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脳梗塞急性期にはよほどの高血圧でない限り降圧しない注意義務 新潟地裁平成15年3月27日判決

新潟地裁平成15年3月27日判決(裁判長 犬飼眞二)は,「脳梗塞急性期の患者の治療に当たる医師は,患者の血圧を降下させることにより,脳血流が低下し,梗塞を進行させる危険性を十分認識した上で血圧管理を行うべきであり,よほどの高血圧でない限り降圧しないという注意義務を負い,仮に降圧を行う場合にも脳血流の低下により梗塞を進行させることのないように降圧措置による患者の血圧の変化に十分な注意を払い,降圧しすぎないようにする注意義務を負うというべきである。」と認定しました.
被告は,「脳梗塞急性期においては降圧措置を行わないとする考え方は科学的な根拠に基づいた医学(EBM)によるものではなく,管理された無作為抽出試験(コントロールスタディ)により科学的根拠が明らかにされているものではないから,降圧措置を行うことを否定する根拠になり得ない」と主張ましたが,同判決は,「管理された無作為抽出試験(コントロールスタディ)により科学的根拠が明らかにされていない場合には全て法律上の注意義務を負わないと解することは相当でなく,たとえ管理された無作為抽出試験により科学的根拠が明らかにされていないとしても,①その根拠に十分合理性が認められ,かつ,②その知見が文献等により提供され,一定のコンセンサスを得ている場合には,それに従った注意義務を法律上負うものというべきである。」と判示し,被告の主張を退けました.

「2 争点1(平成11年10月1日午後5時10分ころ,脳梗塞が発現するまでの血圧の管理は適切であったか否か)について

以下に理由を示すとおり,当裁判所は,A医師には原告の血圧管理についての注意義務違反があり,これにより平成11年10月1日午後5時10分ころの脳梗塞が発生したものと判断する。

(1) 証拠《証拠略》によると,脳梗塞急性期の高血圧管理については,血圧を降下させることに伴い脳血流が低下し梗塞を進行させる可能性があることが指摘され,したがって,過度の高血圧でない限り,降圧を行うべきでないとされていること,その管理基準となる血圧については,様々な考え方があるが,収縮期血圧でみると,200mmHg以上の場合にのみ降圧が必要であるとする文献が多く,もっとも高いもので収縮期250mmHgを超えるようなよほどの高血圧でない限り降圧の必要がないとするもの,最も低いもので180mmHg以下であれば降圧の必要はないとするものがあること,一例として,米国心臓病協会から1994年(平成6年)に発表された急性期脳血管障害治療ガイドラインには「急性期にみられる血圧上昇は原則として降圧しない。ただし,収縮期血圧220mmHg,平均血圧130mmHg以上や大動脈解離,急性心筋梗塞を合併するときは降圧を考える」とされていることが認められる。そして,血圧を降下させることにより脳血流が低下し梗塞を進行させるメカニズムについては,①脳の血管には血圧の変化に対しても脳血流を一定に保つ働き,自動調節能がある,②高血圧患者では,その柔軟性の低下によって脳血流量を維持すべき血圧の下限域が高い方にシフトしているので,わずかの血圧低下でも自動調節能の下限を切りやすい,また,③脳卒中の急性期には脳血管の自動調節能が阻害され,脳血流は血圧に依存するようになり,この時期に血圧が低下すると,血圧依存性に脳血流量が低下するために梗塞層が増大してしまうという説明がされている。
そうすると,脳梗塞急性期の患者の治療に当たる医師は,患者の血圧を降下させることにより,脳血流が低下し,梗塞を進行させる危険性を十分認識した上で血圧管理を行うべきであり,よほどの高血圧でない限り降圧しないという注意義務を負い,仮に降圧を行う場合にも脳血流の低下により梗塞を進行させることのないように降圧措置による患者の血圧の変化に十分な注意を払い,降圧しすぎないようにする注意義務を負うというべきである。

