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出血管理義務を怠った治療上の過失 大阪地裁平成14年3月28日判決

大阪地裁平成14年3月28日判決(裁判長 吉川愼一)は,母体死亡の事案で,「D医師は,Eの産後出血を認識し,Eがその後プレショック状態に陥ったのであるから,出血継続の有無,出血量,出血部位を確認すべきであり,そのために,出血管理の基本的手技である膣部の内診及び膣鏡診を行うべきであった。したがって,D医師が,子宮底の圧迫及び視診のみでEの産後出血はそれほどではないと考え,産後出血がショック状態の原因ではないと判断したことは,産科医師として尽くすべき出血管理義務を怠った治療上の過失といわなければならない。」と判示しました.
産後出血に対する対処について参考となる判決です.
なお,これは私が担当した事件ではありません.

「8 争点(4)(頚管裂傷の対処法における過失)について

(1) 原告らは,Eに産後出血があったのであるから,D医師は,直ちに適切な止血処置を採るべきであったのに,産科出血の基本的手技である内診及び膣鏡診を行わなかった結果,Eの頚管裂傷による出血を見逃したと主張する。

(2) この点,産後出血について,前記認定のとおり,
ア 日本産婦人科学会では,産後500ミリリットル以上の出血を異常出血としていること,
イ 一般には300ミリリットルを超えてなお出血が持続する場合,厳重な監視が必要となること,
ウ 止血処置を行っても,なお出血するときは輸液を開始し,出血量が800ないし1000ミリリットルを超えても出血が多めに持続するときは,血液を発注するとされて
いること
が認められる。
これらの事実によれば,産後出血量が500ミリリットルを超えた場合には,分娩時の異常出血として,医師は,出血部位,出血量の観察等,出血状況を管理すべき義務があるというべきである。

(3) これを本件についてみると,前記認定のとおり,Eは,C医院での出産経過中,出産直後までに500グラムの出血があり,以後,本件当日午後7時15分までに40グラ
ム,以後,同日午後8時までに600ないし800ミリリットルの出血が継続的にあったこと,Eの産後出血は,典型的な頚管裂傷の場合と異なり,1時間当たり約800から1000ミリリットル程度の緩やかな出血であったことが認められる。

(4) とすると,本件当日午後7時15分ころ,Eに,多量ではないものの出血状態が存在し,血圧低下,頻脈等があり,プレショック状態が認められた時点では,その原因の解明は必須であり,特に,Eの分娩時出血が約440グラムと比較的多量であったこと,出血性ショックはショック状態発現の原因として最も頻度が高いと一般的に認識されていること(甲21)からすれば,D医師は,出血性ショックの可能性を疑い,Eの出血状態について確認するとともに,出血性ショックの可能性につき慎重に判断すべき義務があったというべきである。

(5) そして,証拠(甲5の1・2・4ないし6,9の2,14,21)によれば,膣部の触診及び膣鏡診による出血の確認は,一般の産婦人科医師として,容易かつ基本的な手技であること及びスピードの遅い出血の発見には膣鏡診が不可欠であることが認められ,産科医師としては,産後の出血状態の確認手段として,膣部の触診及び膣鏡診を当然実施すべきであると解される。

(6) これに対し,前記認定のとおり,D医師は,
ア Eの子宮底の圧迫と外陰部の視診を実施し,その結果,産後出血量はそれほどでないと判断したこと,
イ 産後出血量判断のための内診及び膣鏡診は行わなかったこと,
ウ Eの出血に対して,輸液等の処置は講じていないこと,
エ ショック状態に対する処置として,ソルコーテフ,ブルタールの投与を行ったこと が認められる。

(7) とすると,Eには産後,正常値の範囲内ではあったものの比較的多量の出血が認められ,その後にはプレショック状態が発現し,ショック状態へ移行していたのに,出血状況の確認として,一般の産婦人科医師として容易かつ基本的な手技である内診及び膣鏡診を行うことなく,子宮底の圧迫と外陰部の視診のみでEの産後出血量はそれほどではないとしたD医師の判断は,Eが既にプレショック状態に陥っており,ショックの原因及びその対処方法の判断に必ずしも十分な時間的余裕がなかったこと,Eの頚管裂傷には急激な多量出血を来すような血管断裂がなく,Eに目立った外部的出血が認められないなど,Eの頚管裂傷からの出血状態は非定型であったこと,Eが出産後早い段階でプレショック状態に陥っていることなどを考慮しても,D医師の実施した子宮部の圧迫及び外陰部の視診による産後の出血管理は十分なものとはいえず,産科医師として当然尽くすべき産後の出血管理義務を怠ったものと認めざるを得ない。

(8) また,本件で,D医師がEの出血確認措置として,内診及び膣鏡診を実施することについて,当時の状況に照らし,それが困難を伴うものであったことを認めるに足りる証拠もない。

(9) 以上の事実によれば,D医師は,Eの産後出血を認識し,Eがその後プレショック状態に陥ったのであるから,出血継続の有無,出血量,出血部位を確認すべきであり,そのために,出血管理の基本的手技である膣部の内診及び膣鏡診を行うべきであった。したがって,D医師が,子宮底の圧迫及び視診のみでEの産後出血はそれほどではないと考え,産後出血がショック状態の原因ではないと判断したことは,産科医師として尽くすべき出血管理義務を怠った治療上の過失といわなければならない。
この点,L鑑定においても,D医師は,Eの分娩後ショックの段階で,内診及び膣鏡診を行うとともに,分娩時の出血量と合わせて,出血量の厳密なチェックを行い,とりあえずショックに見合う補液を実施すべきであったとされている。

(10) もっとも,D医師は,Eのプレショック状態に気付き,重篤と判断し,他院へ緊急搬送しており,ショック状態発現に対する対応それ自体は迅速なものと認められるが,D医師は,Eのショック状態の原因について最低限の診断である出血確認手技を実施せず,Eのショックの原因を非出血性ショックと判断して搬送処置を採っており,その結果,H病院到着までEの出血に対して輸液措置が行われなかったことからすれば,D医師が迅速に搬送処置を採っていることをもって,D医師が尽くすべき義務を果たしたということはできない。

(11) よって,D医師には,Eの産後出血に対する処置について過失が認められる。」


同判決は,出血管理義務を怠った治療上の過失と死亡との因果関係を認めました.

