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10分程度早く娩出していれば脳障害の発生を防ぐことができた可能性が高いと判示された事例 名古屋地裁平成16年5月27日判決

名古屋地裁平成16年5月27日判決(裁判長 佐久間邦夫)は,D医師が急速遂娩を可及的速やかに実施すべき義務を尽くし,胎児仮死などの危険な状態の有無を的確に判断し,胎児仮死と診断した場合には直ちに適切な術式で急速遂娩を行い得るように,自ら内診をして厳重に分娩監視を行っていれば,午後4時48分ころには胎児仮死と診断し,急速遂娩を決断できた,と認定しました.
また,「後方後頭位であること,児頭の位置及び自らの手技の熟練度などを考慮して,本件において最も適切な急速遂娩の術式として鉗子分娩を選択していれば,急速遂娩の決断から7分程度で児を娩出させることが可能であったと推認できるのであり,したがって,D医師の前記注意義務違反がなければ,本件よりも10分程度早い午後4時55分ころには娩出できていたものと推認することができる。」と認定しました.
「100bpm以下の高度徐脈が5分間持続した後の,80bpm以下の高度徐脈の10分間の持続は,脳障害の発生の有無に非常に大きな影響を与えたものと推認することができるのであり,午後4時55分ころに児が娩出されていれば,脳障害の発生を防ぐことができた可能性が高い」と認定しました.
注意義務違反がなくても娩出時間に大きな差がなければ結果は同じではないかという主張が被告から出されることが多いでしょうが,そのような場合この判決の考え方が参考になります.
なお,これは私が担当した事案ではありません.

「3 因果関係について

(1) 脳性麻痺とは,受胎から生後4週以内の新生児までの間に生じた脳の非進行性病変に基づく,永続的な,しかし変化し得る運動及び姿勢の異常であり,その症状は満2歳までに発現するとされ,合併症候には,知能障害,てんかん発作,脳神経障害,言語障害などがある(乙B4号証の14,19)。
アメリカ産婦人科学会(ACOG)は,①臍帯血血液ガスph7.00以下,②アプガースコア5分値が0ないし3点,③神経学的後遺症の存在,及び④多臓器不全(MOF)の存在の4つの条件をすべて満たした場合に,周産期(妊娠22週以降から生後7日までをいう。)の低酸素症を原因とする脳性麻痺と解するものとした(乙B4号証の19,21及び27。以下,上記の4条件を「アメリカ産婦人科学会の4条件」という。)。
前示のとおり,原告Aは,出生時,啼泣はなく,全身色蒼白,心拍数60程度,自発呼吸も鼻腔刺激反射もなく,筋緊張はだらりとした状態で,1分後アプガースコア1点の重症新生児仮死であり,日令1日には口をピクピクさせるような痙攣様の動き等がみられ,日令6日(4月22日)での頭部CT検査では全体にやや浮腫状で,5月10日の同検査では前頭葉から側頭葉にかけて低吸収域及び萎縮が認められるなどしていたものであり,その後,四肢麻痺,言語障害,てんかん発作などが認められるようになったとの前記の経過に照らせば,原告Aには脳性麻痺が発生したものと認めることができる。

(2) 原告Aの脳性麻痺の原因について

ア F医師は,本件では,胎児心拍が80bpm以下に低下してからおおむね10分以内に娩出されていること,別紙分娩監視装置記録によれば,娩出直前においても少なくとも60ないし80bpm程度の心拍数であり,完全に血流が遮断された胎内環境にはなかったから,深刻な状況が長時間あったとは推測されないこと,脳性麻痺のうち,分娩時の胎児仮死,新生児仮死を原因とするものは約10パーセントといわれており,先天性又は胎児性の発症もあり得ること,アメリカ産婦人科学会の4条件を本件ではすべてにおいては満たしていないことなどによれば,原告Aの脳性麻痺が周産期管理に関連していたとしても,その原因をこの一点に求めることは困難である旨述べる(乙B3号証)。

