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舌癌手術後の管理 千葉地裁平成13年12月20日判決

千葉地裁平成13年12月20日判決(裁判長 丸山昌一)は,舌癌の手術を受けた後に患者Cが呼吸停止及び心停止に陥って低酸素脳症に至り死亡した事案で,「Cは,平成7年7月11日午後11時20分ころには最高血圧が200に上昇し,ガーゼ上の血性のしみの大きさも10セントメートルと拡大し,体動も続くという状態になり,午後11時30分ころには呼吸停止に陥り,その後も血圧等の不安定な状態が続き,55分ころ心停止に陥っているのであるから,Cに対して,まず,術創部を診断して止血処置をするなど,気道狭窄を予防するための処置を施し,呼吸停止に陥った後においては,気管切開などの処置により気道の確保と酸素投与を行うべきであり,かかる処置を迅速かつ確実に行えば,Cの心停止,低酸素脳症は起こらなかった可能性が非常に高いものと認められる。」と認定しました.
「被告医師らは,Cが本件手術後に気道閉塞に陥るおそれがあることを予見できたものというべきであり,また,被告E医師及び被告F医師については,看護婦から,Cが同月11日午後10時30分ころ体動が激しくなっているとの報告を受けたのであるから,Cが気道閉塞に陥るおそれが強かったことを予見できたものというべきである。しかるに,前記1(2)のとおり,被告D医師は,本件手術についてのチーム医療の責任者であったのに,被告E医師,被告F医師,J医師,看護婦らに何の指示をすることもなく,同月11日午後10時すぎに被告病院から退出し,被告E医師,被告F医師も,看護婦から,上記Cの異常状態の報告を受けながら,同日午後11時には被告病院を退出していたのであるから,被告医師らは,Cの術後の状態を厳重に管理すべき注意義務を怠ったものというべきである。」と判示し,注意義務違反を認めました.

同判決は,被告の舌癌の再発の主張を退け,「Cは,本件事故により心停止を起こして低酸素脳症に至り,低酸素脳症の悪化等により全身の衰弱が進行したところ,口腔底から頸部にかけての縫合部皮膚上に形成された瘻孔部において何らかの感染症に罹患し,敗血症に至り,全身状態を悪化させて死亡したものと推認することができるから,本件事故とCの死亡との間には相当因果関係があるものというべきである。」と死亡との因果関係を認めました.
口腔内の手術についての術後管理について参考になります.
なお,この件は私が担当したものではありません.


「2 呼吸停止等の原因(争点(1))について

(1) 前記1(2)の事実によると,Cは,平成7年7月11日午後11時30分ころに呼吸停止に陥り,午後11時54分ころ心停止となったものであるが,同月12日午前零時ころ,被告E医師が,術創部の頸部のガーゼを外したところ,頸部全体に腫脹が認められ,皮下組織内部に,母指頭大の凝塊血が5ないし6個生じているのが認められ,Cの気管は圧迫されて左側に寄っていたことが認められる。
証拠(被告D本人,被告E本人)及び弁論の全趣旨によると,舌根部と咽頭部は隣接しているところ,舌根部から咽頭部にかけては明確な境界があるわけではなく,粘膜及びその粘膜下の組織は互いに連絡していること,頸部は,舌根の下部に舌骨,甲状軟骨,輪状軟骨があり,この舌根の下部については,圧迫によって気道が閉塞する可能性は低いことが認められる。
上記のCの頸部の状態と医学的知見によれば,気道が閉塞した部分は,舌根部ないし咽頭部であると推認するのが相当である。

(2) 前記1(2)の事実によれば,上記の頸部の状態のほか,同月11日午後11時30分の時点で,Cの舌は,口からとび出すほど大きく腫れていたことが認められる。
ところで,証拠(甲16,被告E本人)及び弁論の全趣旨によると,舌癌を含む口腔癌の手術においては,手術直後は,手術侵襲や麻酔による呼吸機能回復の遅れとともに,気道内分泌量の過多,舌根沈下,口腔内創からの出血,頸部における血腫形成と浮腫などにより気道の狭窄が起こりやすく,また,血腫が発生し急激に頸部の腫脹が増強すると,咽頭浮腫のため気道閉塞が起こりやすいこと,本件手術では舌根部には手術侵襲が加えられていないが,粘膜下に血液や浸出液が入り込んで鬱血を起こし,舌根部が腫脹する可能性があったことが認められる。
上記のCの頸部及び舌の状態と医学的知見によれば,舌根部に血液や浸出液が入り込んで鬱血を起こし,腫脹したこと,ないしは頸部の血腫のため頸部が腫脹し,咽頭浮腫が生じたことにより,Cが気道閉塞に陥り,呼吸停止・心停止に至ったものと推認するのが相当である。
被告Dは,この点に関し,本件手術のように舌根部を残した舌半分の切除の場合は,咽頭浮腫による気道閉塞は起こらない旨供述するが,舌根部と咽頭部は隣接しており,舌根部から咽頭部にかけて明確な境界があるわけではなく,粘膜及びその粘膜下の組織は互いに連絡していることは前記(1)のとおりであるから,上記供述は採用できない。

