ガイドワイヤーの位置を正確に同定することが困難な状況下でバルーンを拡張しない注意義務 東京地裁平成17年4月27日判決
「CTOに対するPTCAについては、成功を困難とする要因がいくつも存在し、現段階では再開通が成功する確率が高いとまではいえず、他方で一定のリスクが存在しており、実施に当たっては相当の慎重さが要求される治療法であることも事実であると考えられる。そして、本件においては、手技の途中で当初見えていた側副血行路が消失し、カテーテルが真腔を捉えていない可能性が高いと具体的に認識可能であったという事情が存在し、かつその時点でバルーンをあえて拡張すべき緊急性も乏しかったにもかかわらず、バルーンを拡張し、冠動脈を穿孔して出血を招き、結果として患者が死亡するに至ったのであって、上記のような個別具体的な事情に照らせば、やはり術者の過失責任は免れないものと判断せざるを得ないものである。」という判示部分は,参考になります.
なお,これは私が担当したものではありません.
「 5 争点(3)(亡Cにおける冠動脈穿孔及び出血の原因)について
(1) 前記1(9)ウ、エにおいて認定したとおり、本件における出血の主原因については、ガイドワイヤーが目的としていた左前下行枝の真腔を捉えず、対角枝方向へ向かい、しかも偽腔に入っていたため、偽腔内においてバルーンを拡張した結果、冠動脈を裂いて出血を招いた可能性が高いものと認められる。この点は、被告Bが手技を担当していたときからガイドワイヤーが内膜下に何度も入り、偽腔の形成がみられること(前記1(9)イ)、本件PTCA中に側副血行路が消失しているのが認められるところ、(少なくとも順行性の側副血行路消失については)この原因はガイドワイヤーによる偽腔形成及びこの偽腔方向へのカテーテルの進行と考えるのが合理的であること、解剖の結果、左前下行枝の対角枝分岐の近傍において内膜が損傷され、それにより同部位から末梢にかけて動脈が解離していることが確認され、解剖医もこれは物理的作用により損傷した冠動脈の解離に基づいて惹起されたものと考えられると判断していること(前記1(10)エ、オ)などに鑑みても蓋然性の高い原因であり、かつ、証人I、証人H及び被告Aも法廷において一致して、出血の原因について上記のとおり証言ないし供述しているところであって(証人I42頁、証人H10頁、被告A本人49頁)、他に本件出血の原因として合理的と思われる事由は見当たらない。
したがって、本件出血の主原因は、被告らの主張においても触れられているとおり、ガイドワイヤーが内膜下に入り、偽腔の外側の血管壁が薄く脆弱化していた部分でバルーンを拡張したために、穿孔が生じたことにあると認められる。
(2) さらに原告らは、ガイドワイヤーの先端が対角枝を突き破っており、その状態でバルーンを拡張したことから、血管を裂いて出血を招いた旨も主張している。
この点について検討すると、前記1(9)ウにおいて認定したとおり、本件PTCAにおいて、ガイドワイヤーの先は、心尖部を回り込むような形になっており、その位置から考えて血管外にある可能性も存すること、側副血行路の消失について、穿孔を原因と考える余地もあること、前記1(9)キにおいて認定したとおり、被告A自身、亡Cの死亡直後には、ワイヤーで血管を突き破ってしまったと説明していることなどからすれば、原告らが主張するように、ガイドワイヤーの先端が対角枝を突き破っており、その状態でバルーンを拡張したことから、血管を裂いて出血を招いたという可能性もあり得るところである。現に、証人Iも、ガイドワイヤーの先端が血管を穿孔した可能性については、これを否定することはできないと述べているところである(乙A9、証人I)。
被告らは、左前下行枝と対角枝が共に心尖部を回り込むような血管走行を有する患者もいないわけではないから、ガイドワイヤーの位置からガイドワイヤーによる穿孔を推測することはできないと主張するが、証人I及び被告Aも認めるとおり、そのような血管走行を有する患者は絶無ではないというにとどまるのであって、それが相当数存するということはできないのであるから、そのような稀な患者の例を挙げてガイドワイヤーによる穿孔の可能性そのものを一切否定することはできないものというべきである。
