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手術部位の出血が凝血塊となり反回神経麻痺に起因する呼吸不全を引き起こすことを予見し即時に気管内挿管や気管切開の措置を講ずることができるよう準備を進めるべき注意義務 名古屋地裁平成19年1月31日判決

名古屋地裁平成19年1月31日判決(裁判長 加藤幸雄)は,手術部位の出血が凝血塊となり,これがその周辺の反回神経を圧迫・麻痺させ,声帯が閉塞したことにより呼吸困難が生じ,71歳の患者が平成15年11月11日に死亡した事案で,原告Bが平成15年11月10日午後8時45分ころCが息苦しいと訴えていたのを聞いたこと,午後9時以降Cの体動が徐々に激しくなったことから,反回神経麻痺による呼吸困難が生じたのは遅くとも午後9時ころであったと認定しました.
同判決は,「反回神経麻痺による声帯閉鎖に起因する呼吸不全が急激に生ずることが知られており(乙B8),反回神経がこのような形で換気不全を起こした経験はなく(乙B9),比較的少量の出血においても時に発生する反回神経麻痺を予見して的確に対処することはそれほど容易なことではなく(乙B16),凝血で反回神経が麻痺することは,これまでの数百例の甲状腺癌の手術において実際に経験したことがない(乙B17)としても,少なくとも相当規模,施設を有する総合病院(甲A1)の医療従事者にとって,上記の予見可能性が存在したと判断するのが相当である。」と認定しました.
同判決は,「F医師には,G准看護師から連絡を受けた午後9時10分ころ,看護師等に対して体動の原因を明らかにするための更なる指示を与え,同時に同医師自らあるいは当直医をしてCの呼吸状態等とともに術創の腫脹などを確認すべきであったといえる。特に,看護師等は,前記のとおりCの創部に留置されていたドレーンの当てガーゼを開けてはいけないと指示されていたのであるから,医師が直接創部の状態を確認すべきであったといえる。その結果,Cが呼吸困難な状態に陥っていることを知ったのであれば,これが反回神経麻痺に起因する可能性をも視野に入れ,不慮の事態が生じた時には即時に気管内挿管や気管切開の措置を講ずることができるよう準備を進めるべき注意義務があったといわざるを得ない。」と注意義務義務違反を認めました.
同判決は,「Cの呼吸困難の原因が反回神経麻痺による声門閉塞であって,気道さえ確保できれば心肺機能も回復した可能性が高く,呼吸停止から脳の不可逆的損傷までに3分ないし5分要すること(甲B22)も併せ考えれば,救命できた蓋然性が高いと認められる。」と判示し,因果関係を認めました.
術後,時に発生し予見して的確に対処することはそれほど容易なことでない事態について,相当規模,施設を有する総合病院の医療従事者の注意義務を考えるうえで,参考になります.
なお,これは私が担当した事件ではありません.

「1 争点1(Cの死因と予見可能性の有無)について

(1) 剖検の所見

本件では,Cの剖検が行われているところ,これを担当した被告病院のI医師作成の剖検診断書(甲A3)によれば,以下の所見が認められる。
剖検時,Cの左側頸部に9センチの手術痕があり,ドレナージチューブが挿入されていた。術創を切開すると,頸椎切除部から肺門の高さまで(長さ約15センチ)気管を囲むように厚さ約1センチの凝血が見られた(量としては200ないし300ml程度)。気管周囲の筋は散在性に変性していた。
気道の閉塞は剖検時には見られなかった。心臓はTTC(染色法の一種)を用いた結果,梗塞は否定できた。心室拡大はなく,肝臓の所見から不整脈などの心臓性突然死の可能性はない。声帯には肉眼的に明らかな異常はなかった。

(2) 医師による意見書

ア T大学法医学教室J医師作成の意見書(甲B8)には,Cの死因として,①骨の除去部からの出血による反回神経の圧迫,麻痺による声帯の不完全閉塞部に痰が詰まったことによる窒息,②反回神経の圧迫,麻痺による声帯の不完全閉塞部に,手術操作・気管挿管・循環障害により粘膜浮腫が生じていたために完全閉塞してしまったための窒息(解剖時には心停止しているため声帯浮腫は顕著な所見として認められないことも十分に考えられる。),③迷走神経反射による心停止,の可能性を挙げ,これらについてそのうちの1つを断定はしないが,上記のいずれにしても直接的な原因は頸椎骨切除手術後の頸部後出血に起因する旨の記載がある。

