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胃内視鏡検査の実施の当否や前投薬の適応の有無を判断するために必要となる問診,観察義務 福岡地裁小倉支部平成15年1月9日判決

福岡地裁小倉支部平成15年1月9日判決(裁判長 杉本正樹)は,亡Eの死因が胃内視鏡検査の前投薬であるキシロカイン,ブスコパン及びセルシンのうち1つ又は2つ以上の薬剤によるアナフィラキシーショックであると認められ,それ以上に起因薬剤の特定ができない事案において,「F医師は,胃内視鏡検査の実施の当否や前投薬の適応の有無を判断するために必要となる問診,観察義務を怠り,不十分な問診,観察の結果に基づいて胃内視鏡検査のための前投薬(キシロカイン,ブスコパン,セルシン)を漫然と投与したものであって,前投薬の適否を十分に検討しなかったために前投薬の適応についての判断を誤ったものということができる(なお,咳や便通については,初診日に問診がなされているところであるが,本件の検査は初診日から10日以上経過した後になされているから,検査当日の状況について再度確認すべきであり,発熱についても,変動が激しいものであるから,検査当日の状況を確認すべきであったというべきである。)。
さらに,前投薬(キシロカイン,ブスコパン,セルシン)を投与するに際し,前判示のような説明を何ら行わず,亡Eから何ら同意を得なかったこと,及び,セルシンの投与について亡Eに選択の機会が与えられず,F医師の判断で投与されたことが認められるから,F医師は,前記説明義務をも怠ったものといわざるを得ない。」と判示し,過失を認めました.
「F医師が問診,観察を怠ったことにより,F医師が前投薬の適応判断を誤り,さらに,F医師が前投薬の説明及び亡Eの同意を得ることを怠ったことにより,F医師の前投薬の適応判断の誤りを是正する機会が奪われ,その結果,上記前投薬のうち1つ又は2つ以上の薬剤によるアナフィラキシーショックにより亡Eが死亡するに至ったというべきであるから,F医師の問診,観察義務違反及び説明義務違反と亡Eの死亡との間には因果関係が認められると解するのが相当である。」と判示し,因果関係を認めました.
なお,これは私が担当したものではありません.


「4 問診,観察義務違反及び説明義務違反の主張について

原告らは,F医師が,胃内視鏡検査を実施するに当たり,問診及び観察を行わず,又は,極めて不十分な問診及び観察のみで漫然と前投薬であるブスコパンやセルシンを投与したこと(問診,観察義務違反),及び,セルシンを投与するにつき,その利点や副作用の危険性等を説明し,患者の同意を得る義務を怠ったこと(説明義務)を主張するが,本件は,亡Eの死因が胃内視鏡検査の前投薬であるキシロカイン,ブスコパン及びセルシンのうち1つ又は2つ以上の薬剤によるアナフィラキシーショックであると認められ,それ以上に起因薬剤の特定ができない事案であるから,当裁判所は,原告らの主張を,F医師が胃内視鏡検査の実施及び前投薬の投与に当たって行うべき問診,観察義務及び説明義務に違反したことを内容とするものと理解したうえで,以下,これを判断することとする。

(1) 胃内視鏡検査における問診,観察義務及び説明義務の根拠

ア 一般に,医師は,患者の自覚症状を問診し,触診等の観察を行うとともに,必要な検査を行うなどの過程を経て,当該患者の疾病の有無,内容,程度等を確定的に診断し,適切な治療方針を決定して治療行為を行うことが期待されているところ,検査は,適切な治療行為という医療の最も重要な目的のためのデータ収集手段の1つ,すなわち治療行為の前提に位置づけられるものである。
そして,内視鏡を用いる医療行為は,内視鏡的乳頭括約筋切開術(EST),内視鏡的粘膜切除術(EMR),内視鏡的食道静脈瘤硬化療法(EIS)等の「内視鏡的治療」と,内視鏡による観察,生検,内視鏡的逆行性膵胆管造影(ERCP)等の「内視鏡的検査」に大別されるが(甲25,26),本件で亡Eに対して行われる予定であったものは,内視鏡的検査の中でも,内視鏡による観察や診断のみを目的とした一般胃内視鏡検査であった。
このような位置づけに鑑みれば,観察や診断のみを目的とした一般胃内視鏡検査は,患者の疾病を発見するために極めて重要な役割を果たしていることは否定できないものの,治療行為そのものや,内視鏡によるその他の医療行為との比較においては,一般的に,その実施の必要性や緊急性が必ずしも高くはないというべきである。そのうえ,本件のような胃内視鏡検査における前投薬は,検査そのものではなく,検査を迅速かつ適切に行うための前処置であって,その投与の必要性や緊急性は,検査の実施に必要不可欠な前投薬を除いては,検査そのものの実施の必要性や緊急性と比べても,より低いというべきである。

