弁護士谷直樹/医療事件のみを取り扱う法律事務所のブログ

裁判官宇賀克也の反対意見

名張毒ぶどう酒事件の再審請求棄却決定に対する異議申立て棄却決定に対する特別抗告事件で、最高裁判所第三小法廷は、令和6年1月29日、抗告棄却としました。
多数意見は、長嶺安政、 林道晴、 渡邉惠理子、今崎幸彦の各裁判官です。
宇賀克也裁判官の反対意見があります。反対意見のほうが説得力があるように思います。

「裁判官宇賀克也の反対意見は、次のとおりである。
私は、原決定及び原々決定を取り消して、再審を開始すべきであると考える。その理由は、以下のとおりである。

第1 澤渡鑑定について

1 澤渡鑑定の内容
澤渡鑑定は、本件封緘紙の裏面に、本来の封緘時に使用されていたカルボキシメチルセルロース(CMC)糊とは別の糊であるポリビニルアルコール(PVA)糊(家庭用洗濯糊に使われることがあった。)が付着していたとするものであり、この鑑定の信用性が認められれば、本件ぶどう酒に毒物を混入した後、本件封緘紙が貼り直された可能性が生ずることになる。そうすると、本件封緘紙等の発見場所である公民館の囲炉裏の間が犯行場所であるとは断定できなくなり、犯行場所は公民館の囲炉裏の間であり犯行が可能であったのは同所に約10分間ただ一人でいた事件本人しかいないから事件本人が犯人であるとの推認も当然には成り立たないことになる。同時に、公民館の囲炉裏の間でニッカリンTを混入したとする事件本人の自白の信用性にも重大な疑問が生ずることになるのである。
したがって、以下、澤渡鑑定の信用性について検討するが、結論から述べれば、澤渡鑑定には高い信用性が認められると考える。

2 鑑定手法について
澤渡鑑定は、フーリエ変換赤外分光光度計(FTIR)を使用し、全反射を利用して検体表面の赤外吸収スペクトルを測定するという方法(ATR法)を用いるものであり、このATR法は物質の判別に関する標準的な測定方法であって、この鑑定手法自体の妥当性は争われていない。また、澤渡教授が実際に行った測定は、裁判所において、裁判官や裁判所書記官等の立会いの下に行われたものであって、公正性や透明性が確保されており、さらに、機器の設置、調整、操作測定等には機器の販売代理店の社員が補助者として立ち会っているのであって、これらの点にも問題は見いだせない。

3 実験の前提について
澤渡鑑定において糊を塗布する対照資料として使用された紙は、本件ぶどう酒を当時製造していたC洋酒醸造所のDから入手したものであり、本件封緘紙と同質のものと認めてよいと思われる。また、上記Dによれば、事件当時、封緘紙を瓶に糊付けする際にはCMC糊が使用されていたというのであるから、本件封緘紙にCMC糊が付着していたことも疑いのない前提としてよいと考えられる。