(2) これを本件についてみるに,前記1(2),(3)及び(6)のとおり,A医師は,平成11年9月30日に原告を診察し,脳梗塞後遺症・急性脳梗塞(再発)と診断したにもかかわらず,同日入院した原告に対し,降圧作用のあるアルマール,ホメラート及びテノーミンを毎朝服用させる投薬指示を行い,平成11年10月1日の朝にも原告に服用させていた。さらに,原告の血圧が170mmHg以上になった場合には降圧剤であるアダラートを1カプセル頓用させることを指示し,平成11年9月30日に2回アダラートを服用させていた。そして,このA医師の指示の基礎となる原告の血圧は,平成11年9月22日ころの健康診断の時点で収縮期162mmHg,拡張期104mmHg,同月24日の初診時で1回目の計測時に収縮期192mmHg,拡張期100mmHg,2回目の計測時に収縮期151mmHg,拡張期98mmHg,同月30日の再診時に3回計測して,収縮期-拡張期が,それぞれ195mmHg-95mmHg,165mmHg-97mmHg,188mmHg-96mmHgであり,降圧剤(アルマール,ホメラート及びテノーミン)の投与の結果,同年10月1日の原告の血圧は,午前10時40分ころに収縮期130mmHg,拡張期90mmHg,午後2時ころには収縮期130mmHg,拡張期70mmHgと著しく低下していた(なお,同日午後5時10分に原告に脳梗塞が発生した直後の測定値では,収縮期146mmHgであった。)。
このように,A医師は,原告が急性脳梗塞に罹患していることを認識しながら投薬時点で原告の血圧がどの程度かにかかわらず,漫然と降圧作用のあるアルマール,ホメラート及びテノーミンを原告に服用させていたものであり,しかも,その判断の基礎となった原告の血圧は,前記(1)の文献からすると降圧の必要性が認められないような値であったことや,降圧剤投与によって,原告の血圧は,降圧剤投与前の血圧に比べて著しく低下していたことに照らすと,A医師が,収縮期170mmHg以上のときに降圧剤アダラートの服用を指示した上,さらに原告の血圧値を問わず,毎朝降圧剤(アルマール,ホメラート及びテノーミン)の投与を行ったことは,急性期脳梗塞患者の治療に当たる医師に課せられた注意義務に違反しているものと評価すべきである。
したがって,A医師には,平成11年10月1日午後5時10分ころの脳梗塞の再発前の時点で,脳梗塞急性期の患者の治療に当たる医師に要求される,患者の血圧を降圧させることにより,脳血流が低下し,梗塞を進行させる可能性を十分認識した上で血圧管理を行うべき注意義務の違反があるというべきである。

(3)ア この点について,被告は,著しい高血圧の場合には,心臓保護,脳出血予防の観点から,ある程度の降圧が必要となると主張し,具体的には,本件では,平成11年9月24日の初診時(収縮期192mmHg,拡張期100mmHg)及び原告が被告医院に入院した同月30日(収縮期血圧が150mmHgから188mmHg程度)において高血圧が持続していたことから降圧が必要であり,同年10月1日には,最高血圧は180mmHgから130mmHgまで順次降下したが,同日午後5時10分には再び146mmHgに上昇したものであって,異常なほど血圧が降下したということはないと主張する。
急性脳梗塞の患者の血圧が著しく高く,心臓保護及び脳出血予防の必要性が具体的に存在する場合にある程度の降圧が必要となることは否定できないが,本件において,そのような必要性が具体的に存在したと認めるに足る証拠はない。しかも,前記1(1)及び(2)のとおり,原告の入院の原因となった左上下肢の麻痺の症状(A医師はこれを脳梗塞後遺症・急性脳梗塞(再発)と診断している。)は,A医師が平成11年9月24日に降圧剤であるアルマール及びホメラートを処方した直後に生じていること,前記のとおり高血圧患者は,その柔軟性の低下によって脳血流量を維持すべき血圧の下限域が高い方にシフトしているので,わずかの血圧低下でも自動調節能の下限を切りやすいことにかんがみると,急性期脳梗塞の患者の治療に当たる医師は降圧措置については慎重になるべきであり,既に説示したとおり,文献等に照らしても原告の血圧の水準では,降圧の必要性が認められないのであるから,原告の血圧がある一定水準以上の著しく高い値を示した場合に限って降圧するような措置をとることはともかく,毎朝降圧剤(アルマール,ホメラート及びテノーミン)を投与する必要があったとは認め難く,降圧が必要であったとの被告の主張は採用することはできない。
また,被告は,異常なほど血圧が降下したということはないと主張するが,前記のとおり,高血圧患者では,その柔軟性の低下によって脳血流量を維持すべき血圧の下限域が高い方にシフトしているので,わずかの血圧低下でも自動調節能の下限を切りやすいということを前提として血圧の降下が脳梗塞に及ぼす影響を考える必要があるところ,10月1日の原告の血圧は,午前7時ころに収縮期180mmHg,拡張期86mmHg,午前10時40分ころに収縮期130mmHg,拡張期90mmHg,午後2時ころには収縮期130mmHg,拡張期70mmHgと,降圧剤投与前の血圧に比べても著しく降下していたのであるから,脳梗塞との関係でいえば,十分危険な水準まで降圧したものと評価すべきであって,被告の主張を採用することはできない。