イ I医師の陳述書(乙A7の1)には,「肺門部まで及んだ凝血が,声帯の動きを司る反回神経を圧迫するなどして麻痺させ,健側の声帯を麻痺させた可能性が高いと考えるようになりました。反回神経が麻痺されると,声帯が動かなくなり,声門が閉鎖するなどして,換気が急激に悪化します。
反回神経は,気管の後方,縦隔を走行していますので,障害を受けやすいとされています。縦隔の腫瘍,あるいはリンパ節腫大などでも,反回神経が圧迫され麻痺が起こることは文献上も記載されていますので,頸部から肺門部に至る凝血が反回神経を圧迫し,麻痺を起こすことが考えられます。」との記載がある。

ウ U大学病理病態学講座生体反応病理学K教授の意見書(乙B8)には,Cの死因は凝血塊によって生じた呼吸不全と考えるのが妥当とし,機序としては,①気管周囲性の凝血塊による反回神経圧迫による麻痺とそれに続く声帯の閉鎖,②気管周囲性の凝血塊による静脈圧迫に基づく咽頭浮腫,③凝血塊による気道の直接の圧迫,が考えられ,そのうち①の可能性が最も高い旨の記載がある。

エ U大学整形外科学教室L講師の意見書(乙B9)には,①頸椎前方部の手術を300例行ってきたが,今まで本件のような血腫で気管が圧迫狭窄を受け,換気障害を起こした経験はなく,1センチほどの血腫で圧迫狭窄を受けるほど気管は弱くない,②咽頭浮腫については,死後すぐに行われた解剖所見で浮腫を認めなかったことから今回の原因としては否定的である,③迷走神経反射での心停止は起こり得る,④反回神経が凝血によって麻痺し,右声帯を麻痺させることによって換気不全を生じたという仮説が考えやすいが,実際の経験はなく,また,1センチ程度の後縦隔へ広がった血腫が反回神経麻痺を起こすかどうかの可能性については言及できない旨の記載がある。

オ U大学医学部法医学教室M教授の意見書(乙B16)には,本件は,比較的少量のコントロールされた出血であったが,たまたま凝血が反回神経を圧迫したために神経障害によって死亡した公算が大きい旨の記載がある。

(3) 死因の推論

この点,県立V病院院長N医師の意見書(乙B17)には,上記のような経過をたどり呼吸困難となって死亡することは理解し難い旨の記載があるが,他方では,理論上可能性があるともしている。
そこで,次に,それ以外の死因の可能性について検討するに,まず,凝血塊による気道圧迫については,剖検記録(甲A3),剖検時の気道周辺の写真(甲B8に添付)からすると,確かに気道周辺に1センチ程度の血腫が見られるものの,上記意見書等の中でも,この程度の血腫では気道は圧迫されないとされていることから,気道自体を血腫が圧迫したことによる気道閉塞の可能性は低いと判断できる。粘膜浮腫についても,剖検時において浮腫の所見はなかったことが認められることから(乙A7の1),死因に寄与したとは認め難い。さらに,反回神経麻痺に加えて痰が詰まったことも複合的な原因と考えられるという見解については,午後9時以降,あまりCの痰を吸引できなかった一方で,解剖所見でも痰が体内に認められなかったことから,Cの声帯及び気道には気道閉塞させるほどの痰が詰まっていたとは認められない。
以上を総合すると,Cの死因としては,複数の医師が本件で最も可能性が高いと判断しているとおり,手術部位の出血が凝血塊となり,これがその周辺の反回神経を圧迫・麻痺させ,声帯が閉塞したことにより呼吸困難が生じたと認めるのが相当である。

