弁護士谷直樹/医療事件のみを取り扱う法律事務所のブログ

高齢の閉塞性動脈硬化症患者への人工血管等によるバイパス形成手術の説明義務 岡山地裁平成13年10月9日判決

岡山地裁平成13年10月9日判決(裁判長 渡邉温)は,右腸骨動脈閉塞及び両側大腿動脈閉塞並びに左腸骨動脈狭窄を伴う閉塞性動脈硬化症(ASO)の75歳男性が腹部大動脈と左外腸骨動脈・右大腿動脈間、両側大腿動脈と両側膝窩動脈間の血行再建のため人工血管等によるバイパス形成を内容とする手術を実施することに同意し,同手術を受けたところ,麻酔から覚醒後激しい腰・背部痛ないしは腹部痛を訴え続け腸閉塞(イレウス)さらには腎不全・肝不全状態となり,呼吸停止・意識喪失状態に陥り蘇生処置を受けて蘇生したものの,意識が回復せず,壊死した小腸切除,大腸全摘,胆嚢摘徐の手術を受けたが,死亡した事案で,「G医師においては、バイパス手術の適応がある症例であるとの判断から、Eが満七五歳一〇か月という極めて高齢であり、いったんバイパス手術によって腸閉塞といった不測の事態が発生した場合には救命が困難である場合がありうるといった危険性につき具体的な説明をすることをあえて避け、前記のとおり本件バイパス手術によって直接もたらされることのありうる動脈閉塞といった危険性については何ら説明しなかっただけでなく、他方、禁煙の励行、食事管理などの生活習慣の改善に努める一方、抗血小板薬・抗凝固薬・血管拡張薬の投与といった薬物療法を実施し、経過観察をするという選択肢のあることについては十分な説明をせず(G医師は、保存治療法についても説明した旨述べるが、バイパス手術の必要性を強調している点に照らし、たやすく採用することができない。)、しかも、閉塞性動脈硬化症は進行していたものの、いまだ壊死潰瘍といった事態には至っておらず、予後とりわけ症状の進行速度については手術前に全く経過観察をしていないため確実な予見判断ができなかったにもかかわらず、放置すれば壊死による下肢の切断もありうる進行性の疾患であることを強く指摘してバイパス手術を促したものである」と認定し,説明義務違反を認めました.
「下肢痛を伴う間欠性跛行を解消し、生活内容の改善・向上(QOL)を図るものの、動脈硬化症それ自体の治癒を目的とする治療法でないだけに、当然に手術実施につき逡巡してしかるべきであるが、初回受診即日入院(診療録の記載では手術目的とされている。)、九日後の手術同意から一二日後の手術実施という経過を経ており、E及びその家族においてはその間手術の是非につき熟慮した形跡がないことからすると、G医師において危険は非常に高い旨告げたとは到底認め難く、被告の主張は採用し難い」と認定しました.
なお,これは私が担当した事件ではありません.

「二 争点2(診療行為に関する説明義務違反を内容とする債務不履行の有無)に
ついて」

1 一般に、医療契約に基づき実施される検査又は治療が医学的侵襲を伴うものとりわけ生命又は身体の安全にとって重大な結果を生じかねないものである場合にあっては、患者は、事前に医師から当該医療行為の要否を判断する上で必要な情報を十分かつ正確に与えられた上でこれに同意するか否かを決定することが予定されているものといってよく、このため、医師は、医療契約上の義務として、患者(患者が適切にその判断をなしえないときは、患者の家族を含む。)に対し、当該医療行為の内容及び必要性並びにその結果予測される生命又は身体の安全に対する危険の有無及び程度等はもちろんのこと、他に選択しうる医療行為の有無及びその内容につき当時の医療水準に照らして相当と思料される事項を説明する必要があると解するのが相当である。もとより、その説明の内容・程度及び方法等については、医師が当該疾病の種類・性質及び進行状況、当該患者の知識・性格さらには検査及び治療に対する影響等を考慮して定めるべきものではあるが、その説明内容が十分かつ正確でなく、患者に与えられた同意に関する権利の適切な行使を妨げ、これを実質的に侵害するものと認められる場合には、医療契約に基づく債務不履行に該当し、患者の受けた損害に対する賠償責任を免れないというべきである。

