弁護士谷直樹/医療事件のみを取り扱う法律事務所のブログ

帝王切開ができないクリニックにおける高次医療機関への転送義務 さいたま地裁川越支部平成18年1月19日判決

さいたま地裁川越支部平成18年1月19日判決(裁判長 清水研一)は,「被告には,21日午前0時8分ころには,20日午後11時55分ころから21日午前0時5分ころまで高度頻脈が継続したことを受けて,常位胎盤早期剥離の疑い,羊水混濁の存在及びアトニンO投与の事実を併せ考え,胎児仮死の危険が高いことを認識し,被告医院では帝王切開を施行することができない以上,その時点で直ちに帝王切開の適応があるかどうかについては別の判断があり得るとしても,帝王切開をしたこともなく,その用意もなかった被告医院にAをとどめておかず,熊谷総合病院など帝王切開の可能な高次医療施設にできる限りすみやかに転送すべき義務があったといえる。また,仮にその時点では遅きに失したというのであるならば,もっと早期の段階ないし日頃から被告医院における治療では賄いきれず転送が必要となる帝王切開等の緊急事態の発生に備えて高次医療施設に連絡しておくなどして転送のルートといったものを確立しておくべきであったというべきである。」と判示し,転送義務を認めました.
帝王切開を実施できないクリニックについて高次医療機への転送義務が認められた判決です.
なお,これは,私が担当したものではありません.

「1 争点(1)(注意義務違反)について

(中略)

(4) 高度頻脈発見時以後の転送及び監視義務

(中略)

イ 以上の認定事実,上記争いのない事実等及び弁論の全趣旨に基づいて判断する。

(ア) まず,高度頻脈発見時以後の転送義務について検討すると,

a 上記第3の1(2)ア(イ)aにおいて認定したとおり,胎児仮死状態が生じた場合には,新生児仮死,新生児死亡及び周産期死亡に至ることがある。そして,胎児仮死状態を示す徴候のひとつとして胎児心拍数が頻脈となることがあげられる。すなわち,上記第3の1(1)ア(イ)eにおいて認定したとおり,常位胎盤早期剥離の重症度が進むと胎児仮死状態が生じて胎児心拍数に頻脈が見られることがある。また,上記第3の1(2)ア(イ)a及びbにおいて認定したとおり,羊水混濁は,児の低酸素状態後,胎児仮死状態へ移行した場合に見られることがあるが,この場合には胎児心拍数に160bpm以上の頻脈が持続することがある。したがって,分娩を担当する医師は,胎児心拍数に頻脈が見られた場合には,母児に疑われる疾患の有無及びその程度も考慮した上で,胎児仮死状態又はその危険を除去すべく適切に対処すべきである。

b もっとも,胎児仮死といってもその程度によって様々な対処方法が存在するのであり,母体の体位変換,酸素吸入及び陣痛抑制等のほか,吸引分娩や帝王切開を施行することなどが考えられるが,胎児仮死が疑われる程度や選択すべき方法の適応等を総合考慮して判断すべきである。 そして このような判断によると,自ら治療に当たったのではその物的人的な制約から胎児仮死状態に適切に対処できないことを医師が認識し得る場合には,適切に対処することができる医療施設へ妊婦を転送しなければならなくなる事態の発生をも予測して,あらかじめ転送先を確保するなどして,患者に適切な治療を受けさせる義務が
あるというべきである。

(イ) これを本件についてみるに,
a 胎児心拍数については,20日午後9時40分までは160bpmを超えるような値は見られず,午後9時40分には168bpm,午後10時18分には156bpm,午後10時40分には168bpm,午後11時22分には180bpm,午後11時34分には156bpmと測定された。ここでは,頻脈や高度頻脈が見られたことがあるものの160bpmを下回ることもあり,持続的な頻脈とまではいえなかった。しかし,午後11時55分ころに分娩監視装置による連続監視を開始したところ,その記録上,胎児心拍数が180bpmを超える状態が21日午前0時5分ころまで恒常的に見られ,これは,持続的な頻脈と評価できるものであった。したがって,遅くとも21日午前0時5分ころには,高度頻脈による胎児仮死の徴候が見られたということができる。