また、被告Aによる亡Cの死亡直後の説明内容について、被告Aは、動揺していたため今から振り返れば不正確な説明をしたこと、ガイドワイヤーが血管外に出たときに特徴的に感じられる、ワイヤーの先が血管外で自由に動けることに起因する踊るような動きが感じられなかったことからすれば、ガイドワイヤーによる血管穿孔の可能性は全く否定されることを陳述(乙A10)ないし供述する。しかし、仮に被告Aにおいてガイドワイヤーによる血管穿孔の可能性を否定する根拠が術者としての手先の感覚であるのであれば、亡C死亡直後の説明時点は、本件PTCAからまだ間がない時期であったのであり、術中の感覚の記憶は現在より鮮明であったと考えられるのに、断定的にガイドワイヤーが血管を突き破ったと説明していることと整合せず、上記陳述ないし供述には疑問が残るといわざるを得ない。
さらに、被告らは、画像上ガイドワイヤーが上記の特徴的な踊るような動きが確認されないことをガイドワイヤーによる穿孔を否定する論拠の一つとするが、上記画像(乙A6の1)は、被告らが自認するように、手技のごく一部を収録したものにすぎないのであるから、仮にその画像上上記の動きが確認されないという事実が存在するとしても、そのことをもってガイドワイヤーによる穿孔を完全に否定することはできない。
加えて、被告らは、CTOの血管側壁は動脈硬化が強く、硬いからワイヤーにより突き抜けることは困難であるとも主張するが、被告ら自身、バルーンの拡張により冠動脈が穿孔した理由としては、偽腔の外側の血管壁が薄く脆弱化していた可能性を挙げているのであるから、同様の論理によれば、ワイヤーによる穿孔の可能性もまた、否定することはできないはずである。
したがって、本件において、被告Aが、ガイドワイヤーの先端によって血管を穿孔させた可能性も相当程度認められるというべきである。
(3) もっとも、前記(1)において認定したとおり、本件における出血の主原因は、やはり偽腔内においてバルーンを拡張したことによる冠動脈の穿孔であると考えられ、かつ後記6において判示するとおり、この点に関する過失の有無を判断すれば足りるものと解されるから、ガイドワイヤーの先端による血管穿孔の有無及びこれと本件出血との関係については、これ以上の立ち入った検討は行わないこととする。
6 争点(4)(亡Cにおいて冠動脈穿孔及び出血を生じさせたことについての過失の有無)について
(1) 前記1(9)ウ、エ、前記5において認定説示したとおり、被告Aは、目的の左前下行枝ではなく、対角枝方向へガイドワイヤーを進ませた上で、偽腔内においてバルーンを拡張させ、結果として血管を穿孔させ出血を招いたものであるところ、かかる行為について過失が認められるか否かを判断する。
(2)ア 前記2(2)カにおいて認定したとおり、一般に、PTCAにおいて、閉塞部位にワイヤーを通す作業は、術者が直接視認しつつ行うものではなく、基本的に血流と術者の感ずる手応えを頼りとする手探り的なものである。したがって、ワイヤーが内膜下に入り込んだり血管外に穿通する危険性があること、そのため画像上多角的な検討が必要であることや術者の手先の感覚が重要であることはもちろんであるが、その他側副血行路等による末梢の情報が重要であること、仮にワイヤーが内膜下等に入り偽腔を形成すると、真腔が圧排されて次第に造影されなくなることなどが指摘されており、ワイヤーの正確な位置を確認すること及びその前提として側副血行路等の情報を豊富に獲得し、これに術者の感覚等を総合して慎重な判断が必要であることは疑いがないものというべきである。
また、前記2(2)キにおいて認定したとおり、CTOにおいては、目的病変にワイヤーを通過させることできるか否かが最も重要な点であるとされている。この点、CTOにおいては、血管の走行には個体差が大きく、完全閉塞部位が長くなるほど、その間で冠動脈が屈曲しているのか直進しているのか不明であり、冠動脈の走行経路が不明のままワイヤーを通すのであるから、冠動脈が造影され、その走行経路が直接視認できる場合と比べて、穿孔や偽腔形成を生ずる危険性ははるかに大きい。また、CTOでは、ワイヤーの通過部位やそれが血管の真腔を通過しているか否かということを完全に確認することは一般のPTCAに比べて更に困難であるが、それは、ガイドワイヤーが一旦閉塞部内を穿通すると、その部位には血流がないから、ガイドワイヤーの走行が正しいかどうかを判断する手段が少なくなってしまうためである。しかし、そのような状況下でワイヤーの進行やバルーンの拡張を行わなければならないから、そのためには、側副血行で写ってくる末梢の血管から予想されるルートからのずれがあるかどうか、操作する術者の手に感じるガイドワイヤー先端の感覚はどうか、ガイドワイヤーが側枝に入るかどうかなどの点に留意し、さらに、ワイヤーが内膜下に入っていないかどうかに注意を払って、偽腔に入っている場合には真腔を捉えるべく再試行するべきであるといったことが指摘されている。
