吸引分娩により娩出できなかった場合に可及的速やかに他の急速遂娩術を取るべき注意義務 名古屋高裁平成14年2月14日
平成6年4月の事案ですが,「吸引分娩は児に対して,(ア)頭部の表皮剥脱,(イ)頭血腫,(ウ)帽状腱膜下血腫,(エ)頭蓋内出血,の副作用があり,(ア)を除いていずれも深刻な副作用であるため,副作用の危険を冒しても施行するのは,それによって間もなく児頭が娩出されて分娩遷延が解決し,母体外における肺呼吸が可能になることにより低酸素状態が解消するという利点があるからやむを得ずに実施するものである」との判示部分は,吸引分娩の注意義務を考えるに際しとくに参考となります.
なお,これは私が担当したものではありません.
「第3 当裁判所の判断
1 鑑定人Iの鑑定結果(以下「本件鑑定」という。)によると,Eの死亡原因である胎便吸引症候群の原因は,Eの胎児仮死(子宮内における低酸素状態)とその進行に伴って発症した重症代謝性アチドージスに起因するものであることが認められる。
2 そこで,Eの胎児仮死の発症時期について,検討する。
(1) 乙2号証(被控訴人医院のカルテ,以下「カルテ」という。),4号証(被控訴人の陳述書)及び被控訴人の原審供述によると,控訴人Bが23日午後8時20分に入院した後吸引分娩を開始した24日午前9時30分までの間,児心音は良好であり,また,控訴人Bが多治見病院に搬入された午後0時20分頃の児心音もほぼ正常であったとされる(甲2号証)。
(2) しかしながら,被控訴人医院には分娩監視装置が設置されておらず,ドップラー胎児心拍検出装置,トラウベ聴診器で胎児の心拍及び児心音を間欠的に監視していたものである(甲42号証,被控訴人の原審供述)ところ,間欠的な監視による胎児の心拍数が正常に保たれていても,胎児仮死が存在することを診断することは不可能であるというのであるから(本件鑑定),前記のとおり児心音が間欠的に正常であるとしても,そのことから胎児仮死が存在していなかったとはいえない。
(3) そして,被控訴人が吸引分娩を開始した24日午前9時30分には,児心音は良好であり,かつ低酸素状態を示す羊水の混濁もなかったこと(乙4号証)からすると,前記吸引分娩開始から多治見病院における鉗子分娩による娩出までの約3時間の間に,胎児の低酸素状態が持続したために代謝性アチドージスが進行し胎便で混濁した羊水を吸引したものと推測するのが妥当であるが,それ以上に胎児仮死の発症時期を特定することは胎児に関する監視情報の乏しい本件においては困難である(本件鑑定)。
3 次に,前記吸引分娩開始から多治見病院における鉗子分娩による娩出までの約3時間の間に胎児仮死が発症した原因について検討を進める。
(1) 前提事実に加えて,証拠(甲33,42号証,乙4号証,被控訴人の原審供述,控訴人Bの当審供述,後掲証拠)及び弁論の全趣旨によると,以下の事実が認められ,これに反する被控訴人の陳述書(乙4号証)及び原審供述,控訴人Bの陳述書(甲33号証)及び当審供述,控訴人Aの陳述書(甲42号証)の各部分は採用することができない。
① 通常,分娩は,分娩第1期(開口期・分娩開始から外子宮口全開大[約10㎝開大]までの期間),分娩第2期(娩出期・子宮口全開大から胎児娩出までの期間),分娩第3期(後産期・胎児娩出から後産娩出までの期間)という経過をたどり分娩第1期の始まりである分娩開始は,陣痛周期が約10分あるいは陣痛頻度が1時間に6回になった時点とされ,初産婦の場合,平均所要時間は分娩第1期が10~12時間,分娩第2期が1~2時間,分娩第3期が15~30分,計11~15時間とされ,全所要時間が30時間を経過しても児娩出に至らないものを遷延分娩というとされる(甲18,37号証)。
② 急速遂娩術のうちの吸引分娩は,下記のとおりの適応と要約によって慎重に行われるべきであるとされている(甲18号証,本件鑑定)。
(ア) 適応
<ア> 胎児仮死
<イ> 母体適応による怒責回避や分娩第2期短縮
<ウ> 分娩第2期遷延或いは停止
<エ> 微弱陣痛
<オ> 軟産道強靱
<カ> 回旋異常
(イ) 要約
<ア> 子宮口全開大
<イ> 破水後又は人工破膜後
<ウ> 頭位で著しい反屈位にない
<エ> 先進児頭が低在ないし出口部まで下降
<オ> 母体の膀胱や直腸が空虚
③ また,吸引分娩は児に対して,(ア)頭部の表皮剥脱,(イ)頭血腫,(ウ)帽状腱膜下血腫,(エ)頭蓋内出血,の副作用があり,(ア)を除いていずれも深刻な副作用であるため,副作用の危険を冒しても施行するのは,それによって間もなく児頭が娩出されて分娩遷延が解決し,母体外における肺呼吸が可能になることにより低酸素状態が解消するという利点があるからやむを得ずに実施するものであるとされている(甲18号証,本件鑑定)。
④ ところで,カルテによると,「24日午前5時30分,子宮口9~10㎝開大,午前6時30分,ほとんど開大」旨の記載があり,また「午前7時,児頭骨盤出口部下降あり」との記載があるところ,子宮口が全開大した時期を吸引分娩開始時の午前9時30分とすると,その2時間30分も前に児頭が下降しているという事態は考え難いこと,子宮口の開大は通常1時間に1㎝であるとされていることからすると,午前6時30分には子宮口は全開大し,分娩第2期が開始したと認められる(甲43号証,本件鑑定)。