イ ところで,胃内視鏡検査は,消化管の粘膜面を直視することができるため,造影剤を用いて行う消化管検査では観察できない粘膜の色調の変化や微小病変の発見が可能になるという特徴を有しているものの,他方で,同検査は,長時間(6時間以上)の絶飲食を経て,前投薬(キシロカイン,ブスコパンのほか,場合によってはセルシン等)を投与し,咽頭部から直径10ミリメートル前後の内視鏡を挿入するという,身体に対する侵襲を伴い,被検者に少なからぬ不安や精神的苦痛を与えるものであるばかりか,極めて低い確率ではあるが,前投薬によるショック等の重篤な副作用の発生や,内視鏡の挿入による出血,穿孔など,身体及び生命に対する重篤な障害を与える危険性すらあることが知られている(甲18,乙7)。

ウ 以上の事情に鑑みれば,医師は,胃内視鏡検査の実施の当否及び同検査を実施する場合の前投薬の適応の有無を判断するについては,必要不可欠な投薬治療や手術等の治療行為そのものを行う場合に比べ,より慎重に検討する必要があるというべきである。すなわち,医師は,被検者に対し,問診や観察,より安全な他の検査等を実施し,それらによって得られた情報に基づいて,胃内視鏡検査を実施する必要性・緊急性や前投薬を投与する目的・効果・必要性と,同検査の実施により予測される被検者の肉体的,精神的な苦痛の程度や同検査の実施や前投薬の投与により生じうる危険の内容・頻度などとを具体的に比較衡量し,そのうえで,胃内視鏡検査の実施の当否や各前投薬の適応の有無を判断する必要があるというべきである(問診,観察義務)。
また,胃内視鏡検査の実施や前投薬の投与の必要性,緊急性が,治療行為そのものに比較して必ずしも高くはないことや,発生する確率が極めて低いとはいえ,同検査の実施及び前投薬の投与により生命,身体に対する重篤な障害を与える危険性があることに鑑みれば,医師は,胃内視鏡検査を実施すべきであると判断した場合であっても,当該被検者に対し,上記のような医師の検討内容等を説明したうえで,同検査を受けるか否か,及び,各前投薬の投与を受けるか否かについて,被検者自身に選択させる(同意を得る)必要があるというべきである(説明義務)。特に,後述のとおり,危険発生を予見したり,結果を回避することが必ずしも確実,容易ではなく,通常期待される問診や観察義務を尽くしたとしても,その予見や結果の回避には困難を伴う本件のような場合にあっては,医師としては,極めて慎重に,問診,観察義務を尽くすべきことに加えて,被検者に対する上記の説明義務を尽くし,検査を受けることについての被検者の同意を得ることによって初めて,結果発生についての責任を免れることができるものと解すべきであって,実施の必要性や緊急性が必ずしも高くない検査にあっては,医師の説明に基づく被検者の同意の重要性は,決して軽視し得るものではないと思料する。

エ なお,この点につき,被告は,極めて低い確率のリスクについては,説明することによりいたずらに患者を不安に陥らせるため,説明する必要がない旨を主張する。
しかしながら,被検者を不安に陥らせないために医師が採るべき措置は,検査の実施や前投薬の投与により生じうる危険の内容を告知しないことではなく,被検者に対し,発生しうる危険の内容を告知したうえで,さらに,危険の発生する頻度や,医師が問診や観察によって可能な限り危険の発生を回避する方法を検討したことを具体的かつ詳細に説明することであるというべきである。また,医師がこのように説明することにより,被検者が当該検査の受診や前投薬の投与を許諾するか否かを選択するなど,被検者の自由意思を尊重することができるのである。
したがって,被告の上記主張を採用することはできない。

(2) 胃内視鏡検査において要求される問診,観察義務及び説明義務の内容

ア 問診,観察義務の内容

胃内視鏡検査を実施の当否及び前投薬の適応の有無を検討するために,医師に対して要求される問診,観察義務の具体的内容について判断する。

(ア) 胃内視鏡検査の禁忌

証拠(甲18)によれば,一般的に,高度の心疾患,呼吸機能障害のある患者,高熱患者,その他重篤な内臓疾患患者や咽喉部疾患患者,内視鏡の挿入を拒絶する者などに対しては,胃内視鏡検査を実施すべきでないと解されていること,及び,検査当日の朝の体の具合,例えば,かぜ,咽頭痛,頭痛,激しい咳嗽,発熱,腹痛,下痢,便秘,動悸,めまいなどがあれば前処置に工夫を要し,場合によっては内視鏡検査を中止し,延期する必要もあると解されていることが認められる。

