弁護士谷直樹/医療事件のみを取り扱う法律事務所のブログ

膵全摘を選択しなかった過失 札幌地裁平成17年10月4日判決

札幌地裁平成17年10月4日判決(裁判長 奥田正昭)は,糖尿病患者が超音波内視鏡検査を受けたところ胃幽門前庭部に穿孔を生じたため膵癌であることが判明し,膵頭十二指腸切除術を受けたところ,術後に縫合不全が発生したため膵全摘術を受け,感染症により74歳の患者が死亡した事案で,「H医師らは,同医師がかつて行った膵管チューブを使用しての膵頭十二指腸切除術の症例の中に,手術の翌朝にチューブが腸内に落下し,チューブを使用しないのと同様の状態となっていたが,その後縫合不全を生じることなく退院に至った例があったことから,膵管チューブを使用しなくても縫合不全を防ぐことはできると考えたこと,かつて同医師が膵全摘を行った40歳代の患者で,栄養障害や糖尿病の悪化等で術後の健康管理に非常に苦労した症例があったこと,亡Eは高齢であって上記患者と同様のリスクを負わせることは酷であると考えたことなどを総合考慮し,膵全摘を行うべきではないと判断した」ことについて,「H医師らが行った吻合法は,術後に医学文献を検索しても,その安全性につき直接言及した論文等を発見することができなかったというのであって,その安全性に疑問がないわけではなく,他方で,膵全摘を行うことにより縫合不全が生じて多量の出血が生じるおそれは全くなくなるし,厳重な血糖コントロール等は必要となるものの,糖尿病のコントロール等を適切に行うこと自体は十分可能であったことを考慮すると,H医師らが,本件第1手術において膵全摘を選択せず,膵と空腸の吻合を嵌入法により行ったことは,医師に認められた裁量の範囲を超えたものというべきであるから,本件第1手術において膵管チューブを使用できなくなった時点で同医師が膵全摘をしなかったことに過失が認められるというべきである。」と判示しました.
本件第1手術において膵全摘を選択せず,膵と空腸の吻合を嵌入法により行ったことが医療裁量を超えたものと認めた点が参考になります.
胃幽門前庭部穿孔という医療過誤が初期の膵癌を発見する契機になったのですが,第1手術で膵全摘を選択していればと悔やまれる事案です.
糖尿病患者は膵癌のリスクが2倍あります.
なお,これは私が担当した事件ではありません.

「イ 膵全摘術を行わなかった過失について

(ア) 本件第1手術の際,亡Eの膵の外分泌機能は障害されていなかったため,術後の縫合不全が生じる危険性は高かったというべきところ(なお,膵頭十二指腸切除術における縫合不全は,10ないし20パーセントの割合で発生するとされており,それ自体かなり高率で発生するということができる。),本件第1手術においては,当初に切除した膵の膵体部側の断端を迅速病理検査に出した結果,膵管断端に癌細胞が認められたため,残膵を追加切除する必要が生じ,いったん吻合を外した上で2センチメートルほど追加切除し,その上で再度嵌入法により吻合を行った。そのため,通常の膵頭十二指腸切除術の場合とは異なり,吻合部の直下に脾動脈及び脾静脈が位置することになったことから,同吻合部に縫合不全が生じた場合には,吻合部の直下にある脾動脈又は脾静脈が膵液の漏出によって消化されるに至り,同部分から多量に出血する危険性が高い状態であったということができる。その意味で,通常の膵頭十二指腸切除術の場合と比較して,本件第1手術においては,吻合部の縫合不全が生じた場合の危険性はより高いものとなっていたということができる。そして,膵の追加切除後の吻合部の直下に脾動脈及び脾静脈が位置するに至っていたことは,本件第2手術の執刀医であったH医師は十分これを認識していたものである。もともと,H医師自身,縫合不全の危険性に関しては,膵管チューブを使用したドレナージを行った方がより安全であると考えていたのであるから,膵管を裂いてしまったことによりこのより安全と考える方法をとることができなくなった以上,より慎重に適切な対処方法を考えるべきであったということができる。加えて,H医師らが行った吻合法は,術後に医学文献を検索しても,その安全性につき直接言及した論文等を発見することができなかったというのであって,その安全性に疑問がないわけではなく,他方で,膵全摘を行うことにより縫合不全が生じて多量の出血が生じるおそれは全くなくなるし,厳重な血糖コントロール等は必要となるものの,糖尿病のコントロール等を適切に行うこと自体は十分可能であったことを考慮すると,H医師らが,本件第1手術において膵全摘を選択せず,膵と空腸の吻合を嵌入法により行ったことは,医師に認められた裁量の範囲を超えたものというべきであるから,本件第1手術において膵管チューブを使用できなくなった時点で同医師が膵全摘をしなかったことに過失が認められるというべきである。