2 ところで、Eが本件バイパス手術に同意した経緯に関し、《証拠略》によると、以下の事実が認められる。

(一) Eは、四月二七日、数年前より二〇〇メートルぐらい歩くと右下腿腓腹筋部痛があり、休むとまた歩けるが、最近では一〇〇メートルくらい歩いても同様の症状がある旨訴え、F病院でG医師の診察を受けた。その際、Eは、G医師に対し、「慢性動脈閉塞症」について報じた新聞記事の切り抜きを示し、「自分の症状は記事に記載された症状に似ているように思う。こういう手術があるのか。」などと尋ねた。触診によると、右大腿動脈、膝窩動脈、足背動脈、後脛骨動脈を触知することができず、左下腿の冷感を認めた。Eは、同日検査のため入院した。胸部レントゲン写真では、肺気腫が著明、心電図検査では心肥大が認められた。

(二) Eは、四月二八日にはセルジンガー下肢血管造影検査を受け、その結果、右腸骨動脈閉塞、左腸骨動脈狭窄、両大腿動脈閉塞と診断された。四月三〇日、超音波血流計(ドップラー血流計)による血流測定を受け、両足における血流の低下が認められた。G医師は、中等度の閉塞性動脈硬化症と診断し、Eが高齢であり、高血圧、心肥大、肺気腫、動脈硬化等の合併症を有するが、右血管造影検査の結果末梢の血流の状態が良好であり、心肺機能は保たれており、全身麻酔可能であるとの診断(手術のリスクは一でもっとも低い。)が麻酔医によってなされたことから、バイパス手術の医学的適応があると判断した。

(三) G医師は、四月三〇日、Eの家族に対し、閉塞性動脈硬化症であり、腸骨動脈と大腿動脈に閉塞と狭窄があり、手術をしない限り歩行障害の症状は解消しない旨説明した。また、五月六日にも、G医師は、E及びその家族に対し、バイパス血管の図を書きながら、①動脈硬化症は、全身病で全身の血管に変化が起こる、脳に起これば脳梗塞、心臓に起これば心筋梗塞、四肢の動脈に起これば閉塞性動脈硬化症となる、両下肢ともに歩行障害の症状があり、手術による血流改善が必要である、②進行性の病気であるため、このまま放置すると、足が壊死に陥る危険性が高いし、現在の歩行障害を解消するためには、バイパス手術をして血行再建を行うしかなく、他の方法では現在の症状の解消及びこれによる生活内容の改善・向上は望めない、③人工血管を使用し、腹部大動脈から下腿動脈に向かい、Y字形バイパスを形成するため、開腹手術が必要であるが、手術部位がへそよりも上に及ぶことはない、④Eが七五歳と高齢であり、肺気腫、心肥大、動脈硬化もあるため、合併症の危険性はある旨説明した。その際、Eの家族から、「命に別状があるような手術じゃないでしょうね。」という質問があったが、これに対し、G医師は、「高齢でリスクはゼロではないけれども、一般的には問題ない。」と答えた。これを受け、Eは、五月七日付け書面でバイパス手術に同意した。

