東京弁護士会 証拠裁判主義を否定した上、不明確な基準によって判断し、裁判官の独立や表現の自由を危うくした罷免判決に抗議する会長声明
「SNSに不適切な投稿を繰り返したとして裁判官弾劾裁判所に訴追された仙台高等裁判所の岡口基一裁判官(以下、「岡口氏」という。)に対し、弾劾裁判所は本年4月3日、罷免判決を言い渡した(以下、「本件判決」という。)。表現行為を理由とした罷免判決は史上初めてのことであった。
当会は、2022(令和4)年1月12日付で 「裁判官弾劾裁判所に対し、裁判官の独立を尊重し、慎重な判断を求める意見書」を発出し(以下、「本件意見書」という。)、「『裁判官としての威信を著しく失うべき非行』に該当するかについても、審理対象の事案が過去に罷免判決が宣告された事例に比肩しうるかなどを、十分に審理を尽くすべき」であり、「弾劾裁判の罷免による萎縮効果が、自律的に判断形成することを職責とする裁判官に種々の悪影響を及ぼすおそれについては、それが可視化されにくいものであるが故に、罷免訴追の審理にあたっては、最大限に考慮されなければならない」ことを指摘していた。
しかし本件判決は、以下に述べるように、罷免の結論に至る論理に本件意見書が指摘した点が反映していないばかりか、証拠に基づき事実を認定する証拠裁判主義を正面から否定する内容になっている。
すなわち本件判決は、「(裁判官としての威信を)著しく失うべき非行」の「著しく」の定義について、「国民の信託に対する背反」が認められるかどうかであると判示したが、規範としては曖昧であり、「国家権力に対する批判的見地からの表現」に触れていることを踏まえたとしても、なお本件意見書が指摘した弾劾裁判の罷免による萎縮効果に対する最大限の考慮があったとは言い難い。
また本件判決は、裁判官の表現の自由を国民一般の表現の自由よりも狭く捉えているようであるが、その根拠が「国民の信託」、「憲法の番人」であることだけでは、不十分であり、基準としては甚だ不明確なため他の裁判官に対して重大な萎縮効果を及ぼすものである。
本件判決は、本件ではSNSによる投稿が訴追事由を構成する主たる要素となっていることを理由に過去の弾劾裁判例や訴追猶予事案を比較の対象とすること自体を否定するが、特定の行為が裁判官としての威信を著しく失うべき非行にあたるか否かの判断においては、当該行為そのものが過去の事案に現れていないとしても、過去の事案で問題とされた行為及びそれに対する判断との比較検討が必要不可欠である。過去に例を見ない事案であるからこそ、前例となる処分との公平性、均衡を踏まえた慎重な立論が強く求められるのであって、過去の弾劾裁判例を重視せず曖昧不明確な基準に基づいて裁判官の行為を裁いた本件判決の論理は、裁判官にとっての予測可能性を害し、裁判官の行為の萎縮を招くものというほかない。
加えて、「『司法に対する国民の信頼』を害したかどうかの認定は、その時々の弾劾裁判所を構成する裁判員の良識に依存する」、「時の弾劾裁判所の裁量に属する項目であって、通常の要証事実のような立証責任は問題にならない」とした点については、裁判員による恣意的な判断を肯定したものであり到底容認できない。
裁判官弾劾法は、刑事訴訟に関する法令の規定を準用するなど、刑事訴訟と同様の厳格な手続を採用していることは明らかであり、それは、被訴追者に裁判官の職を失うだけでなく法曹資格を剥奪する罷免という強度の不利益を一方的に課すものであるからである。それにもかかわらず、本件判決が「立証責任は問題にならない」としたことは、同法第29条第2項が準用する刑事訴訟法第317条の証拠裁判主義の規定や、ひいては憲法第31条の適正手続の要請に正面から反するものである。
当会は、このように証拠裁判主義を否定して弾劾裁判制度の根幹を揺るがした上、適切な基準なく判断して裁判官の身分保障や表現の自由を危うくする論理によってなされた本件判決に対し抗議するものである。」
【追記】
茨城県弁護士会は、2024年(令和6年)4月25日、「裁判官弾劾裁判所による罷免の判決に関する会長声明」を発表しました。
「令和6年4月3日、裁判官弾劾裁判所は、仙台高等裁判所判事の裁判官に対し、同裁判官が行った表現行為に「裁判官としての威信を著しく失うべき非行があった」(裁判官弾劾法2条2号)として、罷免の判決を下した。
これにより、同裁判官は裁判官としての職を失うとともに(同法37条)、他の法曹資格も失うことになった(弁護士法7条2号、検察庁法20条2号)。
本件で同裁判官は、訴追状において、13件の表現行為を理由として訴追された。
このうち10件は、強盗殺人、強盗強姦未遂事件(以下「刑事事件」という)についてのインターネット上での投稿、記者会見や取材での発言であり、残る3件は犬の返還請求等に関する民事訴訟についての表現行為である。
弾劾裁判所は、刑事事件に関する投稿のうち9件及び犬の返還請求等に関する3件の表現行為が、それぞれまとまりある行為群であるとした上で、刑事事件に関する9件のうち2件は、裁判官としての表現の自由を尊重すべきであるとし、また犬の返還請求等に関する3件については著しい非行とは評価できないとした。しかし、その余の行為については、遺族の心情を傷つけ、平穏な生活を送ることを妨げたとして著しい非行があったと評価し、罷免の判決を言い渡した。
しかし、表現行為を理由として、裁判官を罷免してよいかは、慎重に問われなければならない。
憲法は、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」と定め(76条3項)、裁判官の独立を保障する。
そして、この裁判官の独立を保障するために、「裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない」(78条)と定めて裁判官の身分を強く保障する。
これを受けて、裁判官弾劾法は、裁判官を罷免できるのは、「職務上の義務に著しく違反し、又は職務を甚だしく怠ったとき」(同法2条1号)、または「その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があったとき」(同法2条2号)に限られるとしている。
過去に弾劾裁判所において罷免が宣告された件数は7件あり、これらは収賄、公務員職権濫用、児童買春、ストーカー行為、盗撮行為といった、いずれも犯罪行為あるいはそれに匹敵する著しい不正行為に限られていた。これは、憲法上の要請である裁判官の身分保障を守るべく、罷免事由を厳しく限定してきた結果にほかならない。
本件で同裁判官が行ったのは、自らが担当する職務とは直接関係しない裁判に対する私的な表現行為に過ぎず、犯罪行為あるいはそれに匹敵する著しい不正行為というには重大な疑義がある。憲法上の要請及びこれを受けた裁判官弾劾法の趣旨に照らし、私的な表現行為が問題となる本件を、これまで罷免が宣告されてきた上記7件と同列に扱うべきではない。
また、罷免されることによる上述の苛烈な効果に鑑みると、私的な表現行為を理由として罷免することはあまりに行為と効果との均衡を失する。
さらに、このような私的な表現行為を理由に罷免されるとなれば、裁判官は私的な表現行為そのものを差し控えざるを得ず、正当な表現行為に対する萎縮的効果が生じることは確実である。
以上の理由から、当会は、弾劾裁判所の下した判決について、強い遺憾の意を表明する次第である。」
谷直樹
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