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大阪地裁令和5年1月24日判決の遺族よりの吸引分娩についての要望書

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大阪地裁令和5年1月24日判決の遺族は、2023年4月21日、公益社団法人日本産科婦人科学会(理事長木村正)と公益社団法人日本産婦人科医会(会長石渡勇)に、吸引分娩についての要望書を提出しました。
学会・医会共同編集の「産婦人科診療ガイドライン産科編2020」の改訂(2023年8月)にあたり、吸引分娩について4点の検討を要望する内容です。
吸引分娩とは、 吸引分娩器を利用して胎児を急速に娩出させる方法です。
帽状腱膜下血腫とは、帽状腱膜と骨膜の間に血腫がたまるものです。
吸引分娩は、帽状腱膜下血腫のリスクを高めます。
吸引分娩により、児に帽状腱膜下血腫を生じさせ、出血性ショック等により児が死亡するケースがあります。産科医療補償は、脳性麻痺事案を把握していますが、死亡事案は把握していません。そのため、正確な数は分かりませんが、吸引分娩後の帽状腱膜下血腫による新生児死亡事案の示談、裁判上の和解、判決などは少なくありません。
大阪地裁令和5年1月24日判決は、吸引分娩後の帽状腱膜下血腫による新生児死亡事案で、新生児搬送の適応がある時点で助産師が医師に報告しなかったことは不適切であったとして、クリニックの責任を認めました。勝訴にはなりましたが、今後の事故防止を考えると、ガイドラインの改訂が必要と考えました。

* 要望した4点
(1) 吸引分娩で出生した児についての観察、報告が疎かにならないように、ガイドラインCQ406-1に、児の分娩損傷の可能性を考慮した新生児管理についての記載を追加すること
(2) 無痛分娩では吸引分娩が増え、二重のリスクが生じるので、ガイドラインCQ406-1に、無痛分娩における吸引分娩のリスクとそれへの備えについての記載を追加すること
(3) ガイドラインCQ406-1は、吸引分娩における児頭位置について、「児頭が嵌入している(解説参照)」としていますが、児頭位置が高いと帽状腱膜下血腫のリスクになるので「ステーション+2より下降」と改めること
(4) ガイドラインCQ406-1は、「分娩第2期遷延」のみならず、解説で「進行が遅延して第2期遷延が予想される場合」も吸引分娩の適応として許容していますが、医師が予想したというだけで、簡単に適応が認められてしまうと、帽状腱膜下血腫のリスクが高くなるので、「進行が遅延して第2期遷延が確実な場合」と改めること

【要望書全文は以下のとおりです】

大阪地裁令和5年1月24日判決の遺族よりの吸引分娩についての要望書


高 瀬  実 菜 美
高 瀬 大 地
(連絡先) 〒160-0003 東京都新宿区四谷本塩町3番1号
四谷ワイズビル1F 谷直樹法律事務所
TEL 03-5363-2052 FAX 03-5363-2053

要望の趣旨

「産婦人科診療ガイドライン産科編2020」の改訂にあたり、次の4点を御検討いただきたく、要望いたします。
(1) CQ406-1に、児の分娩損傷の可能性を考慮した新生児管理についての記載を追加すること
(2) CQ406-1に、無痛分娩における吸引分娩のリスクとそれへの備えについての記載を追加すること
(3) 現行のガイドラインCQ406-1は、吸引分娩における児頭位置について、「児頭が嵌入している(解説参照)」としていますが、「ステーション+2より下降」と改めること
(4) 現行のガイドラインCQ406-1は、「分娩第2期遷延」のみならず、解説で「進行が遅延して第2期遷延が予想される場合」も吸引分娩の適応として許容していますが、単なる「予想」ではなく、「進行が遅延して第2期遷延が確実な場合」と改めること

要望の理由

1 医療事故

私たちの子高瀬柊は、2017年11月20日に大阪市都島区の産科クリニックで吸引分娩により出生し、約12時間後に帽状腱膜下血腫による出血性ショックで亡くなりました。