(イ) 前投薬の禁忌

前投薬のうち,キシロカインは,前記認定及び証拠(甲18)によれば,キシロカイン又はアニリド系局所麻酔剤に対し過敏症の既往歴のある患者に対して禁忌であり,副作用としては,まれに(0.1パーセント未満)ショックや中毒症状があらわれることがあること,キシロカイン等の表面麻酔剤に対する過敏症の既往歴のある者に対しては,同薬剤を使用しないで胃内視鏡検査を実施すべきである旨を指摘する医師が存在することが認められる。
ブスコパンについては,前記認定及び証拠(甲18,乙7)によれば,ブスコパンに対し過敏症の既往歴のある患者,出血性大腸炎の患者,緑内障患者,前立腺肥大による排尿障害のある患者,重篤な心疾患患者,麻痺性イレウスの患者には禁忌,細菌性下痢の患者には原則禁忌であり,前立腺肥大のある患者,うっ血性心不全のある患者,不整脈のある患者,潰瘍性大腸炎の患者,甲状腺機能亢進症の患者,高温環境にある患者に対しては慎重に投与する必要性があり,ブスコパンの副作用としては,まれに(0.1パーセント未満)ショック症状があらわれることがあるので観察を十分に行い,悪心・嘔吐,悪寒,皮膚蒼白,血圧低下等があらわれた場合には,投与を中止し,適切な処置を行う必要があること,胃内視鏡検査を実施するに際し,禁忌等によりブスコパンを使用できない者に対しては,グルカゴン等のホルモン剤を投与するという代替手段が存在することが認められる。
また,セルシンは,心障害,肝障害,腎障害のある患者,脳に気質的障害のある患者,乳児・幼児,高齢者,衰弱患者,高度重症患者,呼吸予備力の制限されている患者に対しては慎重に投与する必要があり,副作用としては,舌根の沈下による上気道閉塞(0.1ないし5パーセント未満の確率),慢性気管支炎等の呼吸器疾患に用いた場合の呼吸抑
制(頻度不明),循環性ショック(頻度不明),血圧低下(0.1ないし5パーセント未満)頻脈,徐脈,失神(0.1パーセント未満)などの副作用があらわれることがあるとされていること,観察や診断を目的とする一般内視鏡検査を行うに際しては,セルシン等を投与する意識下鎮静法を行うことが必須であるとはいえないことは,前記認定のとおりである。
そして,平成3年8月にブスコパンの輸入元の日本ベーリンガーインゲルハイム株式会社と発売元の田辺製薬株式会社が作成した「鎮痙剤ブスコパン注射液のお知らせ」と題する書面(甲4)には,ショック等の副作用を未然に防ぐために,同薬剤投与前に十分に問診を行う必要があるとして,①禁忌症(緑内障・前立腺肥大・心疾患・麻痺性イレウス・同薬剤に対する過敏症の既往)の有無の確認,②慎重投与疾患(不整脈・潰瘍性大腸炎・甲状腺機能亢進症)の有無の確認,③本人やその家族がアレルギー(気管支喘息,発疹,鼻炎等)を起こしやすい体質か否かの確認,④現在の健康状態(出血,脱水症状,長期間の絶食,発熱等の有無)の観察を行い,検査目的の場合は,健康状態が不良であれば,回復するまで検査を延期する必要がある旨が記載されている。

(ウ) 前記の事情を総合考慮すれば,医師は,問診,観察義務として,胃内視鏡検査実施時までに,被検者に問診票を記入させたり口頭で問診するなどの方法により,①被検者が胃内視鏡検査の禁忌症,各薬剤の禁忌症や慎重投与疾患に該当するか否かの確認,②本人や家族がアレルギー(気管支喘息,発疹,鼻炎等)を起こしやすい体質か否かの確認を行い,また,同検査実施当日には問診や医師の観察により,③被検者の検査当日の健康状態(出血,脱水症状,長期間の絶食,発熱等の有無)を確認する義務を負うというべきである。
そして,問診は,医学的専門知識を欠く一般人に対してなされるものであり,質問の趣旨が理解されなかったり,的確な応答がなされなかったりする危険性があるものであるから,医師は,上記問診をするに当たっては,単に概括的,抽象的に被検査者に質問をするだけでは足りず,被検者から的確な応答を得られるよう,個別的で具体的な質問方法で行う義務を負うというべきである。

