弁護士谷直樹/医療事件のみを取り扱う法律事務所のブログ

患者の動向に十分に注意を払い,患者が一人でトイレに行ったり歩行したりしようとした場合には速やかに介助できるよう見守るべき注意義務 熊本地裁平成30年10月17日判決

熊本地裁平成30年10月17日判決(裁判長 小野寺優子)は,老年期疾患病棟に入院していた原告X1(当時89歳)が,病院内トイレで転倒して頸髄損傷による両上肢機能全廃及び両下肢機能全廃の後遺障害を負った事案で,「原告X1は,本件事故当時,歩行時にふらつきが見られるなど,転倒の危険性が高いと評価されており,車椅子を使用する際も,座位が保てず転倒や転落の危険性が高い場合には安全ベルトが装着されていたこと,トイレに行く際には必ず職員が,付き添うこととされていたこと,原告X1に頻尿の傾向があり,4月中旬以降は,一人で車椅子を操作してトイレに行ったり,一人で歩いたりする様子が見られたことに照らせば,本件病院の看護師等は,原告X1が一人で車椅子を操作してトイレに行くなどの行動に出ることも想定し,原告X1の動向に十分に注意を払い,原告X1が一人でトイレに行ったり歩行したりしようとした場合には速やかに介助できるよう見守るべき注意義務を負っていたと解するのが相当である。」と判示し,注意義務を認定しました.
また,同判決は,「Eは,ディルーム内に他の看護師等がいない状態で,患者への与薬を行いながら見守りを行っていたところ,原告X1の動向に対する十分な注意を怠り,原告X1が一人で車椅子を操作してトイレに行ったことに気付かず,原告X1の介助を行わなかったのであるから,上記注意義務に違反したものといわざるを得ない。」と判示し,注意義務違反を認定しました.
さらに,同判決は,「原告X1が本件病院の職員に声かけをしなかった点を捉えて過失相殺をするのは相当でない。」と判示しました.
過失相殺を相当でないとした点,参考になります.
なお,これは私が担当した事件ではありません.

「2 Eの過失の有無(争点(1))
       
(1) 前記認定事実によれば,原告X1は,本件事故当時,歩行時にふらつきが見られるなど,転倒の危険性が高いと評価されており,車椅子を使用する際も,座位が保てず転倒や転落の危険性が高い場合には安全ベルトが装着されていたこと,トイレに行く際には必ず職員が,付き添うこととされていたこと,原告X1に頻尿の傾向があり,4月中旬以降は,一人で車椅子を操作してトイレに行ったり,一人で歩いたりする様子が見られたことに照らせば,本件病院の看護師等は,原告X1が一人で車椅子を操作してトイレに行くなどの行動に出ることも想定し,原告X1の動向に十分に注意を払い,原告X1が一人でトイレに行ったり歩行したりしようとした場合には速やかに介助できるよう見守るべき注意義務を負っていたと解するのが相当である。
しかるに,Eは,ディルーム内に他の看護師等がいない状態で,患者への与薬を行いながら見守りを行っていたところ,原告X1の動向に対する十分な注意を怠り,原告X1が一人で車椅子を操作してトイレに行ったことに気付かず,原告X1の介助を行わなかったのであるから,上記注意義務に違反したものといわざるを得ない。
       
(2) これに対し,被告は,本件事故当時,原告X1がトイレに行く際に必ず被告の職員に声をかけていたから,原告XIが一人でトイレに行くことは予見できなかったと主張する。
確かに,看護記録の記載(前記1 (3)エ(イ) ) , Dの陳述書(乙A1)及びEの証人尋問の結果によれば,原告X1は,トイレに行きたい場合には,職員にその旨の意思表示(「しょんべん。」などの訴え)をすることが多かったことが認められる。
しかし,原告X1は,本件事故に近接した平成25年4月中旬頃以降,夜間に尿意を催した際にその旨を職員に訴えることができるようになっていた一方,歩行状態も以前より回復していたことから,ベッド柵を乗り越えようとしたり,ベッド醫を外して一人で歩いたりするなど単独で行動しようとする様子が複数回みられ,同年4月29則こは一人で車椅子を操作してトイレに行ったこと(前記1(3)イ(ウ))もあったのであるから,本件事故当時,原告X1が職員に声かけをせずに一人でトイレに行くことがあり得ることは予見可能であったというべきである。なお,被告は,平成25年4月29日の看護記録の記載(「1人で車イス自操しトイレにて排泄行っている」〈甲A1・89頁〉)について,見守りをしていたからこそ看護記録に記載があると主張するが,上記看護記録の記載から,原告X1が職員に声かけをした上でトイレに行ったと認めることは困難である。
そもそも,原告X1は,本件病院に入院した当初から認知機能が低下しており,「意思疎通の困難さが頻繁にみられ」る状態にあったもので,平成25年4月中旬から本件事故当日までの時期においても,職員に対する暴言等があるなど,一方的な妄想的言動で意思疎通ができないことが多かったことが認められるから(甲A1・26,62,86~90頁等),原告X1がトイレに行く際必ず職員に声かけをすることを前提として,見守りや介助の体制を構築するのは相当でないというべきである。
       