イ また,被告は,血栓溶解剤投与中に血圧が急上昇すれば脳出血を誘発する危険性が十分に考えられるところ,A医師は,強力な抗凝固療法であるカタクロット療法をウロキナーゼ療法と併用するに当たり,易出血症を恐れたために血圧管理基準値を170mmHgに設定していたものであり,これは脳出血性病変予防として妥当であって,A医師には注意義務違反はないと主張する。
前記1(3)のとおり,平成11年10月1日の午後5時10分ころに原告に脳梗塞が再発するまでの間,原告にはウロキナーゼ6万単位が点滴により投与されていた(なお,被告は,カタクロットとウロキナーゼを併用するに当たり易出血症を恐れた旨主張するが,前記1(3)エ(イ)のとおり,平成11年10月1日の午後5時10分ころの脳梗塞の再発後になって初めてカタクロットが使用されているため,脳梗塞の再発前の時点でのA医師の注意義務との関係では,ウロキナーゼ6万単位を投与したことを前提として検討する必要がある。)。

(ア) まず,被告は,A医師は易出血症を恐れたために血圧管理基準値を170mmHgに設定したと主張するが,前記のとおり,A医師は,原告の血圧が170mmHgに達しているか否かにかかわらず(原告の具体的な血圧値を問わずに),降圧作用のあるアルマール,ホメラート及びテノーミンを毎朝原告に服用させるとの投薬指示を出していたのであり,この点にA医師の注意義務違反があるのであるから,被告の主張は,その前提を欠き,採用することができない。

(イ) また,仮に,被告の主張がウロキナーゼ6万単位を投与している場合には毎朝降圧剤を投与することも許されるという主張であると理解するにしても,以下のとおり,被告の主張を採用することはできない。
すなわち,ウロキナーゼは,血栓溶解剤として保険適用が認められている薬であるが《証拠略》,ウロキナーゼを投与していたとしても,急性期脳梗塞の患者の血圧を降下させることにより脳血流が低下し梗塞を進行させる危険性があることは変わりがない。そうすると,ウロキナーゼを投与することにより,易出血症が生ずる具体的な危険性が存在する場合に,降圧による脳血流の低下により梗塞が進行する危険性を十分認識した上で血圧の管理に十分な注意を払いながら降圧することは格別,A医師のように,漫然と毎朝降圧剤を投与することは,降圧による梗塞の進行を招来する危険性があるため許されないというべきである。

ウ さらに,被告は,脳梗塞急性期においては降圧措置を行わないとする考え方は科学的な根拠に基づいた医学(EBM)によるものではなく,管理された無作為抽出試験(コントロールスタディ)により科学的根拠が明らかにされているものではないから,降圧措置を行うことを否定する根拠になり得ないと主張する。
しかし,管理された無作為抽出試験(コントロールスタディ)により科学的根拠が明らかにされていない場合には全て法律上の注意義務を負わないと解することは相当でなく,たとえ管理された無作為抽出試験により科学的根拠が明らかにされていないとしても,①その根拠に十分合理性が認められ,かつ,②その知見が文献等により提供され,一定のコンセンサスを得ている場合には,それに従った注意義務を法律上負うものというべきである。
これを本件についてみるに,急性期脳梗塞の患者に対する血圧を降下させることに伴い脳血流が低下し梗塞を進行させるという根拠には合理性があり,この合理性を疑わせるような主張立証はない。また,急性期脳梗塞の患者の血圧を降下させる措置をとることの危険性については,前記(1)で指摘したとおり,多数の文献で指摘されており,これを否定するような証拠もない以上,一定のコンセンサスが得られているというべきである。
そうすると,必ずしも無作為抽出試験(コントロールスタディ)により科学的根拠が明らかにされていないとしても,過度に血圧を降下させないとの法的な注意義務を否定することはできないというべきである。

エ なお,被告は,A医師が原告に対しベッド上絶対安静を指示していたにもかかわらず,原告が指示を無視し廊下を歩行していたことから脳梗塞の再発が生じたものであり,原告自身に責任がある旨主張する。
しかし,《証拠略》によると,原告のカルテには「生活度」の「安静」の欄に「絶対安静」との記載があるものの,この「絶対安静」との記載と「Dr指示」の「疼痛」の欄の「ボルタレンSP50mg」との記載は,筆跡が同一であるのに対し,上記「絶対安静」の筆跡と原告の氏名及び年齢の筆跡,「生活度」の「食事」の欄の「高血圧常食」の筆跡,「Dr指示」の「昇圧時」の欄の「170↑アダラート1c舌下」の筆跡とは明らかに異なることが認められ,この「絶対安静」との記載は,原告の氏名等とは別の機会に記載されたものと推認される。これに加えて,前記1(2)のとおり,A医師は当初原告に対し,通院して点滴を受けるように指示していたこと,《証拠略》によると,原告の看護記録上,入院時点から平成11年10月1日まで,B.B.(Bed bath:ベッド上清拭)との記載は見当たらないことや,原告が指示を無視していたとすれば看護師等がこれを注意する等の行動をとってしかるべきであるが,そのようなことがなされたとの記載も見当たらないことに照らすと,A医師が10月1日より前に原告にベッド上絶対安静との指示をしていたと認めることはできず,被告の主張を採用することはできない。」