イ 問診,観察に基づいて採るべき措置及び説明義務の内容

(ア) キシロカイン及びブスコパンについて

前記の問診及び観察を実施することにより,被検者がキシロカイン又はブスコパンの禁忌症に該当することが判明した場合は,医師は当該薬剤を投与してはならないというべきである。
また,被検者がブスコパンの原則禁忌疾患や慎重投与疾患に該当することが判明した場合,及び,被検者やその家族がアレルギーを起こしやすい体質であることや,被検者の検査当日の健康状態が不良であることが判明した場合は,医師は,必要に応じて各疾患の専門医に相談するなどしてその疾患や症状の内容・程度等を正確に把握し,ブスコパンやキシロカインを投与する必要性や,ブスコパンの場合には代替手段であるグルカゴンの適応の有無も考慮して,ブスコパンやキシロカインの投与を止めるか,投与するかを慎重に決定する必要があるというべきである。そして,上記各症状に該当するにもかかわらず各薬剤を投与する場合には,それらを投与する目的・効果・必要性や,それらを投与することにより発現する可能性のある副作用やショック症状の内容や頻度等を説明し,被検者の同意を得たうえで,投与する義務を負うというべきである。
さらに,上記のいずれにも該当せず,医師がキシロカインやブスコパンを投与することが可能であると判断した場合であっても,内視鏡検査の前投薬による死亡例が報告されていること(甲25,乙18),アナフィラキシーショックは特定の原因抗原により惹起される急速な全身性の型アレルギー反応であるから,当該薬剤の禁忌症や慎重投与疾患等に該当せず,被検者や家族がアレルギーを起こしやすい体質ではない場合でも発現する可能性があり得ると解されることに鑑みれば,医師は,キシロカインやブスコパンを投与する目的・効果・必要性や,それらを投与することにより発現する可能性のある副作用やショック症状の内容や頻度等を説明し,被検者の同意を得たうえで,投与する義務を負うというべきである。

(イ) セルシンについて

これに対し,セルシンの投与については,そもそも,本件のような観察・診断目的の一般胃内視鏡検査においてセルシンの投与が必要不可欠であるとはいえないことに鑑みれば,被検者がセルシンの慎重投与疾患に該当することが判明した場合のみならず,被検者やその家族がアレルギーを起こしやすい体質であることや,検査当日の健康状態が不良であることが判明した場合には,医師は,セルシンを投与してはならないというべきである。
そして,被検者が上記のいずれにも該当せず,医師がセルシンを投与することが可能であると判断した場合であっても,医師は,セルシンを投与することによる利点(目的,効果,必要性)だけではなく,一般胃内視鏡検査の内容や所要時間,同検査を実施するに当たってセルシンの投与が必要不可欠ではなく,これを投与しない検査方法が存在すること,セルシンを投与することにより発現する可能性のある副作用やショック症状の内容や頻度等を説明したうえで,被検者に対してこれを使用することについての許諾の意思を確認し,被検者の同意を得て,セルシンを投与する義務を負うというべきである。

(ウ) 胃内視鏡検査の実施について

なお,そもそも,被検者が,前記の胃内視鏡検査の禁忌(高度の心疾患,呼吸機能障害のある患者,高熱患者,その他重篤な内臓疾患患者や咽喉部疾患患者,又は,内視鏡の挿入を拒絶する者)に該当する場合は,医師は,同検査を実施すべきではないというべきである。
さらに,前記各前投薬のいずれか又は全部を投与しないことにより,胃内視鏡検査を安全,適切に実施することが困難であると見込まれる場合,検査当日の体調が悪く,予測される被検者の肉体的,精神的な苦痛の程度や前投薬の投与により副作用が発生する危険性の程度が,同検査を実施する必要性を上回ると判断される場合や,前記の説明により,被検者が同検査の実施を拒否した場合には,医師は,同検査自体を延期又は取りやめる義務を負うというべきである。

(3) 胃内視鏡検査の前投薬による死亡の予見可能性について

医師が負うべき問診,観察義務及びこれらに基づいて医師が採るべき措置並びに説明義務の内容は前記のとおりであるが,被告の主張するとおり,前投薬のアナフィラキシーショックにより亡Eが死亡することについて予見可能性がない場合には,被告が問診,観察義務違反及び説明義務違反による責任を負わないと解される余地があるので,予見可能性の点について判断する。