「9 争点(5)(死亡との因果関係)について
(1) D医師の前記過失とEの死亡との間に因果関係があるというためには,①D医師が医師として尽くすべき出血管理処置を行っていたならば,Eの出血を把握することが可能であり,②その時点で,Eの出血に対する治療を開始していれば,Eがその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が認められることが必要であるというべきである。

(2) 前記認定のとおり,D医師が内診及び膣鏡診を実施していれば,Eの頚管裂傷自体を発見することは困難であったとしても,証拠(証人Lの供述書,L鑑定)によれば,頚管裂傷からの出血による血液の流出は主として頚管内腔から膣へと向かったことが認められることからすれば,少なくとも,Eに相当な出血が継続していることを発見することは可能であったと推認される。

(3) 次に,その時点においてD医師が課されていた注意義務を尽くしていれば,Eがその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が認められるか,具体的には,①前記時期に発見し得た場合,当時の医療水準に照らし,適切な治療法を選択し,効果的な処置を採ることが可能であったか,②そのような治療処置が採られた場合,Eがその死亡の時点において生存していたであろう高度の蓋然性が認められるかが問題となる。

(4) 前記認定及び証拠(証人Lの供述書,L鑑定)によれば,D医師が,Eの膣部に出血を認め,Eのショック状態について,出血性ショックの可能性を疑ったならば,Eに対し,タンポナーゼ等による暫定的な止血処置を講じた上,出血量の管理を行い,20ないし30分間で500ないし1000ミリリットル程度の補液を実施することで,出血に対する処置を採り,産科救急が可能な専門医に搬送すべきであったことになる。
証拠(甲16,21,証人Lの供述書,L鑑定の結果)によれば,持続的産科出血が認められた場合,それに対する暫定的な止血処置を講ずることは,産科治療の基本とされていること,開業産科医にとって,プレショックからショック状態に至る過程で必要とされる輸液実施は容易であること,20ないし30分間で500ないし1000ミリリットル程度の輸液は開業産科医が行う暫定的処置として必須の処置であることが認められ,かかる処置を採ることは容易であったと認められるから,D医師としても同処置を講ずることが特段の困難を伴うものでなかったことは明らかである。

(5) このような処置が採られた場合,C医院において,暫定的止血処置及び補液が実施された上,高次医療機関において,血道を確保し,輸液の多量急速投与を行った上,輸血の実施及び出血部位の特定,止血処置が講じられることになると考えられる。
この場合,前記認定のとおり,
ア プレショック段階でのEの出血量は500グラム程度であったと認められ,その時点での出血量はそれほど多量ではなく,また出血スピードも速くなかったことからすれば,Eの出血性ショックは必ずしも不可逆的なものであったとは考えられないこと,
イ 暫定的止血処置により,H病院搬送までに認められた600ないし800ミリリットルの出血は相当減少したと考えられること,
ウ Eに対して,C医院で出血量に応じた補液がなされることにより,出血によるショック状態の発現,悪化も相当程度くい止められたと考えられること,
エ C医院で暫定的処置を講じた上,高次医療機関に搬送されれば,適切な補液及び輸血の実施により,ショック症状は改善されたと考えられること,
オ 高次医療機関では,Eの頚管裂傷を発見することは可能であり,出血巣に対する処置もなし得たと考えられること
が認められることからすれば,Eについて,プレショック発現時点から,適切な出血管理が行われていれば,Eが死亡の機序をたどらなかった可能性は高く,Eの死亡時においてもなお生存していた高度の蓋然性があるものと認めるのが相当である。

(6) この点,L鑑定においても,D医師が採った処置がEの予後に少なからず影響を与えた,D医師により出血性ショックに対して適切な処置が講じられれば,Eはこれほど早く心停止に至ることはなかったと判断されている。

(7) なお,L鑑定においては,Eの分娩後,H病院で初回の心停止状態に至るまでの間に推定される出血量では,通常失血死に至ることは考え難い,Eの死亡については他の要因の存在も否定できないとされており,Eの出血性ショックは,その出血状態,出血量等からして,典型的な頚管裂傷による出血性ショックの機序にそのまま合致するとはいえない。
しかし,Eが失血死に至る機序が全面的に解明されていないとしても,前記認定のとおり,Eに相当量の産後出血が継続して出血性ショックが発生し,D医師の治療上の過誤により,出血性ショックに対し相当時間適切な処置がとられず,最終的に,Eが出血性ショックによる呼吸循環不全により死亡するに至ったことが認められる以上,D医師により適切な出血管理が実施されていれば,Eがその死亡時においてなお生存し得た可能性は高いというべきであって,Eの死亡について他の要因が介在した可能性があることを理由に,D医師により採られるべきであった処置とEの死亡時における生存の蓋然性との間の因果関係を否定することはできない。

(8) したがって,D医師の前記過失とEの死亡との間には相当因果関係が認められる。」


谷直樹

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by medical-law | 2022-02-21 23:22 | 医療事故・医療裁判