イ これを本件についてみると、前記1(9)イにおいて認定したとおり、当初は側副血行路が見えていたものの、被告Bがガイドワイヤーを内膜下に入れて偽腔を形成しては入れ直すという手技を繰り返している間に、側副血行路が消失し、ワイヤーの位置を正確に判断することが難しい状況になり、被告Aに手技を交代した後も、ワイヤーの位置を正確に同定することが困難な状況下において、ガイドワイヤーが内膜下に入って偽腔を形成していることが疑われ、その場でバルーンを拡張すれば血管を裂くおそれがあったにもかかわらず、閉塞近位部において拡張する限り危険はないとの判断の下にバルーンを拡張したことにより、本件出血を招いたものであって、その判断には合理的な裏付けがあるとは考えられないし、たとえば急性心筋梗塞を起こした直後で、冠動脈からの血流が回復すれば心筋が壊死に陥らずに回復することが期待される心筋梗塞を起こしてから数時間以内にPTCAを実施するというような場合と異なり、当該状況下であえてバルーンを拡張すべき緊急性も見出せないから、本件出血は、被告Aの過失に基づくものといわなければならない。
なお、証人Iも、側副血行路が消えた時点で偽腔に入ったという認識が可能であり、そうすべきであること(証人I30、43頁)及び偽腔に入っているのが確実で全長にわたって入っているのが確実である場合にはバルーンを拡張すべきでないこと(同43頁)を認めており、この点からも、側副血行路が消失し、ガイドワイヤーやバルーンが偽腔に入っていることが認識可能であった本件において、そのままバルーンを拡張する手技に注意義務違反が肯定されることが裏付けられるというべきである。
(3)ア 被告らは、ガイドワイヤーが左前下行枝へ正しく到達していると判断したことは合理的であったと主張し、証人I及び被告Aはこれに沿う陳述ないし証言等をする。しかしながら、画像上そのように認められるとする部分は、その根拠について明確な説明がなく、左前下行枝に正しく到達しているとは確認できないとする証人Hの陳述ないし証言に勝る説得力があるとは認められない。証人I自身、自らが本件PTCAの術者であれば、被告Aらと異なる判断に至った可能性があると認めているところである(証人I31頁)。また、手先の感覚等からガイドワイヤーが左前下行枝に正しく到達していると判断できた、偽腔に入っていることを認識し得なかったとする被告Aの陳述ないし供述については、本件証拠上その当否を事後的に検証することは不可能であって、結果的に偽腔に入っていたと認められる以上、こういった感覚を全面的に信頼することはできないといわざるを得ない。
イ また被告らは、CTOに対するPTCAにおいては穿孔の危険性を完全に否定することはできないと主張し、0.014インチのワイヤーによって穿孔したとしても出血点は小さく、止血措置によってほとんどの場合死の危険を回避することができると主張する。しかしながら、ガイドワイヤーによる穿孔の事実は被告ら自身においてこれを否定する主張をしているところであり、かつ、前記1(9)イ、ウ、エにおいて認定したとおり、本件出血の主原因は、0.014インチのガイドワイヤーによる穿孔というよりはむしろ、偽腔に入った1.5mmのバルーンを拡張したことによる血管の穿孔ないし破裂と考えられるところである。そうすると、仮に被告らの主張するように、ガイドワイヤーによる血管穿孔の可能性が否定できない場合にガイドワイヤーを進めることが不相当ではないとしても、本件のような偽腔に入ったバルーンの拡張に起因する出血までもやむを得ないものと考えることには論理的な飛躍があるといわざるを得ない(なお、血管を穿孔しても止血をすれば良いというのは、過失があったとしても結果的に損害が生じなければ不法行為にはならないという法律上当然の結論を言い換えているにすぎない。)。