b 本件分娩では,エコー検査及び血液凝固検査の不実施や分娩監視装置による連続監視の不足から,確定診断はできなかったものの,一貫して常位胎盤早期剥離の疑いがあり,その進行により,21日午前0時5分ころの時点でも胎児仮死が生じている可能性があった。また,羊水混濁の存在から胎児仮死の疑いがあったし,アトニンOの投与により胎児仮死が発生している危険もあった。そうすると,これらの諸要因から21日午前0時5分ころには本件男児が胎児仮死状態に陥っている可能性が高かったといえる。

c 上記a及びbからすると,21日午前0時5分ころには,本件男児が胎児仮死に陥っている可能性は高かったといわざるを得ず,これに同時刻ころには子宮口全開大状態にあったこと,分娩が長時間に及んでいること,及び,既に陣痛促進剤アトニンOを投与していたことを併せ考えると,母体の体位変換,酸素吸入及び陣痛抑制等の経母治療では十分でなく,急速遂娩術を施行すべきであったといえる。 そして,急速分娩術のうち吸引分娩の適応には,胎児仮死,羊水混濁及び常位胎盤早期剥離などがあげられ,本件分娩はこれに当たるけれども,迅速に児娩出に至らない場合には,すみやかに吸引分娩を中止して帝王切開に切り替えるべきであり,その準備をしておくことも吸引分娩の適応となるのである。ところが,被告医院では,開設以来,帝王切開を行っておらず,手術道具は錆びてしまっていたのであり,人的物的見地から帝王切開の準備はできておらず,吸引分娩の適応になかった。
なお,帝王切開の準備が必要であり,適応になかったことは,鉗子分娩についても同様であると考えられる。

d 確かに,21日午前0時8分には,埼玉医科大学のNICUは満床であるとして転送を断られたが,同時に,被告は,熊谷総合病院であれば転送可能であることを知らされたのであり,帝王切開を実施できる病院への転送は可能であった。

e 被告は,Aにつき帝王切開を施行したら,DIC,血栓症による死亡の危険があるので,帝王切開を前提とする転送を行うべきではなかったと主張し,これに沿う証拠(乙B3,被告本人)もある。 しかし,DICの治療においては,血小板数の減少が見られる場合であっても帝王切開を行うべきであり,一般に帝王切開が血栓症のリスクファクターになるとしても,本件のように常位胎盤早期剥離やこれによる胎児仮死が疑われている場合には,そのような疑いがない場合と異なり,帝王切開等により適切に対処する必要がある。被告の主張は独自の見解といわざるを得ず,採用することができない。

f 21日午前0時8分ころには,Aは,被告に対し,帝王切開にしてくれてもいいと述べていたのであり,転送して帝王切開が実施されることになってもAの意思に反することはなかった。

g 以上のaないしfを総合考慮すると,被告には,21日午前0時8分ころには,20日午後11時55分ころから21日午前0時5分ころまで高度頻脈が継続したことを受けて,常位胎盤早期剥離の疑い,羊水混濁の存在及びアトニンO投与の事実を併せ考え,胎児仮死の危険が高いことを認識し,被告医院では帝王切開を施行することができない以上,その時点で直ちに帝王切開の適応があるかどうかについては別の判断があり得るとしても,帝王切開をしたこともなく,その用意もなかった被告医院にAをとどめておかず,熊谷総合病院など帝王切開の可能な高次医療施設にできる限りすみやかに転送すべき義務があったといえる。また,仮にその時点では遅きに失したというのであるならば,もっと早期の段階ないし日頃から被告医院における治療では賄いきれず転送が必要となる帝王切開等の緊急事態の発生に備えて高次医療施設に連絡しておくなどして転送のルートといったものを確立しておくべきであったというべきである。にもかかわらず,被告は,転送先の事前の確保ないし連絡も転送可能な熊谷総合病院への転送もせず,かつまた帝王切開の準備をしないままに吸引分娩を続けたものである。

(ウ) 以上によれば,被告には,転送義務違反の事実が認められる。」



同判決は,本件男児の死亡時期を出生後と認定しました.