この点に関して,被控訴人は,子宮口の全開大は午前9時30分であり,この時から分娩第2期が開始した旨主張し,これに沿う被控訴人の陳述書,供述及び岐阜大学医学部産科婦人科学教授Jの意見書(乙3号証)もある。
しかしながら,そもそも吸引分娩は急速遂娩術の一つであり,かつ前記のような適応と要約の下に施行されることから明らかなように,子宮口が全開大になりながら分娩第2期に要するとされる1~2時間の間に通常の自然分娩により娩出しないためにやむなく施行されるものである。そして,被控訴人が母胎にこのような適応と要約もないのに吸引分娩を施行したものとは考え難いし,他に子宮口の全開大と同時に吸引分娩を施行することが肯認できるような適応や要約の存在という客観的かつ合理的な事情を見出すことはできない(甲43号証,本件鑑定)。よって,この点に関する被控訴人の主張は到底採用することができない。
⑤ 次に,吸引分娩による牽引については,1回の牽引は2分までとし,3回程度の牽引で娩出させるように務める,時間も15分以内,最大30分以内とされ,またこの吸引分娩により娩出できなければ,直ちにそれに代わる他の急速遂娩術である鉗子分娩あるいは帝王切開により可及的速やかに胎児を娩出させる必要があるとされている(甲18,23号証,本件鑑定)(なお,被控訴人は,吸引分娩というものは何回までしか引っ張ってはいけないとかの決まりのようなものはないと思っている旨供述している。)。
⑥ しかるに,証拠(カルテ,被控訴人の原審供述,控訴人Bの当審供述及び陳述書,本件鑑定)及び弁論の全趣旨によると,24日午前9時30分に吸引分娩を開始し,午前10時20分までこれを反復したが(但し,その回数は明らかではないが,被控訴人の供述によると何回牽引したか記憶がないという。),児頭の位置は変わらず下降せず,最初の吸引分娩の試行段階で頭血腫(前記のとおり吸引分娩の副作用とされるものである。)が生じたものと認められる。
⑦ このように,吸引分娩により娩出できなかった原因について,カルテに記載のように24日午前7時に児頭の骨盤出口部下降があり,ステーションプラス2~3の位置にあるとした場合,午前9時30分から開始された吸引分娩を30分間以上,多数回にわたって実施しても娩出しないということはあり得ないことに照らすと,骨盤腔内にある児頭の高さは,被控訴人が診断した骨盤出口部ではなく,もっと高いところにあったものと推測され,被控訴人のこの点に関する診断は誤った可能性が強い(本件鑑定)。
この点に関して,その後搬送された多治見病院において鉗子分娩により娩出されているが,その時期は被控訴人による吸引分娩開始時から既に約3時間も経過しており,その間に児頭が鉗子をかけ得る位置にまで下降した可能性が高いといえるから(本件鑑定),前記判断は何ら矛盾するものではない。
⑧ そして,被控訴人は鉗子分娩や帝王切開をすることなく,24日午前10時20分頃には他の病院(G,H,東濃病院)に連絡を取ったが,当日は休日であって応援を求められず,午前10時50分に多治見病院に連絡し,午前11時30分に婦人科部長と連絡が取れたため,同日午前11時50分頃依頼により到着した救急車で控訴人Bを同病院に搬送した。なお,被控訴人は,本件分娩の当時,被控訴人医院には帝王切開を実施するだけの人的設備はあったとしている(但し,その具体的内容は明らかではない。)が,それにもかかわらずこれを実施しなかった理由は「下から十分出ると確信していたからである。」旨供述している。
(2) 以上の事実によると,控訴人Bの分娩第2期は,被控訴人により吸引分娩が試行された24日午前9時30分には既に遷延分娩の状態にあって,吸引分娩により娩出できなければ,可及的速やかに鉗子分娩あるいは帝王切開という急速遂娩術を取らなければならないところ,吸引分娩に固執して約50分の間,多数回にわたりこれに反復したため,鉗子分娩あるいは帝王切開による娩出の機会を失したことが,前記吸引分娩開始から多治見病院における鉗子分娩による娩出までの約3時間の間に胎児仮死が発症した原因であるというべきである。
4 また,以上の検討によると,被控訴人には,控訴人Bの分娩第2期が遷延分娩の状態にあったのであるから,最大30分間に3回程度の吸引分娩の施行により娩出できなかった場合には,可及的速やかに鉗子分娩あるいは帝王切開という他の急速遂娩術を取るべき注意義務があり,かつ被控訴人医院には帝王切開を実施するだけの人的設備はあったというにもかかわらず,これを怠り,吸引分娩に固執して漫然と約50分の間,多数回にわたりこれに反復したまま,鉗子分娩あるいは帝王切開という急速遂娩術を取らなかった過失により,胎児仮死を発症させたものと認められる。
そして,被控訴人の前記過失がなければEの胎児仮死とその進行に伴って発症した重症代謝性アチドージスに起因する胎便吸引症候群を原因とする死亡という事態は避けられたものと認められる。よって,その余について判断するまでもなく,被控訴人は控訴人らに対して,不法行為に基づき、Eの死亡により控訴人らが被った損害を賠償すべきである。」
谷直樹
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