ウ さらに被告らは、本件のように閉塞部位の末梢が造影されなくなった場合であっても、術者が相当の根拠をもってガイドワイヤーが血管内を通過したものと判断できた場合に閉塞部近位部を最小径のバルーンで拡張するという手技は、一般的に行われているものであって、多くの医師の容認する適切な手技であると主張する。この点については、上記のような手技自体が適正に行われる限りにおいては、これを是認することも不可能ではないと考えられるが、前記(2)イにおいて認定したとおり、本件においては、側副血行路の消失等の事情から、ガイドワイヤーが内膜下に入り込み、偽腔を進んでいる可能性が相当程度認識可能であったという事情が存するのであり、上記の「術者が相当の根拠をもってガイドワイヤーが血管内を通過したものと判断できた場合」に当たるか否かに疑問があるといわざるを得ず、また、やはり前記(2)イにおいて触れたとおり、証人I自身偽腔でバルーンを拡張すること自体には否定的評価を下していることからしても、上記の手技が、偽腔に入っている可能性が一定程度あるバルーンの拡張をも許容するものであるのかについても疑問を呈さざるを得ないものである。なお、被告らは、上記手技による危険が許される根拠として、費用負担の問題をも持ち出しているが、治療による危険とそれによる生命・身体の利益を比較衡量するのであればともかく、経済的利益と生命とを比較衡量することは原則として妥当でないといわざるを得ない。
(4) なお付言するのに、原告らの争点(3)及び(4)に関する主張は、ガイドワイヤーの穿孔部位でバルーンを膨らませて血管を裂いたという点にいささか拘泥しすぎており、的確さに欠ける面があるといわざるを得ないが、しかしその趣旨を善解すれば、要するに、本件PTCAにおけるガイドワイヤーの進行やバルーンの拡張といった手技の不適切を主張するものと解されるし、被告らにおいては本件訴訟の当初から、本件出血に至るまでの手技全体を通じてそれが適切であることの主張立証を行っていたものである。したがって、上記のように過失を認定したとしても、何ら弁論主義に違背したり、当事者に不意打ちの不利益をもたらしたりするものではない。
(5) 被告らは、被告Aがサイドブランチテクニックを実施したとも主張する。もっとも、被告らは同時に、サイドブランチテクニックを積極的に試みようとしたものではないとも主張しており、その主張の趣旨は必ずしも判然としないが、前記2(2)エにおいて認定したとおり、サイドブランチテクニックとは、被告ら提出の乙B1によれば、①CTO末梢断端でワイヤーの進行方向と末梢真腔の方向に一定以上の角度がある場合、ワイヤーが直接真腔を捉えることが困難な場合が多く、真腔の周りに偽腔を形成してしまうおそれが大きいことから、側枝を最小径のバルーンで拡張し、本幹の血流を拡幅して、側枝より本幹にワイヤーを挿入し直す、②末梢断端の線維性被膜の穿通が困難である場合、末梢の側枝の入口部より側枝にワイヤーを穿通させて1.5mmバルーンで側枝を拡張することにより側枝入口部で線維性被膜に亀裂を形成した後に本幹にワイヤーを通すといった手法を指しているところ、この方法は真腔の周りに解離を形成する危険性を孕んでいることから、①ワイヤーの進行方向に対して側枝の分岐角度が少なくとも90度以内、②側枝の血管径が小さい1mm以内、③末梢側真腔の周りに瀰漫性のプラークがない、④CTO末梢断端から側枝入口部までワイヤーが真腔のすぐ横を伴走していることといった条件が満たされるときに限って応用が可能な手法であるとされているのである。
そうすると、本件においては、被告Aが上記のような検討を行った上でサイドブランチテクニックをあえて行ったことを示す証拠は何ら存在していないのであり、被告らのこの点にかかる主張は後付けの論理であって失当であるというほかはないし、現に本件につき、上記条件が満たされていたとも認め難い。
(6) 被告らは、バルーンを拡張した付近における血管の極端な狭小化、血管壁の脆弱化等は事前画像情報等によっても明らかではなく、1.5mm程度の対角枝を1.5mmのバルーンで拡張しても穿孔を予見することは不可能であったとも主張する。
しかしながら、上記の主張は、バルーンが真腔内にあることを前提とする議論であって、本件のように偽腔内にバルーンがある可能性が認識し得た場合にも同列に論ずることはできない。
この点被告はさらに、仮に穿孔部位付近で偽腔に入っていたとしても、術中の画像から見て、その可能性は数%で想定すればよく、穿孔の危険性の認識もその程度で高まるにすぎないと主張する。しかし、仮にバルーンが偽腔に入った可能性を認識したのであれば、当然真腔を捉えるべく再試行すべきものであり(乙B1、7、10といった被告ら提出の文献も、内膜下にカテーテルが入り込むのを避けて真腔を捉えるべく努力すべきことを述べ、あるいは当然の前提としている。)、その状況でバルーンを拡張するのであれば、その結果穿孔を来すことについて、具体的予見可能性が肯定されるといわなければならない。
(7) 証人Hの陳述ないし証言内容の信頼性について
被告らは、証人Hの証言は信頼性がないと主張する(被告準備書面(8)26ないし32頁)ので、この点についても判断する。