3 右2のとおり認められるところ、被告は、G医師が術前にE及びその家族から手術の同意を得るに当たり、下肢閉塞性動脈硬化症が進行性の全身病である動脈硬化症の一環であって、手術の危険性が高く、重篤な合併症を起こす可能性のあることは十分に説明した上で、その同意を得ており、その説明義務につき欠けるところはない旨主張し、診療録(乙第一号証)にも危険は非常に高い旨告げたとする記載があり、G医師もこれに沿った供述(《証拠略》)をするけれども、その説明内容の具体性に欠けるだけでなく、そうであれば、E及びその家族においては、本件バイパス手術が腹部大動脈の血流を一時遮断した上人工血管等を使用してバイパスを形成する侵襲範囲の広い大手術であって(実際にも手術時間は正味六時間五〇分に及んでいる。)、当時満七五歳一〇か月という極めて高齢であったことからすると、下肢痛を伴う間欠性跛行を解消し、生活内容の改善・向上(QOL)を図るものの、動脈硬化症それ自体の治癒を目的とする治療法でないだけに、当然に手術
実施につき逡巡してしかるべきであるが、初回受診即日入院(診療録の記載では手術目的とされている。)、九日後の手術同意から一二日後の手術実施という経過を経ており、E及びその家族においてはその間手術の是非につき熟慮した形跡がないことからすると、G医師において危険は非常に高い旨告げたとは到底認め難く、被告の主張は採用し難いというべきである。かえって、《証拠略》(ただし、後記認定に反する部分を除く。)、《証拠略》によると、G医師は、E及び家族に対し、前記認定のとおり、手術内容につき図解しながら、閉塞性動脈硬化症の性質につき全身病であって、全身の血管に変化が起こる、脳に起これば脳梗塞、心臓に起これば心筋梗塞、四肢の動脈に起これば閉塞性動脈硬化症となるといった説明はしたものの、バイパス手術に伴う直接の危険性については、事前に詳細かつ具体的な説明をすればEが手術に同意しなくなるおそれがあったため、腸閉塞といった事態を心配する家族に対し、腹腔内の手術はへそより上に及ばないと告げる一方で、「高齢でリスクはゼロではないけれども、一般的には問題ない。」旨説明するにとどまり、前記のとおり、本件バイパス手術が侵襲範囲の広い大手術であるため、いったんバイパス手術によって腸閉塞といった不測の事態が発生した場合には予備能力の乏しい高齢者であるだけに救命が一般に困難であるというだけでなく(なお、《証拠略》によると、人工血管は細菌感染に非常に弱いとされていることが認められる。)、Eの場合、下肢閉塞性動脈硬化症の進行状況は、フォンテイン分類のII期に該当するため、腸間膜動脈といった腹部大動脈の周辺動脈はもちろん、脳や心臓といった部位における動脈血管系においても狭窄などの動脈硬化症状が当然進行している可能性があり、発生頻度は低いものの、本件バイパス手術に伴う血流遮断・再開さらには血流の変化や抗凝固薬の使用によって遊離した粥腫片が右に述べる動脈の狭窄部位に飛ぶならばこれによって動脈が閉塞するといった事態がありうるが、その場合の致命率は軽視し難いものがあるといった危険性については、もともと十分な認識がなかったために、何ら説明をしなかったものと認めるのが相当である。
このように、G医師においては、バイパス手術の適応がある症例であるとの判断から、Eが満七五歳一〇か月という極めて高齢であり、いったんバイパス手術によって腸閉塞といった不測の事態が発生した場合には救命が困難である場合がありうるといった危険性につき具体的な説明をすることをあえて避け、前記のとおり本件バイパス手術によって直接もたらされることのありうる動脈閉塞といった危険性については何ら説明しなかっただけでなく、他方、禁煙の励行、食事管理などの生活習慣の改善に努める一方、抗血小板薬・抗凝固薬・血管拡張薬の投与といった薬物療法を実施し、経過観察をするという選択肢のあることについては十分な説明をせず(G医師は、保存治療法についても説明した旨述べるが、バイパス手術の必要性を強調している点に照らし、たやすく採用することができない。)、しかも、閉塞性動脈硬化症は進行していたものの、いまだ壊死潰瘍といった事態には至っておらず、予後とりわけ症状の進行速度については手術前に全く経過観察をしていないため確実な予見判断ができなかったにもかかわらず、放置すれば壊死による下肢の切断もありうる進行性の疾患であることを強く指摘してバイパス手術を促したものであるといってよく(前記《証拠略》参照)、それゆえにこそ、E及びその家族においては、本件手術が極めて高齢であって持病を有するEに対し大きな負荷を与える手術であったにもかかわらず、手遅れとなって下肢の切断という事態に至ることを回避するため、ほとんどためらいもなく本件バイパス手術に同意したものと認めるのが相当である。
そうすると、Eは、本件バイパス手術のもつ危険性につき十分に理解することができない一方、他の危険性のない薬物投与の下での経過観察という選択肢があることも十分に知りえなかったことにより、事実上バイパス手術以外の選択肢を選択する機会を与えられないまま、バイパス手術に同意したものであるから、G医師はE及びその家族に対する必要な説明義務を尽くしたものということはできない。そして、G医師が前記のとおり本件バイパス手術の危険性について十分に説明するだけでなく、Eが高齢であることを踏まえ、生活指導及び薬物投与の下での経過観察といった選択肢が存在することについても十分な説明をしていたならば、E及びその家族がバイパス手術の是非につき慎重に思案しただけでなく、後述のように、バイパス手術に踏み切ることを断念した可能性は高いというべきである。
もとより、外科手術には事前に予測困難な危険がその比率の大小はともかく不可避的に随伴するものであって、医師に対して起こりうるすべての危険につき説明を要求することは現実的でないだけでなく、かえって、そのような説明をすることによって患者に無用の不安を抱かせることにより患者をして選択しうる最善の医療処置を選択する機会を奪う事態もありうることには十分に留意すべきものであるが、本件バイパス手術の場合、G医師が診療録に記載しているように、非常にリスクの高い手術であり(乙第八号証によると、閉塞性動脈硬化症の予後に関し、二一六例中七四例が心不全・心筋梗塞、脳血管障害などで死亡したが、このうち一六例は手術後一か月内に死亡しており、手術中の死亡も六例あるとする臨床例報告がなされていることが認められる。)、本件バイパス手術後発生した上腸間動脈閉塞症を始めとする種々の術後合併症発症の危険性には軽視し難いものがあったということができることからすると、たとえバイパス手術の適応症例であったとしても、種々の術後合併症発症の危険性につき具体的な説明をするだけでなく(《証拠略》によれば、バイパス手術には①循環器系②呼吸器系③脳神経系④腎臓⑤輸血⑥出血⑦消化器系⑧その他の術後合併症があるというのであるから、これらの代表的な合併症を説明するほか、仮に右の合併症が生じた場合の予後についての十分な説明をすることによりバイパス手術の応諾につき的確な判断をするための医療情報を提供する必要があったものである。)、その危険性を踏まえ、生活指導及び薬物投与による経過観察という選択肢も存在することにつき十分に説明すべき必要があったものというべきである。
そうであれば、G医師は、本件バイパス手術の実施に先き立ち手術の同意を得るに当たり、E及びその家族に対する説明義務を怠り、医療契約における善良な管理者の注意義務を尽くさなかったものであり、被告は、履行補助者であるG医師の右説明義務違反につき医療契約上の債務不履行責任を免れないというべきである。」