(4) 気道閉塞が生じた時点

次に,反回神経麻痺に起因する気道閉塞が生じた時点について検討するに,原告Bは,病室に到着した午後8時45分ころ,Cが息苦しいと訴えていたのを聞いたと述べていること(乙A3の57頁,原告B本人),G准看護師も,午後9時以降,Cの体動が徐々に激しくなったと述べていること(乙A3の61頁,証人G)からすれば,反回神経麻痺による呼吸困難が生じたのは,遅くとも午後9時ころであったと認められる。
被告は,このころのCの体動について,全身麻酔の残存,体温低下,疼痛によるシバリング及びICU症候群といった他の原因による不穏であった可能性を主張するが,それらの可能性が相当程度存在することを示すような証拠はないから,被告の上記主張は採用できない。
また,被告は,反回神経麻痺は急激に進行するところ,午後9時ころにおいては,いまだそのような状態にはなかったと主張するが,甲B8には,反回神経麻痺でも即座に呼吸困難を来すものではないとの記述がある上,午後9時25分には心停止に至っている(乙A3の62頁)ことに照らすと,遅くとも午後9時ころに反回神経の麻痺が生じたとの上記認定を妨げるものではない。

(5) 予見可能性の有無

進んで,上記の死因,機序の予見可能性の有無について判断するに,証拠(甲B2,7,8,16ないし19)には,食道癌手術,甲状腺手術,胸腔内手術,頸椎前方固定術等の際,合併症として反回神経麻痺を生ずる可能性があること,特に両側性麻痺は重篤な呼吸困難を来すことがあるから,嗄声の有無や呼吸状態の観察を定期的に行い,致命的な結果を招く前に,気管内挿管や気管切開の措置が必要となることがあることなどと記載されていることが認められる。
そうすると,反回神経麻痺による声帯閉鎖に起因する呼吸不全が急激に生ずることが知られており(乙B8),反回神経がこのような形で換気不全を起こした経験はなく(乙B9),比較的少量の出血においても時に発生する反回神経麻痺を予見して的確に対処することはそれほど容易なことではなく(乙B16),凝血で反回神経が麻痺することは,これまでの数百例の甲状腺癌の手術において実際に経験したことがない(乙B17)としても,少なくとも相当規模,施設を有する総合病院(甲A1)の医療従事者にとって,上記の予見可能性が存在したと判断するのが相当である。

2 争点2(呼吸管理に関する経過観察義務懈怠の有無)について(1) 11月11日(手術当日)の経過について判断の基礎となる事実前記前提事実に,証拠(甲A4,5,6,乙A1,2,3,証人G,原告A本人。ただし,認定に反する部分を除く。)及び弁論の全趣旨を総合すれば,以下の事実が認められる(乙A3については,原則として頁数のみで表記する。)。

ア Cは,被告病院において,手術前に頸部CT検査,肝機能検査を受けたところ,肝機能検査の結果は,ALPが314,ASTが44,ALTが41,γ-GTPが234であった(24頁)。

イ Cは,午前11時においては,血圧132/74(mmHg),脈拍78回/分,体温36.4度であり,午後1時においては,血圧160/84(前同)であった(53頁)。

ウ Cは,午後1時30分に手術室に入室し,モニターを装着した。そして,同39分,気管内挿管が行われた後全身麻酔が施され,午後2時29分から午後4時20分までの間,頸椎骨切除手術(気管及び食道を圧排していた第3頸椎から第7頸椎の隆起した巨大骨塊をノミで削り落とし,出血部位をボーンワックス(骨蝋)で可及的に止血した後,ペンローズドレーンを創部に留置するというもの。)を受けた(16,18頁)。術者はH医師,助手はF医師,麻酔医はO医師であった。
Cの血圧は,麻酔導入時にいったん低下したが,その後,収縮期血圧は86から114で推移した(20頁)。手術による出血量は127gであり,また,Cが手術室を退室する時点での臨床症状は,血圧が116/65(mmHg),脈拍が57回/分,体温が35.2度,SpO が992パーセントで,術後,気管内挿管については抜管された(18,19頁)。