「2 争点(2)(本件男児の死亡時期)について

(1) 上記争いのない事実等,後掲各証拠及び弁論の全趣旨を総合すれば,次の各事実が認められる。

ア 21日午前0時10分少し前ころから胎児心拍数に変化が生じ始め,午前0時15分ころから午前0時20分ころにかけて,急激に胎児心拍数が減少し,100bpm近くになることもあった。午前0時20分ころ以降の胎児心拍数は,胎児心拍数図上,線がところどころ途切れ,十分に読みとることができない状態となった。時々記録された部分も断続的に60bpmを下回ったり,200bpmを上回る状態が出現し,午前1時10分ころからは,断続的に70bpm前後と150bpm前後を記録する状態となった。そして,午前1時20分から午前1時21分までは140bpm前後の基線が存在したが,午前1時21分に消滅した。(乙A3,5,9,証人H)

イ 被告は,21日午前0時20分に吸引分娩を開始し,12回以上の吸引を試みたが,本件男児を娩出させることができず,ようやく午前1時21分ころになって娩出させた。娩出後の本件男児は,全身色不良で自発呼吸及び四肢筋緊張がなく,チアノーゼが見られた。そして,被告は,本件男児に対し,マウストゥーマウス,心マッサージ及び足底刺激等の蘇生術を行ったが,午前1時40分ころ蘇生を断念し,その後,本件男児に心臓の
拍動,随意筋の運動及び呼吸は見られなかった。なお,H助産婦及びJ准看護婦は,娩出直後,被告が本件男児に聴診器を当てた時,弱いけれども心拍があると述べたのを聞いた。(甲A4,7,乙A3,9,証人H)

ウ 平成12年1月5日,被告がI産婦人科外来担当医に宛てて作成した紹介状には 本件男児について,「死産」 「Apgl1p」「心拍のみ+→(-)」との記載があった。(甲A2,乙A1)

(2) 以上の認定事実,上記争いのない事実等及び弁論の全趣旨に基づいて判断する。

ア 思うに,娩出後の児に心臓の拍動,随意筋の運動又は呼吸のいずれかひとつでも見られたならば,死産ではなく,出生したというべきであり,こうした見解は,死産の届出に関する規程(昭和21年9月30日厚生省令第42号)第2条によっても裏付けられるところである。

イ これを本件についてみるに,

(ア) 分娩監視記録上,本件男児の娩出前には高度頻脈や徐脈と評価される数値が交互に出現するなどしており,トランスデューサーが正しく装着されていなかった可能性も含め,そもそも胎児心拍数を正確に測定できていたのか疑問もある。しかし,本件男児の娩出時まで胎児心拍数が記録されていることからすると,正確さは別として本件男児の胎児心拍数が測定されていたこと自体は認められる。そして,不安定ながらも21日午前1時20分まで胎児心拍数が記録されていること,及び,午前1時20分から午前1時21分までは正常整脈に近い140bpmの状態が継続していたことからすると,娩出直前まで本件男児の心臓は拍動していた可能性が高い。これに対し,被告が主張するような娩出直前に心拍が停止していたことを示す分娩監視記録はない。

(イ) 娩出後の本件男児は,自発呼吸及び四肢筋緊張がなく,その後もこれは見られなかったのであるから,生産の要件である随意筋の運動及び呼吸はなかったといえる。

(ウ) H助産婦及びJ准看護婦が娩出直後に被告が本件男児に聴診器を当てた時,弱いけれども心拍があると述べたのを聞いたこと,及び,被告がI産婦人科外来担当医に宛てて作成した紹介状には,本件男児について「心拍のみ+→(-)」との記載があったことからすると,娩出時には心臓の拍動が見られたと認められる。また,証拠(甲A4,7,原告A本人)によると,被告は,多数回かつ単なる筋肉の収縮ではない本件男児の心臓の拍動を確認したかのような発言をしていたものと認められ,このことはH助産婦及びJ准看護婦が弱いけれども心拍があると被告が発言したのを聞いたことや上記紹介状の記載と一致し,信用性が高いといえる。これらのことからすると,本件男児の娩出後,多数回かつ単なる筋肉の収縮ではない心臓の拍動があったと認めることができる。

(エ) 以上の(ア)ないし(ウ)を総合考慮すると,本件男児の娩出時には自発呼吸及び四肢筋緊張こそなかったものの,心臓の拍動はあったのであり,この時点では死亡していなかったといえる。

ウ 以上より,本件男児は,娩出時には生きており,その後21日午前1時40分までの間に死亡したものと認められる。」

同判決は,転送義務と男児の死亡との因果関係を認めました.