4 実験結果について
澤渡鑑定によれば、本件封緘紙の測定結果において、 1594𝑐𝑚−1 (以下、単位は省略する。)付近~1589付近にピークが現れているところ、CMCがこの付近にピークを示すことは争いのない事実であるから、このピークはCMCによるものと推認できる。確かに、上記のピークはCMC分子内のカルボン酸塩の構造を反映するものではある一方、同様の構造を有する物質であれば同様のピークが認められるとはいえる。しかし、前記3の事情も併せ考えれば、上記ピークはやはりCMCによるものと十分推認できる。
澤渡鑑定は、本件封緘紙の測定結果において、1733付近~1714付近にピークが現れているところ、これはカルボニル基の存在を示しており、カルボニル基は、PVAの原料であるポリ酢酸ビニルに由来し、したがってPVAには存在しているが、紙やCMCには存在していないから、このピークは本件封緘紙にPVAが付着している可能性が高いことを示しているとする。また、実際、PVA製品として、本件当時も販売されていた洗濯糊であるゴーセノールを紙に塗布して測定したところ、やはり1733付近~1714付近にピークが認められたのであり、このことが本件封緘紙にPVAが付着している可能性を補強するものであるとする。
前記2のとおり、澤渡鑑定の実験手法に問題は見当たらない。また、本件封緘紙自体にあるいはその印刷に用いたインクにPVAが含まれていた可能性や、宴会で供された飲食物、更には人の手の皮脂等が付着しそこにPVAが含まれていた可能性も、現実的なものとしては考えられない。また、第5次再審請求に関する特別抗告審決定(最高裁平成5年(し)第40号同9年1月28日第三小法廷決定・刑集51巻1号1頁)によれば、本件封緘紙の破片を調査しても貼り合わせた部分を貼り直した痕跡は認められないというのであるから、本件封緘紙に糊以外のものが付着している痕跡は外観上確認できないのである。前記 及び の実験結果は、本件封緘紙には封緘時に用いられたCMC糊の他に、PVA糊が別途塗布された可能性が極めて高いことを示していると考えるのが合理的である。当審で新たに提出された髙栁正夫教授の鑑定書は、重回帰分析を用いた検証であり、このような見方を別の角度から裏付けている。そして、そのPVA糊は、当時洗濯糊等に一般に使用されていたゴーセノールであった蓋然性が最も高いと考えられる。
これに対し、澤渡教授の実験結果によれば、紙にゴーセノールを塗布した場合には1733付近と1714付近に独立した2つのピークが観測されるはずであるのに、本件封緘紙の測定結果における1733付近~1714付近のピークは独立した2つのピークではなく幅広いショルダー状であることをもって、この結果が本件封緘紙の裏面にPVAが付着していることの証明にはならないとする批判もある。しかし、塗布量によっては2つのピークに分かれて観測されないことがあるとの指摘や、1733付近と1714付近の2つのピークの窪みは非常に浅いので、吸収の強度が強くない場合には、雑音やベースラインの揺らぎを受け2つのピークに分かれて観測されなくなることはしばしばあるとの指摘もあるのであるから、この点が十分な批判になっているとは思われない。むしろ、1733付近~1714付近にピークを示すカルボニル基の炭素―酸素二重結合をCMCは有していないのであるから、現にここにピークが観察されている以上、前記 の事実関係の下では、その原因はカルボニル基を有するPVAの付着であると考えるのが最も合理的である。PVA以外の何らかの物質がこのピークを形成する可能性があるという指摘は、一般論としてはそのとおりであるといえても、前記 の事実関係の下で糊以外の物質の付着が想定し難い状況の下における抽象的可能性の指摘にすぎないのであって、その特定を事件本人側に求めるのは「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則(最高裁昭和46年(し)第67号同50年5月20日第一小法廷決定・刑集29巻5号177頁、最高裁昭和49年(し)第118号同51年10月12日第一小法廷決定・刑集30巻9号1673頁参照)に反するように思われる。
また、澤渡鑑定に対しては、当初1244付近や1088付近のピークの存在もPVAの識別基準としていたのに、後になってこの点を積極的な識別基準と扱わなくなったのは恣意的であるとする批判もあるが、澤渡教授は、前者については、確かにピークが確認されたのは1260付近~1257付近であり、1244付近に独立したピークを形成しているわけではないが、1244付近にはショルダー状のピークがみられ、これは紙にCMC糊のみを塗布した場合には出現しないから、やはりPVAが付着している根拠になると説明し、後者については、本件封緘紙の測定スペクトルにおいて、紙にCMC糊を塗布した場合に観察される1100付近のピークの低波数側が弱くならず水平になったのは、PVAによる1088付近のピークの影響といえると説明しており、これらの説明は理解できるところである。
澤渡鑑定に対する批判は、いずれもその信用性を揺るがすものではないと考えられる。