ア まず、被告らは、証人Hが、様々な情報からガイドワイヤーが血管内にあると判断できる場合にバルーンを拡張することにより死亡等の重篤な結果が発生する頻度について何ら科学的・医学的な反論をしていないと批判する。しかしながら、この点については、前記(2)において判示したとおり、本件が「ガイドワイヤーが血管内にあると判断できる場合」に当たるという前提において既に疑問があるから、採用の限りではない。
イ 次に、被告らは、証人Hが日本インターベンション学会会長のN医師の行った手技(乙A14、15)であって、O大学医学部臨床教授である証人Iも積極的に是認する手技を「誤りである」と指摘していることについて、このような手技が許容されていることは明らかであり、これを非難することを証言の信頼性を揺るがす一つの事情である旨主張する。しかしながら、社会的地位の高い医師が行う医療行為が無条件で正当であるといえないことは明らかであって、これを批判したからといって直ちにその意見に信用性がないものとは到底いえず、要は端的にその意見の論理性を検討すれば足りる問題である。
ウ さらに、被告らは、証人Hが、側副血行路が消失したにもかかわらず、何ら症状が認められなかったのは、残存心筋がなく治療意義がないことを示すという見解を述べる一方で、側副血行路の消失をトラブルと評価する場面においては、側副血行路は残存心筋に酸素を補給しているので、これが消失するのは患者にとって不利益である旨述べているのは、一貫性を欠くと批判する。しかしながら、証人Hが述べるところは、本件において亡Cに心筋のバイアビリティー(生存性)があったか否かが必ずしも分明でないのではないかと疑問と呈すると共に、一般論として側副血行路の消失は患者に不利益を来すということを述べているものと解することができ、必ずしも論理矛盾を来しているとまでいうことはできない。この点においては、証人Hも相手方見解の非難に力点を移しており、厳格な整合性に欠ける部分はあるが、全体としての信用性に影響する事情であるとはいえない。
エ 加えて、被告らは、証人Hが、側副血行路に血流が行かなくなることがトラブルであると述べた点を捉えて、これはトラブルではないと非難するが、この点は、単なる見解ないし用語法の相違であり、検討するまでもない問題である。
オ なお、被告らは、証人Hが、亡Cについて、当初心タンポナーデを発症していたとしながら、後にこれを否定した点についても一貫性がないと批判しているところ、確かに、証人Hの見解がこの点については変遷していることは事実である。しかしながら、この点については、原告ら代理人において証人Hに当初意見を求めた際、どの程度正確な情報を提供しているかという問題にもかかわる問題であり、一概に見解の信用性を否定することはできない。現に前記1(10)カにおいて認定したとおり、司法解剖を行った医師も、限られた情報から死因を推測するに当たっては、これを心のう血腫(心タンポナーデ)と考えても矛盾しないとしているところである。また、証人Hは、最終的に証人Iの見解等も参酌して自己の見解を率直に訂正していることからしても、見解の変更があったからといって、直ちにこれを全体として信用できないものということはできない。
以上検討したとおり、証人Hの信用性については、部分的に修正を余儀なくされた箇所があることは事実であって、細部に至るまで全面的に採用することは躊躇され、また、相手方の見解を論駁することに主眼を置くあまり、厳密な一貫性を損なっている面も見受けられるものであるが、しかし、証人Iや被告Aと比較して、その信用性が全体として明らかに見劣るものとは認められないものである。
(8) 以上判示したとおり、本件においては、手技を被告Aに交代した後、側副血行路も消失しており、ワイヤーの位置を正確に同定することが困難な状況下において、ガイドワイヤーが内膜下に入って偽腔を形成していることが疑われたにもかかわらず、その場でバルーンを拡張して冠動脈を裂き、本件出血を招いたという過失が認められるものである。
(9) なお、上記において認定説示したとおり、本件において認められる過失は、被告Aが偽腔にガイドワイヤー及びバルーンを入れた状態でバルーンを拡張したために、16番の画像の前の段階で冠動脈穿孔・出血を招いたというものであるから、この点において過失が認められるのは直接の術者である被告Aとその使用者である被告独立行政法人国立病院機構に限られることになる(被告Bの責任の有無は下記7においても検討する。)。
(中略)
