弁護士谷直樹/医療事件のみを取り扱う法律事務所のブログ

多量の出血及び脳硬膜損傷という重大な結果を回避するために,病巣を徹底的に廓清せずに手術を終了する注意義務 神戸地裁平成14年11月29日

神戸地裁平成14年11月29日(裁判長 上田昭典)は,蓄膿症の手術(汎副鼻腔根本術)において,耳鼻咽喉科医は,ワーファリンを継続的に服用し,糖尿病の持病がある患者について,「篩骨洞天蓋骨を破損した場合には,多量の出血や脳硬膜等損傷という事態が発生することを認識,予見すべきであったと認められることに照らすと,後部篩骨洞蝶形洞境界部の骨隔壁を鉗除するに際し,篩骨洞天蓋骨を破損させないように手術すべき注意義務を負っていた」と認定し,「篩骨洞天蓋骨を破損した場合,多量の出血及び脳硬膜損傷という重大な結果を招くおそれがあるのに対して,病巣の廓清が多少遅れたとしても,これによって直ちに真菌が頭蓋内に進展し,致命傷となることは考えにくいこと(証人F)を考えると,C医師としては,上向き截除鉗子を用いて可能な限り隔壁を鉗除し,これをもって本件手術を終了すべきであったと認められる」と判示しました.
病巣を徹底的に廓清することのリスクと,病巣を徹底的に廓清せずに手術を終了するリスクとを比較し,上向き截除鉗子を用いて可能な限り隔壁を鉗除し,これをもって本件手術を終了すべき注意義務を認めた判決です.
攻めすぎる手術によって重大な結果を生じる場合があり,危険を避け或る程度のところで手術を終了する注意義務を認めた点で参考となる判決です.
なお,これは私が担当したものではありません.

「2 C医師及び被告病院の過失の有無

(1) 本件手術の必要性

前記1で認定のとおり,原告の副鼻腔炎は,上顎洞から篩骨洞,さらに蝶形洞まで乾酪性物質が充満する重度の乾酪性副鼻腔炎であったところ,証拠(乙8,17,証人F)によれば,乾酪性副鼻腔炎は真菌が原因となって起こる場合が多いこと,原告には複視の合併症があり,また,糖尿病に罹患していたことから,真菌症が頭蓋内に進展すると致命的な事態となるおそれがあったこと,そしてそのような場合に篩骨洞蜂巣を残存すると,何年後かに副鼻腔嚢胞を形成したり,炎症を再燃させ,複視や視神経の障害を合併するおそれがあるために,複視の改善及び再発防止のためには,粘膜をすべて除去して副鼻腔骨面を露出させ,徹底的に病巣を廓清する必要があったことが認められる。そして,証拠(甲3,乙16の1・2,鑑定)によれば,本件手術当時の一般的な手術方針としては,副鼻腔(篩骨洞など)粘膜に高度な病変(浮腫状・感染による肉芽の発生)があれば,病的粘膜を除去すべきであるとされていたことが認められる。
以上の事実を総合すれば,C医師が,原告について本件手術の適応があると判断し,同手術を施行したこと自体については問題がない。

