころにはショックに陥ったこと等を認めたのであるから,同時刻ころの時点で,絞扼性イレウスの疑いが強いものと判断することができたし,また,そう判断すべきであった
と認めるのが相当である。
(3) 上記(2)の認定判断を覆すに足りる事情ないし証拠が存在するかどうかについて検討する(上記(1)と同様に,<ア>は14日午前8時10分ころまでに判明した症状等についての検討であり,<イ>はその後に判明した症状等についての検討である。)。
ア 白血球数等の炎症所見について
被告は,14日起床時の血液検査の結果で白血球の核の左方移動が認められたこと以外には,絞扼性イレウスを疑うべき重度の炎症所見は認められず,また,14日起床時には白血球数が7600と減少して炎症反応が改善したと主張する。
<ア>確かに,13日には,白血球数(基準値4000~9000)が10000,CRP(基準値0.0~0.3)が1.0であって,軽度炎症と評価されるが,絞扼性イレウスの場合には早期の段階であっても常に高度の炎症所見を示すと認めるに足りる証拠はないし,<イ>14日起床時の検査の結果についてみると,絞扼性イレウスの場合に認められることが多いとされている白血球の核の左方移動が認められたのであるし,白血球数が7600と減少したことについても,H医師も証言するとおり,白血球の過剰消費によっていったんは正常値になった可能性もないとはいえず,他方,午前9時30分ころに37度台後半の発熱があったことは炎症所見と評価される。
いずれにせよ,Eの白血球数等の炎症所見は,絞扼性イレウスと矛盾するものとはいえず,上記(2)の認定判断を左右しない。
イ 腹膜刺激症状について
(ア) 腹膜刺激症状は,絞扼性イレウスの鑑別ポイントないし手術適応の目安の1つとされているところ,被告病院医師は,<ア>14日午前8時10分ころまで,腹膜刺激症状はないとの判断をしており,<イ>14日午前9時30分ころには,筋性防御がはっきりせず,ブルンベルク徴候なしとの判断をしていた。
(イ) ところで,腹膜刺激症状は,腹膜炎の所見(甲B23,乙B5)であって,絞扼性イレウスの場合に腹膜炎が起きやすいことから単純性イレウスとの鑑別のポイントとされ,また,イレウスにより腹膜炎が発生している場合には通常手術適応が認められるから手術適応の目安とされているのであって,絞扼性イレウスを発症すると常に直ちに腹膜炎を生じるわけではない(別紙知見1(2)別表1参照 。)
そして,本件解剖の結果によれば,回腸が約40cmにわたり出血性壊死を起こし,循環障害が強く,一部穿孔(小孔)があり,腸間膜も出血していて,血清腹腔液700m?が認められたのであり,少なくとも事後的にみれば,急激に意識レベルの低下等の症状悪化が認められた14日午後1時45分ころ以前に腹膜炎を発症していた可能性が高く,14日午前9時30分には筋性防御が否定されなかったことや,その後被告病院医師は腹膜刺激症状を確認していないことなどからすれば,上記(ア)の所見だけで,午前8時10分ころまでに絞扼性イレウスが発症していたことを否定することはできない。
また,絞扼性イレウスは急速に全身状態が悪化して死に至る危険があるので直ちに手術適応があるとされている(別紙知見1(4))以上,腹膜刺激症状が認められない場合でも,腹痛その他の症状から絞扼性イレウスと診断されるか,その疑いが強いと判断される場合には手術適応が認められる場合もある。
よって,Eに14日午前8時10分までに腹膜刺激症状が認められなかったとしても,それだけで手術適応が否定されることはなく,上記(2)イの認定判断を覆すに足りるものではない。
エ 腹部CT検査について
(ア)<ア> 13日の腹部CT検査で,上腸間膜動脈に異常が認められず,腸管血流は保たれている,腹水無しなどと判断されているところ,絞扼性イレウスは血行障害を伴う機械的イレウスをいい,小腸の血管は,上腸間膜動脈から細かく枝分かれし,小腸の一部が巾着状に締め付けられると血行障害が生じるとされている(甲B12)こと,また,腹水の所見は絞扼性イレウスの所見であり,それはCTで描出可能であるとされていること(上記3(6)(7))から,上記のCT所見は絞扼性イレウスを否定するかのような所見である。
(イ) しかし,腹部CT検査で血行障害が認められるのは,腸管壁や腸間膜動脈の造影効果の低下や欠如によってであり(甲B8,乙B1),腹部CT検査で血行障害が確認できなかった場合に絞扼性イレウスが否定される旨指摘する文献も特に見当たらないことなどからすれば,絞扼性イレウスが発症して血行障害が生じていても,それが造影効果の低下として捉えられない場合も考えられ,腹部CT検査上,血行障害が認められた場合に絞扼性イレウスを疑うのは当然としても,血行障害が確認できないからといって絞扼性イレウスでないとはいえず,Eの腹部CT検査の所見は絞扼性イレウスと矛盾するとはいえない。