(3) また,被告は,原告X1の本件事故当時の身体的状況等に照らせば,原告X1が一人でトイレに行ったとしても,そこで転倒することは予見できなかったと主張するが,本件事故当時,原告X1の転倒リスクはなお高いものと評価されており,車椅子を使用する際には座位が保てず転倒や転落の危険性が高い状態であることから安全ベルトが装着されることもあったのであるから(平成25年4月下旬以降については,同月21日,同月22日,同年5月1日,同月3日。甲A1・37~39頁),原告X1が一人で車椅子を操作してトイレに行った場合,転倒する危険性があることは十分に予見マきたというべきである。
       
(4) さらに,被告は,Eは,ディルーム内において原告X1を含む患者が見える位置に立っており,可能な限りの見守りを尽くしていたから,必要な注意義務を果たしていたと主張する。
確かに,Eは,本件事故当時,ディルームを見渡すことができる場所に立って,ディルーム内に注意を向けながら与薬を行っていたことは認められるものの,E自身,患者に薬を飲ませる際には,他の患者に目が行き届かない場合もあることを認めており(証人E・22頁),現に,ディルーム全体が見渡せる位置にいたにもかかわらず,面前で原告X1が移動する様子を見逃し,その後も,本件事故の発生を知るまでの間ディルームから原告X1がいなくなったことに気付かなかったことにも照らせば,原告X1を含むディルーム内の患者に向ける注意が不足していたといわざるを得ない。また,患者への与薬は,本来であれば,誤りがないように二人体制でチェックをしながら行うことが望ましく,Dの作成した業務詳細もこれを前提としていたところ,Eは与薬を一人で行っており,二人体制で行う場合にも増して注意を要する作業であったと認められること,デイルーム内には,原告X1を含めて14名の患者がいたのであり,本件病院において,見守りを行う職員は原則として見守りに専念するものとされていたことも考慮すれば,Eとしては,他の看護師等が作業を終えてデイルームに戻ってきたタイミングなど,十分な見守りが可能な状況下で与薬を開始すべきであったというべきであるから(なお,意思疎通が困難な患者に対する与薬は,Eともう1名の2名で行っていた〈証人E・19頁〉。),原告X1らに対する十分な見守りを怠ったものといわざるを得ない(なお,Dが作成した業務詳細では,本件病棟における夕方から午後9時30分頃にかけての見守りや与薬等の看護業務は合計4名で行うこととされていたにもかかわらず,実際には3名で行うことが常態化しており,本件事故後,改めて上記時間帯の看護人員を4名としたことに照らせば,本件において十分な見守りがされなかったのは,本件病院の看護体制にも一因があったものと考えられる。)。
また,被告は,職員がほんのわずか目を離した際に原告X1が一人でトイレに行くことを見守りによって防止することは現実的に困難であり,これを防止するには安全ベルトにより常時拘束するほかなく,かえって人権侵害となり得るとも主張するが,Eは,原告X:Lが一人で車椅子を操作し,デイルームから廊下を通ってトイレまで行き,転倒するまでの間,原告X1の挙動に気付かなかったのであるから,目を離したのがほんのわずかな時間であったとは認められないし,当時89歳の高齢者で,移動に介助を必要としていた原告X1に対する見守りとして,全く目を離すことなく注視し続けることまで必要であるとは考えられず,一人で移動しようとした際に速やかに介助できる程度の見守りを行うことで
足りると考えられ(したがって,数秒から数十秒の間,目を離すことが生じることはあり得ると考えられる。),被告病院における見守り基準マニュアル(乙B6)に記載されているとおり,「見守り以外の業務は行わず見守りに徹する」職員を一人配置することで足りるというべきであるから,被告の主張は採用することができない(なお,原告X1は,本件事故当時,本件病院における安全ベルトの使用に関する院内ルールに基づき,見守りができる間には安全ベルトを解除するレベル2に指定されており,夜間など見守りができない時間帯には安全ベルトを使用することもあったのであるから,見守りに徹する職員を配置できない時間帯があるのであれば,緊急やむを得ない措置として,ごく短時間に限り,安全ベルトを使用する余地もあり得たと考えられる。)。」

3 原告らの損害(争点(2))
   
