福岡地裁小倉支部平成14年5月21日判決、左肝静脈の損傷や圧迫止血等を回避すべき義務
「(2) 上記認定事実に基づき,被告D医師の過失の有無について検討する。
ア 器具操作及び止血方法の過失について
証拠(甲17の2,乙12,13,16の3,鑑定の結果)によれば,右葉切除以上の肝切除が行われる場合には,正常に機能している肝臓が大量に切除される結果,術後の肝不全や合併症を併発する危険が高くなること,肝予備能が正常である場合,70ないし80%の肝切除が可能であるが,それは肝の循環動態が安定している場合に限られ,静脈壁の損傷や圧迫止血等により肝静脈が狭窄する場合には,循環不全から肝予備能の低下をもたらし,肝不全に至る危険があることが認められる。そうすると,亡Nに対し,肝臓の70%程度に及ぶ拡大肝右葉切除術を行った被告D医師は,術後の肝予備能を維持し,肝不全の発生を防止するため,左肝静脈の循環動態を安定させる措置を講じなければならず,狭窄の原因となる左肝静脈の損傷や圧迫止血等を回避すべき義務を負うというべきである。ところが,上記認定事実によれば,被告D医師は,術中所見により肝臓の腫瘍切除が可能であると判断し,当初は困難な手術であるとして予定していなかった同切除を断行したものであるところ,モスキートペアンの操作により亡Nの中肝静脈と左肝静脈の合流部辺りを損傷した上,その圧迫止血を行った結果,左肝静脈の狭窄から循環不全を招き,術後急性肝不全により亡Nを死亡させたものであるから,左肝静脈の損傷やその圧迫止血がやむを得ないものであった事情が主張立証されない限り,被告D医師には,亡Nに実施した肝切除術におけるモスキートペアンの操作や止血方法につき,過失があったものと推定されるというべきである。
被告らは,亡Nの左肝静脈が脆弱であったため,4-0ネスピレン糸での縫合止血ができず,圧迫止血はやむを得ない旨を主張する。
しかし,亡Nの左肝静脈が通常に比べて特に脆弱であったことを認めるに足りる証拠はない。鑑定人は,その鑑定意見書において,亡Nの左肝静脈が通常より細いため,静脈壁が薄く脆弱であると記載しているが,これは被告らの主張に基づいて記載したものにすぎず,客観的証拠に基づくものではない(証人Q160~165)。
また,被告らは,亡Nの中肝静脈と左肝静脈の合流部が通常より末梢側にあるため,左肝静脈が細くて脆弱である旨を主張する。
確かに,上記認定事実によれば,亡Nの中肝静脈と左肝静脈の合流部は,下大静脈から1㎝以内に両静脈の分岐をもたず,さらに末梢側で分岐する,1割程度の形態であったことが認められる。しかし,このことから,亡Nの左肝静脈の出血部位が,下大静脈から1㎝以上末梢側であり,同静脈から1㎝以内の部分に比べて,左肝静脈が細くなった部分であると認められるとしても,そのことから,亡Nの左肝静脈が,どのような縫合方法によっても縫合止血できないほどに脆弱であったとは認めることができない。かえって,被告D医師は,亡Nの中肝静脈と左肝静脈の合流部がそのような形態であることを術前のC
T画像により把握し,出血部位が合流部であることも認識していたのであるから,合流部が末梢側にあることにより左肝静脈が細く,そのことから直ちに縫合止血ができないほどに脆弱であるといえるのであれば,縫合止血を行おうとした被告D医師の医療行為を理解することができない。なお,証拠(甲7の2,甲8の2)中には,肝静脈は脆弱である旨の記載があるが,その縫合止血ができないものとはされておらず,鑑定人も,その鑑定意見書において,一般的には縫合止血が可能である旨を述べている。
なお,被告らは,腫瘍があることによって中肝静脈を処理するための十分な視野が得られなかったため,モスキートペアンで左肝静脈を損傷したことがやむを得なかった旨を主張する。
上記(1)ウの認定事実によれば,被告D医師は,亡Nの中肝静脈と左肝静脈の合流部に大きな腫瘤があったため,中肝静脈を処理するための十分な視野を確保できなかったものである。しかし,被告D医師は,術前のCT画像で亡Nの中肝静脈と左肝静脈の合流部の形態及び上記腫瘤の存在とそれに伴う手術の困難性を認識していたこと,上記腫瘤と左肝静脈との間には1㎝程度の距離があったこと等に鑑みると,十分な視野を確保できなかったことから,直ちに左肝静脈の損傷がやむを得なかったとまではいい難い。
以上によれば,被告D医師の器具操作及び止血方法には,過失があったものというべきである。
イ したがって,その余について判断するまでもなく,被告D医師は,不法行為責任(民法709条,711条)に基づき,被告F株式会社は,使用者責任(同法715条)に基づき,上記過失によって亡N及び原告らが被った損害を連帯(不真正連帯)して賠償すべき義務がある。」
谷直樹
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