8 争点(7)(亡Cにおける冠動脈穿孔及び出血と死亡との因果関係の有無)について
(1) 前記6において判示したとおり、被告Aによる亡Cの冠動脈穿孔及びそこからの出血の招来については過失が認められるところ、次に、当該過失行為と亡Cの死亡結果との因果関係の有無を検討することとする。
(2)ア まず、前記1(9)イ、ウ、エ、前記5において認定説示したとおり、本件PTCAにおいては、当初真腔を捉えようとする努力がされていたものの、ガイドワイヤーが内膜下に入って偽腔を形成するなどし、結局偽腔下にワイヤーが入ったまま当該部位をバルーンで拡張して、対角枝からの穿孔及び出血を来したものである、また、上記冠動脈穿孔及び出血の後、午後6時30分頃一旦これを止血したものの、その後それほど間を置かず、午後6時45分には亡Cから胸部痛、心窩部痛等の訴えがあり、心室細動が発症するなどして血圧、心拍数等が低下し、結局それが回復せずに午後10時58分には呼吸停止に陥り、結局翌日午前1時21分には死亡したという転帰を辿っており、前記6において認定した過失行為と亡Cの容態悪化及び死亡との間には、時間的な接着性が認められるというべきである。さらに、その間全く新たに死因となるような明らかな原因が介在しているという事情もないのであるから、亡Cの容態急変及び死亡の原因としては、やはりバルーンによる冠動脈穿孔及び出血という医原性の上記過失行為が最も疑われるというべきである。
イ また、前記6の過失行為から心室細動等が生じて死亡に至る医学的機序の点については、前記1(2)において認定したとおり、亡Cは重症の三枝病変で心臓の状態はかなり悪く、このような患者についていつ心室細動が生じても不思議はないといった事情(被告A41頁)に照らせば、本件出血のような心臓における直接的なトラブルが心室細動の発生の引き金となった可能性も否定することができないというべきである。証人Iも、心室細動の原因が本件出血やそれに対する処置に起因する可能性を否定しているわけではないし、これを否定するに足りる他の原因を明示しているわけでもない(証人I49頁)。
ウ 被告ら自身、心室細動の原因について、虚血性心疾患等器質的心疾患に、虚血、心機能の低下、交感神経活性の亢進等の誘引要素が生じることにより発症すること、亡Cの場合も心機能がかなり低下しているという器質的心疾患を抱えた状態において、何らかの上記誘引要素が加わって心室細動が生じたと考えられることを主張しているところ、その誘引要素として、本件出血及びそれに対する処置といった事象を想定することは、経験則上自然なことであるといわなければならない。
被告らは、心タンポナーデに至らないような出血が心臓に負担を与えるとは通常考えられないなどと主張するが、被告Aは、亡Cのような心機能であればいつ心室細動が起こるか分からないと供述しており(被告A・41頁)、そうであれば、たとえ心タンポナーデに至らないような出血であったとしても、これが心室細動の引き金になる可能性は否定できないと考えるのが相当である。
エ 以上によれば、前記6において認定した過失行為と亡Cの因果関係は、特段の事情がない限り、これを肯定することができるというべきである。
(3) 進んで本件出血による出血量について検討する。
前記1(10)アにおいて認定したとおり、亡Cを死後解剖した段階では、胸腔内容物は左420ml、右680mlの血液貯留であり、心のう内に血液200ml貯留しており、合計1300mlの出血が認められているところ、この原因について、原告らは本件出血によるものが大部分であるとし、被告らはその大部分は心臓マッサージにより生じたものであると主張している。
前記1(9)エにおいて認定したとおり、本件出血は動脈である対角枝において発生したものであり、決して少なくない量の血液が噴出したものと推測されるところであるし(なお、ガイドワイヤーの先端による穿孔であれば、それほど多量の出血が起こらないという推認も可能であるが、本件出血は前記5において認定したとおり、偽腔をバルーンで拡張して血管を裂いたことによる出血であるから、それと同列に論じられるものではない。)、被告Aらにおいても、心タンポナーデの可能性も念頭に置いてはいたという事情がある。他方、本件出血の直後から、被告Aらは、心のう液の貯留は少ないものと判断していたことも事実であるし、証人I、証人H及び被告Aも、亡Cの直接的な死因が出血多量による心タンポナーデであることは否定している。