5 澤渡鑑定に関する結論
以上のとおり、本件封緘紙の裏面にPVA糊が付着している可能性があるとする澤渡鑑定には、高い信用性が認められると考える。そうすると、本件ぶどう酒を本件封緘紙で封緘する際に用いられていたのはCMC糊なのであるから、これと異なるPVA糊の付着は、犯人が本件封緘紙を破って本件ぶどう酒を開栓し農薬を混入した後、PVA糊を用いて本件封緘紙を再度貼り直して閉栓した可能性を浮上させる事実であるということができる。

第2 旧証拠との総合評価
そして、澤渡鑑定と旧証拠を総合評価することによって、以下のとおり確定判決の有罪認定に合理的な疑いが生じると考えられる。

1 犯行の場所と機会について
本件は、そもそも有力な物証が乏しい事件である。その中で、専ら本件封緘紙、本件替栓及び耳付き冠頭が公民館の囲炉裏の間付近で発見されたという事実から、犯行場所は同所であったと特定され、これに加えて、本件ぶどう酒の置かれた公民館に事件本人がただ一人で約10分間おり、同所において犯行が可能であったのは事件本人しかないと考えられたことから、事件本人の犯人性が認定されている。
しかし、澤渡鑑定を踏まえると、犯人が別の場所で本件ぶどう酒に農薬を混入し、本件封緘紙を再度貼り直して閉栓した可能性が生じる(加えて、やはり今回の再審請求において提出された新証拠によれば、事件から数日後という早期の段階において、本件ぶどう酒の瓶口に封緘紙が巻いてあったと思う旨述べている者が3名いたというのであり、この事実も上記可能性を裏付けるものであるといえる。)から、上記の事実だけからは必ずしも犯行場所が公民館の囲炉裏の間であるとは断定できなくなる。そして、このような観点から旧証拠を検討するならば、事件本人にのみ犯行の機会があったとは断定できなくなり、事件本人の犯人性に合理的な疑いが生じると考えられるのである。
ところで、確定審においては、本件ぶどう酒がB方に到着した時刻が強く争われていた。この点、第5次再審請求に関する特別抗告審決定(前記最高裁平成5年(し)第40号同9年1月28日第三小法廷決定)では、本件ぶどう酒がいつB方に持ち込まれたかについて検討するまでもないとされているが、これは、同決定においては、犯行場所が公民館の囲炉裏の間であることは動かないとされていたためであって、澤渡鑑定によって犯行場所が断定できなくなったのであれば、改めてこの点について検討する必要が生じたというべきである。
確定判決は、本件ぶどう酒の到着時刻が事件当日の午後5時過ぎ頃であるとする。そうだとすると、その後間もなく事件本人が本件ぶどう酒を公民館へと運んでいることから、本件ぶどう酒がB方に置かれている間に何者かが農薬を混入する時間的余裕は乏しかったということになる。しかし、この到着時刻に関する証拠は、本件ぶどう酒の売渡関係者、運搬引渡関係者、受取人関係者等の各供述であって、物証はない。そして、この点に関する供述は、ある時点を境に大きく変遷しているのである。
すなわち、本件ぶどう酒はEがF酒店において清酒2本と共に購入したものであるところ、F酒店のG及びHは、昭和36年4月16日までは、本件ぶどう酒の売渡時刻を午後2時半か午後3時頃と述べており、Eも、同月11日までは、午後2時頃に本件ぶどう酒と清酒を買ったと述べていた。そうすると、EがB方に本件ぶどう酒を届けたのは、移動時間を考慮しても午後4時よりかなり前ということになり、他方、B方から公民館へと本件ぶどう酒が運ばれたのは午後5時20分過ぎであるから、本件ぶどう酒は、1時間以上もの間、B方の玄関土間に置かれていたことになるのである。これは、本件ぶどう酒をB方に届けたEが、その後農協へ行って仕事をし、さらにその後折詰弁当を取りに行っているところ、その折詰弁当を販売したIが、その折詰弁当の受渡しは午後5時10分頃の出来事であった旨供述していることにも沿う。
他方、上記Gは、同月23日付け検察官調書においては本件ぶどう酒を売ったのは午後4時過ぎではないかと言われればそうではないかと思う旨供述するに至っており、上記Hも同様である。確定判決は具体的な論拠を示さずに、この変遷後の供述が真実であると認定しているが、記憶は時間が経過するにつれて曖昧になるという経験則に照らしても、事件後間もない時期における関係者の一致した供述が、相当期間経過後に一斉に変遷するのは疑問であり、本件ぶどう酒のB方への到着時刻が午後5時過ぎ頃であったとする確定判決の認定は、元々脆弱な証拠に支えられていたものにすぎないとみるべきである。そうすると、上記のとおり、本件封緘紙等の発見状況から犯行場所は公民館の囲炉裏の間であったとする推論自体が揺らいだことも併せ考えれば、本件ぶどう酒のB方への到着時刻が午後4時前であり、同所において犯人が本件ぶどう酒に農薬を混入した可能性も否定できなくなったというべきであり、犯行場所が公民館の囲炉裏の間であることを前提として同所で犯行が可能であったのは事件本人ただ一人であるとして事件本人の犯人性を認定するには、合理的な疑いが生じる。