(2) 本件手術における手技手法の過失
そこで,次に,本件手術中の手技手法に過失が認められるか否かを検討する。

ア 本件出血等の予見可能性

(ア) 大量出血の予見可能性

被告は,原告の場合,篩骨洞蜂巣を徹底的に廓清する必要があったところ,そのために骨隔壁の根元部分が一緒に取れて血管を損傷したり,頭蓋底に穴が空いたりする事態が生じても,この場所の血管であれば容易に止血するなどの対処が可能であったこと,ところが,原告の場合,後篩骨動脈が通常人と比較して異常に太く,かつ,その走行位置も異常であったという特別事情があったため,大量の出血という予想外の事態が発生したのであって,かかる事態については予見可能性がなかったことを理由に,被告には過失がない旨主張する。
しかしながら,証拠(鑑定)によれば,後篩骨動脈は,天蓋骨の上を走行していることがしばしばあることが認められ,したがって,その走行位置はC医師において当然予見すべきものであったというべきであり,その走行位置を予見不能であったとの被告主張は採用できない。
これに対し,後篩骨動脈の太さについては,確かに,原告の場合,後篩骨動脈が通常人と比較して異常に太かったため,大量に出血したことは,前記1で認定したとおりであり,また,証拠(鑑定)によっても,後篩骨動脈の血管径は,通常は細く,損傷したとしても止血に困ることはないとされているところでもある。しかし,他方で,鼻内副鼻腔手術において血管の損傷は主要な副損傷・合併症であり,動脈の損傷は,動脈性の大出血のおそれがあるので,損傷を避けるべきものとされており,後篩骨動脈もその損傷を避けるべき動脈とされていること(甲4,5),高齢者や経手術例にあっては,ただでさえ変異に富む副鼻腔が,境界壁の脆弱化や術後の創腔変貌を示すため,術中の副損傷に十分に注意する必要があると一般的に考えられているところ(甲3),原告の場合,前記認定のとおり,平成元年1月の心筋梗塞手術(心臓バイパス手術)以降平成6年8月30日まで血液抗凝固剤ワーファリンを継続して服用しており,また,糖尿病の持病により血管がもろくなっていたため,本件手術中に相当量の出血があることが予想されていたばかりか,証拠(乙8,17,証人F)及び弁論の全趣旨によれば,原告には,糖尿病及び心筋梗塞の既往症があることから,動脈硬化が強く,内頸動脈の閉塞ないし狭小により後篩骨動脈が代償的に発達して太くなっていた可能性があったことが認められるのであって,これらの事実を総合すると,C医師としては,たとえ,原告の後篩骨動脈が通常人と比較して太かったという事実を知らなかったとしても,原告の篩骨洞天蓋骨を破損した場合,後篩骨動脈から大量に出血する危険性があるということについては,当然に認識,予見すべきであったと認めることができる。

(イ) 脳硬膜損傷の予見可能性

また,被告は,頭蓋底の上には丈夫な硬膜があって脳を保護しているので,本件手術によって,原告に実質的な健康被害をもたらすような結果が生じることはないと判断したことにつき,C医師に過失はないと主張する。
しかしながら,天蓋から中鼻甲介の付着部(篩板)への移行部にあたる頭蓋底の骨壁には,薄くなっている部分(頭蓋内壁)があり,同部分では,軽い力が加わっても骨が損傷を受けることがあること(甲7,鑑定),一般に,篩骨洞は個人差が著しく解剖的変異に富み,天蓋部において脳頭蓋内容と接しているため,慎重な対応が要求されること(甲3),篩骨洞天蓋のうち,中鼻甲介の天蓋付着部から硬い前頭骨性天蓋に到る間は篩骨蜂巣頭蓋内壁と命名され,臨床的には重要であるとされていること(甲3),同部分には,薄い30ないし100マイクロンの骨壁を介して硬膜が存在し,その損傷は,抗生剤の発達した現在といえども軽視できないとされていること(甲3),C医師は,本件手術前に,CT・レントゲンで原告の篩骨洞天蓋が薄いことを認識していたこと(前記1の(2)のク),以上の事実が認められる。
以上の事実を総合すると,C医師としては,篩骨洞天蓋骨を破損した場合,脳や硬膜等の損傷という重大な事態が発生することを認識,予見すべきであったと認めることができる。