同判決は,「高血圧患者では,脳血管の柔軟性の低下によって脳血流量を維持すべき血圧の下限域が高い方にシフトしているので,わずかの血圧低下でも自動調節能の下限を切りやすいこと,脳卒中の急性期には脳血管の自動調節能が阻害され,脳血流は血圧に依存するようになり,この時期に血圧が低下すると,血圧依存性に脳血流量が低下するために梗塞層が増大してしまうことに照らすと,A医師の降圧措置によって,原告の血圧が降下し,高血圧によって保たれていた血流が低下することによって平成11年10月1日午後5時10分ころの脳梗塞が発生したと推認するのが相当であり,A医師の注意義務違反と原告の脳梗塞の発症との間には相当因果関係が認められる。」と判示し,因果関係を認めました.

「 (4) 注意義務違反と原告の脳梗塞の再発との因果関係について

ア 前記1(3)のとおり,平成11年10月1日の原告の収縮期血圧-拡張期血圧はそれぞれ,180mmHg-86mmHg(午前7時ころ),154mmHg-80mmHg(午前8時40分ころ),130mmHg-90mmHg(午前10時40分ころ),130mmHg-70mmHg(午後2時ころ)であった。他方,同(1)のとおり,原告に降圧剤であるアルマール等を投与する以前の血圧は,健康診断においては収縮期で160mmHg台,拡張期で100mmHg前後であり,被告医院を受診した際の測定値でも,平成11年9月24日の初診時で1回目の計測時に収縮期192mmHg,拡張期100mmHg,2回目の計測時に収縮期151mmHg,拡張期98mmHg,同月30日の再診時に3回計測して,収縮期-拡張期が,それぞれ195mmHg-95mmHg,165mmHg-97mmHg,188mmHg-96mmHgであった。
このように原告に降圧剤を投与することによって降圧剤投与前の原告の血圧に比べて相当程度降圧していたというべきところ,前記(1)のとおり,高血圧患者では,脳血管の柔軟性の低下によって脳血流量を維持すべき血圧の下限域が高い方にシフトしているので,わずかの血圧低下でも自動調節能の下限を切りやすいこと,脳卒中の急性期には脳血管の自動調節能が阻害され,脳血流は血圧に依存するようになり,この時期に血圧が低下すると,血圧依存性に脳血流量が低下するために梗塞層が増大してしまうことに照らすと,A医師の降圧措置によって,原告の血圧が降下し,高血圧によって保たれていた血流が低下することによって平成11年10月1日午後5時10分ころの脳梗塞が発生したと推認するのが相当であり,A医師の注意義務違反と原告の脳梗塞の発症との間には相当因果関係が認められる。