ア 前投薬によるアナフィラキシーショック発生の予見可能性について

(ア) 被告は,本件の前投薬(キシロカイン,セルシン,ブスコパン)によるアナフィラキシーショック発生の可能性を予見することは不可能であった,あるいは,前投薬によるアナフィラキシーショックにより被検者が死亡する可能性を予見することは不可能であった旨を主張する。
しかしながら,キシロカイン,セルシン及びブスコパンが,いずれも,その添付文書等において,副作用としてショック症状やアナフィラキシーショックの前記臨床症状と共通する症状があらわれる危険性があることを指摘されている薬剤であること,ブスコパンやキシロカインが,いずれもアナフィラキシーショックの主な原因薬剤として指摘されている薬剤であることは前記認定のとおりであるから,キシロカイン,セルシン及びブスコパンが,いずれも,極めて低い確率ではあるものの,アナフィラキシーショックの副作用を有するものであることは,本件事故の発生した平成10年1月当時の一般の医師における医療上の知見であったというべきである。
さらに,前記認定によれば,アナフィラキシーショックによる死亡は,最初の徴候が発現してから数分ないし数時間以内に起こるものであるというべきであり,これに,昭和58年から昭和62年までの集計に基づく「消化器内視鏡の偶発症に関する全国アンケート調査報告」(昭和63年学会報告,平成元年公刊物出版。甲25)において,上部消化器内視鏡の前投薬による死亡例が40件報告されていること,昭和63年から平成4年までの集計に基づく「消化器内視鏡関連の偶発症に関する第2回全国調査報告」(平成7年公刊物出版。乙18)において,一般内視鏡(内視鏡的逆行性膵胆管造影(ERCP),硬化療法などの検査や処置を含む。)の前処置による死亡例が129件報告され,その死因は,アナフィラキシー,低酸素血症による心肺不全,誤飲性肺炎などである旨が指摘されていることを併せて考慮すれば,キシロカイン,セルシン及びブスコパンを投与して,アナフィラキシーショックが発現した場合,最初の徴候の発現から数時間以内で死亡するに至るという結果が発生する可能性があることも,平成10年1月当時の一般の医師における医療上の知見であったというべきである。
そうすると,キシロカイン,ブスコパン及びセルシンを被検者に投与することにより,アナフィラキシーショックが発現し,その後数時間以内で死亡するに至るという結果が発生する可能性があることは,本件事故当時の一般の医師における医療上の知見であったというべきであり,予見可能性が認められるものと解するのが相当である。
そして,F医師自身も,本件事故当時,セルシン等の前投薬により,呼吸抑制やショック等の重篤な偶発症が起こり得ることを知っていた旨を証言していること(証人F)に照らせば,F医師は,本件事故当時,被検者に前投薬を投与することにより,アナフィラキシーショックが発現することがあり,その場合,数時間以内で死亡するに至るという結果が発生する可能性があることについては,認識を有していたものというべきである。

(イ) この点,被告は,セルシンやブスコパンは,高齢者に対しては慎重に投与する必要があるが,これらの薬剤の副作用と若年者の死亡との相関関係はない旨を主張しており,証拠(甲6,18,26,27,乙18,24の(2))によれば,統計上,内視鏡検査の前処置による死亡例における患者の年齢は,中高年層が圧倒的に多く,30歳未満の若年者の死亡例は,消化器内視鏡関連の偶発症に関する第2回全国調査報告において1例報告されているにすぎないことが認められる。
しかしながら,これらの統計は,いずれも内視鏡検査総数の年齢分布が明らかにされていないため,若年層に対する検査実施件数が中高年層のそれに比較して少ないことに起因して上記結果が導き出された可能性を否定することができず,若年者にショック等が発生しにくいという事実を裏付けることはできないというべきであり,また,アナフィラキシーショックの発生機序に照らせば,中高年層に比べ,若年層にアナフィラキシーショックが発生しにくいという根拠を見出すことはできないというべきであるから,被告の上記主張を採用することはできない。

(ウ) なお,被告は,前投薬によるアナフィラキシーショックの出現は,医学上予測不可能な領域にあるため,被告病院において万全の体制等が採られていたものであるとして,予見可能性や結果回避可能性がなかった旨を主張する。
前記認定及び証拠(乙3,6,10)によれば,被告の主張するとおり,被告病院においては,胃内視鏡検査を実施するに当たり,万全の救命措置体制が整えられており,本件において亡Eにパルスオキシメーターが装着されたことや亡Eの容態が急変した後に行われた救命措置,心肺蘇生措置はいずれも適正な処置であったことが認められるというべきであるが,このような万全の救命措置体制が採られているのは,胃内視鏡検査やその前投薬により,重篤な偶発症が発生することがあり得るためにほかならないのであって,このような体制が採られていたことをもって,本件の予見可能性や結果回避可能性がなかったことを肯定する根拠にはならないというべきであり,被告の上記主張を採用することはできない。