イ 本件手術の手技の過失

以上のとおり,C医師は,篩骨洞天蓋骨を破損した場合には,多量の出血や脳硬膜等損傷という事態が発生することを認識,予見すべきであったと認められることに照らすと,後部篩骨洞蝶形洞境界部の骨隔壁を鉗除するに際し,篩骨洞天蓋骨を破損させないように手術すべき注意義務を負っていたものと認めることができる。
そして,証拠(甲7,鑑定,補充鑑定)によれば,篩骨洞の隔壁を除去する際に,鋭匙鼻鉗子で篩骨洞の隔壁をつまんで引きちぎったり,ねじったりするような操作をすると,篩骨洞の隔壁が天蓋部で天蓋骨に連続しているため,天蓋骨が引きちぎられてその一部が骨折する可能性があることが認められるから,かかる手術技法は上記注意義務に反するものということができる。篩骨洞の隔壁を除去するには,截除鉗子を用いて隔壁を切断する方法によるべきである(鑑定,補充鑑定)。
ところが,C医師は,後部篩骨洞蝶形洞境界部の骨隔壁を鉗除するに際し,上向き鋭匙鼻鉗子を用いて,隔壁を挟み,折り曲げてねじ切るように鉗除したもので,この場合,幾分引くあるいはねじる操作を伴うこととなり(鑑定),その結果,天蓋骨の一部を骨折したのであるから,かかる手術技法を用いて天蓋骨の一部を骨折した点について過失を認めることができる。
この点,被告は,原告の副鼻腔炎の病状の重大性に鑑みると病巣を徹底的に廓清する必要があったところ,被告病院内には上向き截除鉗子しか備わっておらず,これでは骨壁を完全に鉗除することができないのであるから,上向き鋭匙鼻鉗子を用いたことに問題はなかった旨主張する。
確かに,証拠(補充鑑定)によれば,上向き截除鉗子では,後部篩骨洞天蓋の部位によっては角度的・形状的に完全に鉗除するには限界があり,3ないし4ミリメートル程度鉗除できない骨壁が残ることが認められる。
しかしながら,上記認定のとおり,篩骨洞天蓋骨を破損した場合,多量の出血及び脳硬膜損傷という重大な結果を招くおそれがあるのに対して,病巣の廓清が多少遅れたとしても,これによって直ちに真菌が頭蓋内に進展し,致命傷となることは考えにくいこと(証人F)を考えると,C医師としては,上向き截除鉗子を用いて可能な限り隔壁を鉗除し,これをもって本件手術を終了すべきであったと認められる。


同判決は,「C医師の過失(後部篩骨洞蝶形洞境界部の骨隔壁を鉗除するに際し,上向き鋭匙鉗子を用い,隔壁をつまんで引いたり,ねじったりする操作によって隔壁を除去したこと)により,篩骨洞天蓋骨の一部を骨折し,その結果,篩骨洞天蓋骨の上部(硬膜側)を走行していた後篩骨動脈が損傷し,前記認定の大出血が起こったこと,C医師が止血のために篩骨洞天蓋の薄い部分をガーゼで強く押しつけたこと,上記骨折又は上記ガーゼによる圧迫のいずれかが原因となって原告の脳硬膜が損傷し,それらの結果,くも膜下出血が生じ,原告が後遺障害を負ったことが認められる。」と認定し,因果関係を認めました.

「(3) 後遺障害の発生及び過失との因果関係

以上のとおり,C医師に過失が認められることに加えて,前記認定の本件手術の経過に関する事実を併せ考えると,C医師の過失(後部篩骨洞蝶形洞境界部の骨隔壁を鉗除するに際し,上向き鋭匙鉗子を用い,隔壁をつまんで引いたり,ねじったりする操作によって隔壁を除去したこと)により,篩骨洞天蓋骨の一部を骨折し,その結果,篩骨洞天蓋骨の上部(硬膜側)を走行していた後篩骨動脈が損傷し,前記認定の大出血が起こったこと,C医師が止血のために篩骨洞天蓋の薄い部分をガーゼで強く押しつけたこと,上記骨折又は上記ガーゼによる圧迫のいずれかが原因となって原告の脳硬膜が損傷し,それらの結果,くも膜下出血が生じ,原告が後遺障害を負ったことが認められる。
以上の一連の事実経過に照らせば,C医師の前記過失と原告の後遺障害との間には相当因果関係が認められる。
もっとも,これに対して,被告は,C医師が,本件出血部位付近に本件のような大量出血を引き起こす太さの血管が存在することを予見することは不可能だったから,相当因果関係の有無の判断に当たっては,本件のような太さの血管が存在する可能性を相当因果関係の基礎事情から除外すべきであり,そうするとC医師の過失と原告の後遺障害との間には相当因果関係を認めることはできないと主張する。
しかしながら,前記認定の,本件当時の医学的知見や,原告の病状・既往症等に関するC医師の認識内容に照らすと,C医師としては,たとえ,原告の後篩骨動脈が通常人と比較して太かったという事実を知らなかったとしても,原告の篩骨洞天蓋骨を破損した場合,後篩骨動脈から大量に出血する危険性があるということについては,当然に認識,予見すべきであったと認めることができるのであるから,原告の大出血という事態は,C医師の上記過失と相当因果関係があると認めることができる。」


谷直樹

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by medical-law | 2022-02-15 23:24 | 医療事故・医療裁判