同判決は,Eが閉塞性動脈硬化症について報じた新聞記事を読み、手遅れとなって下肢を切断する事態になることを強く案じていたたことEの家族においてもバイパス手術の危険性に強くこだわった発問をしていたことに照らし,G医師において前記のとおり説明義務を尽くすことによってEが本件バイパス手術を見合わせた可能性は十分に存在するものと認定し,因果関係を認めました.

「1 G医師が本件バイパス手術の危険性につき具体的かつ詳細な説明をし、併せて、閉塞性動脈硬化症の進行状況を踏まえ、バイパス手術以外にも薬物療法及び経過観察といった選択肢のあることにつき十分な説明をしたならば、Eにおいて直ちに本件バイパス手術に同意したか否か極めて疑わしいといってよく、この意味で、G医師の説明内容は、患者に与えられた同意に関する権利の適切な行使を妨げ、これを実質的に侵害するものと認められるため、重大な瑕疵があると評しうるものであるから、被告は、右の瑕疵のある同意に基づき本件バイパス手術が実施され、その結果Eが死亡したことによる損害につき、医療契約に基づく債務不履行による損害賠償責任を免れないというべきである。
なお、本件医療事故においては、Eが閉塞性動脈硬化症について報じた新聞記事を読み、手遅れとなって下肢を切断する事態になることを強く案じていたため、四月二七日手術目的で即日入院し、五月六日G医師から説明を受けると直ちにバイパス手術を決意したものとみられ、Eの家族においても前記のとおりバイパス手術の危険性に強くこだわった発問をしている経緯があることに照らすならば、G医師において前記のとおり説明義務を尽くすことによってEが本件バイパス手術を見合わせた可能性は十分に存在するものといってよく、その場合、本件バイパス手術が実施されることはなく、Eが術後合併症である上腸間膜動脈閉塞症に起因する播種性血管内凝固症候群及び多臓器不全症候群のため死亡することもなかったというべきであるから、被告の説明義務違反を内容とする債務不履行とEの死亡による損害発生との間に法律上の因果関係が存在しないということはできない。
したがって、被告は、本件医療事故につき医療契約に基づく債務不履行による損害賠償責任を免れないというべきである。」



谷直樹

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by medical-law | 2022-03-02 00:16 | 医療事故・医療裁判