イ 問診,観察義務及び説明義務と,アナフィラキシーショックによる死亡の予見可能性及び結果回避可能性との関係について

アナフィラキシーショックは,特定の原因抗原により惹起される急速な全身性のI型アレルギー反応であるから,客観的には当該被検者に対する前投薬の投与の適応が肯定される場合,すなわち,客観的にみて,被検者が前投薬の禁忌症や慎重投与疾患等に該当せず,被検者やその家族がアレルギーを起こしやすい体質ではなく,被検者の健康状態が不良でない場合であっても,当該被検者がアナフィラキシーショックにより死亡する可能性があったものと認め得る余地がある(被告も,予見可能性を否定する理由として,亡Eが初めて胃内視鏡検査を受けたものであったから,薬物ショック発生の蓋然性を裏付ける具体的な医学情報が存在しなかった旨を主張しているところである。)。そこで,このような場合,アナフィラキシーショックにより当該被検者が死亡することについて,予見可能性又は結果回避可能性がなかったとして,医師が責任を負わないというべきかが問題となる。
前判示のとおり,医師に要求される問診,観察義務の内容が,禁忌症や慎重投与疾患の有無のほか,アレルギー体質の有無や検査当日の健康状態など,副作用の発生を抑止するために可能な限り広範囲にわたるものであり,これにより被検者に対する具体的かつ詳細な情報を収集することができることに鑑みれば,これらの問診,観察義務が尽くされていれば,前投薬の投与によるアナフィラキシーショックを含む副作用の発生を予見できる可能性を全く否定することはできないというべきであり,また,胃内視鏡検査の実施や前投薬の投与の必要性や緊急性が治療行為そのものに比較して必ずしも高くはなく,かえって,胃内視鏡検査や前投薬の投与による危険性があることに鑑みれば,医師は,何らかの副作用の発生の可能性があると判断した場合には,前投薬の投与を取りやめたり,場合によっては検査自体を実施しないことで被検者の死亡の結果を回避することが十分可能であるといえるから,医師に要求される問診,観察義務を実際には尽くしていなかった場合にあっては,予見可能性又は結果回避可能性がなかったことを口実にして結果発生に関する責任を安易に否定すべきではないと解すべきであり,被検者が問診及び観察を尽くしても発見することができない特異体質等の個人的素因を有していたことや,医師が問診,観察義務及び説明義務を尽くし,被検者の同意を得たうえで前投薬を投与したにもかかわらず,重篤な障害,死亡等の結果が生じてしまったものであることなどの特段の事情が立証されない限り,上記予見可能性及び結果回避可能性がなかったことを理由にその責任を否定されることはないと解するのが相当である。

ウ 鑑定人の見解について

なお,P教授は,本件のような結果の発症を予見することとは,当該患者が本件のような結果を発症する確率が一般の患者の場合に比べて高いという根拠を挙げることができることをいう,との見解を述べたうえで,本件では結果発生の予見可能性がなかった旨を述べているが(鑑定の結果),ある結果発生の予見可能性とは,一般の患者に比べて結果発生の確率が高い場合のみに限定されるものではなく,本件事故当時の一般の医師における医療上の知見として,一般的に本件のような結果の発生を予見することができる場合で,かつ,当該患者(被検者)に本件のような結果が発生することを予見することができる場合に認められるものであるというべきであるから,上記見解を採用することはできない。

エ 特異体質(胸腺リンパ体質)の有無について被告は,亡Eが,胸腺の肥大と副腎の形成不全を呈する胸腺リンパ体質という特異体質であったため,セルシンやブスコパンに異常に反応して突然死した可能性があるとして,亡Eの死亡の予見可能性はなかった旨を主張する。
解剖所見(甲17)によれば,亡Eの胸腺は,大きさ約9.0×4.0,9.0×4.0×0.6センチメートル,重量約30グラムであり,亡Eの副腎は,大きさ左約5.3×2.8×0.8センチメートル,右約5.8×3.0×0.4センチメートル,重量左約4.1グラム,右約4.3グラムであったことが認められるところ,被告病院のJ院長は,その意見書(乙32)において,「小児血液病学II」(新小児医学大系第23巻B。乙22)によれば20歳から29歳の女性の胸腺の平均値が24.89±0.97グラム(平均値±標準偏差)であると記載されているから,亡Eの胸腺は1388万人に1人という極めて稀な確率の肥大胸腺であること,「副腎皮質機能病理学における性差の意義」(笹野伸昭ほか著。乙32)によれば体重40ないし49.9キログラムの成人女性の副腎重量の比体重百分率の平均値は0.0243±0.0009グラムであるから,亡Eの副腎比体重百分率0.018876(体重44.5キログラム)は,十億人に1人以下という極めて稀な確率であることを指摘している。
しかしながら,「胸腺に関する研究」(柴田衛敏著。甲22)によれば,20歳から29歳までの女性のうち,重量10グラム未満と50グラム以上を除いた293例の胸腺の平均重量は,24.60±9.34グラムであることが認められ,亡Eの胸腺の重量は,平均値よりやや重いものの,1標準偏差の範囲内であったと解されること,「現代日本人の臓器計測値昭和60(1985)年~平成3(1991)年」(日本法医学会課題調査委員会。甲23)によれば,21歳から25歳の日本人女性の副腎の平均重量は,左5.9±1.92グラム(62例),右5.5±1.61グラム(58例)であることが認められ,亡Eの副腎の重量は,平均値よりかなり軽いものの,1標準偏差の範囲内であったと解されること,解剖所見(甲17)によれば,亡Eの副腎は左右とも硬度が普通であり,皮質及び髄質に著変が認められず,肉眼的にも病的所見が認められなかったこと,さらに,L医師の回答書(甲19)によれば,亡Eの副腎皮質の平均幅が約0.75ミリメートルであり,皮質の萎縮を疑うべき値ではないこと,球状層,束状層及び網状層の細胞に萎縮を含めた著変が認められなかったこと,髄質の細胞にも萎縮を含めた著変が認められなかったことが認められるから,亡Eが,胸腺の肥大や副腎の形成不全を呈する胸腺リンパ体質という特異体質であったとまでは推認することができないというべきであり,被告の主張を採用することはできない。
なお,仮に,亡Eに胸腺の肥大や副腎の機能異常(形成不全)が認められるとしても,証拠(甲24)によれば,原因不明の突然死例の中には,肥大胸腺の者や副腎の機能異常のものが存在するものの,肥大胸腺や副腎の機能異常という体質が突然死の原因となるとの因果関係を立証する報告例が存在しないことが認められ,他にこの因果関係を推認するに足りる証拠はないから,胸腺の肥大や副腎の機能異常が,突然死を引き起こす原因であるとは認めることができないというべきである。
したがって,亡Eが胸腺リンパ体質であったため,亡Eの死亡の予見可能性がなかったとの被告の主張を採用することはできない。