2 自白の信用性について
そして、前記第1のとおり、澤渡鑑定によれば、本件封緘紙は犯人が本件ぶどう酒に農薬を混入した後、再度貼り直された可能性が高いということになるところ、そうであるならば、公民館の囲炉裏の間で本件毒ぶどう酒を開栓してニッカリンTを混入したとしつつ、本件封緘紙の貼り直しについて何ら述べていない事件本人の自白の信用性はそれだけでも揺らぐことになるというべきであるが、事件本人の自白については、更に元々以下のような種々の疑問が存在したのである。

ア 自白によれば、事件本人は、ニッカリンTの瓶を名張川に投げ捨てたというのであるが、連続10日間、延べ200人以上を投入した徹底した捜索にもかかわらず、これが発見されていない。他方、弁護人の実施した実験によれば、同様の条件では瓶は沈むというのであり、自白内容に沿って瓶が発見されなかったことは不自然である。

イ 自白によれば、事件本人は、本件ぶどう酒の開栓後、本件替栓の上に被せられていた耳付き冠頭を拾って処分してはいないから、公民館の囲炉裏の間にあったはずであるが、当日後から来てその場所を掃除した J は、耳付き冠頭の存在に気付- 18 -
いておらず、また、同人は囲炉裏の間から玄関にごみを掃き出したと述べているのに、耳付き冠頭が発見されたのは玄関と反対方向の押入れの奥であって、自白の内容と整合しない。

ウ 自白によれば、事件本人はニッカリンTを入れた竹筒を囲炉裏で焼却したというのであるが、それらしい物が発見されていない上、ニッカリンTは燃やしても燐の検出が可能であると製造元が回答しているにもかかわらず、囲炉裏の灰からニッカリンTが含有する燐は検出されておらず、公民館の外で発見された燃え殻と思しき物からも燐の反応はみられていない。さらに、事件本人が事件当時着用していたジャンパーからも燐が検出されたという立証はないのである。事件本人が竹筒に入れたニッカリンTを携行し、犯行に使用した後、その竹筒を公民館の囲炉裏の間で燃やして処分したとすれば、燐が検出されてしかるべきであり、自白が真実であれば当然存在すべき裏付けを欠いている。

エ 確定審の第1審は事件本人の自白内容に沿って夜間事件本人方において竹筒に水を入れる実験を行っているが、暗くて溢れ出してしまい、適切な注入は困難であったとしている。自白の再現性には問題があるのである。