「3 争点(3)(因果関係)について

(1) 上記争いのない事実等,後掲各証拠及び弁論の全趣旨を総合すれば,次の各事実が認められる。

ア 被告医院から熊谷総合病院へ転送するために必要な時間は,20分程度であった。また,熊谷総合病院には,NICUは存在しなかった。(甲A4,原告A本人,被告本人)

イ 平成12年1月6日に診断がなされた病理組織検査において, ①胎盤は,絨毛膜絨毛が発育不十分であるが,血管病巣や血栓は見られず,②脱落膜層に帯状の出血巣が見られ,わずかに変性脱落細胞があるとされ,本件分娩時のAは,常位胎盤早期剥離に罹患していたと診断された。(乙A1)

(2 ) 以上の認定事実,上記争いのない事実等及び弁論の全趣旨に基づいて判断する。

ア 訴訟上の因果関係の立証は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり,その判定は通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし,かつ,それで足りると解すべきである。そして,医師が注意義務に従って行うべき診療行為を行わなかった不作為と患者の死亡との間の因果関係は,医師が当該診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認しうる高度の蓋然性が証明されれば肯定されるものと解すべきである(最高裁平成11年2月25日判決,民集53巻2号235頁参照 )。

イ これを本件についてみるに,

(中略)

(エ) 上記第3の1(4)において判断したとおり,被告は,常位胎盤早期剥離,羊水混濁及びアトニンO投与の諸事情に加え,分娩監視記録上,高度頻脈が見られ,熊谷総合病院への転送が可能であることが明らかになった時点で,NICUの有無は別として少なくとも帝王切開可能な医療施設に直ちに転送すべき義務に違反した。そして,上記第3の2(1)アにおいて認定したとおり,20日午後11時55分ころに分娩監視装置による連続監視を開始してから頻脈や徐脈が繰り返し出現していたものの,本件男児には娩出に至るまで胎児心拍が見られたのであり,熊谷総合病院への転送が可能であったことがわかってから1時間以上の猶予があったといえ,この時間を利用して転送及び転送先において適切な処置を行うことが可能であった。この点,常位胎盤早期剥離の疑い,羊水混濁の存在,アトニンOの投与及び高度頻脈の発現といった当時の状況を総合すると,熊谷総合病院においては直ちに帝王切開が施行されたことが推認できる。また,上記第3の1(4)ア(イ)c及び2(1 )イにおいて認定したとおり,吸引分娩を施行する場合,二,三回かつ20分程度の吸引によっても娩出されなければ,帝王切開に移行すべきであるが,本件分娩では,12回以上かつ約1時間にわたって吸引が行われたのであり,これは仮に吸引カップが滑脱を繰り返していたとしてもあまりに多数回かつ長時間に及んだといわざるを得ない。このような吸引がなされたことにより,胎児仮死状態が亢進した可能性は否定できない。逆に早期に帝王切開を施行していれば,胎児仮死状態が亢進していない状態で娩出され,直ちに,NICUは備えられてないとしても被告医院よりもスタッフや設備が充実している同病院において本件男児に対する治療がなされたと推認できる。そうすると,被告が直ちに熊谷総合病院へ転送していたならば,本件男児がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認しうる高度の蓋然性を認めることができる。 したがって,当該義務違反と本件男児の死亡との間には相当因果関係があるといえる。

ウ 以上によれば,常位胎盤早期剥離,羊水混濁及びアトニンO投与の諸事情に加え,分娩監視記録上,高度頻脈が見られ,熊谷総合病院への転送が可能であることが明らかになった時点で,NICUの有無は別として少なくとも帝王切開可能な医療施設に直ちに転送すべき義務違反と本件男児の死亡との間に相当因果関係を認めることができる。」



谷直樹

ブログランキングに参加しています.クリックをお願いします!
  ↓
にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ


by medical-law | 2022-02-17 10:16 | 医療事故・医療裁判