エ Cは,午後5時15分,手術を終えてリカバリールームに戻った。リカバリールームは,ナースステーションの隣にあり,ナースステーションとはガラスで隔てられている(乙B2,3)ので,そこに待機している看護師等は,容易に患者の様子を把握することができた。
この時点で,Cの意識は覚醒していた。Cには自動血圧計が装着され,この時点での血圧は111/59であり,SpO は100パーセント,2体温は35.7度であった。Cには,疼痛や外部から認識できるような出血は見られなかったが,起き上がろうとすることがあった。また,Cに対し,インスピロンを使用して,毎分4リットル,濃度40パーセントの酸素が流入された。この時点では,創部に留置されたドレーンからの排液は
なく,バルーンカテーテルからの排液が200mlあった(61頁)。
オ Cは,午後5時25分,動脈血を採取され,動脈血ガス分析が行われた(28頁)。
カ 午後5時30分ころ,F医師が,原告Aに対し,予定どおり頸椎の増殖骨を切除したこと及び術後に喉頭違和感,疼痛出現の可能性があることを説明するとともに,術前術後のレントゲン及び切除した骨を見せ,学会に紹介してもいいかどうか尋ねた(なお,この点について,被告は午後8時過ぎころの事実であると主張するが,下記のとおり,原告Aはその時刻ころには被告病院にいなかったと認められるので,上記のとおり,認定し
た)。

キ 午後5時45分ころ,上記(オ)の動脈血ガス分析結果が判明し,Phが7.386,PCO2が48.9,PO2が162.1,BEが3,SaO2が99.3であった(28頁)。
また,同時刻でのCの血圧は119/58(mmHg),SpO2は92.9パーセント,体温は35.4度で,疼痛はなく,創部からの軽度の出血が見られた。そして,G准看護師が,Cに対し,苦しさや痛みはないか尋ねると,苦しくないという意味でうなずいた上,大丈夫,楽になったと話した。その際のCの声は,聞き取りづらさはあったものの,G准看護師には通じた。G准看護師は,カルテに「出血軽度あり。注意し,観察必要」,「術後に嗄声↑」と記載し,観察を続行することとした。(13,63頁,証人G)

ク Cは,午後6時15分の時点で,血圧が118/58(mmHg),SpO2が98パーセント,体温が35.1度で,疼痛はないものの,創部からの出血が見られた。Cから,痰が絡んで自力で喀出できないとの訴えがあったため,G准看護師が痰を吸引し,白色痰を少量吸引した。なお,喘鳴及び疼痛は見られなかった(61頁)。

ケ 午後7時15分のCの血圧は117/67,SpO2は99パーセント,体温は35.3度であり,疼痛はなく,創部に当てていたガーゼに出血が認められた。Cは,咳漱とともに自力で痰を喀出でき,落ち着いた様子であり,「痰が出た,大丈夫。」と述べた。G看護師は,症状の観察を続行することとした(61頁)。

コ 原告Aは,午後6時ころ,被告病院を出ていったん自宅へ戻っていたところ,午後7時7分に会社を出て,地下鉄伏見駅を同27分に発車した電車に乗った原告Bから電話を受け,豊田市駅まで迎えに来てもらうように頼まれた。
原告Bは,午後8時12分に豊田市駅に到着し,同25分ころ,迎えに来ていた原告Aの運転する自動車に乗って被告病院に向かい,同45分ころ,到着した(甲A4,5,6の1・2,原告B本人)。

サ G准看護師は,午後9時前ころ,原告Bと共にリカバリールームを訪れ,Cに対して「また痰が出ますか。」と尋ねた。
Cは,「起きる,起きる。」と繰り返し述べ,ベッド上で起き上がろうとした。G准看護師は,Cが自力で痰を喀出できていないと考えて,痰を吸引しようと試みたが,少量しか吸引できなかった。そこで,G准看護師は,「もっと奥の方に痰があるかもしれないですね。」と述べ,また,Cがインスピロンを外そうとしたため,蒸留水吸入を行った。このころのCの血圧は166/68(mmHg),SpO2が98パーセント,体温が36.9度であった。(甲A4,乙A3の61頁,8)
しかし,Cは,苦しい,苦しいと述べていた(甲A4,乙A3の57頁,原告B本人)。