オ 自白によれば、事件本人は前日から犯行を計画し、夜間自宅でニッカリンTを竹筒に入れたというのであるが、そもそも宴会にぶどう酒が出されることが最終的に決まったのは事件当日であり、事件本人がそのことを知ったのも宴会前にB方に立ち寄ったときであるから、その点でいささか不自然の感を免れない。また、ぶどう酒が出なくても、酒に砂糖を入れて女性会員に提供すると思ったとする自白についても、そのような計画が事前の打ち合わせで決められていたわけではなく、過去にそのような例もなく不自然であるし、そのような先例のないことを行うのであれば、年次総会後、参加者全員で協議することになると思われるので、他人に気付かれずに竹筒に入れた毒物を混入する計画は、現実性に乏しい。
そして、事件本人が本件ぶどう酒を公民館に運ぶことになったのも、その立ち寄りの際にBの妻から依頼されたからであり、事件本人はそのような展開を事前に予見できていたとは考えられないし、公民館の囲炉裏の間で事件本人が一人でいる時間があるということも予期はしていなかったと考えられる。要するに、事件本人は、極めてあやふやな予測ないし期待のもとに犯行を決意し準備をしたことになるのであって、理解に苦しむ。

カ 事件本人は、事件前夜に知人が風呂を借りに来たことをその前日(事件の前々日)の出来事であると勘違いして認識し供述しているのであるが、事件本人が真に犯人であるのであれば、極めて重大な犯罪を決意し準備しようとしていた折に他人が来訪したということは鮮明に記憶しているはずである。さらに、家族や上記知人がいる中で自白のような準備ができたかにも疑問が残る。

キ J によれば、宴会で出されるぶどう酒について、「赤かな、白かな」と事件本人に尋ねたところ、事件本人が本件ぶどう酒の包装紙を下げて見せてくれたので、白ぶどう酒であることが分かった旨供述しているが、事件本人がその自白のとおりニッカリンTを本件ぶどう酒に混入していたのであれば、ニッカリンTは赤色に着色されていたのであるから、ぶどう酒に変色はないか、あるいは瓶口に封緘紙や耳付き冠頭がないことを気付かれないかなどといったことを大いに懸念するはずであり、このような無警戒な振る舞いは、犯行の露見を恐れるはずの犯人の行動としては不自然である。

以上のとおり、元々事件本人の自白にはその内容に照らして多数の疑問があるところであった。
さらに、異議審において提出された新証拠によれば、本件ぶどう酒について石油臭がしたと述べている者が少なくとも6名いたとされるところ、ニッカリンTには強い臭気はなく、その臭いは弱いフルーツ臭であるというのであるのに対し、別の有機燐テップ製剤である三共テップは、製品中に残存するベンゼンによって石油臭を感じさせる可能性があるというのであるから、ここからも、ニッカリンTを犯行に用いたという自白の信用性には疑問が生ずる。
なお、事件本人に対する取調べにおいては、物理的な暴力が行使されたことはないと認められるものの、取調べが極めて長時間に及ぶなど常人であれば大変な心理的圧迫を受ける状況下での自白であったことがうかがわれるのであり、逮捕前の自白であるから真実であるなどと速断すべきではないと思われる。
したがって、澤渡鑑定により、犯行場所が公民館の囲炉裏の間ではなく、本件ぶどう酒に農薬を混入した後、本件封緘紙を再度糊付けして貼り直した可能性が生じ、そうであるならばこの事実は事件本人の自白内容と齟齬することや、事件本人の自白のとおりニッカリンTが使用されたとすると、本件ぶどう酒から石油臭がしたと複数の者が述べていることと整合しないことを踏まえ、元々その信用性には疑問を差し挟むべき点が多々あった事件本人の自白についてその証明力を再評価するならば、事件本人の自白の信用性に多大な疑問が生じているというべきである。

第3 結論
以上のとおり、新旧全証拠を総合すれば、犯行の機会に関する情況証拠から事件本人が本件犯行を犯したと認めるには合理的な疑いが生じ、また、事件本人の自白の信用性にも多大な疑問が生ずるのであり、確定判決の有罪認定には合理的な疑いが生じているものというべきであるから、所論引用の各証拠が刑訴法435条6号
にいう証拠の明白性を欠くとして本件再審請求を棄却すべきものとした原々決定及び原決定は、いずれも取消しを免れず、再審を開始すべきである。」



谷直樹

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by medical-law | 2024-02-01 00:53 | 司法