イ この点について,被告は,鑑定結果を引用して,脳梗塞の発症が急激に重度の片麻痺になっているところ,談笑中に生じており,急に血圧が低下するかもしれない急激な体位の変化がないことから,急激に過度の血圧低下に伴う脳血流の減少が生じたとは考えがたく,何らかの原因で脳血管が新たに急激に閉塞して脳血流が急激に過度の減少した可能性を考えると主張する。
鑑定人は,①原告の平成11年10月1日午後5時10分ころの脳梗塞の発生について「降圧措置に起因するとは断定できない。」とし,その理由として「症状悪化に至るまでの血圧で最も低いのが10月1日14:00の130/70mmHgである。症状が悪化した17:10には収縮期血圧の記載しかないが146mmHgであった。これは症状悪化後の血圧であり,悪化すなわち脳梗塞が再発した時点の血圧は不明であるが,これら記載されている血圧の推移から考えると降圧措置に起因するのであれば14:00の時点でも何らかの症状悪化が出現した可能性が考えられる。しかし実際には14:00の時点では症状の悪化は出現していない。」との鑑定結果を呈示している。また,②その発生の原因については,被告医院の臨床データからは診断できないとしつつ,「結果論となるが,B病院へ転院後,MRI,MRA,SPECT,頚動脈超音波検査,ホルター心電図,心エコー,経食道超音波検査が行われ,その結果から心原性脳塞栓は否定される。右内頚動脈閉塞,右中大脳動脈狭窄,右前大脳動脈狭窄,両側頚部頚動脈の動脈硬化性変化が認められ脳動脈硬化は相当進行していた。一方,SPECTによる脳血流測定では右大脳半球の側頭葉から前頭葉に血流が増加した部分も認め,一旦閉塞した脳血管が再開通した場合に観察される充血の所見と考えられた。つまり,動脈硬化が進行し右内頚動脈が閉塞して広汎な脳梗塞として再発したという単純な機序ではなく,右内頚動脈が閉塞するときに生じた血栓や右中大脳動脈の狭窄部で生じた血栓が遊離して閉塞した右中大脳動脈の分枝が一部再開通した可能性など動脈原性塞栓症もからんだ複雑な病態が考えられる。しかし,再発時の病態を正確に解明することは不可能である。」との鑑定結果を呈示している。そして,③「脳の働き(脳機能)は脳血流で供給されるグルコースや酸素で支えられている。脳血流が減少するとそれらの供給が減少し脳機能が悪化し手足の麻痺などの症状が出現する。
脳血流が急に過度に減少すると脳機能の悪化は急激に生じるが,脳血流の減少の程度が大きくなければ脳血流や脳代謝の予備能力により何とか脳機能を維持しそれが破綻してから脳機能が悪化する。つまり,後者の場合は症状が出現するまでに時間的な余裕があり発症の仕方も急激に重症にならない。本件の症状悪化は急激に重度の片麻痺となっている。しかも急に血圧が低下するかもしれないような急激な体位の変化などはなく談笑中に生じている。急激に過度の血圧低下にともなう脳血流の減少が生じたとは考え難い。
何らかの原因で脳血管が新たに急激に閉塞して脳血流が急激に過度に減少した可能性を考える。」と説明する。
訴訟上の因果関係の立証は一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく,経験則に照らして全証拠を総合検討し,特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり,その判定は通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし,かつ,それで足りると解される(最高裁昭和50年10月24日判決・民集29巻9号1417頁参照)。
このような訴訟上の因果関係を前提として上記鑑定について検討するに,鑑定人は,「降圧措置に起因するのであれば14:00の時点でも何らかの症状悪化が出現した可能性が考えられる。」(上記①)とするが,鑑定人も「可能性が考えられる。」としているように,本件では,原告に脳梗塞が発生した直前の血圧が不明であり,血圧降下が時間の経過によりどのように影響するかが不明であることから,午後2時の時点で脳梗塞が発生していないことをもってA医師が行った降圧措置と原告の脳梗塞との間の因果関係を否定することはできないというべきである。また,鑑定人は,「動脈原性塞栓症もからんだ複雑な病態が考えられる。」(上記②),「何らかの原因で脳血管が新たに急激に閉塞して脳血流が過度に減少した可能性を考える。」(上記③)とするが,これらについても可能性を指摘したにすぎないというべきであり,このような病態や閉塞について降圧措置以外に原因があると断定したり,降圧措置と原告の脳梗塞との間の因果関係を明確に否定したりするものではない。そして,鑑定人は,「急激に過度の血圧低下にともなう脳血流の現象が生じたとは考え難い。」としているが,脳梗塞のメカニズムが全て解明されているわけではなく,鑑定人自身「複雑な病態が考えられる。再発時の病態を正確に解明することは困難である。」とするとおり,A医師の降圧措置が脳梗塞の発生に影響を与えることを否定することはできないというべきである。
そうすると,上記の鑑定結果も結局のところ,降圧措置が脳血流の減少をもたらし原告に脳梗塞を発生させたと断定することはできないが,それを否定することもできないとするものであって,それ以上に,降圧措置と原告の脳梗塞との間の因果関係を否定するものではないと解される。前記アのとおり,原告に降圧剤を投与することによって相当程度降圧していたころ,高血圧患者では,わずかの血圧低下でも自動調節能の下限を切りやすいこと,脳卒中の急性期に血圧が低下すると血圧依存性に脳血流量が低下するために梗塞層が増大してしまうことに照らすと,本件においては,A医師がとった降圧措置が原告の血圧を著しく低下させたものであり,原告の平成11年10月1日午後5時10分頃の脳梗塞の発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性があるというべきである。

ウ 以上のとおり,A医師の注意義務違反と原告の脳梗塞との間には因果関係が認められるというべきである。」


谷直樹

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by medical-law | 2022-02-28 21:25 | 医療事故・医療裁判