3 被告らの過失等(争点(3))について

被告医師らに医師としての過失及び注意義務違反があったか,被告事業団に本件診療契約上の債務不履行があったかどうかについて検討する。

(1) 前記1(2)のとおり,Cは,平成7年7月11日午後11時20分ころには最高血圧が200に上昇し,ガーゼ上の血性のしみの大きさも10セントメートルと拡大し,体動も続くという状態になり,午後11時30分ころには呼吸停止に陥り,その後も血圧等の不安定な状態が続き,55分ころ心停止に陥っているのであるから,Cに対して,まず,術創部を診断して止血処置をするなど,気道狭窄を予防するための処置を施し,呼吸停止に陥った後においては,気管切開などの処置により気道の確保と酸素投与を行うべきであり,かかる処置を迅速かつ確実に行えば,Cの心停止,低酸素脳症は起こらなかった可能性が非常に高いものと認められる。
しかるに,当直医及び看護婦は,Cに対して吸引や薬剤の投与の処置をしただけであり,呼吸停止後においてもエアウェイの挿入,アンビューバックの装着等第一次的な呼吸補助の処置と薬剤の投与がなされただけでそれ以上の蘇生処置がとられなかったことは,前記1(2)のとおりである。

(2) ところで,本件手術は,10時間に及ぶ手術であって,Cは,手術部位は限定されていたものの,本件手術により相当大きな全身的侵襲を受けたものと考えられる。舌癌を含む口腔癌の手術においては,手術直後は,手術侵襲により,気道内分泌量の過多,舌根沈下,口腔内創からの出血,頸部における血腫形成と浮腫などにより気道の狭窄が起こりやすく,また,血腫が発生し急激に頸部の腫脹が増強すると,咽頭浮腫のため気道閉塞が起こりやすいことは前記2(2)のとおりであり,また証拠(甲16)によれば,血腫は手術終了後6時間以内に起こることが多いとされていることが認められる。そうすると,Cに対しては,厳重な術後管理が必要とされていたものというべきである。
そして,上記によれば,被告医師らは,Cが本件手術後に気道閉塞に陥るおそれがあることを予見できたものというべきであり,また,被告E医師及び被告F医師については,看護婦から,Cが同月11日午後10時30分ころ体動が激しくなっているとの報告を受けたのであるから,Cが気道閉塞に陥るおそれが強かったことを予見できたものというべきである。
しかるに,前記1(2)のとおり,被告D医師は,本件手術についてのチーム医療の責任者であったのに,被告E医師,被告F医師,J医師,看護婦らに何の指示をすることもなく,同月11日午後10時すぎに被告病院から退出し,被告E医師,被告F医師も,看護婦から,上記Cの異常状態の報告を受けながら,同日午後11時には被告病院を退出していたのであるから,被告医師らは,Cの術後の状態を厳重に管理すべき注意義務を怠ったものというべきである。

(3)ア 被告らは,本件手術は直接気道に操作を加えていないので血腫によって気道が閉塞されることはないし,エアウェイを挿入していたにもかかわらず呼吸困難に陥ることも考えられないことから,呼吸停止及び心停止を予見できなかったと主張し,被告D及び被告Eも同主張に沿う供述をするが,Cが咽頭浮腫ないし舌根部の腫脹により気道閉塞に陥ったと推認されることは,前記2(2)のとおりであり,被告D及び被告Eの各供述は採用できない。

イ 被告らは,術後管理はICU室においてベテラン看護婦による監視をし,当直医も呼吸停止や心停止に対し適切な処置を行ったと主張する。しかし,前記(2)で検討したとおり,被告らは,特に,緊急事態に即応できるように厳重な術後管理をすべき義務を負っていたのであって,単にICU室において監視するという管理だけでは足りないことは明らかである。また,被告医師らがICU室に駆けつけた後,直ちに,止血処置や気管切開,酸素吸入等を講じたにもかかわらず,Cの意識状態は改善しなかったのであるから,上記の当直医及び看護婦らの第一次的な処置だけでは不十分であったことも明らかである。したがって,被告らの上記主張は採用できない。

(4) 被告事業団は,被告医師らを使用し,被告医師らが被告事業団の業務の執行中,前記過失により本件事故を惹き起こしたのであるから,被告事業団には不法行為上の使用者責任があるというべきである。

4 Cの死亡原因及びCの死亡と本件事故との相当因果関係について

(1) 本件事故後のCの症状等

前記第2の1の事実及び証拠(甲1の(1)ないし(3),2,6,23の(1),(2),35,乙1の(1)ないし(5),証人K,被告D本人)並び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