また、上記の最終的な出血量についても、前記1(9)カにおいて認定したとおり、亡Cに対しては開窓術が実施され、その部分を縫合しないまま、その後の心臓マッサージ等の処置がされているから、穿孔部分からの出血と心臓マッサージの衝撃に伴う出血とは結局のところ渾然一体となってしまっているものであって、このうちのどれくらいの量が本件出血に伴うものであるのかについて、胸腔内と心のう内の血液貯留量をそれぞれ比較することによってこの点を解明することも困難であるといわざるを得ない。
しかしながら、前記1(9)カにおいて認定したとおり、本件出血によって、亡Cには心のう貯留液が生じ、これが心臓の機能に悪影響を与える危険性を防ぐため、開窓術が実施されているのであり、このような出血が亡Cのような心疾患を有する患者の容態に悪影響を与える可能性は否定できないと認められる。
また、前記2(2)オにおいて認定したとおり、PTCAにおいて冠動脈穿孔を来した事例では、これが臨床的に死亡や心筋梗塞の高い発生率と関連しているとの指摘も存在しているところである。
したがって、本件出血そのものによる出血量の正確な確定が不可能であるとしても、これが亡Cの死亡に関与していることは医学的にも十分説明のつく事柄であると解される。
なお、被告らは、上記の1300mlの出血がすべて本件出血に由来するのであれば、それ自体亡Cの死亡を招いてもおかしくない量であるのに、15分以上にわたってバイタルサインに変化がなかったことは矛盾すると主張しているところ、このうち、上記のバイタルサインの点から1300mlの出血がすべて本件出血に由来すると考えるのが不相当であるという点は是認できるが、上記のように、出血自体が心臓にもたらし得る負担を否定することができない以上、バイタルサインに15分間異常が見られなかったことから、直ちに亡Cの容態悪化について本件出血が何ら関与していないと結論することまではできない。
なお、原告らのこの点に関する主張も、大量出血という点に拘泥し、やはりその的確さに欠ける面が多分にあるものの、これを善解すれば、要するに本件出血が起点となって亡Cの死亡を招来したという大まかな因果関係を主張するものと解されるから、結局のところ、本件出血そのものによる出血量の正確な確定を要さずとも、前記過失行為と亡Cとの死亡との間の因果関係はこれを肯定することができるというべきである。
(中略)
(5) 被告らは、亡Cは原因不明の心室細動によって死亡したものであり、本件出血とは関係がなく、このような転帰を予測することも不可能であったと主張する。
しかしながら、前記(2)において判示したとおり、被告Aの前記過失行為と亡Cの容態悪化・死亡との関係については、その時間的接着性、他の明確な原因の不存在等からし
て、直近の医原性行為である本件出血の寄与が最も疑われるところであり、さらに、上記(3)において判示したとおり、本件出血が亡Cにおける心室細動等の発生に寄与したと考えることも医学的に必ずしも不合理なこととまではいえないものである。
以上の事情に照らすと、本件においては、亡Cの死因に直接的に寄与したのが心室細動の発生であったとしても、それが被告らの前記過失に独立して生じたものであることが窺われない限りは、上記因果関係の認定を覆すに足りないものというべきである。
(6) したがって、結局のところ、本件においては、前記6において認定した過失行為と、亡Cの死亡結果との間に、因果関係を認めることができる。
(7) なお、本件においては、原告らより、冠動脈穿孔からの出血を止血した後に第1対角枝の閉塞が生じたにもかかわらず、これを看過し適切な処置を執らなかった過失も存すると主張されており、他方被告らより、このような閉塞を予見することは不可能である旨主張されているところ、当該過失の有無や上記閉塞の予見可能性の有無等により因果関係の認定が左右される余地があるか否かを進んで検討しておくこととする。
ア まず、上記閉塞が亡Cの死亡に影響を与えていないとすれば、これが因果関係の認定に影響しないことは明らかである。
イ 次に、上記閉塞が亡Cの死亡に何らかの影響を与えた可能性があるとすると、これについては以下のとおり考えられる。
(ア) 過失行為自体の危険性と死亡結果への影響力
前記6において判示したとおり、本件において、被告Aが偽腔にワイヤーが入り込んでいる可能性がある程度認められる状況において、結果として偽腔内にあったバルーンを拡張させ、血管を穿孔して冠動脈から出血させた行為は、前記1(2)において認定したように亡Cの心機能が不良であったことや、出血部位が動脈であり、かつ細いワイヤーの先端による穿孔とは必ずしも同列に論ずることができないものであることにも鑑みれば、それ自体が、患者をして出血自体により、あるいは出血に起因する何らかの心臓の病変により、死亡させる結果を引き起こしかねない危険性を否定できないものであって、現に亡Cは、その詳細かつ具体的な機序はともかく、心室細動を発症するなどし、心臓の病変によって死亡したものである。