シ Cは,午後9時10分ころ,「水が飲みたい,起きる。」と述べた。それに対し,G准看護師は,ガーゼを濡らし,Cの口唇と舌を拭いた。Cは,その後も,「起きる,横になる。」と言って起き上がろうとした(甲A4,乙A3の61頁,8)。
G准看護師は,Cの発言を聞き,病棟巡回中のP看護師のところに行って,Cを側臥位にしてよいか確認したところ,P看護師は,側臥位にすることは可能である旨返答した(乙A8)。
G准看護師は,P看護師と共にリカバリールームに戻った。さらに,Q看護師も処置に加わった。P看護師は,原告Bに対し,「横を向けると痰が出やすくなると思うので横を向けますね。」と説明した。それに対し,原告Bは,「お願いします。」と答えた。G准看護師ら3名は,Cの患部を支えながら,Cを右下側臥位に体位変換したが,Cは,起き上がったり,仰臥位に戻ろうとし,また,「死ぬ,死ぬ。」と述べたりしていた。その間,原告Bは,Cの右手を持ち,「起き上がっちゃ駄目よ。」と説得した。
しかし,結局,P看護師,Q看護師及びG准看護師の3名は,Cの言動から側臥位にしておくことは適切ではないと判断し,Cを仰臥位に戻した。
その後もCは,起き上がろうとしたが,G准看護師ら及び原告Bによって制止された(乙A8)。
Cの様子を心配した原告Bが,看護師等に対し,酸素が本当にCに入っているのか尋ねると,P看護師は,インスピロンマスクから細かい霧が出ているのを見せながら,「ここに酸素が通って,水蒸気と一緒に出ています。ほら,霧が見えるでしょう。」と説明した(乙A8)。
Cの血圧は,170ないし180(mmHg)で推移するようになり,時には190台(前同)まで上昇した。原告Bが,血圧計のモニターの数値を見て,「これは何ですか。」と質問したところ,P看護師は,「血圧です。腕に力が入ると高く出てしまう,血圧が高くなると,余計に出血しやすくなる。」旨説明した。さらに,原告Bが「大丈夫ですか。」と問うと,P看護師は,SpO2が95ないし96パーセントであることを確認し,原告Bに対し,「手も温かいでしょ,触ってみて,これは手の先まで酸素がいっている証拠だから,大丈夫ですよ。」と述べるとともにSpO2について説明した(甲A4,乙A3の61頁,8)。
G准看護師は,この間にも口腔,鼻腔から痰の吸引を試みたが奏功せず,喉の奥に痰があって喀出できないのではと考えた。Cは,痰を吸引する際は体動が治まっていたが,吸引後は再度起き上がろうとしていた。また,Cに経鼻エアウエイを挿入し,痰を吸引しようとしたが,これも奏功しなかった(61頁)。
看護師ら3名は,相談の上,医師へ上申することとし,G准看護師が,電話で,F医師に対し,Cの血圧が150ないし160台(mmHg)であること,SpO2が96ないし95パーセントであること,痰があり,起き上がろうとする動作があって不穏状態であること,側臥位への体位変換,蒸留水吸入を実施しても痰は少量しか引けないことなどを説明し,ギャッジアップしてもよいか尋ねた。それを聞いたF医師は,ギャッジアップを20度することを許可し,それでも不穏が続く場合にはセルシン10mgを1A筋肉注射することを指示した(乙A3の61頁,8,証人G)。
そして,P看護師は,原告Bに「ベッドを20度上げる許可をもらいました,その方が痰が出やすいと思いますよ。」と述べ,G准看護師は,他の看護師と共にベッドを20度ギャッジアップし,痰の喀出を促した。Cは,咳を軽く2回したが,痰がらみの咳が出るだけで,喀出できなかった。
その後もCの体動は続き,インスピロンを外そうとする動作をしていた。
ス そこで,看護師ら3名は,セルシンの投与の準備を始めたところ,原告Bが「何の注射ですか?」と尋ねたので,P看護師は,「本人が興奮されているので,それを抑える薬です。」と答えた(乙A8)。
G准看護師は,午後9時13分,Cに対し,「ちょっと痛いですよ。」と声をかけ,セルシン1A(10mg)を左腕に筋肉注射した(乙A3の62頁,8)。