ア 本件事故後,Cの意識状態は改善せず,意思疎通もできずに寝たきりの状態のまま,引き続き被告病院に入院して治療を受けていた。
Cは,平成7年7月21日,脳外科により,失外套状態(眼球運動はあるが随意的ではなく,疎通性も失われ,精神的な反応は全くない状態)が継続しているとの診断を受け,同月28日,神経内科により,大脳機能が広範に障害されているとの診断を受け,同年8月22日,頭部のMRI検査の結果,脳萎縮が進行し,脳室及び脳溝が拡大しているとの診断を受け,低酸素脳症が悪化していることが認められた。
また,同年9月15日,脳外科により,全般的な神経状態は本質的に改善されず,慢性期に至っているとの診断を受け,同年11月6日,MRI検査の結果,びまん性脳萎縮が認められ,基底核がスポンジ様になる等の低酸素脳症の悪化の所見が認められた。

イ 上記のように,Cは,被告病院の耳鼻咽喉科,脳外科,神経内科等において諸検査や治療を受けたが,意識障害は改善せず,自発的に開眼し,自発的眼球運動はあるが,外界への反応はなく,四肢は屈曲拘縮位のまま動かず,失外套症候群を呈し,平成8年1月11日ころ,症状が固定したとの診断を受けた。Cは,鼻腔からの経管栄養を受け,糞尿失禁があり導尿等を実施し,四肢は麻痺し意思疎通は全廃というほぼ植物状態に近い状態を呈していた(以下「本件後遺障害」という。)。

ウ Cは,症状固定後も,引き続き被告病院で入院治療を受けていたが,平成8年8月13日ころから口腔底から頸部にかけての縫合部皮膚上に瘻孔が形成された。その後,瘻孔は除々に拡大し,同年10月16日ころ壊死に至り,同月26日ころから頸動脈からの出血が認められた。この出血は,本件手術により舌根部及び下顎歯肉部に移植された前腕皮弁の皮膚皮下組織が壊死し,筋皮弁へ壊死が進み,その下にある頸動脈が剥き出しになり頸動脈も壊死に至り,血管がもろくなって,生じたものである。その後も瘻孔部から動脈性出血が続いたため,同月28日,被告D医師らは,大量出血や気道内流入による呼吸停止を来す危険性があると判断し,出血を止めるために,同日午後4時ころから総頸動脈結紮術を施した。同手術によりCの出血は治
まった。

エ Cは,同年11月18日午後11時30分ころから血圧が低下し,同月19日ころから呼吸も浅くなり,同月20日午後8時20分ころ血圧が30以下に降下し,被告D医師により心臓マッサージ等の蘇生処置が講じられたが,午後9時4分死亡した。

(2) Cの死亡原因

被告らは,Cは,舌癌の再発により死亡したのであり,Cの死亡原因は舌癌の再発であると主張する。
確かに,乙第5号証(被告病院作成の病理組織検査報告書)には,舌根部にはアヤシイ所見が認められるとの記載があり,また,乙第1号証の3(被告病院作成の診療録)の平成8年2月6日の経過記録及び指示事項欄には,「肉芽→再発か?」との記載が,また同年3月19日には,再発部位への放射線照射の依頼をしている旨がそれぞれ被告D医師により記載されているが,他方,被告Dも,本人尋問において,癌の再発や転移についてはあいまいな供述をしているにすぎず,被告病院作成の死亡届兼死亡診断書(甲2)には,舌癌の再発を窺わせる記載は全く存しないことを合わせ考えると,上記の各記載の存在だけから直ちに舌癌が再発していたと断定することはできない。
そして,証拠(甲2)によれば,Cの直接の死因が敗血症であることは明らかであり,敗血症は血液中に細菌が入り感染症を生じて全身状態を悪化させる傷病であるところ,前記(1)ウの事実及び証拠(乙1の(3)ないし(5),被告D本人,原告A本人)によれば,Cは,平成8年8月13日ころから瘻孔部から悪臭を発し滲出液,膿汁等を流出させて同部分の下にある頸動脈から出血したこと,総頸動脈結紮術により,Cの出血は一応止まったが,壊死部分は依然として悪臭を発生させ,滲出液等を流出させていたことが認められる。
また,乙第1号証の3(被告病院作成の入院診療録)の平成8年10月27日の経過記録及び指示事項欄には,頸動脈出血の原因につき,腫瘍の影響及び感染によるものと思われるとの趣旨が被告D医師により記載されており,被告Dも,本人尋問において,壊死の部分が感染巣になり緑膿菌その他混合感染を起こして徐々に全身状態が悪化したとの供述をしているのである。
以上の各事実を総合して考慮すれば,Cは,平成8年8月13日ころから,瘻孔部において何らかの感染症に罹患し,敗血症に至り,全身状態を悪化させて死亡したものと推認されるのであって,Cの死亡原因が舌癌の再発であるとは認めることはできない。

(3) 本件事故とCの死亡との相当因果関係

前記(1)認定の事実と前記(2)に判示したところによれば,Cは,本件事故により心停止を起こして低酸素脳症に至り,低酸素脳症の悪化等により全身の衰弱が進行したところ,口腔底から頸部にかけての縫合部皮膚上に形成された瘻孔部において何らかの感染症に罹患し,敗血症に至り,全身状態を悪化させて死亡したものと推認することができるから,本件事故とCの死亡との間には相当因果関係があるものというべきである。」


谷直樹

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by medical-law | 2022-03-06 00:55 | 医療事故・医療裁判