(イ) これに対し,被告は,H医師の行った吻合方法は縫合不全に関して安全である旨及び亡EのQOLの観点から膵全摘術を行わなかったことは医師としての適切な裁量の範囲内である旨主張し,H医師はその証人尋問においてこれに副う供述をする。確かに,文献上,膵全摘術につき,その適応は限定され,近年では術後のQOLの観点から施行数が減少している旨指摘するものがあり,また,一方で,膵頭十二指腸切除術における吻合方法については,文献上,様々な方法が紹介され,膵管チューブを使用しない吻合方法についても他の吻合方法と比較して縫合不全に関する安全性に差はないという報告も存在していることが認められるものの,他方で,H医師自身,膵管チューブを使用した方が安全であると考えている旨及び嵌入法を使用した場合に膵管チューブを使用しなくても安全であると報告した文献は見つからなかった旨を供述していること(証人H),同医師の原告らに対する術後の説明でも,「膵液が漏れるのが一番怖い。」「膵液が漏れた場合は膵全摘しないと助けられないことが多い。」などと話していること(乙A69)に加え,前記認定のとおり,本件においては,亡Eの膵外分泌機能が障害されておらず,H医師によれば,早い段階であったため外分泌機能も盛んであったと推測していたというのであり,また縫合不全が生じた場合には漏出した膵液によって脾静脈等が消化されるおそれがあり,その場合には多量の出血が予想されるという,通常の膵頭十二指腸切除術とは異なるより高い危険性があったのであり,また膵管チューブを使用しない吻合方法を紹介している文献の一つ(乙B3)は,「No-Stent法は粘膜吻合施行例についてのみ可能な手技であって,嵌入法や膵管固定法ではステントが必要であることはいうまでもない。」としていることなどを併せ考慮すると,H医師が供述する点を斟酌してもなお,本件においては,同医師が膵全摘術を採用しなかったことには過失があるというべきである。」


同判決は,膵全摘をしなかった過失と死亡との間の因果関係を認めました.

「(2) 縫合不全を生じさせた過失と亡Eの死亡との間の因果関係の有無

ア 前記争いのない事実等,証拠(甲B1,乙A62,69,94,123,124)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められ,同認定を左右するのに足りる事実及び証拠はない。

(ア) 本件第2手術後12日目の平成13年6月25日,同月20日に採取した腹部ドレーンの排液の培養の結果MRSAが検出され(なお,このMRSAは,被告病院で同時期に発生した他のMRSAとは異なるタイプであった。),同年7月13日には急に酸素飽和度(SaO2)が低下し,検査の結果亡Eが重症肺炎に罹患していることが判明し,同月14日にその症状が悪化して気管挿管を行うなどしたが,その後,DICを併発し,MRSA肺炎からMRSA敗血症となって,同月30日に亡Eは多臓器不全により死亡するに至った。

(イ) G医師は,本件内視鏡検査後,原告らに対し,亡Eに二度の手術を行うことは負担が大きいなどの理由から,穿孔閉鎖術のみを行うのではなく,穿孔部の閉鎖と膵癌の手術を同時に行う方針としたい旨を説明していた。

(ウ) 平成9年度の症例における膵癌全国登録調査報告によれば,ステージIの患者が外科的手術により1年以上生存する確率は8割以上であり,5年以上生存する確率は6割以上,8年以上生存する確率は5割以上とされている。

イ 以上の認定事実によれば,亡Eの膵腸吻合部に縫合不全が生じていなければ,脾静脈からの多量の出血があったとは考えられず,したがって,本件第2手術を受けることはなかったと解されるところ,亡Eの年齢及び同人がステージIの膵癌に罹患していたこと等の事情に照らせば,上記出血及び近接した時期に2度にわたって行われた手術による体力の低下及び感染への抵抗力の低下は多大なものであったと考えられ,これに本件第2手術から7日目に亡Eの腹部ドレーンから採取された排液の培養の結果MRSAが検出されたことを併せ考慮すると,縫合不全を生じさせた過失と亡EがMRSAに罹患したこととの間には相当因果関係があるというべきである。そして,その後に亡Eの状態が次第に悪化し,MRSA肺炎,MRSA敗血症と進んで多臓器不全により死亡したこととの間にも相当因果関係があると認めるのが相当である。

ウ 亡Eの延命の可能性及びその程度
以上に認定,説示したところを総合すると,縫合不全を生じさせた過失がなかったとしても亡EがMRSAに罹患していたことを窺わせるような事情は見当たらず,また,本件第1手術による膵癌の摘出自体に問題があったことや膵癌の転移を窺わせるような事情も見当たらないことに照らすと,縫合不全を生じさせた過失がなければ,亡Eは,少なくとも,死亡日である平成13年7月30日においてなお生存していたことを是認しうる高度の蓋然性が認められる。

エ 以上によれば,被告は,被告病院の医師であるG医師及びH医師の使用者として,亡E及びその相続人である原告らに対し,本件により亡E及び原告らが被った損害を賠償する責任がある。」


同判決は,平成12年の事案ですが,「ステージIの膵癌につき外科的手術後の5年生存率が6割程度であることに加え,亡Eの年令及び糖尿病等の既往症の存在を考慮すると,亡Eの具体的な生存期間は必ずしも明確とは言い難いものの,少なくとも3年程度は生存できたと認めるのが相当である。」と判示しました.

谷直樹

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by medical-law | 2022-02-20 17:25 | 医療事故・医療裁判