セ 午後9時15分ころ,Cの血圧は158/62であり,SpO2が95ないし96パーセントであった。Cは,この時点でも起き上がろうとする動作を続けていたため,看護師等は,Cの手足をさすったり,痰を吸引しようとしたが,少量吸引できただけであり,吸引カテーテルは途中で止まって入らなかった(62頁)。このころ,P看護師は,病室を巡回するため,いったん退室した。

ソ Cの呼吸状態は,セルシンの投与後数分したところで,深い吸気と短い呼気というように変化した(乙A8,証人G)。それを見たG准看護師は,ナースステーションに心電図モニターを取りに行き,午後9時20分ころ,Cにこれを装着した。すると,当初は毎分100回台であった心拍数が徐々に毎分30ないし40回台に低下していった(乙A3の62頁,乙A
8)。

タ Cは,午後9時25分ころ,深い吸気のまま呼吸停止した。Q看護師は,それを見て,ナースステーションでモニターを見ていたG准看護師を呼んだ。G准看護師は,ギャッジアップしていたベッドを下げ,Q看護師に心臓マッサージを指示し,Q看護師は心臓マッサージを開始した。G准看護師は,リカバリールームを出て,病棟巡回中のP看護師に応援を依頼し,かつ当直医及びF医師に連絡した(乙A8)。
P看護師は,リカバリールームに戻ってアンビューバックを開始した。
そのころ,当日の当直医であったR医師もリカバリールームに駆けつけた。
また,原告Bは,廊下を歩いていた被告病院のS医師と出会い,父親の急変を告げたところ,S医師も,リカバリールームへ駆けつけた。そして,アンビューバックと心臓マッサージを続ける間に,気管内挿管の準備を進めた(乙A3の62頁,乙A8)。

チ 医師らは,午後9時35分ころ,気管内挿管を試みたところ,最初に使用した8.5フレンチのチューブでは通過しなかったため,6フレンチのチューブに取り替えて,ようやく通過した。このころのCのSpO2は67パーセントであり,心電図は平坦であった(62頁)。
Cは,午後9時40分ころ,人工呼吸器を装着され(62頁),同42分にはボスミン3Aを静脈注射された。この時点でのCのSpO2は63ないし66パーセントであり,同47分には心拍数が毎分120台(mm
Hg)となって,鼠径動脈に触れることができた。ただ,対光反射及び腱反射はなく,瞳孔は散大していた。この時点で一度,心臓マッサージを中止した(64頁)。
同52分,Cの心電図は平坦であったが,蘇生術が再開された。同53分にはボスミン1Aが静脈注射され,同55分には更に1Aが静脈注射された。その結果,同58分には,SpO2が56パーセント,心拍が毎分100回台となり,鼠経動脈に触れることができた(64頁)。

ツ Cは,午後10時05分ころ,右大腿部付近でアンギオ18Gを静脈内に留置され,また,ヴィーンF500mlを投与された。さらに,同8分には,ボスミン2Aが静脈注射され,カコージン3パーセント液を20ml/H投与された。同10分には右鼠径部で大腿静脈と中心静脈が確保され,ヴィーンF500mlを投与された。同13分には,ボスミン2Aが静脈注射され,同25分にもボスミン3Aが静脈注射され,頸部X線検査(ポータブル)が実施された(66頁)。

テ F医師は,午後10時40分ころ,Cにボスミン3Aを静脈注射するとともに,原告らに対し,午後9時20分ころCの呼吸が停止したこと,現在気管内挿管の上心肺蘇生術を行っていること,呼吸停止の原因は分からないが,可能性として血腫による気管の圧排が考えられることを説明した。
F医師は,午後11時35分,原告らに対し,2時間近くCの心肺蘇生を試みているが,非常に厳しい状態であること,心臓マッサージと薬剤で辛うじて心臓が動いている状態であり,心肺回復の可能性は厳しいことを説明した(57,66頁)。