(イ) 過失行為と第1対角枝の閉塞との関係
また、本件における第1対角枝の閉塞については、前記1(9)エにおいて認定したとおり、破れた冠動脈からの出血を止める際の処置に引き続いて発生したものであり、その際、止血を有効に行うため、血液の抗凝固作用を有するヘパリンを中和するプロタミンが投与されていたことから、血栓ができやすい状態になっていたという状況も存するものである。
このような事実に照らせば、上記閉塞は、被告Aによる冠動脈穿孔・出血及びそれに対するプロタミンの投与、さらには止血のためのバルーンの留置等といった処置に誘発されて生じたものと推認される。
(ウ) 結論
そうだとすると、確かに前記1(9)オにおいて認定したとおり、被告Aらは、そもそも上記第1対角枝の閉塞を認識していなかったものであり、これに対する処置は何ら行っておらず、それ自体において過失責任を問う余地も考えられないではない(但し、当該行為と死亡結果との因果関係が肯定できるか否かはまた別論である。)。
しかしながら、その点に関する被告らの過失の有無をひとまずおいても、上記に判示したように冠動脈穿孔及びそこからの出血自体に死亡の危険性があり、現実に心臓に病変が発症することによって患者が死亡しており、さらに、第1対角枝の閉塞もその出血に対する処置に誘発されて生じた蓋然性が高いといった事情に照らせば、上記の第1対角枝の閉塞という事実及びこれに対する処置の適否の問題は、その結論のいかんにかかわらず、前記被告Aの冠動脈穿孔行為と亡Cの死亡結果との因果関係を遮断するものではない。また、前記1(9)オにおいて認定したとおり、上記閉塞自体は画像上明確に読み取ることができ、かつこのような閉塞が何らかの心臓の病変に影響する可能性自体は否定できないのであるから、これがおよそ被告らにとって予見不可能な異常な事情であって因果関係を遮断すると解する余地もないと解される。
ウ 以上検討したとおり、亡Cの死亡に対する上記閉塞の寄与度や、これを看過した過失の有無等にかかわらず、上記において認定説示した因果関係はなお肯定されるということができる。
エ なお、このように解する以上、プレコンディショニングに関して被告らが縷々主張する点については、それが第1対角枝の閉塞が亡Cの死亡に寄与したか否かにかかわる論点であることからして、判断を要しないというべきものである。
さらに、冠動脈の閉塞時間と心筋梗塞を来す可能性の問題についても同様である。
(中略)
10 結論
以上によれば、その余の争点について判断するまでもなく、被告A及びその使用者であった被告独立行政法人国立病院機構に対する原告らの請求は主文第1項の限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、また、被告+Bに対する原告らの請求は理由がないから棄却すべきものである。
なお、前記2(2)キ、クにおいて認定したとおり、CTOに対するPTCAは、それが成功すれば生命予後を大幅に改善できるという報告がされているものであって、それ自体は十分評価に値するものであり、当裁判所も、CTOに対するPTCAの実施という治療法自体に否定的判断を下すものではない。しかしながら、やはり、前記2(2)キにおいて認定したとおり、CTOに対するPTCAについては、成功を困難とする要因がいくつも存在し、現段階では再開通が成功する確率が高いとまではいえず、他方で一定のリスクが存在しており、実施に当たっては相当の慎重さが要求される治療法であることも事実であると考えられる。そして、本件においては、手技の途中で当初見えていた側副血行路が消失し、カテーテルが真腔を捉えていない可能性が高いと具体的に認識可能であったという事情が存在し、かつその時点でバルーンをあえて拡張すべき緊急性も乏しかったにもかかわらず、バルーンを拡張し、冠動脈を穿孔して出血を招き、結果として患者が死亡するに至ったのであって、上記のような個別具体的な事情に照らせば、やはり術者の過失責任は免れないものと判断せざるを得ないものである。
谷直樹
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