診療経過の概要
11月19日(妊娠40週0日) 陣痛始まる。クリニックに入院。
11月20日(妊娠40週1日) 
午前8時50分頃 医師診察。分娩誘発後に無痛分娩を開始するとの方針を決める。
午前9時30分頃 アトニン(陣痛促進剤)の点滴を開始。
午後0時34分頃 無痛分娩目的で硬膜外カテーテルを留置。
    <※以後の経過は、無痛分娩経過表による。>
午後2時40分 児頭下降度「-3」に印がある。
午後3時45分 「人破」(注:人工破膜)
午後4時40分 児頭下降度「-2」と「-3」の間に印がある。
午後6時30分 頚管(注:子宮口)開大10cmに印がある。
午後6時35分 「産瘤+1」
午後6時45分 「努責開始」
午後7時30分 「産瘤+2」、「陣痛頻回も発作みじかいため産瘤下降のみかわらず」午後7時40分 「産瘤のみ先進+2~+3」、「陣痛発作みじかく努責有効にかからず」午後7時45分 「Dr来室 分娩スタンバイ」
午後7時50分 「ソフトカップにて吸引×1 かからず」「右側切開」
午後7時55分 「ハードカップにて吸引×5回」
午後7時57分 「クリステレル×4回」
午後8時1分  「児頭ハイリンハツロ」
午後8時2分  「男児娩出」
体重3212g、身長49.0cm、頭囲32.0cm
右頭頂部に産瘤
アプガースコア9点(1分)/9点(5分)。
午後10時02分 四肢末梢にチアノーゼ・冷感
11月21日
午前0時20分頃 助産師が、柊に顔面チアノーゼがあり、全身色不良で、筋緊張は弱く、うなり呼吸があることを認める。
刺激にて呼吸促すも、全身色は改善せず。
午前0時25分  助産師が医師に対し、SPO2、呼吸数、心拍数のほか、 呼吸状態が多呼吸気味で努力呼吸様で元気がない旨を電話で報告。
午前2時15分  助産師の報告を受け、医師がクリニックに来院。
(午前2時30分頃の診療録に「SPO2 96%、全身色不良、緊張なし、対光反射弱い、右頭頂部腫脹波動みられ血腫様」との記載)
新生児診療相互援助システム(NMCS)により、大阪市立総合医療センターに新生児搬送を依頼。
午前3時20分頃 大阪市立総合医療センターの応援医師が到着。
午前3時30分頃 気管内挿管を行うも、末梢血管を確保できず。
徐脈80~90台、SPO2は80%台~90%台
全身蒼白は変わらず。
右頭頂~左頭頂にかけて血腫様、波動著明。
午前3時40分頃 保育器に収容され、淀川キリスト教病院へ向けて出発
午前4時頃 淀川キリスト教病院に到着。
帽状腱膜下血腫、低拍出性ショック、高カリウム血症(電解質異常)と診断。
午前7時56分頃 死亡宣告

私たちは、この件について2018年7月、大阪地裁に提訴しました。
令和5(2023)年1月24日にクリニックに賠償を命じる判決がありました。

2 大阪地裁令和5年1月24日判決と産科医療の問題

2-1 新生児搬送の適応からの報告義務違反
大阪地裁令和5年1月24日判決は、柊の事件について、「吸引分娩により出生した児は、一定時間十分な監視下に置き、帽状腱膜下血腫の有無などを注意深く観察することが必要」(23頁)だとしています。
そして、「産婦人科診療ガイドライン産科編2017」とそれに基づく鑑定意見等の証拠から、顔面チアノーゼ、全身色不良、うなり呼吸が認められる状態は、NICUがない施設における新生児搬送の適応であり、助産師がこれを医師に報告しなかったことは不適切であった(23頁)として、クリニックの責任を認めました。
私たちは、吸引分娩で生まれた児については、しっかり観察し、新生児搬送の適応がある異変が生じるより前に、すなわち異変の徴候があったら、ただちに医師に報告する管理体制がとられるべきと思います。
吸引分娩で出生した児についての観察、報告が疎かになる一因は、CQ406-1に、児の分娩損傷の可能性を考慮した新生児管理についての記載がないことではないか、と考えます。