(4) 本件について

ア 前記認定及び証拠(乙1,2,証人F)によれば,本件胃内視鏡検査実施までの間に,F医師又は被告病院の医師,看護婦が行った問診及び観察は,以下のとおりであると認められる。

(ア) 平成10年1月16日(初診日)

同年1月16日は,亡Eの血圧,脈拍,体重,体温が測定され,F医師
の問診により,最終月経が1週間前に終了したこと,便通が一,二日に1回であること及び自覚症状(食後に心窩部痛,腹痛があること,吐き気,下痢,咳はいずれもないこと)を聞き,F医師の触診及び観察により,心窩部と下腹部に圧痛が認められ,腹部は平坦で軟らかく,腫瘤が触知されないこと,結膜には貧血や黄疸の異常が認められないこと,頚部にもリンパ節腫脹や甲状腺腫の異常が認められないこと,下肢に浮腫がないこと,を確認した。

(イ) 同年1月24日

同年1月24日は,亡Eの血圧,脈拍,体重が測定され,I医師の問診により,同年1月16日に処方された薬(ナウゼリン,タガメット)を服用したが変わらないこと,発熱はないことを確認した。

(ウ) 同年1月28日(胃内視鏡検査日)

亡Eの血圧,脈拍,体重が測定された。
F医師は,同年1月24日に行われた採血に基づく血液検査報告書,生化学検査報告書,蛋白分画報告書に目を通し,好中球(状好中球,分葉好中球)の合計が76パーセントとやや高いため,体内のどこかに若干の炎症の可能性があると判断したが,それ以外には,血液検査の所見上は異常がないと判断した。
F医師は,亡Eがキシロカインを嚥下した後,亡Eに対し,「まだ治らないそうですね。薬は全部飲んだけど治らないのですね。」などと問いかけ,亡Eから胃の痛みが続いているとの回答を得た。そして,触診により,心窩部に圧痛を認めるも,へそ周囲や初診時に認められた下腹部の圧痛は認められず,腫瘤を触知しないことを確認した。
また,F医師は,同日,亡Eが胃内視鏡検査を受けるのが初めてであることを聞いた。

イ この点,F医師は,その証人尋問において,同年1月16日に,亡Eに対し,過去に重大な病気を起こしたことがないかという質問をした旨を証言するが,この事実を客観的に裏付ける証拠が存在しないことや,それ以外の問診事項は診療録に明確に記載されていることに照らし,F医師の証言中,上記証言部分は信用することができないというべきである。