(1) 原告X1の損害

ア 治療費 54万9448円
     
原告X1が上記金額を本件事故による治療費として支払ったことは当事者間に争いがないから,本件事故ヽによる損害と認められる。
   
イ 入院付添費 0円
     
原告X1は,本件事故から症状固定までの入院付添費を請求するが,原告X1の入院中の付添い看護について医師の指示がないこと(甲B5),原告X1が同月21日以降現在まで入院しているG病院では完全介護の体制が取られていること(原告X2)を踏まえれば,原告X1が負った障害が重篤であることを考慮してもなお,入院付添の必要性を肯定することはできない(なお,原告X2が,原告X1の身の回りの世話をするため退職し,毎日病院に行って看護していることは認められるが,この点は同人の近親者固有の慰謝料の額の算定において考慮するのが相当である。)。
   
ウ 入院雑費 27万7500円(弁論の全趣旨)
     
本件事故日から症状固定日までの185日間につき,日額1500円を認める。

エ 入院慰謝料 244万円

本件事故の態様,原告X1の傷害の内容や治療経過等に照らせば,上記金額とするのが相当である。

オ 後遺障害慰謝料 2000万円
     
原告X1は,本件事故により,頚髄損傷による両上肢機能全廃及び両下肢機能全廃という重篤な後遺障害を負ったものである。原告X1は,本件事故当時,89歳と高齢であり,生活全般に介助を要する状態であったが,介助により歩行することができる日もあるなど,身体機能としては回復傾向にあったもので,そのような状態から,本件事故の後遺障害により日常生活上の動作のほとんどが制限される状態となったことを考慮すると,原告X1が一人で車椅子を操作して移動したことが本件事故の契機であることを踏まえても,後遺障害による慰謝料は,2000万円を下らないというべきである。
なお,被告は,原告X1の既往症である器質性精神障害及び認知症と,本件事故の後遺障害とは,いずれも脳,神経系統の症状であって同系列のものであるから,損害の公平な分担の見地から,現在の後遺障害に相当する後遺障害等級に応じた慰謝料と本件事故前の原告X1の既往症に相当する後遺障害等級に応じた慰謝料との差額をもって後遺障害慰謝料とすべきであると主張する。しかし,本件事故の後遺障害は,頚髄損傷という神経症状に基づくものではある
が,両上肢及び両下肢の機能が全廃するという重篤なもので,身体機能に大きく影響するものであること,本件事故前,原告X1の上肢の機能に特段の障害があったことはうかがわれず,下肢の機能も見守り下での自立歩行が可能な程度にまで回復しつつあったことを考慮すると,本件事故により,従前障害のなかった部位に新たな障害が生じたものと評価するのが相当であるから,原告X1に既往症があったことをもって後遺障害慰謝料を大きく減額するのは相当でない。
   
カ 小計 2326万6948円
   
キ 弁護士費用 232万6694円
上記金額をもって相当と認める。
   
ク 合計 2559万3642円

(2) 原告X2の損害

ア 固有の慰謝料 200万円
原告X2は,養父かつ実の祖父であり,長年にわたり同居してきた原告X1が頚髄損傷による両上肢機能全廃及び両下肢機能全廃の後遺障害を負い,首から下が動かない状態になったことにより,同人の死亡にも比肩しうるような精神的苦痛を受けたと認められ,本件事故後に勤務先を退職し,毎日のようにG病院を訪れて原告X1の付添い看護を行っていることに照らせば,原告X2の固有の慰謝料は200万円とするのが相当である。
   
イ 弁護士費用 20万円
上記金額をもって相当と認める。
   
ウ 合計 220万円

4 過失相殺の可否(争点(3))
   
前記のとおり,原告X川乱本件病院の職員から,トイレに行く際には職員に声をかけるように指導され,基本的には声かけを行うことができていたものであるが,声かけをせずに移動しようとしたり,ベッド柵を乗り越えようとしたりするなどの行動に出ることもあったこと,本件事故当時においても認知機能の低下の度合いは重度と評価されており,一方的な妄想的言動で意思疎通に支障が生ずることも少なくなかったことを踏まえれば,本件事故当時,原告X1に十分な事理弁識能力があったとは認め難い。
また,本件病棟は,認知症等に伴う行動や症状の早期の改善を目指して入院治療,看護を行う施設であって,被告は,原告X1が認知症で要介護状態にあることを前提にその看護を行っていたものであり,原告X1が,職員に声かけをせずに一人でトイレに行く可能性を具体的に予見することが可能であったと認められる以上,これを前提に同人の看護等を行うべきであったといえる。さらに,先に説示したとおり,本件において十分な見守りがされなかったのは,本件病院の看護体制にも一因があったということができる。
以上によれば,本件において,原告X1が本件病院の職員に声かけをしなかった点を捉えて過失相殺をするのは相当でない。」


谷直樹

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by medical-law | 2022-04-09 22:59 | 医療事故・医療裁判