2-2 無痛分娩における吸引分娩のリスク
無痛分娩では帝王切開率は増加しないが、分娩第2期が延長し、器械分娩が増加することが指摘されています。
私たちの件は無痛分娩で、そのクリニックでは、無痛分娩の吸引分娩率は非常に高く、無痛分娩では吸引分娩が当然のように行われていました。
無痛分娩により分娩第2期が延長することから吸引分娩が安易に行われるのは容認できません。
無痛分娩のリスクに吸引分娩のリスクが加わることを考えれば、その二重のリスクに備える必要があるはずです。
Q421とは別に、CQ406-1に、無痛分娩における吸引分娩のリスクとそれへの備えについての注意喚起があってしかるべきと考えます。

2-3 「進行が遅延して第2期遷延が予想される場合」
私たちは、この裁判で吸引分娩の適応がないことを主張しました。しかし、判決は「進行が遅延して第2期遷延が予想される場合」にあたるとして、適応義務違反を否定しました(24~25頁)。
その予想に根拠がない場合でも、医師が予想したというだけで、簡単に適応が認められてしまうのでは、ガイドラインが適応を絞り込んでいることが無意味になるように思います。

2-4 児頭位置
私たちは、この裁判で児頭位置が高く吸引分娩の要約を満たしていないことも主張しました。しかし、判決は、当該医師の陳述により「嵌入」を認定し、要約義務違反を否定しました。児頭の最大周囲径の位置を立証することの難しさもさることながら、私たちは、「嵌入」で足りるとするガイドラインに疑問をもちました。
高い位置からの吸引は、帽状腱膜下血腫を起こしやすく、危険であると思います。
ガイドラインの解説には、「『20分5回以内』の牽引で,母児の合併症発生を回避し,児を娩出させることを考慮し,むやみに高いステーションからの吸引娩出術を実施するのではなく,より成功が見込める児頭位置(ステーション+2より下降)まで待つ,あるいは帝王切開術を行うことが望ましい.」(207頁)と書かれています。
ガイドラインは、鉗子分娩については、「原則として低い中在(中位)またはそれより低位,かつ,矢状縫合が縦径に近い(母体前後径と児頭矢状径のなす角度が45度未満).」としています。ガイドラインが、吸引分娩の児頭位置を、鉗子分娩の児頭位置より高くしていることに疑問を感じます。

3 私たちの思い

柊は、私たち夫婦にとって不妊治療の末の待望の第1子でした。妊娠がわかってからは、毎週お腹の写真を撮り、お腹に手を当てて赤ちゃんの動きを確認しては、夫婦で喜び合いました。夫婦で誕生の日を心待ちにしていました。
入院翌日(2017年11月20日)の午後7時45分に、医師から突然、「おっ、いける」、「今から吸引する。無痛分娩の初産は7割は吸引やから」と言われ、理由もよくわからないまま、吸引分娩をされることになりました。吸引は何度も繰り返され、助産師がベッドに載ってお腹を強く押し、ようやく柊が出てきました。
産声を聞いたとき、柊が無事に産まれてきてくれたことに感謝しました。「うわー、かわいい、かわいい、かわいい」と何度も連呼しました。 
柊の頭がぶよぶよで大きく伸びていたのを見て心配しましたが、医師からは「数日後には治っている」と言われて安心しました。幸福感いっぱいで、親子3人で写真を撮りました。この時の面会が、柊の元気な姿を見た最初で最後となりました。
翌朝午前3時頃、柊の急変を知らされたときのショックと絶望は、言葉では言い表せません。搬送先の淀川キリスト教病院小児科の先生から、「延命は難しい。看取りの方向で。」と促され、私たちに抱っこされたまま、柊は短すぎる命を終えました。死因は帽状腱膜下血腫からの出血性ショックと聞かされました。
どうしても柊を家につれて帰りたく、産科の先生にも無理を言って退院しました。柊を私たちの布団の間に寝かせ、たくさん話しかけたり、歌を歌ったりして過ごしました。
火葬場で、柊を棺に寝かせ、前日に夫婦で書いた柊への手紙、柊のために用意したもの、お花やお菓子やおもちゃを入れました。最後の別れをした後、小さな棺が火葬の機械の中に連れて行かれ、ゆっくりと扉が閉まっていきました。
柊の遺骨は、今も私たちの傍で一緒に暮らしています。火葬した日から、1日たりとも欠かすことなく、寝る前に手を合わせて話しかけています。
この事故で、夢見ていた柊との未来が一瞬にして消え去り、人生最高の幸せから絶望の淵に突き落とされました。