そして,腹部CT検査で血行障害が認められなかったことを最大限考慮するとしても,これが実施されたのは13日午後9時43分ころであって,上記(1)アないしウで指摘した症状等を考慮すると,この時点の腹部CT検査の所見だけで,その後約10時間を経過した14日午前8時10分ころの時点における絞扼性イレウスの発症(上記(2)ア)を否定できるものではないし,また,14日午前8時10分ころに絞扼性イレウスの疑いが強いものと判断して開腹手術を行うべきという上記(2)イの認定判断も左右されない。
また、絞扼性イレウスの場合,腸管が粘膜側から順次壊死に陥り,壊死が漿膜下層まで達すると非可逆性になり,絞扼分節の漿膜側から血清浸出液が腹腔内に逸脱し 血性腹水を呈することとされている(甲B8)ことからすれば,腹痛発症後約6時間しか経過していない腹部CT検査時に腹水貯留が認められなかったとしても,絞扼性イレウスと矛盾するとはいえず,上記(2)ア及びイの認定判断は否定されない。
オ なお,被告は,残胃炎,吻合部潰瘍など(以下「残胃炎等」という。)の可能性も考えられた旨主張するが,本件解剖の結果,特に残胃炎等の所見は認められなかったのであるし,Eの腹痛の態様,13日の腹部CT所見(小腸の拡張)及び14日午前8時10分ころにはショックに陥ったことなどを残胃炎等による症状と考えるのが相当であるとする医学的知見を認めるに足りる証拠はなく,上記(2)イの認定判断は左右されない。
5 以上によれば,被告病院医師は,14日午前8時10分ころの時点で,絞扼性イレウスの疑いが強いものと判断して,直ちに開腹手術を行うべき義務があったということができる。
被告病院医師がこの義務に違反したことは明らかである。
なお,原告らは,被告病院医師において,13日午後10時30分ころ又は14日午前4時30分ころの時点で,絞扼性イレウスと診断し,又はその疑いが強いものと判断すべきであった,また,入院時か遅くとも14日起床時までにエコー検査ないし腹腔穿刺を行うべきであり,そうすれば腹水等の所見が得られ,上記の判断ができたとの主張もしているが,下記6のとおり,上記の14日午前8時10分ころの時点での義務違反と結果との因果関係は認められるので,この主張については判断するまでもない。」
同判決は因果関係について次のとおり判示しました.
「6 因果関係
Eは,絞扼性イレウスによって,5月14日午後1時45分ころ2度目のショックを起こし,そのまま全身状態が悪化して死亡したものである。
絞扼性イレウスからショックを起こす機序は,別紙知見1(2)のとおり,①腸間膜の血行障害により,腸間壁の透過性が亢進し,腹腔内漏出,細菌,エンドトキシン漏出が起きて,循環血流量減少性ショック又は敗血症性ショックを起こすか,②腸間内及び腹腔内出血から循環血流量減少性ショックを起こすか,③腸間壊死により穿孔を起こし,又は細菌漏出により腹膜炎を起こして敗血症性ショックを起こすというものである。
そして,絞扼性イレウスにおいては,積極的なイレウス解除状態を早期に成立させることが肝要であり,開腹手術は,腸管の絞扼部位を解除して血行を改善し,壊死に陥った腸管を切除するなどの処置である(甲B4,7,8,乙B1,2)ところ,一般的には,患者がショックを起こすまでにこれらの処置を施せば,上記①ないし③の機序によって患者がショックを起こすことを防げる蓋然性が高いといえる。
しかして,本件では,5月14日午前8時10分ころの1度目のショックの時点以降も,意識レベルの低下は認められず,血圧もしばしば低下しながらも一定程度維持はされており,呼吸も一応管理はされていたものであるのに,同日午後1時45分ころの意識レベルの低下,心肺停止にまで至る2度目のショック以降,症状が急激に悪化して死亡したものであるから,被告病院医師が同日午前8時10分ころに絞扼性イレウスを念頭に開腹手術を開始したならば,Eがその約5時間後である同日午後1時45分ころに再度の重篤なショックを起こすことを防げた蓋然性が高いと認めるのが相当であり,他に,本件全証拠
を検討しても,上記認定判断を覆すに足りる証拠はない。
したがって,上記6の被告病院医師の義務違反とEの死亡との間には因果関係があるといえる。」
谷直樹
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