ト Cは,午後11時50分,死亡が確認され,その後病理解剖が行われた(甲A3,乙A3の66頁)。

(2) 呼吸管理に関する経過観察の適否

ア 甲B16の26頁によれば,甲状腺腫瘍全身麻酔手術患者の看護について,手術当日の術後観察においては,バイタルサインのチェック,全身状態の観察(出血・腫脹の有無,リリアバックの排液量・性状の観察,呼吸状態の観察,悪心・嘔吐の観察,疼痛の有無,手指のしびれの有無),頸部の安静保持,安楽な体位の工夫,輸液管理が必要とされている。この文献は甲状腺腫瘍におけるものではあるが,頸部手術として本件と共通の性質を有している上,同25頁には,甲状腺疾患は手術侵襲は少ないが,術後の生体の急激に変化しやすい時期は他の疾病と変わらず,一般状態の観察はもちろん,術後起こり得る合併症として,術後出血,呼吸困難,低カルシウム血症などの観察にポイントを置き,援助しなければならない旨の記載があることから,本件における経過観察についても一般的に妥当すると考えられる。
そして,同27頁によれば,①血圧・脈拍については,術後全覚醒までは15分ごとのチェックを行い,変動がなければ30分ないし1時間ごとに観察し,術前の血圧のレベルを確認して,変動の有無をチェックする,②呼吸管理については,インスピロンによる酸素吸入を行い,深呼吸の助言やセミファウラー位にするなど,呼吸筋の緊張を和らげ,十分な換気ができるようにすることが大切であり,術後においては,特に反回神経麻痺による喘鳴や狭窄音の有無を観察して異常の早期発見に努める,③術後の急激な出血は気道を圧迫し,呼吸困難を起こすことがあるため,呼吸と出血状態の観察を併せて行うことが大切である,④呼吸困難については,発声の状態・嗄声に注意し,吸気音が強い,あるいは鼻翼呼吸を伴ったチアノーゼが見られる場合は,両側反回神経麻痺が考えられるので医師に連絡をする,⑤枕の高低によって,また創部ガーゼの圧迫が強すぎる場合にも呼吸困難を訴えるので,必要に応じて調節する,などの観察をすべきとされている。
上記の知見を基に,被告病院の医師及び看護師等による経過観察の適否について検討する。その際,Cの体動が激しくなったことが明らかな午後9時ころ以降とそれ以前とに分けて検討する。

(中略)

ウ 午後9時ころ以降

(ア) 前記認定のとおり,午後9時ころにおけるCの体動の原因は,反回神経麻痺に起因する呼吸困難であったと認められるところ,午後9時以降のCの症状及びそれに対する被告病院医師及び看護師等の対応は上記(1)で認定したとおりであり,午後9時10分の段階で,SpO2が95ないし96パーセントまで低下している上,午後9時ころからCの血圧が上昇し,体動が激しくなっており,看護師等が痰を吸引したり体位変換をしてもその状態が改善しなかったといった状況も見られている。
しかるところ,乙A9によれば,F医師は術前,呼吸困難の可能性をも考えていたことが認められ,特にCには,術前から片側反回神経麻痺が認められており,両側反回神経麻痺による呼吸困難の可能性は通常より高いことが予見し得る状況であった。
これらの事情を併せて考えれば,被告病院の医療従事者としては,遅くとも午後9時10分ころにおいては,Cの呼吸困難の可能性を考えた対応措置を速やかに講ずる必要があったと判断できる。

(イ) しかるところ,本件においては,F医師がG准看護師から上申を受けた際に聞いた内容は前記(1)シのとおりであるところ,脈拍数や呼吸数については具体的な数値は明らかでなく,そのような情報量では,Cの
体動が呼吸困難によるものか別の原因によるものか,確定的な判断ができるだけの情報が得られたとはいい難い。そうだとすれば,F医師としては,指示を与える前提として,まず,体動の原因を判断し得るだけの症状を確認するよう看護師等に指示すべきであった。加えて,呼吸困難かどうかを判断する際には,呼吸状態を視認したり聴診によって確認したりするなど,看護師等のみによっても把握できるものだけでなく,創部や気道の状態を確認する際に場合によってはCTなどの使用も考えられることから,看護師だけでは対応できないものもある。特に,看護師等は,Cの創部に留置されていたドレーンの当てガーゼを開けてはいけないと指示されていた(証人G)のであるから,看護師等のみでは創部の状態を十分確認できない。また,反回神経麻痺に起因する呼吸困難の結果呼吸停止となった場合などでは,医師による気管内挿管又は気管切開が必要となる可能性が高い。
とすれば,F医師としては,呼吸困難の可能性を踏まえて,その後の急変に対応できるよう同医師自らがCの下へ向かうか,とりあえずは当直医にリカバリールームへ来てもらうよう指示するなどして,医師が直接観察し,必要な措置を採れる状態にしておくべきであったというべきである。