イ 確かに,甲B2号証,乙B4号証の5,14,15,19,21及び38によれば,脳性麻痺のうち,分娩時の胎児仮死又は新生児仮死を原因とするものは10ないし20パーセントにすぎないとの報告があることが認められる。
しかし,乙B4号証の22は,「胎児ジストレスの病態生理については,まだ多くは解明されていないのが現状である。」旨指摘しており,乙B4号証の14には,脳性麻痺78例と対照群591例を比較した結果として,胎児仮死は,対照群での11パーセントに比べて,脳性麻痺群では24パーセントと有意に多くみられ,分娩中に胎児仮死を見逃したり,すぐに治療をしなかった症例は,対照群の3パーセントに対して,脳性麻痺群では12パーセントであり,また,胎児仮死に対して完全な産科管理がされると,成熟児で9パーセント,すべての症例では6パーセント脳性麻痺を減らすことができる旨の報告がある。また,甲B9号証には,「近年,脳性麻痺の発生要因として,分娩時胎児仮死を従来より過小評価する報告が相次ぎ,分娩時胎児心拍モニタリングの意義についても否定的な報告がみられるが,胎児心拍モニタリング導入前後の周産期医療指標や,脳性麻痺児発生率の推移を検討した結果,胎児心拍モニターを徹底することで,正期産例の脳性麻痺児発生率は抑制可能であることが明らかとなった。」旨報告されている。
これらの各指摘を考慮すると,脳性麻痺全体のうち,分娩時の胎児仮死又は新生児仮死を原因とするものは10ないし20パーセントである旨の報告があることから直ちに,原告Aの脳性麻痺が分娩時の胎児仮死及び新生児仮死と無関係に発生したものと認めることはできない。

ウ また,乙B4号証の19には,日本母性保護産婦人科医会が行った全国正期産仮死児調査で,先天異常のない正期産児で1分後アプガースコア4点以下,又は5分後アプガースコア6点以下で出生しNICUへの入院を要した症例のうち,アメリカ産婦人科学会の4条件を満たしたものは明らかに予後が悪かった旨の指摘があり,乙B4号証の21には,平成8ないし10年の東京女子医科大学母子総合医療センターでの妊娠36週以降の先天異常のない重症新生児仮死症例を検討したところ,アメリカ産婦人科学会の4条件に沿う結果であった旨が報告されている。
前示のとおり,本件では,H病院のNICUに入院した時には,口をピクピクさせる痙攣様の動きや四肢の突っ張り等がみられ,日令7日時点までは嗜眠傾向が継続し,日令3日以降,同7日時点までの呼吸は完全に人工呼吸器に依存していたものである。また,本件でのアプガースコア5分値は,皮膚色2点(全身淡紅色)及び心拍数2点(100以上)の合計4点とされている(乙A1ないし3,7号証)が,被告の診療録等を検討すると,2点と記載されている箇所(乙A3号証2枚目の「児の状態」欄及び6枚目)及び2点を4点に訂正している箇所(乙A1号証14頁,乙A3号証2枚目の「分娩より入院迄の経過」欄)があること,前記のとおり本件で気管挿管を開始したのは午後5時10分(出生5分後)ころであるところ,カルテには,「挿管,吸引にて皮膚色上昇」などの記載(乙A3号証7枚目),「17:37体動あり。全身色まあ良好」との記載(乙A3号証2枚目)があることなどによれば,「気管挿管前にも酸素マスクで酸素を投与していた。」旨のD医師の証言を考慮しても,出生1分後に全身蒼白であった皮膚色が,出生5分後に全身淡紅色にまで回復していたとは直ちに認め難いというべきであり,皮膚色2点との上記の評価は疑問であるといわざるを得ない。したがって,本件において,アプガースコア5分値が4点であることを前提とすることは適切でない。
そして,乙A3号証及び乙B6号証によれば,本件では,静脈血を採取しての血液ガス検査しか行っていなかったものと認められるが,前示の娩出時の児の状態,及びI病院の担当医師が原告Cらに「出生時のエピソードからすると,回復状況は良好で被害は予想より少ない。」旨述べていたことなどに照らせば,臍帯血血液ガス検査を実施していれば,ph7.00以下の結果が得られた可能性が相当程度考えられるというべきである。
以上によれば,本件においては,アメリカ産婦人科学会の4条件をすべて満たしていた可能性があるものと認められる。なお,前示のとおり,F医師は,本件では上記の条件をすべてにおいては満たしていない旨述べているが,その根拠は必ずしも明確でないから上記の認定は左右されない。

