長野県弁護士会、「LGBT理解増進法」の立案・制定過程でなされた議論において誤った理解に基づ く差別的な発言がみられたことに異議を唱えるとともに,同法の改正を求める会長声明
「1 2023年6月16日,性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律(以下,「LGBT理解増進法」といいます。)が成立し,同月23日に施行されました。
2 同法は,立案・制定過程で,立案・制定者だけでなく市民の中からも様々な意見が出されました。しかし,残念ながら,以下で述べるように日本国憲法の基本理念に反する発言や立法事実への無理解に基づく発言が横行した結果,法制定の必要性は不当に軽視され,立法事実に基づいた法の目的やそれを達成するための手段など,法の制定過程で本来されるべき議論が必ずしも深まったとは言えませんでした。
(1)日本国憲法は,個人の尊重を最高価値とし(第13条),人は誰しも,差別を受けることなく人間としての尊厳を保ちつつ平穏な生活を送る権利があることを保障しています(第14条1項)。
(2)しかし,現実の社会には,性自認や性的指向という人格の根幹に関わる属性に基づいて,性的少数者が劣位に扱われたり,市民の大多数が当然に享受する社会的,経済的,文化的な保障を受けられないという差別が存在します。性的少数者への差別は,人間の尊厳に与える影響が深刻であるのに,克服が容易でない差別の典型です。多様性を尊重する社会を目指すという理念に基づき,こうした差別の解消に向けた実効性ある法の制定が求められていました。
(3)ところが,LGBT理解増進法の立案・制定過程では,「性自認は『性自称』を含む。」,「自ら『女性』と称しさえすれば,女性用トイレや入浴施設に入ることができる。」などの誤った論旨の発言が横行しました。これらは,性自認は自らの意思では変更不可能であることへの無理解,苦痛なく利用できるトイレが不足し,日常生活に支障が生じているトランスジェンダーが少なくないことに対する無理解に基づいています。トランスジェンダー女性を,市民社会の安全や安心と「対置」すべき存在であるかのように扱い当事者に一層の不安と疎外感を与えたもので,逆に差別を助長しうる論旨であったとも言えます。
(4)当会は,このような,同法の立案・制定過程に於いて為された議論に誤った理解に基づく差別的な論旨の発言がみられたことに対して異議を唱えます。
3 こうして成立した同法は,以下の問題点を含んでおり,修正が必要です。
(1)最高裁決定,自治体の条例及びG7首脳宣言の和訳などで使われ普及している「性自認」に代わり,「ジェンダーアイデンティティ」という用語が採用されました(第2条第2項)。この用語は国民には馴染みが薄くて理解が容易ではなく,市民の理解促進の障害になりかねません。
(2)そもそも「あってはならない」差別に,「不当な(差別)」との限定が付されました(第3条)。これは許される差別があるとの誤解を招くものです。
(3)学校設置者の努力条項が事業者等の努力条項に統合された上,「家庭及び地域住民その他の関係者の協力を得つつ(行う)」との文言が付されました(第6条第2項,第10条第3項)。性的少数者である子どもへの差別を減少,防止するための措置を講ずることは必須であるのに(国連子どもの権利委員会の2019年総括所見),これでは学校設置者が行う教育や啓発措置が軽視されるおそれがあります。また,家庭や地域住民の協力を得られない場合,これらの措置を行う必要がないかのような誤解を与えかねません。
(4)そして,「全ての国民が安心して生活できることとなるよう,留意するものとする」という条項が追加されました(第12条)。これは,性的指向や性自認の多様性への理解を増進する施策が,市民生活の安心を脅かすかのようであり,性的少数者への差別や偏見を増進しかねません。
4 最近の司法の動きは,性的少数者への差別克服のため社会が向かうべき方向性を示しています。
(1)2021年3月17日,札幌地方裁判所は,同性カップルの保護を含まない民法,戸籍法の婚姻に関する規定について,日本国憲法第14条に違反すると判示しました。2023年5月30日,名古屋地方裁判所も同様に判示しました。
(2)最高裁判所は,同年7月11日,経産省職員のトランスジェンダー女性の省内のトイレ使用に制限を付した人事院の判定を違法と判示しました。
複数の裁判官は,さらに補足意見を付し,重要な指摘をしました。性別適合手術は身体侵襲による生命や健康への危険を伴い,経済的負担も大きく,体質等により受けられない者もいるので,これを受けていない場合でも可能な限り本人の性自認を尊重する対応をすべきである,自認する性別に即して社会生活を送ることは重要な利益であり,特にトランスジェンダーにとっては切実な利益である,性的少数者への誤解や偏見がある現状では両者間の利益衡量・利害調整は感覚的,抽象的ではなく客観的,具体的に行うことが必要である,などです。
(3)これらの判決や補足意見は,性的少数者を取り巻く社会的,経済的,文化的状況の正しい理解や,性自認や性的指向が人の人格の根幹にあることを踏まえ,客観的,具体的に検討することによって,誰もが差別を受けることなく人間としての尊厳を保ちつつ平穏な生活を送ることのできる社会が形成できることを示唆しており,今後の指針となるものです。
5 以上により,当会は,LGBT理解増進法の立案・制定過程における議論に誤った理解に基づく差別的な発言がみられたことに異議を唱えるとともに,同法の「ジェンダーアイデンティティ」を「性自認」の語に改正すること,第3条の「不当な(差別)」の文言を削除すること,学校設置者の努力条項(第6条第2項)を事業者等の努力条項とは分離し独立した条項とすること,第6条第2項及び第10条第3項の「家庭及び地域住民その他の関係者の協力を得つつ(行う)」との文言を削除すること,及び第12条を全文削除することを求めます。」
「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」
谷直樹
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