(ウ) この点,被告は,乙A10によればSpO2が90パーセント未満となった場合にはサチュレーションモニターのアラームが鳴るとされていることなどから,SpO2が95ないし96パーセントの段階での対応としてはF医師及び看護師等に問題はないと主張する。しかし,直ちに気管内挿管をすべきかどうかは別として,もともと98ないし99パーセントであったものが95パーセント程度に下がってきていることからすれば,換気状態が悪化している可能性を否定できるものではない。
また,被告は,Cの体動について呼吸困難以外の原因による可能性もあると主張する。確かに実際に対応に当たっていた時点に立ってみれば,そのような可能性を考えること自体問題というわけではない。しかし,呼吸困難である可能性を否定するほどの事情は認められないのであり,実際に呼吸困難に陥っていた場合の緊急性,結果の重大性にかんがみる
と,呼吸困難の可能性を上位に考えた対応をしておくべきであったというべきである。

(3) 担当医の注意義務懈怠
以上のとおり,F医師には,G准看護師から連絡を受けた午後9時10分ころ,看護師等に対して体動の原因を明らかにするための更なる指示を与え,同時に同医師自らあるいは当直医をしてCの呼吸状態等とともに術創の腫脹などを確認すべきであったといえる。特に,看護師等は,前記のとおりCの創部に留置されていたドレーンの当てガーゼを開けてはいけないと指示されていたのであるから,医師が直接創部の状態を確認すべきであったといえる。
その結果,Cが呼吸困難な状態に陥っていることを知ったのであれば,これが反回神経麻痺に起因する可能性をも視野に入れ,不慮の事態が生じた時には即時に気管内挿管や気管切開の措置を講ずることができるよう準備を進めるべき注意義務があったといわざるを得ない。
しかるに,F医師は,G准看護師からの連絡を受けても,Cの体動が痰詰まりと術後の通常の不穏と速断し,ギャッジアップとセルシンの筋肉注射を許可ないし指示するにとどまったものであるから,Cに対する経過観察において,注意義務を懈怠する点があったと判断するのが相当である。

「3 争点5(経過観察義務懈怠と結果との間の因果関係の存否)について

午後9時10分ころにF医師がG准看護師から連絡を受けた際,Cの呼吸困難の可能性を考え,体動の原因究明のための更なる指示を看護師等に与え,かつ,いつでも気管内挿管や気管切開ができるよう準備するなどの適切な対応をとっていれば,実際よりも早期にCの呼吸困難が判明し,気道確保に対する適切な措置を執ることができたと考えられる。また,たとえその後にCが呼吸停止に陥ったとしても,気管内挿管の実施は1分もあれば可能であること(証人G)からすれば,即座に気管内挿管を実施することができたといえる(チューブが適合しないことから,これを取り替えたとしても,致命的にならない短時間内に実施できたと考えられる。また,声帯閉塞の場合に,気管内挿管が一定の困難を伴うことは理解できるが,本件において,9時35分ころ,これが行われていることに照らせば,被告主張のように,不可能であったとまでは認められない。)。
そして,そのような対応ができていたならば,Cの呼吸困難の原因が反回神経麻痺による声門閉塞であって,気道さえ確保できれば心肺機能も回復した可能性が高く,呼吸停止から脳の不可逆的損傷までに3分ないし5分要すること(甲B22)も併せ考えれば,救命できた蓋然性が高いと認められる。
したがって,上記の経過観察義務懈怠と死亡との間に,因果関係の存在を肯認するのが相当である。


谷直樹

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by medical-law | 2022-02-27 23:34 | 医療事故・医療裁判