エ さらに,別紙分娩監視装置記録によれば,F医師が指摘するように,本件で胎児心拍数が80bpmを切ったのは午後4時54分ころであり,その後,娩出までの間も60ないし80bpmであったものと認められる。また,乙B4号証の7及び乙B7号証並びに乙B4号証の22によれば,動物実験では,血流を完全に途絶させると10分間で脳障害が起こり,一時的に重度なアシドーシス及び低血圧にした場合には脳障害を起こすためには60分間が必要であったとの報告があることが認められる。
しかし,乙B4号証の22においては,動物実験においても,実験の方法,低酸素症の程度,胎仔自体などによって各々反応が異なり,胎児の場合も,胎児自身並びに低酸素症の程度及び期間などによって胎児個々にそれに対する反応が一様でないものと推測される旨の指摘もされている。また,胎児は成人に比べもともと低酸素状態にある上に,胎児への酸素供給に関与している複数の部分(臍帯,胎盤及び母体)のうち1つでも障害を受ければ胎児への酸素供給が減少し,少しでも酸素分圧が下降すれば極端に酸素飽和度が落ちる結果となることから,胎児にはもともと生理学的に低酸素状態に陥りやすい要因があるものと認められる(乙B4号証の22)。そうすると,胎児の場合について,上記の動物実験の結果と同様に血流が完全に途絶された状態が10分以上継続するか,低酸素状態が60分間以上継続しなければ脳障害は起こらないものと解すること
はできない。
以上に加え,午後4時29分ころから低酸素症などを疑わせる安心できない心拍数パタンが出現し,午後4時38分以降は徐脈が持続して,午後4時42分ころから基線細変動が正常でない状態になったとの本件における経過を考慮すれば,娩出直前も心拍数が60ないし80bpmであったこと,及び心拍数が80bpm以下になっておおむね10分程度で娩出されたことから,直ちに,本件において,胎児にとって深刻な状況が長時間持続していなかったものと断定することはできないというべきである。

オ 以上の各事情に,原告Cの妊娠経過及び分娩室入室直前までの分娩経過に特に問題は認められなかったこと,I病院の担当医師は,原告Aの前頭萎縮の原因が周産期にあると推測していたこと(甲A3号証)などを考慮すれば,原告Aの脳性麻痺が,胎児仮死及び新生児仮死以外の原因から発生したことを認めるに足りる証拠が存在しない以上,原告Aの脳性麻痺は,胎児仮死及び新生児仮死によって発生したものと推認するのが相当である。

(3) D医師の前記注意義務違反と脳性麻痺との因果関係について

前記認定事実によれば,D医師が前記の注意義務を尽くし,胎児仮死などの危険な状態の有無を的確に判断し,胎児仮死と診断した場合には直ちに適切な術式で急速遂娩を行い得るように,自ら内診をして厳重に分娩監視を行っていれば,午後4時48分ころには胎児仮死と診断し,急速遂娩を決断できたものと解される。
そして,前記認定事実,乙A11号証及び証人Dの証言によれば,本件では,吸引分娩の器具の準備並びに会陰部麻酔及び会陰切開の各処置に2,3分程度を要し,また,鉗子分娩に変更してから5分程度で娩出させていることが認められるから,D医師が,前記の注意義務を尽くし,後方後頭位であること,児頭の位置及び自らの手技の熟練度などを考慮して,本件において最も適切な急速遂娩の術式として鉗子分娩を選択していれば,急速遂娩の決断から7分程度で児を娩出させることが可能であったと推認できるのであり,したがって,D医師の前記注意義務違反がなければ,本件よりも10分程度早い午後4時55分ころには娩出できていたものと推認することができる。
乙B4号証の15及び22によれば,胎児は低酸素状態におかれると,血流の再分配によって脳の酸素化を維持し脳に永続的な障害を残さないように代償反応を起こすが,この代償反応にも限界時間(低酸素状態の程度により異なる)があるものと認められる。
別紙分娩監視装置記録によれば,本件において,胎児心拍数は,午後4時49分半ばに100bpmを切った後も下降し続け,午後4時54分ころからは更に80bpm以下に下降していたことが認められるが,「高度徐脈が3分以上持続すると,胎児が危険な状態になる可能性がある。」旨の証人Dの証言,「100bpm以下が60秒以上続くときは,多くは胎児仮死の末期状態のことが多く,3分間以上続くと胎児はアシドーシスになっていることが多い。」旨の指摘(甲B5号証)などを考慮すれば,100bpm以下の高度徐脈が5分間持続した後の,80bpm以下の高度徐脈の10分間の持続は,脳障害の発生の有無に非常に大きな影響を与えたものと推認することができるのであり,午後4時55分ころに児が娩出されていれば,脳障害の発生を防ぐことができた可能性が高いものと認めるのが相当である。

(4) 以上を総合すれば,D医師が前記の注意義務を尽くしていれば,原告Aに脳性麻痺が生じなかった蓋然性が高いというべきである。そして,前示のとおり,四肢麻痺等の本件後遺障害は脳性麻痺により生じたものと解されるから,D医師の前記注意義務違反と原告Aの本件後遺障害との間には相当因果関係を認めることができる。よって,この点に関する原告の主張は理由がある。」


谷直樹

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by medical-law | 2022-02-11 11:33 | 医療事故・医療裁判