帽状腱膜下血腫であっても、出生後に適切な管理がなされ、適時に高次医療機関に搬送されれば、救命は可能なことから、吸引分娩で生まれた新生児の管理は重要と思います。また、そもそも帽状腱膜下血腫を起こさせないことも重要と考えます。帽状腱膜下血腫は、吸引分娩が行われた場合のほうが行われない場合より高い確率で発生すると報告されています。とくに高い位置からの吸引が行われた場合、帽状腱膜下血腫ができやすいことも知られています。
今後、無痛分娩が広く行われるようになると、吸引分娩も増えます。
医師が第2期遷延を予想したというだけの理由で、高い位置からの吸引分娩が行われ、何らかの事情で、出生後に適切な管理がなされず、高次施設への搬送や治療が遅れることにより、柊のように、貴重な命が失われることも起こり得ると思います。
帽状腱膜下血腫で亡くなった児については、産科医療補償では把握されず、そのため「産婦人科診療ガイドライン産科編」にも問題点が十分反映されていないように思います。
このような医療事故が今後二度とおきないように、柊の死を無駄にしないためにも、「産婦人科診療ガイドライン産科編2020」の改訂にあたり、冒頭に記載した4点を御検討いただきたく、要望いたします。

参考資料
大阪地裁令和5年1月24日判決
                             
以 上


【追記】
テレビ朝日「「吸引分娩」で出産直後に息子を失った女性が会見「リスク周知し備えを」」(2023年4月21日)御参照

「出産の時に専用のカップを使って赤ちゃんの頭を引っ張り取り出す「吸引分娩」で息子を失った女性が会見を開き、この分娩方法のリスクや備えについて周知すべきと訴えました。
 高瀬実菜美さん:「これから生まれてくる赤ちゃんがより安全な環境で生まれてくることも一番願っていますし、それが(息子の)柊にとっての生きた意味かなと思っています」
 高瀬さんは2017年、大阪市内の産科クリニックで「吸引分娩」により息子の柊ちゃんを出産しましたが、柊ちゃんはおよそ半日後に死亡しました。
 死因は専用のカップで赤ちゃんの頭を引っ張って取り出す「吸引分娩」で、頭に血腫ができたことによる出血性ショックでした。
 高瀬さんは「息子は急変してから保育器に入れられたまま処置されず、医師にも報告が行かずに長時間がたった」として、吸引分娩により赤ちゃんが合併症を起こす危険性があることを踏まえて、病院側が速やかに異変に対応できる体制を整えてほしいと訴えました。
 また、こうした訴えについてガイドラインに反映することを求め、関係団体に要望書を提出したということです。」


KHB「「吸引分娩」で出産直後に息子を失った女性が会見「リスク周知し備えを」(2023年4月21日)御参照

朝日新聞「「吸引分娩のリスク周知を」男児死亡の遺族、学会ガイドラインに要望」(2023年4月21日)御参照


谷直樹

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by medical-law | 2023-04-21 12:43 | 医療事故・医療裁判