ウ(ア) 前記事実関係に鑑みれば,F医師は,初診日から胃内視鏡検査を実施するまでの間に,前記各前投薬の禁忌症及び慎重投与疾患に該当するか否か,特に,キシロカイン等の局所麻酔剤やブスコパン等の鎮痙剤に対し過敏症の既往症があるか否か,出血性大腸炎,心疾患,うっ血性心不全,不整脈,潰瘍性大腸炎,脳の気質的障害の罹患の有無のほか,本人や家族がアレルギー(気管支喘息,発疹,鼻炎等)を起こしやすい体質か否かなどについて,具体的な問診を行わなかったものと認められる。また,胃内視鏡検査当日の健康状態については,「まだ治らないそうですね。薬は全部飲んだけど治らないのですね。」などと問いかけ,亡Eから胃の痛みが続いているとの回答を得たうえで,触診により,心窩部に圧痛があり,へそ周囲や初診時に認められた下腹部の圧痛がないこと,腫瘤を触知しないことを確認し,血液検査の結果を確認したものの,それ以外の当日の体調,すなわち,咽頭痛,頭痛,激しい咳嗽,発熱,下痢,便秘,動悸,めまいの有無等について問診を行わなかったものと認められる。
そうすると,本件において,F医師は,胃内視鏡検査の実施の当否や前投薬の適応の有無を判断するために必要となる問診,観察義務を怠り,不十分な問診,観察の結果に基づいて胃内視鏡検査のための前投薬(キシロカイン,ブスコパン,セルシン)を漫然と投与したものであって,前投薬の適否を十分に検討しなかったために前投薬の適応についての判断を誤ったものということができる(なお,咳や便通については,初診日に問診がなされているところであるが,本件の検査は初診日から10日以上経過した後になされているから,検査当日の状況について再度確認すべきであり,発熱についても,変動が激しいものであるから,検査当日の状況を確認すべきであったというべきである。)。
さらに,前投薬(キシロカイン,ブスコパン,セルシン)を投与するに際し,前判示のような説明を何ら行わず,亡Eから何ら同意を得なかったこと,及び,セルシンの投与について亡Eに選択の機会が与えられず,F医師の判断で投与されたことが認められるから,F医師は,前記説明義務をも怠ったものといわざるを得ない。

(イ) この点,被告は,F医師が平成10年1月16日に,過去に重大な病気を起こしたことがないかという質問をした際に,亡Eから特に指摘できるような病気をしたことがないとの返事を得たため,緑内障,心疾患(心不全や不整脈),甲状腺疾患は否定でき,アレルギー体質ではないと判断した旨を主張する。
しかしながら,仮に,F医師と亡Eとの間で,上記のような問答がなされていたとしても,医学的専門知識を有しない亡Eが,自主的に,胃内視鏡検査の実施及び前投薬の投与の当否を判断するに当たり必要とされる病歴を選別して上記疾患の有無を回答することは,極めて困難であるというべきであるから,上記のように,過去に重大な病気を起こしたことがないか,という程度の概括的かつ抽象的な質問をしただけでは,F医師の問診義務が尽くされたものとは認めることができないというべきである。

(5) 問診,観察義務違反及び説明義務違反と亡Eの死亡との間の因果関係F医師は,胃内視鏡検査の実施の当否や前投薬の適応の有無を判断するために必要となる問診,観察を行うことにより,前投薬の投与による副作用やアナフィラキシーショックの発現する可能性を発見できる機会を有していたにもかかわらず,問診,観察義務を怠ったため,このような機会を自ら放棄し,極めて不十分な問診,観察の結果に基づいて漫然と前投薬(キシロカイン,ブスコパン,セルシン)を投与し,前投薬の適否を十分に検討しなかったために前投薬についての適応判断を誤ったものであること,また,F医師が前投薬の副作用の内容やセルシンの投与が必要不可欠ではないことなどについて説明をすることにより,胃内視鏡検査や前投薬の投与を受けることについて亡Eに選択の機会が与えられ,亡Eが胃内視鏡検査の実施を拒絶した可能性や,上記前投薬の投与,なかでも,セルシンの投与を拒絶した可能性は十分あったにもかかわらず,F医師が説明義務を怠ったため,亡Eの上記選択の機会が奪われたことについては,前判示のとおりである。
したがって,F医師が問診,観察を怠ったことにより,F医師が前投薬の適応判断を誤り,さらに,F医師が前投薬の説明及び亡Eの同意を得ることを怠ったことにより,F医師の前投薬の適応判断の誤りを是正する機会が奪われ,その結果,上記前投薬のうち1つ又は2つ以上の薬剤によるアナフィラキシーショックにより亡Eが死亡するに至ったというべきであるから,F医師の問診,観察義務違反及び説明義務違反と亡Eの死亡との間には因果関係が認められると解するのが相当である。

(6) 以上によれば,被告は,被告病院の医師であるF医師が問診,観察義務及び説明義務を怠ったことに基づく過失により,亡Eを死亡させるに至らしめたものであるから,亡Eの死亡による損害を賠償する義務を負うものというべきである。」



谷直樹

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by medical-law | 2022-03-27 22:32 | 医療事故・医療裁判